第8話 藍玉-2
「す・・・すみませんでした・・・ご、ごめんなさい・・・ほんとに・・・ごめんなさいぃいいい」
何に対しての謝罪かさっぱりわからないが、これがあの日の見合いに対する謝罪なら、それは違うと訂正してやらなくてはならない。
というか、ここまで号泣しながら謝られるほど怖い思いで逃げ出されたのかと思うと、本気で自分の顔を恨みたくなる。
彼女は明らかに動揺して泣いているのに、その唇から聞こえてくる声が、耳を擽って来て仕方ない。
砂糖を胸の真ん中にぶちこまれたように、どろりと心の奥を溶かしてくる声だ。
あの日は何も感じなかったのに。
「いや・・・謝って貰うことは何も・・・むしろ俺のほうが怖い思いを・・・」
強面で申し訳ない、と若干微妙な謝罪を口にすれば、楓がくすんと鼻をすすった。
これまでの人生で、女性に怯えられたことはあるけれど、泣かれたことはなかったな、といま気づいた。
このまま小康状態に入って欲しいと切実に祈る智寿に向かって、楓が震える唇を開いた。
「違うんです・・・・・・ほんとに・・・・・・怖いんじゃなくて・・・・・・ず、ずっと・・・・・・あの・・・見てました・・・・・・い、家に・・・・・・PrideBeの11月号・・・まだ・・・取ってあるんです・・・ほんとに・・・好きで・・・び、びっくりして・・・・・・会えるって・・・思わなかったから・・・・・・それで・・・・・・ちゃんと・・・しゃ、喋らきゃって・・・思ったんですけど・・・・・・緊張して・・・言えなくて・・・・・・変なこと言っちゃうし・・・・・・」
彼女の口から飛び出した懐かしい雑誌の名前に息が止まった。
楓はモデル業のことを知っていたのか。
モデル業をしていた中で、唯一単独表紙を飾ったのが11月号だったのだ。
彼女はあの頃の自分を知っていて、それであんなに緊張していたのだ。
怯えや、恐怖ではなくて、純粋な緊張。
それは、まぎれもなく好意や憧れから来るもので、遠い昔に味わったきり、智寿が忘れていた感情でもある。
泣きじゃくりながら、必死にごめんなさい、と謝る彼女が、急に愛おしく思えた。
たった4年とちょっとの短いバイト感覚のモデル業の記憶を、未だにこうして覚えてくれている人がいるなんて。
「い、嫌な思いさせて・・・ごめんなさい・・・・・・も、もっとちゃんと・・・・・・会いたかったのに・・・な、んでこんな・・・変なとこばっかり・・・・・・あああの、で、でも、加賀谷さんのことを・・・・・・し、調べたりしてません・・・ほ、ほんとにお見合いは・・・ぐ、偶然で」
自分はストーカーじゃないと必死に訴える楓の赤くなった両の目を覗き込んだ。
「・・・・・・楓さん。足は、痛くない?」
握りしめたハンカチであとからあとから零れ落ちてくる涙を懸命に拭う彼女に問いかける。
これまで、特に女性に対するときは極力意識して柔らかい声音で話しかけるようにしてきたのに、いつも返って来る反応は同じだった。
自分がどれだけ強張った声を出していたのか初めて分かった。
拒絶されることを前提に紡いだ声が、相手の心に届くわけがない。
今初めて、自分を受け入れてくれる誰かに向けて、言葉を紡いだ。
信じられないくらい、その声は優しく響いた。
びくんと肩を震わせた楓が、ぱちぱちと瞬きをして涙の膜が張った瞳でこちらを見つめてくる。
「・・・・・・・・・い、痛くない」
震える唇で紡がれた掠れた声が、耳朶に響いて胸を打つ。
吐息交じりの小さな声は、彼の心の琴線を震わせるには十分すぎた。
無性に彼女に名前を呼んでもらいたい衝動に駆られた。
「俺のことも・・・・・・・・・怖くない?」
「・・・・・・・・・好きです」
へにゃりと眉を下げて笑った彼女が、またくすんと鼻をすすった。
返って来たなんとも無邪気な返事に胸が熱くなる。
膝に添えた手に、無意識に力がこもった。
あ、まずいなと思う前に、手のひらが伝線の走ったストッキングを撫でていた。
「ひゃ!」
まさか膝裏を撫でられるだなんて想像していなかったのだろう。
短い悲鳴を上げた楓がソファの背にすがりつく。
結構大胆な告白をしてくれたはずなのに、こういうことまでは想定していなかったようだ。
そもそも誰のことも熱狂的に追いかけたことのない自分には、彼女が向けてくれている感情の詳細はさっぱりわからない。
ただ、嫌われていないという事実だけがひたすらに胸を突いてくる。
彼女の挙動不審も、パニック気味の返事も、合わない視線も、すべて自分を意識しすぎたうえでの反応なのだとしたら、これはもう、運命じゃないか。
「それを聞けて良かった。まずは、コレ、どうにかしようか」
「え・・・あ・・・っ」
慌てて膝裏を押さえて視線を逸らせた楓が、唇を歪めて呟く。
「・・・・・・なんでこんなとこばっかり」
「気にしなくていいよ。見つけたのが俺で良かった」
「いえ・・・あの・・・これ以上ご迷惑は・・・なんかもう・・・重ね重ねすみません・・・・・・ドン引きしますよね」
項垂れた楓の手のひらを、湿ったハンカチごと握りこむ。
「!?」
ぎょっとなった彼女の瞳を今度こそ真っすぐに見つめ返した。
目力はきっと、こういう時に使うためにあるのだ。
「引かないし、むしろ俺はきみと結婚したい」
「・・・・・・・・・はい?」
あえかな吐息に乗せた呆然とした一言に、智寿は久しぶりに笑顔を浮かべた。
「考えてみて欲しい」
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