桜邸は化物屋敷⑦

 ふと参考書を読む手を止めて、窓の外に目を向けた。この暑い中、蝉達は熱心に演奏を続けている。目当ての相手の気を引こうと必死なんだな。その熱意に免じて、「煩い」と苦情を言うのは、やめておいてやる。


 楓さんが桜邸の大家を名乗っていた頃、何度か改修工事をしてくれたおかげで、昭和初期に建てられたっていうわりに、桜邸は住みやすい洋館になっていた。火野さんが応接室を燃やしちゃったから、そのついでにリフォームしたっていうのが正しいんだろうけど……。

 でもちゃんとレトロな雰囲気も残してくれてあって、最近は本当に愛着が湧いている。洋風な景色の中に、突然現れる畳張りの和室も、なかなか気に入っている。最初見た時は違和感があったけど、昔は洋風と和風が組み合わされた建物も珍しくなかったらしい。


 花さんは生前、屋敷の奥にある畳の部屋で寝起きしていたそうだ。


「私の部屋は日陰なので、夏になると畳が冷たくて気持ちいいんですよ」


 そう教えてくれたけど……。


「でもクーラーが無い時代って、考えられないな~」


 クーラーの効いたリビングでそう呟いても、今日は反論が返って来ない。花さんは朝から、楓さんとショッピングに行ってしまった。普段俺に取り憑いてまで職場に来る癖に、休みの日に構ってくれないのは、なんか寂しい。


(……別に拗ねてないけど)


 そんな事を思っていると、携帯にメッセージが届いた。確認すると、楓さんと花さん(の左手)が写った写真が送られてきたところだった。

 タピオカを片手に楽しそうにしている楓さんの肩に、ピースしている花さんの左手が見える。微笑ましくて笑ってしまったけど、よく考えるとこれって、心霊写真なんだよな。そういえば、最初に不動産屋さんで見せてもらった資料には、花さんの呪いと楓さんのお呪いが組み合わされた、呪物と化した写真が載せられてたんだっけ?


 そんな事をぼんやりと考えていた時だった。

 ここ半年近く鳴らなかった、玄関の呼び鈴が鳴った。首を傾げつつ玄関に向かうも、来訪者が誰か予想できない。桜邸の周りは相変わらず空き家だし、宅配便を頼んだ覚えもない。

 ドア越しに外の人物を確認して、顔を顰めた。見覚えがあるけれど、あまり会いたくはない人物が訪ねて来たようだ。


 悪霊だった花さんを監視していた霊媒師、秋葉蔦美がそこに立っていた。


「何しに来たんだよ。花さんならいないぞ! いても会わせないけどな!」


 ドアを開け放ち、掛けた声は自分でも驚く程荒くなった。だけど、当の蔦美は涼し気な顔をしていた。


「留守なのは知っている。だからお前と一対一で話すには、今しかないと思ってな」


(俺に話がある? 花さんを狙ってきた訳じゃないのか)


 その内容、声の調子から、蔦美にあの時のような戦意がない事に気付いた。

 だけど、油断はできない。こいつは花さんを苦しめた霊媒師だ。現に、花さんの不在を知って訪ねて来たんだから、なんらかの方法で監視を続けているに違いない。


「まだ花さんの除霊を諦めてないのか?」


「いや、協会は桜花の除霊命令を取り下げた。我が神と楓達が悪知恵を働かせたおかげでな。人に害を成さない神の化身であれば、祓う必要はないと判断したのだろう。唯一あれを崇めるお前が死ねば、あれも消える。長い目で見ても、人の手ですぐに祓う必要は無い」


「じゃあなんで? どうして花さんがここにいないって、わかるんだよ。監視してるんじゃないのか?」


 困惑する俺に、蔦美はスッとあるものを見せつけた。


「馬鹿弟子がふざけた心霊写真を投稿したからだ」


 向けられたスマホ画面には、俺に送られてきたのと同じ写真が写っていた。

 【霊ッター】、正式名称・霊媒師協会会員情報共有ツール。だけど、みんな何故か霊ッターって呼んでる。みんながこれをどういう認識で使ってるか、手に取るようにわかるような通称だ。

 実際、霊媒師が情報共有をする為のSNSのはずなのに、会員のほとんどが、どうでもいいような写真や呟きしかしない。たまに本当に焦った人から事務所宛てに、直接メッセージが届いたりするけど……大体は他のSNSと変わらない。使ってるのが霊媒師だけだから、ガッツリ幽霊が写ってても、仲良くタピオカ飲んでるだけなら、全く平和な投稿として見られる。楓さんの投稿したあの写真にも、既に何件もいいねが付いていた。


