第48話 土耳古石-1
「なんで、二冊あるんだよ・・・?」
そろそろ持ってきた荷物を整理しますね、と断って書斎の一角を陣取ってから約二時間。
様子を見にやって来た智寿が、未開封のPrideBeと開封済みのPrideBeを手にした妻に向かって真顔で質問を投げかけて来た。
まったくの愚問である。
「なんでって・・・見る用と、保存用です」
モデル寿の単独表紙は後にも先にも一度きり。
そしてすでにモデルを引退している彼が、カメラの前に立つことは二度とない。
貴重な一瞬を切り取った奇跡の一冊は、確実に二冊は必要だ。
最低でも。
それなのに、旦那様はげんなりと顔を顰めて来た。
いつもの鋭い眼光がどこか疲れているように見えるのは、多分見間違いではない。
彼は、自分の妻がオタクぷりを発揮すると大抵こういう表情になるのだ。
「もう必要ないだろ?」
どうしよう、智寿の口から出たとは絶対に信じたくないような言葉が聞こえて来た。
楓にとってはこれ以上ないくらい、最高の旦那様だけれど、この発言だけは絶対に許せない。
「!?なに言ってるんですか・・・いりますよ?え、本気で言ってます?信じられない!!」
この二冊を買うために、朝一番でコンビニに走った事を昨日の事のように覚えているのに。
その表紙を飾った張本人が、必要ない、だなんて。
怒りと悔しさで目の前が真っ赤になった。
「なんで怒るんだよ、本人が目の前にいるのに、わざわざ古い雑誌見なくてもよくないか?」
完全に学生時代のアルバイトと割り切って彼がモデル活動に勤しんでいた事は知っている。
友人の紹介で、会社設立の資金集めの為に軽い気持ちで始めたことも。
それでも、誌面を飾る寿は最高にかっこよかったし、人目を引いた。
もちろん、年齢を重ねて大人になった智寿の魅力は言わずもがなだが、楓にとっての青春は、やっぱりPrideBeと共にあるのだ。
本気でこれは棺桶に入れる予定にしてある。
「あの頃の寿は、この中にしか残ってないんですよ」
だから大切に取って置いて、時々見返してキュンキュンして、現在の智寿を見てさらにキュンキュンするのだ。
これはいわば、智寿の魅力を再確認するための必須アイテムである。
「・・・・・・お前は今の俺が好きなんだよな?」
「今の、智寿さんも好きです」
あの頃の彼があるから、今の彼があるのだ。
どちらも楓にとってはかけがえのない存在である。
「・・・・・・・・・」
心からの全力の告白をしたにもかかわらず、智寿は渋い顔のままだ。
どうしようか迷ったが、どうせならこのままの勢いで言ったほうがいいだろうと、昨日からタイミングを見計らっていた別件について口にする事にした。
「あと・・・・・・お願いがあって」
「・・・・・・・・・いやだ」
即座に拒否されて、楓は目を剥いて智寿に詰め寄る。
普段から楓に甘い旦那様だから、上手くいくかと思っていたのだが、やっぱりこの件に関しては勝手が違ったようだ。
「なんでですか!?まだ何も言ってないのに!?」
「将太から俺のところにも連絡が来たんだよ。っていうか、なんで楓が将太の連絡先知ってるんだよ、IDなんていつ交換した?」
「撮影にお邪魔したときに、これからもよろしくって、教えていただきました」
スタジオの壁際でポツンと佇む部外者を気にかけて、気さくに声をかけてくれた智寿の元相方とは、時折メッセージのやり取りをしている。
楓の返事が面白くなかったようで、智寿が途端苦虫を嚙み潰したような顔になった。
「あいつ・・・」
「折角だから、紙媒体にして貰いましょうよ!誌面に使ってないデータも全部現像してくださるそうですし、私全部欲しいです」
「・・・・・・あれを?全部?」
勘弁してくれという彼の顔は、この際もう見なかったことにする。
「はい。毎日見て癒されます」
何百枚と取られた写真のごく一部のみが採用されて、残りはほとんどボツになることをあの現場で初めて知った。
智寿がカメラの前に立つのはあの日限りの約束だったし、だからこそ残せるものはどれだけでも残しておきたい。
このファン心理をどうやったら理解して貰えるんだろう。
「・・・・・・・・・直接触って癒されれば?」
伸ばした手で楓の指先を捕まえた智寿が、僅かに屈んでそれを自分の頬に触れさせる。
誌面では分からない温もりや、肌質、匂い。
なんなら声や汗やそのほかの・・・・・・
彼と結婚してから知る事になったあれこれが一気に頭を過って、オーバーヒートしそうになる。
楓のどこをどう触ればどんな反応を返すのか、完全に分かり切っている指先は一切の迷いがない。
耳たぶを撫でて顎のラインを擽って、後れ毛を掬い上げる指先が少しずつ楓の肌に熱を宿していく。
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