第38話 蛍石-1

「いやぁーいい仕事したなぁ・・・」


「ひっさしぶりに表情作ったわー」


「そういや昔一緒にカメラやってたあの人さぁ・・・」


「ああ!それ聞いた聞いた!ヘアメイクの子と泥沼不倫でしょ、業界怖いわぁ」


「俺もうちの事務所の子たちには、遊んでもいいけどヘマだけはすんなって念押ししてるわ」


「無双決めてたお前が言っても説得力ねぇよ!!」


「たしかにー」


貸し切り状態のバーで、懐かしい顔ぶれが昔のように気さくに笑い合う光景を眺めながら、元編集長が目を細めた。


いつも打ち上げはこの店で、明け方までみんなで飲んで騒いで、二日酔いで次の現場に向かっていた。


それが二日続く日もあったのだから、若い頃の体力は恐ろしいものだ。


「みんな本当に、僕のためにありがとうね」


「せっかくだから、また10年後にやりましょうよ、編集長!」


「40代のイケオジで集合すんの?ねぇわ!」


「そのうち誰か腰痛訴えたりしてな」


一気に笑い声が上がって賑やかになったフロアを見回して、元編集長が将太の肩をそっと叩いて来た。


「ショウ、寿と奥さんどこ行ったの?」


「え?ああ、先に帰りましたよ。今夜はホテルで一泊するらしいから、今頃盛り上がってんじゃないですかぁ?」


「いいねぇ・・・新婚だもんねぇ・・・奥さん、すごく喜んでたねぇ・・・全然ミーハーな感じじゃなかったのに・・・寿のこと、凝視しまくってたねぇ」


「そりゃあ、青春時代を捧げた相手ともう一度会えるってなったら、テンション上がるでしょ」


レガロマーレで将太と対面した時の楓のテンションの上がりようといったらなかった。


飛び上がらんばかりに驚いて、隣の智寿の腕にぎゅうぎゅうしがみ付いて、豊満な胸をこれ見よがしに押し付けて、本物!?本物!?と夫にせっつく彼女は、ただのオタクでしかなく。


耳を真っ赤にしながら妻を宥める智寿の鼻の下が伸びていたのは言うまでもない。


どうしてこんな美味しそうな身体を前に、指を咥えて我慢し続けられるのか。


「今夜は燃えちゃうだろうねぇ」


「・・・・・・燃えてるといいんですけどねぇ」


友人の心願成就を願いつつ、元編集長ともう一度グラスを合わせる。


東京までわざわざ智寿たちを呼びつけることが出来た理由はこれだったのだ。


『奥さんにかっこいいところ見せたら、いい雰囲気になって盛り上がって、そのまま雪崩れ込めるんじゃないの?だって楓ちゃん、お前のガチのファンなんでしょ?だったらそれ有効活用しないでどうすんのよ。押せ、とにかく押せ。向こう処女なんだから、雰囲気作って上手ーくベッドまで運んでやりゃぁいいじゃん。あの子に聞かせてたみたいなやさしーい声で緊張解いて、じっくり時間かけて馴らしてやれよ。一晩ありゃどうにかなんだろ?』


童貞でもあるまいし、新妻相手になに臆病風を吹かせているのだ。


押して拒まれるのも嫌われるのも避けたいと真顔で告げて来た智寿の背中を叩いて、んなもんお前の手練手管でどうにでもなると太鼓判を押してやった。


実際、智寿と別れた元カノたちから、どうにか復縁の手助けをして欲しいと頼まれたことは一度や二度ではないのだ。


まあ、あの身体に抱かれたら相手の女性は夢中になるだろう。


強面の癖して意外とフェミニストだし、決して強引に誘わないし。


じれた相手が暗がりに乗じて智寿に擦り寄るところを何度も目撃しているので、まあ、巧いのだろう、色々と。


処女だからと遠慮していたら何も始まらない。


必要なのはきっかけとタイミングである。


撮影は午前中から始まるので、夜は早めにホテルに戻って二人で夜景でも見ながらいい雰囲気で過ごせば良いのでは?と水を向けてやれば、あとは新妻の期待の眼差しでノックアウト。


健気な楓は夫が下心満タンで今回の撮影に挑んでいるとは思ってもいないだろうが、これで二人が本当の夫婦になれば結果オーライである。


自分は感謝状くらい受け取っても良いはずだ。


今頃ベッドでもつれ合っているのか、あの柔らかい胸に顔を埋めているのか。


どちらにしても楽しい夜を過ごしているのだろう。


「ショウさぁーん」


カクテルグラス片手にほろ酔いの恋人が、足をぶらぶらさせながら手招きしてくる。


張りのある長い手足が魅力的な彼女は、自分の魅力も使い方もきちんと分かっている。


「はいはーい。一人にしてごめんねー」


「今夜はぁ・・・・・・お泊りできる?」


「明日撮影でしょ?早いんじゃないの?」


「んー・・・でも、マネージャーさんにお迎えお願いするからぁ」


最近ちっとも朝まで一緒にいられないと唇を尖らせる彼女のグロスの光る唇にキスを一つ。


「・・・・・・可愛いワガママなら大歓迎だよ」


優しく腰を撫でて抱き寄せれば、鈴を転がすような笑い声が耳元で響いた。


声は、楓の方がやっぱり可愛いな、と緩んでいく頭でそんなことを思った。


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