第22話 翠玉-2

智寿が仕事を抜けてくるまで、応接で楓をもてなすようにと仰せつかった鶴見は、役員フロアの中で一番小さな堅苦しくない仕様の応接室に彼女を通した。


すぐにリラックス効果のあるハーブティーを用意して、背筋を伸ばしてまるで面接を受けに来たかのように硬い表情の楓に微笑みかける。


一度は智寿のほうから断ったお見合い相手にどういうわけかプロポーズをして、了承を貰ったふた月後には新婚生活をスタートとさせるだなんて、これではまるで交際ゼロ日婚だ。


三峯楓という女性は、加賀谷とはなんの関わりもない一般人で、清匡の兄で作家をしている巧弥が、知り合いの編集者から誰か知人の娘さんに良い人をと頼まれて縁組したらしい。


彼女は加賀谷の家柄のことも、一族企業のことも何も知らずにお見合いを受けて、最終的に結婚を承諾した。


というか、恐らく承諾させられたのだろう。


だから、結婚が決まった後で、後出しじゃんけんのように加賀谷の家に関する情報が与えられて今頃になって怖気づいている、というのが鶴見の見立てで、恐らくそれは外れていない。


そして、やっと見つけた花嫁を今更逃がすつもりの無い智寿は、早々に外堀を埋めようと結婚を急いでいるのだ。


この辺りは、従兄弟の清匡と似たり寄ったりである。


唯一違うところは、清匡の花嫁は、加賀谷の家をよく知っており、会社の規模も一族のつながりもそれなりに理解しているということ。


幼馴染で加賀谷の家に馴染んで育ってきた恵茉には抵抗の無い様々なことが、長年普通の社会人をしてきた楓には、とてつもないハードルに感じられるのだ。


そしてそれは、同じく一般人の鶴見には痛いくらいよくわかる。


年齢を重ねればその分経験と魅力は増えるが、経験が増えればそれだけ恐怖心も増えるものだ。


呉服屋が大量に用意した反物を、別室に並べている間少しでも心穏やかに過ごして貰おうと、智寿は楓をここに呼んだのだろう。


鶴見は、彼から無言で寄せられる期待に全力で答えなくてはならない。


「今日依頼している伊坂呉服は、かなりの老舗で上質な反物を多く取り揃えておりますので、きっとお気に入りのものが見つかると思いますよ」


「・・・・・・何度もお断りしたんですけど」


「加賀谷に入られる方にはお着物が贈られるしきたりだそうですよ」


「しきたり・・・・・・」


「先代のご当主が自由恋愛を掲げられてから、社内恋愛で結婚する方もいらっしゃるくらいですし、不安に思われる必要はないかと思います」


「・・・・・・はい」


「智寿さんは、清匡さんとは異なって表に立つお仕事ではありませんし、自らそういう場所に足を運ばれることも少ないですから、不自由な思いをされることはありませんよ。あの方、放っておいたらまる一日セキュリティールームでモニターか液晶画面見てるような方ですから」


「あの・・・・・・私・・・場違いですよね・・・?」


「いえ、そのようなことは」


「ああ・・・すみません・・・頷けるわけないって分かってて聞いちゃいました・・・自信が無くて・・・・・・」


「ここだけの話なんですが・・・・・・智寿さんは、社員の間でも、怖くて不愛想な社員だと有名なんですよ」


「えっ・・・・・・た、たしかに・・・目つきは鋭いですけど・・・・・・あの・・・昔、モデルをされてた時は逆にそれがかっこいいって言われてて・・・私は、むしろあの目が魅力的だなって思ってるんですが」


「ええ。私も同じ気持ちです。ただ、見る人によっては威圧感だけを受け取ってしまう場合もあるので、極力セキュリティールームから出ないようにされてたんですよ」


「・・・・・・そう・・・だったんですか・・・」


「ですが、三峯様との婚約から一気に表情がこう・・・柔らかくなって・・・何より智寿さんの声が・・・」


「あ、わ、分かります!優しいですよね!?私、名前を呼ばれる度にきゅうってなるんです。いい歳した大人が恥ずかしいんですけど・・・ほんとに・・・あの声で呼ばれるのが好きで」


恥ずかしそうに目を伏せて頬を押さえる楓は、年相応の落ち着いた社会人には到底見えない。


まるで覚えたての恋に右往左往する思春期の少女のようだ。


婚約者のことを臆面なく褒められる素直さ、自分を飾らない素朴な人柄は、十分すぎる魅力である。


彼が楓を選んだ理由がなんとなくわかる気がした。


「お似合いだと思いますよ。私」


「ほ、ほんとですか!?わあ・・・嬉しいです・・・智寿さんに愛想尽かされないように全力で頑張ります」


「そのご心配は不要では?ここまで智寿さんが心を砕いて接する女性は、奥様が初めてですから」


「・・・・・・ありがとうございます・・・・・・お気遣い頂いてすみません・・・」


照れたように笑った楓が、何かに気づいてソファの端に置いたままのカバンに手を伸ばした。


「智寿さんだ・・・ちょっと失礼しますね」


「もちろんです」


鷹揚に頷いて、二人の邪魔をしないように足早にその場を離れる。


「・・・・・・あ、お疲れ様です。智寿さん」


ドアを開ける直前に聞こえて来た、楓の声に、鶴見は思わず足を止めてしまった。


砂糖を擦り合わせたような、何とも言えない絶妙な甘い響きに心臓が音を立てる。


ああ、わかった。


自分を呼ぶこの声に、彼はきっと惹かれたのだ。

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