第20話 七には沢山という意味があるらしい
身体が揺られていた気がする。
どちらが上で、どちらが下かもわからない辺り、夢を見ていただけかもしれない。金縛りにあったように身体の自由が利かず、ただただ、何か空気が動いているのを感じ続けていた。
そうだ、きっと夢なのだ。どこでどんな風に眠ったか、どうにも思い出せないが、夢ならばいずれ覚める。覚めねばならない。
ふと、ひんやりとした何かが、頬を撫でた気がした。もしかするとそれが、目覚めのきっかけだったのかもしれない。
■
濡れた感覚が頬を叩く。
薄く目を開ければ辺りは暗く、軽く首を回してみれば。丸く空いた穴がこちらを見下ろしており、その縁にある円錐形の何かから水滴が零れていた。
上下左右の感覚は分かる。少なくとも、今自分の見ている方が上で、硬い地面に横たわっているらしい。
――どこだ、ここ。
寝ぼけていた思考のギアが噛み合った途端、自分の置かれている状況に違和感が溢れ出す。
天井があるとすれば玉匣の中だろうが、こんな鍾乳石チックなオブジェを配置した覚えはない。そもそも、寝台が土という時点でおかしいだろう。
挙句の果てには。
「縛られている……? 拘束の仕方は、随分雑だが」
腕を動かそうとすれば手首から腹にかけて、ギチリと硬い感触がかかった。
成程。金縛りと勘違いする訳である。オカルト的なものではなく、実際縛られているのだから。
「おにーさん、起きましたか?」
「む……? ファティ、居るのかい?」
視界の外から聞こえてきた声に応じれば、暗闇の中に金色の目がきらりと輝く。
暫く待っていれば、彼女はゴロゴロと地面を転がって現れた。彼女は胴体巻きに加えて、足首も縛られているらしい。ただ、いつも通り飄々とした雰囲気を漂わせている辺り、怪我をしていたり、体調を崩しているということはなさそうでホッとした。
「目が覚めてよかったです。もう起きないかと思ってました」
「縁起でもないことを言わないでくれ。今の状況は?」
「ボクたちを縛ってここに連れてきたのは、よくわからない細っこい奴らです。目的はわかりません」
「縛るということは、人種かい?」
「さぁ? 木の枝みたいな見た目してて、人間、人間、って騒いでましたけど」
全く想像がつかない。いや、現代に目覚めてから、何らかの説明だけで生物の容姿や種類を想像できたことなど、ほとんどないのだが。
「言葉は通じる、と思っていいんだろうか?」
「無理だと思いますよ。人間としか言ってませんでしたし、ボクが何を言っても返事してもらえなかったので」
酷くつまらなそうに、ファティマは自由なままの尻尾をブンブンと振り回す。何か聞き出そうと努力をしたのかもしれない。
それでも聞き取れる言葉を発していたということは、オウムや九官鳥的な存在なのだろうか。
そうかい、と言いながら少し頭を捻ってみたものの、珍妙な現代生物相手に答えなど出せるものかと、僕は早々に思考放棄を決定した。
「他の皆は?」
「シューニャとアポロニアなら、向こうの小部屋に入れられてました。ダマルさんはわかりません。連れてこられてないかもしれませんし、ゴミだと思われて捨てられたかもしれません」
「まぁ、見た目は完全に骸骨だからね」
喋りさえしなければ、相棒と白骨死体を見分けるのは正直言って難しい。それも、ダマルという個人を知らなければ、見た目から動き喋る存在と判断されることはまずないだろう。
とはいえ、仮に未知の生命体にどこかへ捨てられたか、あるいは捕まっていなかったとしても、自分たちの居場所を見つけられるかどうかはまた別問題だ。速やかなる救援に期待するべきではない。
ならば、試みるべきは自力での脱獄だ。ファティマの言う枝のような何者かが、何を考えて自分たちを捕まえたにせよ、このままジッとしていて状況が改善するとも思えない。
縛られたままでぐっと体を動かしてみると、腰辺りから固い感触が返ってきた。
「拳銃が持ち去られていない……身体を検められていないのか?」
「ボクは元々何も持ってなかったので、何も取られてません。ただ、おにーさんのナイフは持っていかれましたよ」
「刃物を武器だと判断する力はある訳だ。人種の中でも、現代の文明から切り離された原始的な氏族、とかかな」
「焼けた大地に生き物は居ないって、嘘だったんでしょーか?」
「調べてみればわかるだろう。ファティ、噛み切れるかい?」
