第3話 柘榴石-3
モデル時代よりずっと大人になった彼が、お見合い相手の自分に興味を持っていて、丁寧に話しかけてくる。
だめだ、思考が現実に追い付かない。
だってここで話が盛り上がったら、お見合いなのだから当然その先を見据えたお付き合いが始まるわけで。
え、待って、じゃあもしかしたらこのまま彼と・・・・・・け、結婚!?
必死に雑誌を買いに走っていた頃ですら、誌面で対面できるだけで幸せだった相手が、今日の対応次第では生涯の伴侶となり得るのだ。
どうしてもっと気合を入れてお洒落してこなかったの。
一度目は美容室でヘアメイクを依頼して洋服も新調してフル装備で出かけた。
意気込みすぎて一方的に自分をアピールするだけで終わった初回の反省を生かして、二度目は控えめなジャケットスタイルで自前のヘアメイクで出向けば、お見合いに乗り気ではない無い女だと判断されて二度目には繋がらず、華やかさが足りなかったかと花柄のワンピースで出かけた三回目のお見合いは終始相手の絡みつくようないやらしい視線にさらされてこちらからお断りした。
こんな思いまでして結婚相手を探す必要が本当にあるのか。
幸い仕事はあるし贅沢さえしなければ、どうにか自分を養っていくだけの貯蓄だってある。
もうこのまま一人のほうが気楽でいいやと思った矢先のお見合いで、その上待ち合わせ場所は仕事場の近くだったこともあり、地味なベージュのパンツににニットを合わせて、カジュアルジャケットでぎりぎりドレスコードをクリアするような格好で挑んでしまった。
このお見合いに乗り気で彼が挑んでくれたのなら猶更、目の前にいる三峯楓はナシだろう。
いつもはもっとお洒落してるんです、いつもはもっときちんとしているんです。
適当な言い訳をするべきか、いや、そんなみっともないことはできない。
仮にも彼は元モデルだ。
適当な嘘は見抜かれてしまうだろう。
だって禿げたマニキュアもそのままだし、マスカラは乾き気味のやつを無理やり使ってるし。
チークだって数年前のカラーで、今の流行には合っていない。
ここで彼にファッション誌拝見していましたと告白するべきか、いやでも今の彼は普通の社会人なんだから、過去を掘り下げるのはマイナスイメージを与えてしまう可能性だってある。
当然ながら、推しとお見合いした知り合いなんていないし、そもそも一度もお見合いで成功したことのない楓に、この場の乗り切り方なんてさっぱりわからない。
笑わなきゃ、せめてなにか話さなきゃ。
「受注センターは繁忙期があると伺いましたが」
「え!?あ・・・・・・あ、あああります・・・えっと・・・年に・・・何度か・・・」
受注センターの年間スケジュールまで調べて来たのかと指先を見下ろしながら途方に暮れた。
あなたの名前しかまともに見てませんでしたとますます言い出しにくくなる。
「楓さん、いまのお仕事お好きですか?」
低い問いかけに、正解も模範解答もわからないまま、真っ白な頭で口を開いた。
「すっすす好きとか・・・き・・・嫌いとか・・・っな・・・ないです・・・食べてかなきゃ・・・いけませんし・・・私は・・・あの・・・か、加賀谷さんほど・・・才能もないので・・・・・・っ事務仕事にしがみつくしか・・・っ」
言い切ってから気づいた。
こんな返事、誰がどう聞いたって不正解である。
ここは、仕事は大変なこともありますが、その分やりがいも感じています、が妥当なラインだ。
これでは、食べるために必死に働いてるだけなんでこだわりもプライドもありません、専業主婦狙ってますと開き直ったようなものである。
結婚について具体的に考えたことが無かったせいで、とんでもないミスを侵してしまった。
今更言い訳がましい言葉を並べ立てても意味はない。
詰んだ。
完全に終わった。
もしも楓が智寿だったら、こんな結婚相手はごめんである。
「っっす・・・すすすみません・・・私・・・あの・・・・・・」
伝えるべき言葉が見つからないまま、それでも冷え切った空気をどうにかしたくて視線を上げれば。
「いえ。こちらこそぶしつけな質問でした」
一段と鋭くなった智寿の冷ややかな眼差しが楓の両の目を真っ直ぐ射抜いた。
軽蔑された、と瞬時に頭が理解した。
”まるで向上心のない見合い相手に無駄な時間を使ってしまった”
さっき聞いたばかりの声が勝手に頭の中に響いた。
”そもそもその恰好は見合い用なのか?”
”これは無いな”
最後通告が耳の奥でこだまして、爪先から底冷えするような悪寒が這い上がってくる。
こんな形で見つめあうくらいなら、誌面を眺めていた頃のほうがよっぽど幸せだった。
来るんじゃなかった。
どうして三度目のお見合いを受けてしまったのか。
激しい後悔が胸を襲う。
「・・・・・・・・・す・・・・・・っすみませんっ・・・・・・し、失礼します」
これ以上この場に居座り続けることが拷問に思えてきて、逃げるように席を立つ。
テーブルに手を突いたところで、禿げたマニキュアが残る指先が見えて、本気で泣きたくなった。
「あの・・・っ・・・楓さん」
不意打ちで名前を呼ばれて、崩れ落ちそうになる。
こんな風にその声を知りたくはなかった。
「ほ、ほんとにすみませんでしたぁっ」
脱兎のごとく個室のドアを開け放って廊下へ飛び出す。
いい歳した大人が半泣きでお見合い現場から逃げ出すなんて、情けないを通り越してただただ恥ずかしい。
けれど、いまの楓には、その選択肢以外見当たらなかったのだ。
間違いなく人生最悪の汚点を、今日刻んでしまった。
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