第33話 透輝石

「これなら食えそうか?」


お昼前に届いたメッセージで、今日は時間が取れそうだからランチを一緒にしよう、と智寿に呼ばれて、いつものようにレガロマーレのロビーまで行ったら、レストランフロアではなくて、役員フロアの応接室に案内された。


ポカンとする楓の前に届けられたルームサービスは、和風リゾットと、温野菜サラダとスープ。


智寿の前には、割烹の松花堂弁当が用意されている。


「え・・・どうして」


朝起きた時から何となく身体が怠くて、そろそろ生理予定日だなと思っていたら、案の定会社に着いた途端腹痛に見舞われた。


朝食はいつもより控えめにしたけれど、智寿には何も言っていなかったのに。


「ん?何となく。ここ最近ちょっと体温高かったしな」


「・・・・・・」


女性の体温が生理前は高くなることを彼は知識としてちゃんと知っているのだ。


そして、それを楓を抱きしめた時に確かめることさえ出来る。


自分との経験値の違いに愕然とする。


楓の体調を気遣ってこのメニューを運ばせたのだろう。


確かに、今日はレストランで美味しいランチという気分ではなかったので、ありがたい。


「食欲は?」


「あ、はい、あります・・・・・・智寿さん」


楓の返事に想像を崩した智寿を見つめ返す。


一緒のベッドで眠る夜にやっとこさ慣れて来て、彼の目を見ても動悸が起こらなくなってきた。


もちろん緊張はまだするし、落ち着かない事の方が多いけれど。


「ん?」


「・・・・・・ありがとう・・・・・・嬉しいです」


彼の気遣いがただただ嬉しい。


へにゃりと気弱な笑みを浮かべた楓に、智寿が眉を下げて珍しく困り顔になった。


「いや、俺が作ったわけじゃねぇし・・・食欲あるなら良かったよ・・・」


差し出されたスプーンを受け取って、さっそく温かい和風リゾットを口に運ぶ。


出汁のしっかり効いたリゾットは優しい味で、栄養が身体にしみこんできた。


「美味しい!」


「うちの和風リゾットは絶品で、女性人気がかなり高いらしいから」


「分かります。味付けはシンプルなのにちっとも単調じゃない」


これがプロの技なんだろうと感心しながら、二口三口とスプーンを口に運んでいると、松花堂弁当に箸を付けた智寿が、ついでのように言ってきた。


「ほかに、俺に何かして欲しいことあるか?」


「え?」


「家事はしばらく俺がするし・・・っていうか、ほとんどすることないけど・・・風呂掃除と洗濯くらい?」


新居にはお掃除ロボットがあるので、二人が出勤している間に床掃除をしておいてくれる。


智寿は帰宅が21時を過ぎることがほとんどなので、夕飯をしっかり家で食べることがない。


自宅では彼の晩酌に付き合う事の方が多かった。


「え、大丈夫ですよ、洗濯は毎日じゃなくてもいいし」


一人暮らしの時は、生理痛で苦しんでいる間は、家事も全て後回しにしていた。


まさかこんな申し出をして貰えると思わなくて、彼の経験値の高さをまざまざと思い知らされる。


きっとこれまで歴代の彼女の体調不良をこうやってフォローしながら過ごして来たんだろう。


生理になって・・・、と伝えるべきかどうかで未だに悩んでいた自分が恥ずかしくなる。


「俺に甘えること早めに覚えたほうがいいぞ・・・これからずっと一緒なんだし。毎回辛いの嫌だろ。俺に出来ることは何でもするから」


遠慮せずに言え、と言われて、おずおずと頷いた。


「・・・・・・・・・えっと、じゃあ、しんどい時は、自己申告するので、助けて貰えると・・・」


「・・・ん、分かった。で、おまえ今日一人で帰れる?」


無理そうなら、迎えに行くけど、と付け加えられて慌てて手を振った。


多忙な夫を生理痛ごときで呼びつけるわけにはいかない。


「帰れますよ、大丈夫です」


「・・・・・・そっか、夕方には身体空けとくから、無理そうなら我慢せず連絡して」


伸びて来た手のひらで優しく頬を包み込まれて、一気に離れがたい気持ちになった。


「・・・はい」


「後・・・もし、ベッド一人で使いたかったら、しばらく俺はリビングで寝るよ」


実はシーツを汚してしまう心配がずっと頭から離れなかったのだ。


これまでは一人だったからいいけれど、智寿がいると色々勝手が違ってくる。


そりゃあ、一人寝は気を遣わなくて済むし、余計な不安もないのだけれど。


「・・・・・・ふ、二人寝に慣れたところだから・・・・・・一緒が・・・・・・いいんですけど、でも」


もしも智寿が気になるようだったら、と続けようとしたところで言葉を遮るように彼が口を開いた。


「ん、俺も一緒の方がいいよ」


「~~っお、お腹痛くなって夜中起きるかもしれないけど・・・いいですか?」


ただでさえ短い彼の睡眠時間をさらに短縮させてしまう可能性を口にすれば。


「それなら尚更一緒に寝た方がいいだろ。俺も安心できるし」


当たり前のように返って来た返事に、ああ、本当にこの人と結婚してよかったと、あの日の自分の勇気を心底褒め称えた。


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