桜の下で春を待つ君⑩

 気付けば、見慣れない天井を見上げていた。頭がぼんやりしていて何も思い出せない。


「気が付いた?」


 声のする方へ顔を向けると、楓さんが難しい顔をして俺を見下ろしていた。桜邸にいた時と違って、パリッとしたスーツを着こなしている。髪もちゃんと梳かして後ろで結んでいるし、最初にこっちの顔を見ていたら、バリバリのキャリアウーマンだと思ったかもしれない。


「はぁ~生きててよかった。覚えてる? 白鳥君、花ちゃんに殺されかけたんだけど」


 ハッとして飛び起きて、周りを見回した。全部思い出した! 寝ている場合じゃなかった。


「花さんは? 蔦美の式神はまだ来てないよな?」


「残念ながら、まだだ。全く、恋は盲目っていうが、お前さんのは致命的だな」

 窓の方を見ると、煙草を吹かしている火野さんがいた。


「よかった。まだ花さんは無事なんだ……」

 一安心すると力が抜けて、さっきまで寝かされていたソファーに座り込んでしまった。


「ここは?」


「あたしの事務所。超強力な結界があるから、流石のあの子もすぐには手を出せないよ。攻撃をかわしながらここまで運ぶのは、かなり大変だったけどね」


「事務所総出の三人がかりだ」


「流石に、今回で百年の恋も冷めたっスよね?」

 鈴木君が苦笑いしながら顔を覗き込んできた。音楽でも聴いているのか、片耳にイヤホンをさしている。


「なんでみんなここに? というか、事務所って」


「あたしが霊媒師なのは知ってるでしょ? その関係で事務所持ってるの。桜邸に行く前は、ここに寝泊まりしてたんだから」


楓さんが自慢すると、窓際からため息が聞こえた。


「はぁ……まさか本当に【縁結び作戦】なんてやりやがるとはな。しかも、桜花に惚れる男がいたとは驚きだ。だが、それも今日ジジイに全部ぶち壊されて終わりだがな。この一年間、お前に振り回された甲斐があったな? あぁ?」

 

 楓さんは火野さんの抗議を無視してあくびしている。

 そういえば、二人は昔恋人同士だったとか。火野さんが楓さんをどう思っているのか知らないけど、楓さんはどこか火野さんを頼りにしているような雰囲気だ。火野さんは火野さんで、嫌々ながらも彼女の頼みを断れないように感じる。こういうの、泥沼っていうのかな。


 同じことを思ったのか、鈴木君が笑い交じりに、

「火野さーん、そんなに嫌なら楓さんと縁切ったらいいじゃないっスか」

 なんて提案を投げかけた。命知らずな奴だな。


 すると、火野さんは突然噎せ返って、咥えていた煙草を床に落としてしまった。それを急いで踏み消しながら、新しい煙草を咥え、何事も無かったかのように視線を窓の外に逃がした。


