第12話 金針水晶-2

だってこれまで彼はずっと紙面で見ているだけの相手だったのだから。


「楓さんが、モデルをやってた頃の俺と、今の俺の違いに戸惑ってるのは何となくわかる・・・芸能人と結婚するような感覚なんだろうけど」


「そそそっそうです・・・・・・一緒にご飯とか・・・ちょっと・・・」


「いや、食事どころか一緒に暮らす予定なんだけどな」


元推しと新婚生活。


つまりは寝室もベッドも一緒、ゆくゆくは子作りまで。


だって結婚するのだから、夫婦生活が始まればそうなるわけで。


え、ほんとに、私この人と寝るの?致すの?アレで、アレなアレを!?


逞しい身体に抱き寄せられる想像をした瞬間、昨日自分を抱き上げた彼の腕を思い出した。


モデルを辞めてからも体型維持に努めているのだろう。


楓を抱えても彼の足取りは変わることはなかった。


触る、どころか、抱く、抱かれる!?


駄目だ、本気で心臓が止まりそうになる。


「~~っ私、大丈夫でしょうか」


これは本気で新婚初夜が命日の可能性が出て来た。


どうせなら、誰のためでもなく無駄に守り続けて来た貞操を捧げてから死にたい。


「・・・大丈夫でいて貰わないと困る」


眉を下げて、智寿が小さく笑った。


こんな顔いっぺんも見たことない。


雑誌の一頁に存在する彼は、いつもクールな眼差しでカメラマンを見据えていた。


ショウと絡むシーンでも、愛らしい笑顔を振りまくのは仔犬系モデルのショウ一人だけ。


じゃれつく彼をいなしてからかう寿も十分魅力的だったけれど。


なんで今ここに一眼レフが無いのだろうか。


「・・・・・・・・・ハイ」


陶然とした表情で智寿を見つめ返せば、彼が僅かに耳を赤くして視線をそらした。


ああ待って、今ならちゃんと目を合わせられるのに。


小さく咳払いした彼が、改めてこちらに向き直る。


食事の手を完全に止めた彼が、もう一度楓を見つめて来た。


今度は逃げずに頑張ってその視線を受け止める。


お見合いの日よりも、昨日よりも、ずっと優しい眼差しが楓だけに降り注いだ。


「いまの俺のことは・・・・・・・・・その・・・・・・好きになれそう?・・・いや、プロポーズしといて今更過ぎるんだけど・・・・・・俺は、もうそのつもりなので・・・ここで、きみに嫌いだと言われると・・・非常に・・・困る」


物凄く言いにくそうに紡がれた、智寿には何とも不似合いな弱気な言葉。


彼が自分との結婚を心から望んでくれていること、そして、楓の心を求めてくれていることがひしひしと伝わってくる。


元推しが、自分のことを一人の女性として認めて、さらに夫婦になって欲しいと願ってくれた。


これ以上の幸せがあるだろうか?


いや、ない、あってもそんなもの認めない。


「き、嫌いなわけないじゃないですか!私、お見合いのあの日、本気で心臓止まるかと思うくらい驚いたし・・・目を見て、名前を呼んで貰えて・・・すごく・・・嬉しかったんですから・・・」


一瞬でも彼の目に映った事が、名前を呼んで貰えた事が、死ぬほど嬉しかった。


ちゃんと、三峯楓のことを見つけてくれたのだと思ったら、身体中の血が沸騰しそうになった。


焦がれて見つめ続けた彼は、ちゃんと現実に存在していて、楓に向かって手を差し伸べてくれている。


「結婚したら、毎日呼ぶよ」


さらりと告げられた予告に、額を押さえて幸せを噛みしめる。


「・・・・・・それはもう純粋に有難いです」


色々とありがとうございます、と素直に感謝を口にすれば。


「・・・・・・だから、ええっと・・・その、距離感というか、感覚を・・・・・・もうちょっと・・・普通に」


智寿としては、もうすでに業界人でなく一般人の自分は、楓となんら変わらない存在だと思っているようだが、楓は違う。


声を聞ければ嬉しいし、顔を見れたら泣きそうになる。


名前を呼ばれれば胸が締め付けられて、見つめられれば顔が火照る。


「・・・・・・・・・」


無言で今の自分の状況を必死にアピールすれば。


「いや、すぐにとは言わないから。再会したのは昨日で、今日は俺の都合で呼び出したわけだし」


小さく息を吐いた智寿が、分かってるよと眉を下げた。


「いえっ・・・・・・よ、呼んで貰えて嬉しかったです・・・」


仕事終わりがこんなに待ち遠しくなったのは初めてのことだった。


「・・・・・・・・・じゃあ、改めて、三峯楓さん、俺と結婚してください」


智寿からの昨日ぶりの再プロポーズを、楓は真正面から受け止めた。


「・・・・・・・・・は・・・はい」


震える声で返事をすれば、智寿がホッとしたように頬を緩めた。


「これから、末永くよろしく」


伸びて来た手が、フォークの端をさまよう楓の指先を捕まえて、優しく包み込んだ。

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