第11話 金針水晶-1

「急に誘ったのに、来てくれてありがとう」


ホテルレガロマーレのレストランフロアの星付きフレンチの窓際席。


プロポーズに最適といくつもの雑誌で紹介されている特別な日のための高級店。


海を臨む素晴らしいロケーションは、食事を楽しみながら愛を語らうのには持って来いだ。


デザートのタイミングで化粧箱を取り出すカップルの妄想が浮かんでは消える。


「いえ・・・」


智寿の言葉にぎこちない笑みを浮かべた楓は、食事の手を止めて、昨夜大急ぎで塗りなおしたマニキュアの指先を強く握りしめた。


俯いたままの楓に向かって、智寿が静かに尋ねてくる。


「まだ緊張してる?」


「し・・・してます」


これで緊張するなという方が無理だ。


”今日仕事の後、時間取れないかな?”


届いたメッセージに、楓より先に返事を打ったのは先輩社員のリコで、20秒足らずで届いた取れますの返事に、すぐにホテルまで来てもらえると助かる、というメッセージが届いた。


ここまで来て日和ってどーすんのよ!と背中を押されて、色々と思い出深いレガロマーレを二日連続で訪れたわけだが。


「俺の目を見るのは無理そうかな?」


テーブル越しにこちらを覗き込んできた智寿の視線から逃げるように顔を背ける。


嫌いなわけじゃない、むしろ好きすぎて尊過ぎて色々無理なのだ。


「もっ・・・もう少し時間を頂ければっ」


「俺たち結婚する予定だけど、大丈夫?」


「ひぃっ・・・・・・」


不意打ちで出てきた元推しからの結婚発言に、ぎゅうっと胸が痛くなった。


不意打ち、駄目、絶対!!!


相手が自分だというだけでもまずもって無理なのに、智寿は当たり前のように二人の未来を思い描いているのだ。


こんな都合の良い夢があるだろうか。


慌てて耳を塞いだ楓を前に、智寿が困惑顔になった。


「・・・・・・・・・え、っと・・・・・・楓さん、その反応は・・・」


昨日プロポーズしたばかりの相手に拒絶反応とも取れるような態度を取られたら、そりゃそういう顔になる。


が、こちらの複雑な心境も理解して貰いたい。


「おっ恐れ多いですっ・・・申し訳なさすぎて・・・あの・・・・・・これ、特大のファンサとかじゃ・・・」


売れ残りのアラサーにひと時の甘い夢を的な企画だったら色々開き直れるのに。


半泣きになりながら訴えれば。


「いや、俺もうモデル辞めてるし」


智寿から真顔でそう返されてしまった。


「っで、ですよね!?」


ほんとに大丈夫か私。


さっきから一向に進まない会話に、智寿が苦笑いを浮かべる。


「お母さんに連絡させて貰ったんだけど、話は聞いた?」


「ははははいっ・・・・・・」


「ご両親の了承を貰えたってことで、これから入籍までは婚約期間になるけど・・・」


「・・・・・・・・・こ、こんやく」


こんやくじゃなくてこんにゃくだったら、笑いが取れたのに。


ああ駄目だ、本当に頭が回らない。


「俺は、楓さんと結婚したいと本気で思ってる」


真剣な表情で紡がれた言葉に若干のけ反りながら、改めて疑問を口にした。


「・・・・・・あのう・・・私なんかのどこが・・・良くて・・・その・・・・・・」


「ん?ああ、えっと・・・・・・楓さんの雰囲気と・・・あとは、声。俺は声フェチじゃないけど、楓さんの声はずっとそばで聴いていたくなる。もちろん、俺の事を知っていてくれた事も嬉しかったし、あんな風に真正面から全力で告白されたのは初めてだったから・・・‥照れ臭かったけど、こんなに思ってくれていた人がいたんだと思うと、自分を誇れたし、そんな相手とこうやって出会えたんだから、俺が幸せにしたいなと思った」


彼が楓の好きなとこを口にしているという事実に、勝手に足が震えてしまう。


「これで納得して貰える?」


「う、え、は、はい・・・ありがとうございます」


今の言葉は録音しておきたかった。


「良かった。で、もうすでにうちの両親にも昨夜の内に報告を済ませた」


「は、早くありません!?」


「一度はこっちからお断りさせて貰っている縁談だから、早めに話を通しておかないと・・・多分、明日にはうちから楓さんのご実家に挨拶代わりの菓子折りか何か届くんじゃないかな」


お母さんには快く了承を頂けたよ、と口角を持ち上げる智寿の顔をまともに見つめ返すことが出来ない。


昨日確かに智寿は楓にプロポーズした。


そして、楓は半ば呆然としながらもそれを承諾した。


だから、本当は昨日の時点で二人は婚約者同士なのだ。


元推しの婚約者。


重たすぎるし、非現実的すぎる肩書きに、口に入れた香ばしい明石鯛のカラメル焼きがゴムに思えて来た。


店の入り口でちらっと見たコース料理は諭吉が軽く二枚は飛んでいく金額だった。


さっき乾杯したシャンパンをそこに上乗せすると・・・駄目だ、頭痛がして来る。


「・・・・・・そ・・・そう・・・ですか・・・いえ、あの・・・そうですよね」


「あまり乗り気ではない?」


「いえ・・・そういうわけじゃ・・・・・・・・・ただ、ちょっと別世界の出来事というか・・・」


昨日の今日で婚約者というだけでも眩暈がするのに、相手が智寿だと思うと、頭より身体が逃げ腰になってしまうのだ。


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