第44話 青玉-2
これからさらに雨風が強まる恐れがあると深刻な表情でニュースキャスターが訴えてくる。
ローテーブルの上の雑誌とタブレットを抱え込んだのは無意識だった。
これまでだってこんなことは何度もあったはずなのに。
緊張のせいか、恐怖心のせいか、ストロング缶を一本空けてもさっぱり酔うことが出来ずに、映画はラストシーンを迎えてしまった。
時計を見ると、22時を回っている。
相変わらず真っ暗な窓の外と、唸るように吹く風と雨がなおさら不安を掻き立ててくる。
智寿に連絡してみようか、でも、余計な心配を掛けるだけかもしれない。
いや、でも、もう寝ます、くらい報告しておいたほうが良いのでは。
正解が分からず、スマホの上で指を彷徨わせていると、玄関で物音がした。
ガチャガチャとドアノブを回す音に、背筋が凍りつく。
オートロック式のマンションで、こんな悪天候の日にやって来る強盗はいない、はずだ。
身を守るように、抱えたタブレットと雑誌をぎゅうぎゅう抱きしめ直したら、ドアが引き開けられた。
「楓ー」
自分を呼ぶ声が聞こえて、一気に身体から力が抜けて行く。
「・・・・・・・・・・・・と、智寿さん!?なんで、戻れないんじゃ!?」
「新婚だから帰れって・・・・・・俺も考えなしだよな。一人にしてごめ・・・・・・」
「い、いえ、大丈夫です!」
ご心配なく、と頷いた楓の胸元を確かめた智寿が、いつもより乱暴な仕草で隣に腰を下ろした。
すぐに伸びてきた手に、タブレットとPrideBeを奪われる。
ちらっとそれらを一瞥した彼が、そのまま楓を抱き寄せてきた。
わずかに濡れた髪から、雨の匂いがする。
「・・・・・・本物が帰って来たからこっちにして」
シャワーをしたのは数時間前だし、すっかり身体は冷えているはずなのに、彼の腕の中に包み込まれた途端、つま先から頭のてっぺんまで茹ったように熱くなる。
「あの・・・・・・・・・」
言うべき言葉に迷った楓の背中を節ばった大きな手のひらが優しく撫でた。
「ほんとに持ってたんだな、コレ」
あれほど熱烈にファンですと伝えたはずなのに、半信半疑だったのだろうか。
「・・・・・・持ってるって言ったじゃないですか」
自分の気持ちを疑われたようでちょっと悔しい。
不貞腐れた楓の声に、智寿が吐息で笑った。
「うん・・・・・・・・・でも、まさか新居に持ってくるとは思わなかった・・・・・・・・・」
「持ってきますよ。死ぬときは一緒に燃やしてくださいね」
「・・・当たり前みたいに言うなよ」
「だってほんとに大事なんですもん。宝物です」
分かった、分かったから、と照れたように眉を寄せた智寿が先に音を上げた。
普段の彼は隙あらば楓に”自分の妻”だと自覚させるような行動ばかりとって来るのに、楓が推しですとアピールすると、途端逃げ腰になる。
彼の中ではモデル時代の自分は完全に過去になっているから、仕方ないのだろうが。
智寿が、相変わらず五月蠅い窓の外に視線を向けて呟く。
「楓、お前もさ、心細いならそう言えよ。勝手に残るって言った俺も俺だけど・・・・・・いつも通りケロッとしてるから、一人でも平気なのかと思うだろ」
「・・・・・・お守りが、あるので大丈夫な予定で・・・」
朝が来れば彼は帰って来ると信じていたし、一人で待っていられる自信もあった。
だってそうするよりほかにないのだから。
こてんと肩に額を預けた智寿が、げんなりと口を開く。
「俺がいるほうが安心じゃない?」
「安心ですけど・・・・・・」
それはもう掛け値なしの本音だ。
智寿が帰って来てくれただけで恐怖心は遠のいて、抱きしめられた瞬間から身体は火照り始めた。
そして、今は別の意味で緊張感が増している。
普段の楓なら、早々に音を上げて智寿の腕の中から逃げ出している頃合いなのだが、状況が状況なだけに、彼の側を離れたくはない。
「なら次からはそう言えよ。俺も、大丈夫か訊くから・・・・・・ちゃんと甘える余白は残しとけ。夫婦なんだし」
「・・・・・・・・・・・・はい」
死ぬまで何万回もかみしめたい台詞だった。
くすんと鼻をすすったら、智寿が後ろ頭を撫でてくれる。
「なんで泣くんだよ。泣かせないように帰って来たんだぞ」
「・・・・・・・・・智寿さん、知らないんですか?女は嬉しいときも、泣くんですよ」
ここぞとばかりに強気に出たら、舌打ちを一つ零した彼に、唇を齧られた。
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