「……その、なんだ。こんな女とも十年以上の長い付き合いだ。十年なんて、人間にとっては長い年月だろ。腐れ縁は、始末が悪いんだよ」


「何よ、あたしのおかげで退屈しないんじゃない。相性は最高なんだしさ、文句無いでしょ?」


 楓さんが火野さんに後ろからじゃれつくと、火野さんは付けたばかりの煙草を慌てて揉み消した。

「やめろ馬鹿。火傷すんだろーが」

 悪態を吐きつつも、楓さんを思っているらしい。なるほど、花さんが焼餅を焼くのも納得だ。


「はいはい。二人とも痴話喧嘩はその辺にして、白鳥さんの今後を考えてあげてくださいよ」


 珍しく鈴木君が正論を言った気がする(喧嘩を煽ったのも鈴木君だが)。何せ、今は緊急事態だ。プロポーズするはずの相手に殺されかけているんだから。


「さて、どうしたもんかね。こいつの安全を優先するなら、結界を強化してここに立てこもった方が確実だろ」

 火野さんが顎で俺を指してそう言った。


「そうね~。こうなった以上、白鳥君の安全を考えれば、その案しかないけど。白鳥君はどうしたい?」


「花さんにプロポーズしたい」


 迷わずそう打ち明けると、楓さんは嬉しそうに笑い、火野さんはため息をつきながら煙草に火をつけた。鈴木君は、大笑いしている。


「桜邸に乗り込むつもりか? 一般人が本気で殺しに来る桜花を相手にするなんて、蟻が一匹でアリクイの群れに挑むようなもんだぜ」


「なので、俺に知恵を貸してください。どうしても、あの子にプロポーズしたいんです。どうにか殺されず、あの子に近づける方法ありませんか」


「あ、桜邸の外から拡声器使って告白ってどうっスか?」


「いや~……それはどうだろう。花さんは六十年も俺を待ってたって言ってたから、俺もそれくらいの覚悟を示さないと、あの子に気持ちが伝わらないと思うんだ。館にすら入らないで告白なんて、それこそ秒殺される気が……」


「あっははは。流石に駄目っスか」


 鈴木君が爆笑する中、楓さんがうんうんと頷いている。


「やっぱりさ、ここはあたしら名コンビが一肌脱ぐしかないんじゃない? ね!」

 ウインクをされた火野さんは、嫌そうな顔をして目を背けた。

「いい加減、お前の立場もヤバイ状況だってわかんだろ。同情はもうやめとけ」


「お願いします。俺、このままじゃ死んでも死に切れません。どうしても、俺の気持ちを届けたいんです」


「何も知らずに来た昨日と違って、まさか正体を知った後も、あの悪霊を愛してるとか抜かしやがるとはな……」

 火野さんがウザったそうな顔で俺を睨んだ。


「だったら、尚更だ。どうあがこうと、お前は桜花と死に別れる運命なんだ。お前が死ぬまで、生きて傍にいる訳じゃない。お前が望むような明るい未来はないんだぜ? 恰好付けてるだけなら無理すんな。逃げた所で、誰もお前を笑いやしねぇよ」


 昨日と違って、胡散臭い笑顔も、敬語も剥がれている。だぶん、これがこの人の本音だ。俺を巻き込んだ事への責任もあるんだろうけど、心配してくれてる気持ちが伝わって来る。


(でも、俺だって必死なんだ。本気で人を好きになったのは、初めてなんだから。命くらい懸けてやる)


「格好付ける余裕があるように見えますか? 俺はプロポーズの方法を考えるのに必死なんですよ。俺達の運命が決まってるのも、先が無いのも、十分わかってます。だから、彼女が成仏するまでの間だけでも、手を握ってやりたいんです」


「何でそこまでこだわるんだよ。悪霊だぞ。お前自身も殺されかけてる。あれのどこがいいんだよ」


「呪いを振りまく悪霊だとしても、俺にとっては特別なんです。あの子に会うまで、一目惚れなんて信じなかった。だから、あの子が救われる方法があるなら、俺はそれを試したい。あの子の最後にできる事をしてあげたいんだ」


火野さんは、イライラしたように一際大きく煙草を吸った。

「…………さっきから聞いてればよぉ、『してやりたい』、『してやりたい』ってそればっかいいやがって。お前は与えるばっかりじゃねえか。それも、悪霊に堕ちた女の為に」

 口にくわえいた煙草が、一瞬で灰になって燃え尽きてしまった。どんな肺活量だよ!


「だが、悪くねぇ。お前みたいに、芯の通った馬鹿は嫌いじゃあないぜ!」


 火野さんは煙を天井に向かって吐き出した。すると、普通なら霧散して終わるはずの煙が、カーテンのように広がって、傍にいた楓さんを包み込んだ。煙に包まれたその体が、透明人間の様に透けていく。楓さんは確かにそこにいたはずなのに、気配すらなく消えてしまった。