「やってみます」
身体をぐるりと回してファティマに背を向ければ、間もなく手首辺りに鼻息がかかる。
ギチギチと鳴る音と共に、手が右へ引っ張られ左へ引っ張られ、多少うっ血したような感覚があったかと思ったところで、急に背後の気配が変わった。
「ちょっとタンマです。この臭い、あいつらが戻ってきました」
鋭敏なケットの鼻が、何かを感じ取ったらしい。すぐさま体を仰向けにし、縛られている手首を背中へ隠せば、まもなくサクサクと土を踏む音が近づいてくると同時に、腐った卵のようなきつい臭いが辺りに漂い始めた。
「ニンゲン、ニンゲン」
差し込む薄明りの中、浮かび上がったのは、ファティマの言葉通り枯れ枝のような不思議生物。一応は2足歩行であるらしいものの、触れれば折れてしまいそうな見た目をしており、Y字型に枝分かれした頂点は頭なのだろうか。先端部には何かしらの器官がくっついているらしい。
「これは……キメラリア、なのか?」
「キメ、ら、リあ、なのカ?」
言葉通りのオウム返し。その様子から、意味を理解しているというより、音として声を真似しているだけに思える。
「ずっとあんな感じです。人間以外の言葉は、発音もおかしいですし」
ファティマが困ったように肩を竦めるのも当然。これで声を発さなければ、明らかにミクスチャ的な化物の1種と即座に判断しただろう。
そいつは武器を手にするでもなく、かといって友好的な雰囲気があるでもなく、檻のような形に編まれている扉の前に立ったまま、暫くじっとこちらを観察しているようだった。
目的が読めない。自分たちを捕らえ、縛ったままに放置している理由は何なのか。
こちらも黙ったままソイツを見つめ続けていれば、棒切れ生物はようやくギギッと体を鳴らしてから、硬そうな見た目に反して身体をぐにゃりと曲げて見せた。
「ニンゲン、オトコ?」
「何?」
「オトコ、オオキイ。ニンゲン、オトコ?」
ファティマと顔を見合わせる。どうやら、全く言葉を理解していない訳ではないらしい。
沈黙は金か。それとも。
「……僕は、男、だが」
恐る恐る答えてみる。果たしてどんな反応を示すものか、最悪はいきなり飛び掛かってこられることも想定して体を強張らせ。
「オトコ! ニンゲン、オトコ!」
細い両腕を振り上げて、ぴょんぴょんと跳ねる枝生物。その狂喜乱舞している姿に、ふと頭の中で記憶が噛み合った。
「ナナフシに似てるなぁ」
「なんですかそれ」
「いや、昔そういう虫が居たんだよ。草の茎とかに擬態する奴でね、こんな頭ではなかった気がするが――ッ!」
ファティマへの説明もそこそこに、妙な音がしたかと思えば、木枝で組まれた扉がいつの間にか開けられていた。
当然、ナナフシ的人種は消えてはいない。むしろズンズンとこちらへ近づいてきて、ぐいと僕の腕を掴み上げた。
――こいつ、見た目の割に力が強いな。
枝のような体の何処から湧き出ているのか。半ば倒れたままだった僕を、片腕だけで引っ張り上げると、そのまま器用に、これまた細い背中へと担ぎ上げた。
「お、おにーさん! どこへ連れて行くつもりですか!」
「ニンゲン、オトコ! オトコ、ニンゲン!」
「ちょっと!」
ファティマの叫びも虚しく、ナナフシ野郎は躊躇いなく檻の扉を閉め、僕を背負ったままガシガシと暗がりを歩いていく。
一応、大丈夫だからと小さな頷きを残したが、これは後で謝っておかねばなるまい。
というのも僕は、脱出の足掛かりとするには、ちょうどいいだろうなんて、気楽な考えの中にいたのだから。
■
「や、やばいッスよシューニャ! ご主人が連れて行かれてるッス!」
檻の隙間から外を覗いていたアポロニアの叫びに、私はふぅと息をつく。
「落ち着いて。今はどうすることもできない」
何せ、手足を縛られ、檻にまで放り込まれているのだ。どれもこれも作りは雑で金属が使われているようには見えないが、それでも非力な自分たちの脱出を阻むには十分すぎるだろう。
そう思っての発言だったが、アポロニアには投げやりに聞こえたらしい。器用に体を捻って、驚いた顔をこちらへ向けた。
「いやいやいや、いきなり諦めてどうするッスか!? もしご主人が食べられでもしたら!」
「多分、それはない」
「へ?」
「あっちを見ればわかる。食べられるのを心配するべきは、私達の方」
「あっちって何が――」
