第2話 柘榴石-2
二人が専属モデルをやめてしばらくしてから、雑誌の顔だった兼業俳優が完全に俳優業に専念したあたりから徐々に売り上げが落ち始め、そのうちコンビニでPride Beを見かけることが無くなり、ネットニュースで休刊を知った時には、ああ、もう全部過去なんだなと割り切れるようになっていた。
大学生活を終えて社会人になって、仕事を覚えることに必死になっているうちに、流行は移り変わり、あの頃みんなが騒いでいたアイドルグループはメンバーが脱退したり、グループが解散したりして、推し活どころか、次の推し探しからも足が遠のいていた。
思春期の楓の心をクラスメイトよりも、人気の上級生よりもときめかせてくれた推しの存在は、青春の思い出の一部になっていたのだ。
つい数分前まで。
だから何がどうしてこうなったのか。
変な冷や汗がさっきからずっと止まらないし、自分の心臓の音がやたらと大きく聞こえる。
先日クローゼットの整理をした時に、棺桶に入れると決めて大事に持っていた寿の単独表紙のPride Beを発見したから、妙な幻覚を見てしまったのだろうか。
雑誌以外のメディアに一切出てこなかった初めて聞く彼の声は、低くて滑らかで、ぞっとするほど色気があった。
夢なら醒めるなと震える手で椅子に腰かければ、ちゃんと椅子の感触があって、これは紛れもない現実なのだと自覚した途端、体中の汗が一気に噴き出てきた。
やばい、どうしよう、私今日で死ぬかもしれない。
推しとの再会で天命尽きるだなんて、男日照りが続いている楓にとってはセンセーショナルすぎる。
「・・・・・・み・・・みみみ三峯楓です・・・」
挙動不審な自己紹介の後、一度も目を合わせようとしない楓に怪訝な視線を向けた彼はそれでも丁寧に自分の仕事について説明してくれた。
現在は友人とセキュリティー会社を経営しており普段はホテルのセキュリティールームに詰めている事が多く、出会いの場にも縁が無いことを心配した身内がお見合い話を持ってきたらしい。
モデルをしていた頃より逞しい印象を与えてくる長身は、相変わらずすらりとしていて、やっぱりスーツを上品に着こなしている。
怜悧な眼差しはこちらの心を見透かされそうだが、彼が真っ直ぐ自分だけを見つめてくれているという事実に眩暈がした。
モデルを辞めた後の彼の経歴をこんな形で知ることになるなんて。
「楓さんは、西園寺倉庫にお勤めと伺いました」
「え!?あ、ああああ、はっははははい、そそそうです」
まさか推しがこんな一般人の自分について言及してくるわけがないと及び腰になりつつどうにか頷く。
これはお見合いなのだから、お互いの職業や趣味について言葉を交わすのは至極当然のことなのだが、目の前の相手が憧れていた人物というだけで、何もかも勝手が違ってしまう。
この現実を受け入れるすべがないのだ。
「った、大した事無い仕事です・・・地味な・・・・・・っじゅ、受注センターで・・・」
大学卒業後から勤めている会社は、海沿いにいくつもの倉庫を持つ西園寺倉庫という会社で、現在楓は受注センターで缶詰の入出荷業務を行っている。
西園寺不動産を母体とする西園寺グループの系列企業の中では一番地味な業種だ。
が、同じく地味な自分にはぴったりだと思っていた。
今日までは。
目の前にあの頃すべての青春を捧げた推しがいると思うだけで、自分の職業を勝手に変えたくなるから恐ろしい。
客室乗務員です、とか言えたらもうちょっと興味を引けただろか。
今日待ち合わせをしたホテルからは徒歩10分ほどの距離に受注センターはあった。
どうせ不発のお見合いだから、ついでに仕事場に寄って届いているメールとFAXをチェックしてから帰ろうなんて思っていたのに。
「ここのホテルの食材は、いくつか西園寺倉庫さんにお願いしているらしいですよ」
取引先の名前も入力コードも頭に入っているのに、口が渇いてまともな言葉を紡げない。
「あ、ははははい!そ、それは・・・あの、なんとも・・・お、恐れ多いです」
わけのわからない返事をしてしまった。
彼は、わざわざお見合い相手の会社についてまで調べて今日この場に挑んできたのか。
メッセージアプリで届けられた名前と肩書をざっと見ただけで、どうせ今回も不発でしょうよと興味すら持とうとしなかった自分が恥ずかしい。
加賀谷の対応の細やかさに驚きを通り越して感動してしまう。
せっかく彼が自分に興味を持ってくれているのだから、もっと上手に愛想笑いをして好感を持って貰いたい。
だってこんなチャンスはきっともう訪れない。
完全一般人となった加賀谷智寿とこの先巡り合える可能性なんて皆無だ。
しっかりして、お願いだから日和るな私!
これまで3度のお見合いを経験して、相槌の打ち方、好印象を与えやすい話し方、落ち着いた所作を覚えてきたはずだ。
不発に終わったお見合いの成果をいまここで見せるべきだとテーブルの下で拳を握るのに、言葉を発するどころか、彼の顔すらまともに見れない。
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