「しょうがねーから助けてやるよ」

 そう吐き捨てた次の瞬間、火野さんの姿がドロンと消えて、ソファーの背が大きく揺れた。


「え、え、瞬間移動?」

 俺の反応に気を良くしたのか、ソファーの背に腰掛けた火野さんは得意げな笑みを浮かべた。


「煙羅煙羅は煙の妖怪。しかも、俺は最強の霊媒師あいつの相棒だ、これくらいは訳無えよ」


「ビックリした? あき君は、私の式神なんだよ」

 手で煙を払う仕草をしながら、楓さんが何もない所から現れた。でも、部分的に体が透明になっている。


「よく人が痕跡も残さず消える事を、煙の様に消えたっていうけど、あき君の煙は気配を完全に遮断できるんだよ。文字通り、煙の様に消えるって訳」


「式神!? ってあの、蔦美さんが花さんを虐めてるやつ」


「あれと一緒にするんじゃねえよ。どう見ても、俺の方が格上だろうが!」


「うんうん。でも、ウチらは師匠に弱点知られてるから、勝てないけどね」

 楓さんが苦笑いすると、火野さんは舌打ちした。


「秋葉家は式神に特化した一族なんだ。怪異と人を結び付ける縁結びのおまじない、白鳥君も経験したでしょ?」


「あ、あの写真にかけたお呪いってそれ? というか、火野さんって本当に人間じゃないんですか? 冗談じゃなくて?」


「あき君、擬態上手いんだよね。でも、何かを燃やして煙を食べてないと、思うように力が出せないみたい」


「悪いかよ。煙草くらい好きに喰わせろ」


「ええ……本当に妖怪?」


「なんだよ。桜花の事は信じた癖に、俺の事は否定すんのか?」


 火野さんが無造作に手を伸ばしてきたので、首を傾げながら握手しようとした。だけど、俺が手を握る前に、触れた所から火野さんの手が崩れ、煙の様に散っていく。


「うわぁああ!」


 悲鳴を上げて飛び上がる俺を横目に、火野さんは愉快そうに笑って煙草をケースから一本引きずり出すようにして咥えると、片手で火を付けた。その途端、崩れたはずの腕がみるみるうちに元の形に戻っていく。


「はいはい。あまりからかわない」

 楓さんはそう言って、ジトッとした目を火野さんに向けた。


「でも、これであき君の凄さは分かったでしょ? 花ちゃんは強いけど、呪いを使うには、相手の位置を把握しないといけないっていう弱点があるの。だから煙で、白鳥君の姿を消して花ちゃんの所まで送り届ける、名付けて——」

 楓さんは一呼吸置き、キリッとした顔を作った。


「【恋の宅急便大作戦!】」


「……恋の……宅急便大作戦?」

 楓さんは、とてもふざけているようには見えない。花さんの為に、色々考えて手を回していたし、強引だったとはいえ、結果的に俺は花さんに会えてよかったと思っている。でも…………この作戦名でプロポーズしに行っていいのか?


 助けを求めて火野さんを見ると、

「わー流石楓さん。素敵な作戦名ですねー」

 胡散臭い笑顔を貼り付けて棒読みのセリフを吐き出していた。


「何その反応? あき君が敬語使うのは処施術だけど、大体は適当言って誤魔化してるって知ってんだからね! いいじゃん! かっこいいじゃん、恋の宅急便大作戦! 桜邸に潜入するんだから、大作戦ってところが、スパイ映画っぽくていいでしょ?」


 突然、雷を受けたような衝撃が走った。

 スパイ映画だと!? じゃあ、俺は今から工作員として、館のボスである花さんに会いに行くっていう設定なのか。

 あれ、ちょっと好きかもしれない。それも、煙で透明になった状態でいくんだ。何もない所から突然目の前に俺が現れたら、花さんはビックリするかな。謎が多いミステリアスな男って感じで、ちょっとカッコイイかもしれないし。プロポーズにはサプライズも必要な気がするし、案外いけそうな気がしてきた。


「結構いいかも。(恋の宅急便は除いて)大作戦っていうのは気に入りました!」


「マージーかーよー! 正気かお前!」


「ほらほら、白鳥君が乗り気なら文句無いでしょ? うん、俄然やる気が湧いてきた。あたしも久しぶりに頑張っちゃおうかな」


 楓さんは鼻歌を歌いながら、部屋の奥に設置されている金庫を開け始めた。冷蔵庫みたいに大きなそれは、いくつもダイヤルがあって、見た所かなり厳重な作りのようだ。加えて、部屋から持ち出せないよう金具で床に頑丈に固定されている。

