第14話 黒曜石-2
智寿の言葉通り、先日のレガロマーレのフレンチとは異なるカジュアルな雰囲気のレストランは、料理も抜群に美味しかった。
生春巻きとイカ入りのヤムウンセンサラダが病みつきになる味で、ピリ辛のガパオライスはテイクアウトしたいくらいスパイシーで本格的。
何度かテレビの取材も受けたことがあるのだというそのお店は、平日の夜でも満席だった。
この後仕事に戻るという智寿に合わせて、ノンアルコールにしようと選んだマンゴーラッシーのあまりの美味しさに目を見開いたら、真正面でそれを見ていた智寿が小さく噴き出して、そこでやっと少しだけ緊張が解けた。
「飲んでくれていいのに。そのほうがリラックスできるだろ?」
「この状況で飲んで、冷静でいられるかちょっと分からないのでやめときます」
婚約期間スタートと同時にお酒で失敗したくない。
弱いわけでは無いが、好きな人と飲んで自分がどうなるのかさっぱり分からないのだ。
「じゃあ、次は俺も飲める時に」
それならいいだろ?と視線を向けられて、その顔はやめて!と思いながら必死に頷く。
本当に何度心臓に悪い思いをすれば、この状況と自分の肩書きがしっくりくるのか。
「智寿さん、いつも遅くまで職場に残ってらっしゃるんですね?」
少しでも今の彼の情報を頭に入れて、モデル寿から離れようと質問を投げる。
「一応現場責任者だから、日勤勤務の時も、夜半まで残ってる事のほうが多いな。立ち上げから今までずっとこのスタイルでやって来たから・・・・・・仕事が趣味みたいなところもあったし」
「そうなんですね」
「俺の仕事は夜でも呼び出しがあるから、月金勤務の楓さんとは時間が合わないことも多いと思う。もちろん、融通はきかせるつもりだけど・・・」
「はい、大丈夫です」
「お見合いの時に、ちょっと仕事のこと聞いたけど・・・その、今後も生活のために、仕事を続けないといけない、と思ってるなら、その心配はいらないから。あの時も言ったけど、経営者の肩書きに見合うだけ収入は持ってるし、子供が2、3人産まれても大学まで出すくらいの余裕はあるよ・・・・・・」
「あ・・・はい・・・子供・・・」
二人の子供なのだから、産むのは当然楓なわけで、産むためには、夫婦生活が必要なわけで。
ちょっと前に妄想で鼻血を吹きかけたアレコレが甦って来て、慌てて頬を押さえた。
食事中になんてことを考えているのだ。
破廉恥すぎる自分に泣きそうになる。
子作りどころかキスすらしていない二人なのに。
「あ、いや、あくまでこれは仮定の話で、俺は夫婦二人でも構わないと思ってるし・・・・・・とにかく、無理して仕事を続ける必要は無いから」
「はい、ありがとうございます・・・・・・あの、でも・・・今の仕事、嫌いじゃないから、続けようと思います・・・・・・張り合いにもなるし」
「そっか・・・うん、それは、楓さんに任せるよ。とりあえず、結婚したら、ちゃんと生活リズムは合わせるようにするから」
あの頃はインタビューでもプライベートのほとんどを明かすことがなかった彼だ。
朝夕問わずやりたいと思えることを仕事に出来ている今の智寿は、モデル時代とはまた違う幸せを感じているのだろう。
この後も楓と別れてから職場に戻る彼の帰宅時間は恐らく日付が変わる頃。
体調が心配になるが、これが智寿の日常なのだ。
その昔、アイドルの一日のスケジュールが雑誌で紹介されていて、友人たちが大盛り上がりしていた気持ちが、今ならわかる。
「智寿さん寝るのは大抵日付が変わってからですか?」
「ん?ああ、そうだな・・・あ、でも、結婚したら、勤務体制は改めるから。日勤で帰れる日は遅くならないようにする」
「あ、いえ、そんな、お気になさらず!」
反射的に答えてしまってから、失言だったと気づいた。
結婚したら当然一緒に暮らすわけで、新婚の夫が妻ほったらかしで会社に入り浸っている方が異常である。
真顔になって瞬きを繰り返す智寿に、慌てて取り繕った笑顔を向ける。
「いえあのその・・・早く帰って来ていただけると嬉しいです・・・・・・む、無理のない範囲で」
あと、私の心臓が止まらない頻度で。
「結婚したら、無理してでも帰るよ」
智寿が玄関ドアを開けて、ただいま、と家の中に入ってくる絵が思い浮かんで、死にそうになる。
ちょっと待ってこれが日常化とか、ほんとに大丈夫か心臓。
「・・・・・・・・・っ」
もだえるのを必死に堪えてマンゴーラッシーを啜る楓に、智寿が困り顔を向けて来た。
「それは、困ってるんじゃなくて喜んでる、でいい?」
眉を下げてこちらを伺ってくる婚約者様から逃げるように、必死に俯く。
黒曜石の瞳がキラキラ光って眩すぎる。
赤くなった顔をこれ以上どうすることもできない。
「はい・・・そうです」
結婚と同時に寿命が縮んでも構わない。
本気でそう思った。
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