第16話 月長石-2

「俺は、楓さん以上にお見合いしては断られて来た。全部この顔と近寄りがたい雰囲気のせいで。中には加賀谷の名前に惹かれて縁談を勧めたいと言ってくれる女性もいたが、そういう相手とは将来を考えられなかった。いい歳して、恥ずかしいけど、うちの一族はみんな恋愛結婚なんだよ。両親も従弟達も、みんなそれで上手く行ってる。だから、俺も好きになった相手と結婚したいって、本当はそう思ってたんだ・・・けど、もうそういう相手と縁がないなら、諦めるしかないなと思っていた・・・そしたら、きみに会えた。勝手だけど、少しだけ、運命を感じたんだ。俺の顔を怖がらずにいてくれて、俺の事を好きだと言ってくれる女性に出会えたから」


だから、今日はかなり緊張した、と小さく零した彼が、初めてネクタイを緩めた。


お見合いで顔を合わせた時よりも硬い印象を与えるスーツは今日の為。


静かに息を吐く彼が、肩の力を抜いたことに気づいた。


智寿の両親に比べれば、平凡過ぎてなんの特徴もないサラリーマンの父親と、専業主婦の母親だ。


家は中古の戸建てで、車は万年軽自動車。


家族旅行は5年に一回で、父親はへそくりを溜めてはこっそりゴルフクラブを新調している。


そんな両親に会いに行くのに、彼がどれくらい気合を入れてくれていたのか。


元推し現婚約者が尊過ぎて辛い。


紙面を見て勝手に思い描いていた以上に、加賀谷智寿は実直で誠実な人だった。


「これからは、いまの俺を好きになって貰えるように努めるよ」


「これ以上は無理ですっ・・・いまでもいっぱいいっぱいで」


車に乗っている時で良かった。


これが、向かい合っている時だったら間違いなく崩れ落ちていた。


智寿が、楓のイメージを裏切る男だったら良かったのに。


再会してからこちら、智寿のイメージは良くなるばかりで、現在の彼を知れば知るほど自分の審美眼を褒め称えたくなる。


雑誌の中ではただただかっこいいだけだった男の人が、リアルに目の前に居て、楓の言葉に頷いたり返事をくれたりする。


しかもそのうえ、時折瞳を甘くして頬を緩めたりするのだ。


好きという感情がもうすでに飽和状態なのに、これ以上どうしろというのか。


叶う事なら、自分の胸の内をさらして見せてやりたいくらいだ。


ここ最近の楓のプライベートは、加賀谷智寿一色なのである。


きっぱりはっきり言い返した楓に、智寿が困り顔になった。


「・・・そこをなんとか。昔の俺を減らして、スペースを空けてもらうのは無理そう?」


なんてことを言いだすのか。


「無理ですぅうううう」


盛大に叫び返していた。


だってモデルの寿はもう完全に殿堂入りなのだ。


人生であんなに好きになった異性は彼一人だけ。


本人が譲れと言ったって、あの頃の気持ちは一ミリも失くせない。


「・・・・・・・・・俺は円満な夫婦になりたいんだけど」


「わ、私もそうですよ!」


母親はしょっちゅう父親への愚痴を口にしているが、それでも夫婦仲は決して悪くない。


絵にかいたような夫婦になりたいなんて言わないけれど、温かい家庭を築きたいのは楓とて同じである。


「じゃあ、もう少し、俺との距離詰めてくれるかな?」


「・・・・・・・・・わ、私、あの、がが頑張ってるんですよ・・・これでも一応」


干からびていたマスカラは処分したし、次のハレの日用だと決めつけていたグロスは出番を増やした。


洋服も靴も新調したし、ネットで適当に選んでいた下着だって、見た目重視のものを揃えなおした。


それもこれも加賀谷とのこれからの未来のためだ。


寿ではなくて、加賀谷智寿と生きていく未来のためだ。


「・・・・・・・・・うん」


色々言いたいところはあるのだろう。


口を開けば、恐れ多いとしか言わない婚約者なんて、どう考えても論外である。


いつの時代だと呆れられても無理はない。


けれど。


「ご両親に挨拶も終わった事だし、名前呼んでもいい?」


「え?」


「楓さんって、ちょっと他人行儀だから」


「あ、あああ、はい!喜んで!呼び捨てにしていただければ・・・」


頷いた智寿が、静かに楓と名前を呼んできた。


たしかに、一気に距離が近づいた気がする。


これが日常になっていくのかと思うと、なんだかもう世界が薔薇色に見えてくるじゃないか。


「俺の事も、苗字じゃなくて名前で呼んでくれると嬉しい」


「・・・はい・・・・・・と、智寿さん」


さすがに呼び捨ては憚られて慎重に彼の名前を呼べば、智寿が眦を緩めてこちらを見つめて来た。

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