「全く、恐ろしい時代になったものだ。式神を使わずとも、今じゃこんな小さな機械一つで、遠くの者と話ができる」


 それより、この前時代的な男が、SNSを使いこなしている方が怖い気がする。ジトッとした目で蔦美を見ると、蔦美は鼻で笑った。


「手土産がある。中に入れてくれるな?」


 門前払いはできなさそうだ。仕方なく、俺は蔦美をリビングへ通した。蔦美を椅子に座らせようとしたところで、彼の視線がテーブルの上の一冊に注がれている事に気が付いた。そこでようやく、参考書を置きっぱなしにしていたことを思い出す。

 桜邸には、リビング以外にエアコンがない。窓を開ければ涼しいんだけど、今日は蒸し暑いから、リビングでゴロゴロしていたんだった……。


 蔦美は本を睨みつけ、露骨に嫌そうな顔をした。


「『初心者霊媒師の為の参考書』……あの銭ゲバの本を買ったのか」


「知り合いなのか?」


「儂よりいくつか年下だが、霊媒の腕より、人に取り入る方が上手く、さっさと昇進していった男だ。一度この本に目を通したが、碌に現場に立ってもいない癖に、よくもまあこんな出鱈目ばかりを並べたと感心したぞ! 真に受けた若手がどんな目に合うか、考えてもいない!」


 蔦美はそう言い放ち、参考書にドンっと拳を下ろした。


(……それ、俺が買った本なんだけどな)


「そもそも、霊媒師というのは流派で教えも異なる。この胡散臭い本を読むくらいなら、基礎を鍛える修行を一秒でも長くした方が実になるというもの。秋葉流なら、ひたすら針を糸に通させる」


「あの修行、本当に意味があるのか?」


 思わずそう呟くと、蔦美はキッと俺を睨んだ。


「精神統一の修行だ。糸に神の加護を受けようと、使い手の心が乱れれば糸はただの糸だ。無心になった時こそ、初めて糸は縁となり、針でそれを自由に操る事ができるのだ。それにこれはどんな局面でも、慌てず糸を通すという練習も兼ねている」


 そう聞いて、俺は落雷に撃たれたような衝撃を受けた。


(蔦美、教えるの滅茶苦茶上手いな!?)


 楓さんは、「針に糸通すと縁の感覚掴みやすいらしいよ。頑張って」としか教えてくれなかったのに……。

 俺の表情から察したのか、蔦美は溜息を吐いた。


「そんな事だろうと予想はしていた。大方、ようやく邪鬼程度がぼんやり見えたくらいだろう? 楓は天才だが、それ故に凡人、ましてや一般人の感覚がわからない。あれの考えは絶望的に他とズレているのだよ」


 そういえば、蔦美って楓さんの師匠なんだっけ? そりゃ、教え慣れてるはずだ。


「あれに教えを乞うたところで、お前はいつまでも婚約者の顔を拝むことなどできん」


 そう言って、蔦美は大きな袋をテーブルの上に置いた。


「儂の手土産は、今のお前に足りない物を埋める。引退した儂には、もう必要のないものだ。これを使えば、お前の視力を少しでも向上させるだろう」


(あの蔦美が、俺を助けてくれるっていうのか?)


 困惑を隠し切れずにいると、蔦美は溜息を吐いた。


「うちの神が、随分と迷惑をかけているようだからな。あれは昔から、なのだ。ここ数年はその鳴りを潜めていたが、儂の現役時代はもっと酷かった……」


 蔦美が眉間を押さえたのを見て、なんとなく心中を察してしまった。敵だったとはいえ、同情してしまう。


「いや、あれはもうしょうがない。神とはいえ、元は妖怪だ。それより、楓から取り上げたこれも、お前に渡しておこう」


 袋から取り出されたのは、大きな二冊のアルバムだった。一冊は桃色のカバー付きで、新しい。もう一冊は、渋い緑色の薄汚れた古いアルバムだった。


「この新しい一冊は、楓が縁結び作戦の為に、桜邸の使用人や佐々木家から集めた桜花の生前の写真をまとめたものだ。もう一冊は、儂が現役時代に作り、使っていた秘密道具だ。開けてみろ」


 指差された古いアルバムを開いて、俺は驚愕した。蔦美の方に顔を向けると、蔦美はニヤリと笑った。


「見ての通り、視力を取り戻すものだ。使い方はわかるな?」


 渡されたのは、どう見てもマジカル・アイ的な画像を集めたアルバムだった。


(視力回復って、そっちの? 馬鹿にされてるのか?)


