第20話 金剛石-2
「中華で良かった?って・・・・・・もう予約してるんだけどな」
「好き嫌いないので、何でも食べますよ!もしあったとしても、美味しく頂ける気がします」
推しを目の前にしながら食事を摂れるだなんて、ここは天国か桃源郷だろうか。
子供の頃泣きながら食べたレバーも、今ならおかわりできそうだ。
智寿を前にした時の味覚が正常に機能するかどうかは別として。
「・・・・・・それでも一応訊いとく。苦手なものは?」
「レバーが苦手で・・・・・・」
「じゃあレバニラは外で食うよ。これからは」
「あ、でも、智寿さんが好きなら作ります!大量に!」
来月に迫った新生活に思いを馳せる彼の表情は穏やかだ。
一人ドキドキして舞い上がって空回っている楓を、やんわりと窘めつつ見守ってくれている。
こんなありがたい婚約者がいるだろうか。
「嫌いなもん作らせるのは悪いよ。俺も好物ってわけじゃないし」
「あの・・・昔と好みって変わってますよね?体型維持のために食事制限されてたでしょうし・・・えっと・・・出来るだけ合わせたいなって思ってるので・・・・・・ヒレカツとささみのシソ巻き以外に、好きなものってありますか?」
雑誌のインタビュー記事を思い出して尋ねると、店の入り口で急に彼が立ち止まった。
「・・・・・・楓・・・ほんとに俺の事好きなんだ」
「・・・あ、はい・・・」
改めて言われるとやっぱり恥ずかしい。
好きな人のことを知りたいと思うのは当然のことで、当時彼が答えた内容はほとんど丸暗記していた。
他の女の子も推しに対しては同じような反応だったので、これが普通だと思ってきたが、当人的にはやっぱり戸惑いのほうが大きいのだろうか。
この辺りの温度差は、当分埋まりそうにないのだけれど。
「あの・・・昔のこと、あまり言わないほうが良かったら、そう言って貰えたら・・・」
これも覚えてます、これも知ってます、とファンとしての全熱量を彼に注ぎたい気持ちはもちろんある。
が、彼は楓の推しであると同時に、未来の旦那様でもあるのだ。
彼は、楓を婚約者として扱ってくれているし、業界人とファンという温度感で接して来られたことは一度もない。
いつだって同じ目線で居てくれる。
そんな彼を前に、上手く自分の気持ちをコントロールし切れずに挙動不審に陥ったり逃げたりしてしまう楓は、まだまだ修行が足りない。
「いや・・・・・・嬉しいよ。有難いなと思ってる・・・今更だけど。適当にしてたつもりはないけど、期間限定のバイト感覚でやってた仕事だから、そんなところまで見てくれてる人がいるってちょっと予想外と言うか・・・」
「当人からしたら・・・まあ、そうですよね」
「有難いけど、この先幻滅されそうで怖いな」
「しませんよ」
それはもう神様にだって宣言できる。
「でも、楓が好きになったのは、モデルをしてた頃の俺だろ?」
「・・・・・・・・・私、あの日智寿さんに優しく声をかけて貰って、物凄く嬉しかったんです。そりゃあ、顔もスタイルもかっこいいですけど、今は、声も好きですよ」
これは、智寿と楓が出会わなければ分からなかった事だ。
彼がどんな風に楓の名前を呼ぶのか。
楓の言葉にどんな風に返事を返すのか。
誌面だけでは伝わらなかった確かな熱と共に、ちゃんと恋心は育っている。
「・・・・・・・・・俺も楓の声好きだよ。夜に電話するときの声、耳元で聞いてるとちょっと堪らなくなる」
「・・・・・・え!?」
「言われた事無い?」
「受注センターの常連のお客さんに・・・・・・色っぽい声ってからかわれたことは・・・」
遠くまで響かない細い声は、電話だと吐息を強く感じるらしい。
「ああ・・・うん・・・そういうこと。早くもっとそばで聞きたいなと思ってる」
ばつが悪そうに視線を揺らして頷いた智寿が、お店の中へと入って行く。
「う・・・え・・・あの・・・」
彼は時々こういう爆弾を落としてくるから困る。
おろおろする楓に向かって、レジ前で立っていた支配人らしき中年の男性が温和な笑顔を向けてきた。
「いらっしゃいませ。加賀谷さん、ご婚約おめでとうございます。ご来店を心待ちにしておりましたよ。婚約者様もようこそ」
「あ、っは、初めまして・・・」
「彼女の職場が近いから、これからは時間が合う時に連れてくるようにします」
「それは楽しみですね。今日はランチコースでお聞きしておりますが。追加の品はイカの中華炒めでよろしかったでしょうか?」
「ええ。それで頼みます。楓の好物なんです。な?」
「・・・・・・!!」
二度目の食事で好物のイカだけ先に摘まんだことをバッチリ見られていたらしい。
「さようでしたか。うちの中華炒めは絶品ですので、沢山お召し上がりくださいね」
「・・・・・・ありがとうございます」
彼のプロポーズにYESを返したその日から、ハートフィーバータイムが終わらない。
新婚生活スタートまで、心臓は持つのだろうか。
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