第17話 緑柱石-1
レガロマーレの和食割烹を仕切っていた職人が独立して作ったという和風ダイニングは、隣駅の少し手前の裏通りにあった。
この辺りは駅の感覚が短いので、一駅歩いても10分程度。
海岸通りの少し北側には、東西に走るアーケード街があって、ファッションビルがいくつも入っている。
駅北に行けば居酒屋やカラオケがある繁華街が近いので、買い物をして、夜まで楽しめる街だ。
和紙灯籠が灯された引き戸の奥を覗くのはちょっと勇気が要りそうな、古民家を改築して作ったお店は、ゆったりとした雰囲気の、まさに大人の隠れ家だった。
カウンター席と、テーブル席が二つだけの小さなお店にやって来る客は、みな店主の知り合いで、年齢層は高め。
逆にそれが落ち着いていてよかった。
お任せコースで出された料理はどれも美味しくて、店主の遊び心が窺える長芋ときのこの和風グラタンはとくにお代わりしたいくらいだった。
久しぶりに揚げたての天ぷらを食べた気がする。
セロリと赤パプリカを天ぷらにするというアイデアが、そもそも楓には出てこない。
目と舌で味わった美味しいご飯は身も心も満たしてくれた。
智寿が連れて行ってくれるお店は、どこも長年この町で働いている楓が知らないお店ばかりだ。
お店開拓するほど食にこだわりがあるわけでもなく、一緒に行ける飲み友達や彼氏がいるわけでもなかったので、当然と言えば当然なのだが。
勧められて飲んだスパークリング日本酒は、きめ細かい泡と、フルーティーな香りが特徴の飲みやすい日本酒だった。
食事がとても美味しかったせいもあって、結構お酒が進んでしまった。
たしかに、飲んだ方が緊張はほぐれたけれど、緊張がお酒のせいで一気に解けて、ふわふわした気分になってしまって、いつもよりも饒舌にモデル寿について語ってしまった。
どのポーズが好きだったとか、何月号のどの写真が良かったとか。
彼にとってはもう終わった過去で、それを今更つらつら並べられても迷惑この上ないだけだろうに、智寿は一度も楓の話を遮ることが無かった。
終始相槌を売ったり、頷いたり、時には照れて視線を逸らしたりしながら、あの頃を思い出すように、昔話を聞かせてくれた。
撮影は早朝集合がほとんどで、前日は大抵ショウの家に泊まりに行ってそのまま一緒に出掛けることが多かった、とか、レポート課題が朝までかかってそのまま眠ってしまって、盛大に寝坊して、ショウの父親から大目玉を食らった、とか。
クールな見た目とは打って変わって等身大の大学生活を送っていたことが窺えて、そのたびニヤニヤと君の悪い笑みを浮かべてしまった。
あの頃よりもずっと大人になった智寿の中に、ちゃんとモデル寿は生きているのだと思うとそれだけで嬉しい。
「山ノ霞、美味しかったから・・・私、自分で買います」
店を出て、タクシーが走る通りに向かってのんびりと歩く。
今日は自分も飲んだので家まで送ると言われて、まだ22時だし電車で帰りますと答えたら、すげなく却下されてしまった。
智寿の家と楓の家は、二駅ほど離れているので遠回りになると言ったが、頷いて貰えなかったので、このまま一緒にタクシーに乗って帰ることになるのだろう。
心地よい酩酊感に浸りながら、レトロな街灯が照らす路地を彼と手をつないで歩いて居るなんて、まるで夢の世界に迷い込んだようだ。
酔っているせいか、変に智寿の体温を意識することもないので、心臓も大騒ぎを起こさない。
「気に入ったなら、次は俺が用意するよ」
「智寿さんも、あれ、気に入ったんですか?結構飲んでましたねぇ」
「ビールも飲むけど、日本酒も好きだな。楓がスパークリング気に入ったなら、上善如水スパークリングも美味いよ。今度飲み比べしようか」
聞いたことの無い銘柄に、いいですねぇとふわふわしながら頷く。
「飲み比べ・・・・・・楽しそう・・・・・・二人とも飲めるといいですねぇ」
最近の休日といえば、家事を早めに片付けてダラダラ過ごすか、子育て中の友達の息抜きに合流して女子会ランチを楽しむかのどちらかだ。
もちろん、近況報告の後唐突に始まる絶賛子育て中の友人たちの悩みやら夫や姑への愚痴には参加出来ないので、聞き役に徹しながら空気のように存在感を消すしかないのだが。
女子会ランチは飲んでも食前酒のシャンパン一杯だけだし、友人たちは飲んでいいよと言ってくれるが、一人で昼間からワインを開けるわけにもいかない。
後輩たちと飲むときは、最近はハイボールがメインで、日本酒に手を出すつわものは今の所一人も出て来ていなかった。
だから、こうして誰かとじっくり食事やお酒を楽しむのは随分久しぶりだ。
既婚者になった友人たちが、まだ独身頃ちょっと背伸びしてホテルのバーラウンジに飲みに行った時のことを思い出して思わず笑み崩れた。
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