 困惑していると、蔦美は勝手に説明を続けた。


「心霊写真を切り貼りし、特殊な呪いを施したものだ。見ていればその中に、怪異の姿が浮かび上がる。霊視のトレーニングになるのだ。自分用に作っていたせいで、雑で荒いものだがな……」


 アルバムに目を滑らせてみた。白黒写真のページから、色褪せたカラー写真のページ。時代と共に、写真は鮮やかになっていった。


「いいのか? 思い入れがあるんじゃ」


 気付けば、そう声に出していた。

 蔦美はそんな俺の顔を見て、フッ笑みを含んだ息を吐いた。


「やっと役を降りられて、清々しているのだよ。それに、お前には借りがあるからな」


「借り?」


「お前の婚約者にでも聞け」


 そういうと、蔦美はまた深い溜息を吐いた。


「まさか本当に、悪霊を愛して妻に取るとは思わなかったぞ。楓は奴の心を満たそうとは考えていたようだが、連れて来た人間がプロポーズまでするとは、流石に考えなかっただろうな。それも、呼び戻してまで手元に置こうとするとは……」


「一目惚れした人がたまたま悪霊で、プロポーズするのがあの機会しかなくて、神様の力で守り神の化身になって戻って来ただけですよ」


「……意味がわからない」


 俺も薄々思ってはいたけど、ベテラン霊媒師、それも一時期は最強だった男にまで言われると、やっぱりとんでもない事だったんだなって、もう笑うしかなかった。


「でも、おかげで充実した毎日を送れてるし」


 蔦美は更にまた大きな溜息を吐いた。


「お前といい、馬鹿弟子といい、怪異にそこまで執着する理由がわからない。考え方も在り方も、何もかも違うのだぞ。添い遂げたとして、人としての幸せは望めないというのに」


「そんな言い方無いだろ、花さんは元々人間なんだ。……確かにちょっと物騒な事はするけど、俺を思ってやってくれることなんだから、ちゃんと話し合えば分かり合える。婚約してからは人も襲ってないし、むしろ霊媒師の味方をしてくれてるんだ」


「……そうだな。お前に言わせれば、そうなのだろう。楓にも、似たような事を言われた」


 蔦美は少しだけ遠い目をした。


「現人神とまで呼ばれ、孫という贔屓目で見ても美人に育った。秋葉はそれなりに協会でも地位がある。どんな男だろうと、好きに選べる立場だというのに……先日、遂にあの毒煙に嫁ぐと言い出した」


 俺が笑うと、蔦美はあからさまに面白くなさそうな顔をした。


「何が火野秋成だ。名前を付けたところで、あれはタールや煤の塊だ。一度は神であったせいで、意志を持っているようだが、人間の感情も立ち振る舞いも、あれは完全には理解できぬ。それを知っていて、尚も想いを寄せるとは……」


「それでも楓さんに必要なのは、火野さんだよ」


 そう現実を突きつけると、蔦美は呆れたような顔をした。


「全く、怪異に肩入れするなど碌な結末にならんというのに……。これではあれの幸せが、血の海の中にしかないみたいではないか」


 ふと、蔦美が思い描く楓さんの幸せは、楓さんが願う幸せとは、違う形なんじゃないかと思い至った。

 蔦美の言う幸せは、楓さんが人間の男と結ばれて、子供を抱いた姿なんじゃないだろうか。蔦美だって人の子だ。厳しい事ばかり言う癖に、孫には危ない現場を離れて、子供に囲まれて暖かな家庭を築いて欲しいって願いが、少なからずあるのかもしれない。


「……いや、いずれこうなる事などわかっていた。これでも、あれの生き方はずっと見てきた。あの怪異を傍に置くようになってから、楓が笑うようになったのも、纏う棘が無くなったのも、化粧を覚えたのも、全部見てきた。霊媒師の使命は、人間の暮らしを護る事。例え何を犠牲にしても、その役目は果たさねばならん。……秋葉家にとって、あれが生涯現役でいる方が都合がいい事もわかっている。儂自身、あれにはよく言って聞かせてきたからな……」


 蔦美は、静かな目で俺を見た。


「動かぬ神の代わりに、現人神が必要なのだ。現にあれがいなければ、お前の婚約者は、痴れ者の霊媒師に苦しめられ続けていた。実力も才もない癖に、人を護るという使命だけは一人前に抱えた厄介な老いぼれだ。……あの悪霊は、寂しさを抱えて死んだ女の成れの果てだというのに。その心を埋める事も、終わらせる事も、外法を使おうと最後まで叶わなかった」


 哀愁を湛えたその目は、俺越しにあの子を見ているようだった。


「お前にとって、あれは最初から悪霊ではなく、一人の女だったのだな」


「悪霊とか、神様の化身とか、どうでもいい。花さんは花さんなんだ。俺の、大切な恋人だ」


「だったら、そのように念じ続ける事だ。お前がそう願う限り、桜花は祟り神にはならん。楓に伝えるがいい、あの毒婦を負かす唯一の方法は、神として振舞うその面の皮を剥がすことだと」


 蔦美はそう言い残し、洋館を出て行った。心なしかその顔には薄っすらと、しかし晴れ晴れとした笑みを浮かべているように見えた。

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