 たぶん武器をしまってあるんだろうけど、何が入ってるんだろう。銃とか刀とか? まさか、それより凄い、何かとんでもない兵器が出てきたりして……。


「よし、開いた」

 取り出されたそれは、なんと——古い裁縫箱だった。


「えええ! いや、花さん相手に兵器撃たれるのは嫌だとか思ったけど、それでどうするんだよ!」


「秋葉が式神を使えるのは、縁結びの神様に力を借りてるおかげなんだよ。この裁縫箱の中には、神様の力が宿る道具が詰まってるの」


 そう言って、楓さんは裁縫箱から何かを取り出すと、また箱を元通り金庫に戻した。手に取った物を得意げに見せびらかすと、それはどこからどう見ても、糸切り鋏だった。


「秋葉家が信仰する縁結びの神様は、良縁も悪縁も自由自在に操るの。だから、そのお力をお借りしたお呪いは、同じように縁を操る強力なもの。糸は縁結び。針は縁を操作する。そして、糸切り鋏は悪縁を断つ」


 楓さんは、不敵な笑みを浮かべた。


「花ちゃんの呪いあくえんは、この鋏でちょん切っちゃう。これで、もし煙が剥がされちゃっても安心して。絶対、あんた達の赤い糸は守ってみせるから」


「ありがとうございます!」


「じゃ、鈴木君。そろそろ準備して」


 ハッとして鈴木君の方を見ると、今まで見たこと無いような凛々しい顔をしてイヤホンの音を拾っていた。さっきから、やけに静かだと思ったけど、何て集中力だ。なんかわからないけど、凄腕っぽい楓さん達と一緒に仕事するくらいだ。趣味が競馬って事しか教えてもらってないけど、もしかすると、鈴木君もとんでもない力を隠しているのかもしれない。思わず期待を込めた目で彼を見てしまう。

 

 その彼が、突然目を見開いて立ち上がった。


「ぐああああ! チクショー! 全財産消し飛ばしてやったぜ!」

 奇声を上げ、ソファーの背を殴り始めた。

「イエーイ! 一文無し!」


 やけにハイテンションだが、まさか……。


「ずっと競馬してたのか!? 真面目にやれって二人を注意したくせに、作戦会議してたのに、ずっと競馬の実況聞いてたのか?」


「博打は人生っスよ。あ、言っとくけど、俺は霊が見えるだけで腕は人並みっス。楓さん達のパシリは結構いい稼ぎになるんスよ」


「本当にただのバイトなのかよ! というか、昨日死にかけた癖に元気だな! 金だけじゃなくて命まで掛けてること、気付いてるか?」


「そう、命がけっス。なんで、同情するなら金くださいよ~」


「なんて奴だ!」


「でもほら、これで呪い対策が十分って分かったじゃないっスか。クソ雑魚の俺が桜邸なんていう伏魔殿で寝泊まりできたのは、桜花にあの二人の術が効いてる証拠っス。白鳥さんは安心して、告白の事だけ考えるっスよ。応援してるっスから」


「鈴木君……」

 存外優しい顔をした彼に送られたエールが、ジーンと心に染み渡る。でも、どうしても気になる事があった。


「でもそれなら、何で昨日死にかけたんだ?」


 鈴木君が、「あっ」という顔をして二人の顔を見ると、二人は同時にさっと目を逸らした。


「……もしかして、無敵って訳じゃないんっスか?」


 そういえば、弱点があるとか言ってたような……。


「鈴木君、傷病手当も兼ねて、ボーナス三倍にするね」

「私からも特別手当を出します」


 鈴木君は目を輝かせ、キリッとした顔をした。


「絶対に大丈夫っスよ! 何せ二人は向かうところ敵無しの名コンビ。事務所が開いていれば、事件の方から飛び込んでくる凄腕っスから!」


「なあ、頼むぞ! マジで、頼むぞ!」


 俺と花さんがハッピーエンドを迎えられるかは、あんたらにかかってるんだからな!

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