きょとんとする彼女を前に、私は視線で見るべき方向を指し示す。
ちょうどキョウイチが連れて行かれたのと反対側。他と比べてもなお薄暗く、目が慣れていなければ何も見えないような一角に、アポロニアはゆっくりと顔を向けた。
夜目の利くアステリオンなら、私よりもきっと鮮明に見えたことだろう。喉の奥から押し出すような、う゛っ、という鈍い声が背後から聞こえた。
「な、何スか、あの乾いた死体の山は……」
「ここに閉じ込められた者の末路、かもしれない。ただ、キョウイチは逆方向に連れて行かれたし、わざわざ男かどうかと聞かれていたのが気になる」
「ちょっと待つッスよ。じゃあ、分けてこっちの檻に入れられた自分たちは」
「最初から男ではない、と判断された可能性が高い。だから、もし食べられるのだとしたらこっちだと思う」
つい今しがたまで観察していた中で、奴らに人種のような性差があるようには見えなかった。にもかかわらず、わざわざ男かどうかを問いかけ、男だと聞いた途端に歓喜するような動きを見せたのは何故か。どんな目的があって、男女を分けているのか。
全ては想像に過ぎないため、連れて行かれた先でキョウイチが食べられてしまう可能性だって当然ある。当然、そうなるのではという心配がない訳ではないが。
「……連中、頭からバリバリいくんスかね?」
神妙な顔をして、アポロニアがそんなことを呟く。
私も気持ちは同じ。キョウイチよりも、今は我が身の心配をした方が無難な気がしていた。
「乾いた死体が保存されていることを考えると、血や体液を吸いとったり、内臓だけを綺麗に食べていそうな気がする」
「ああああああ! 聞かなきゃよかったッス! そんな死に方はごめんッスよぉぉぉぉ!?」
手足を縛られた状態で、自分以上に小柄なアステリオンは、ビチビチと体を跳ねさせる。そうしたところで、結果は無駄に服が汚れるばかり。暴れ回る羨ましいくらい大きな胸は痛くないのだろうか。
「そうなる前に、ここを出る方法を考えればいいだけ。とにかく、今は早くこの縄を噛み切って」
「うぅ、やるッスけど……どうやって檻から出るッスか? 見つかったらその時点で、全部吸い取られて終わりな気がするッス」
「ん。だからきっかけが欲しい。奴らがどれくらい居るのかはわからないけど、やりようはあるはず」
ほいと手首を後ろに向ければ、ひゅーんと鼻を鳴らしながらも、まもなく引っ張られるような感じが伝わってくる。
鋭い歯を持つキメラリアの2人が、別々の場所に閉じ込められたのは、不幸中の幸いかもしれない。キョウイチとファティが余程混乱していなければ、向こうも同じように噛み切るという方法を取っただろうから。
「もご……こんな時にダマルさんはどこ行ったッスかねぇ」
ガジガジと歯を立てていたであろう最中、ふいに彼女は寂し気な声を出す。
ダマルが居てくれれば、脱出は確実に楽だっただろう。ふざけていることが多い骸骨ながら、彼の知識や技術は今を生きる者達にとって想像もつかないものが多く、結果的にとんでもない奇計となって反撃の機会を与えてくれるものだ。
しかし、残念ながらこの洞窟に白骨魔物らしき姿はなく、騒ぐような声も聞こえてはこない。安否については、キョウイチ以上に心配はしていないのだが。
「……それも、あるいはきっかけになるかもしれない。とにかく、私達はできるだけ準備を整える。わかった?」
「シューニャ、怖くないんスか?」
「そう見える?」
肩越しに振り返ってみれば、アポロニアは頷く代わりに瞼をジワリと閉じた。
感情が読めない、何を考えているかわからない。よくそう言われてきた分、当然ながら自覚はある。
「私も怖い、けど」
殺されるかもしれない恐怖。何かや誰かを失うかもしれない恐怖。どちらも無表情だけで、拭いきれるものではない。
にも関わらず、私が表情を崩さずに居られるのは。
「1人じゃないから、きっと大丈夫だとも思ってる」
ぱちくり、と茶色の瞳が小さく瞬いた。
そのままジッと彼女を見つめていれば、どうやら私の気持ちは伝わったらしい。普段のアポロニアらしい、どこか不敵な笑みがニッと零れ落ちる。
「……そッスね。あぐっ」
磨き上げられたキメラリアの歯に、私の手首を縛っていた紐は、間もなくミチミチと限界に近づく音を立てた。
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