第63話 懐古的海水浴(前編)
衣装の大騒ぎから一息。と言っても、古代人以外は大半落ち着かない様子を見せてはいたが。
その中でも比較的馴染んだらしいファティマは、築き上げられたベースキャンプを前に大きな耳をピッピッと弾く。
「それで、ここからどーするんですか?」
「一応聞くけど、辱めるために着替えさせた訳じゃないでしょうね……?」
王国貴族にとって、肌の露出と言うのは余程はしたないものと思われているのだろうか。マオリィネは今なお恨めしそうに、僕の事を琥珀色の半眼で睨んでいる。
ただ、恥ずかしさもあってか頬に赤みが差している為、普段程の迫力はなく、なんとなく年齢相応な感じに思えて僕としては少々微笑ましい。
「そんな訳ないだろう。これは水辺で遊ぶための恰好だよ」
現代人たちが揃って顔を見合わせる。
「遊ぶって、どうやって?」
薄手のパーカーをビスチェの上から纏ったシューニャが問えば、周りは僕の返事を待つようにこちらへ視線を向けた。
こういう反応は予想できていたことではあるが、いざ遊びの説明と言われると少し困る。仕事の説明と違って、興味を持ってもらわねば意味がない。
さて何から手を付けるか。自由であるが故の難しさに言葉を詰まらせれば、それを見かねてかポンと肩を叩かれた。
「案ずるより産むが易し、ね。中隊長、行きましょう」
「え? 行く、とは?」
「どうやって遊ぶのか、見せるだけよ。あなたが相手なら、手を抜かずに済むしね」
振り返れば、井筒少尉は体を軽く捻りながら、海を向かってスラリスラリと歩いていく。
途端に、嫌な予感が込み上げてきた。
「待て、それはもしかして――」
「向こうの岩礁までよ。先に行って戻ってきた方が勝ち」
「ちょっ! せめて合図は合わせてくれ! くそっ」
言うが早いか、彼女は軽く砂を蹴って海へ飛び込んでいた。
元々スポーツ万能な少尉の事である。それにネオキノーという能力強化まで施されている以上、最初に離されたらまず追いつけない。
しかし、自分にも上官としての意地がある。この時点で説明がどうとかいう話は完全に頭から飛んでいたが、勝負が始まった以上残るのはプライドだけだ。
準備運動すらままならない中、久方ぶりのクロールで必死に泳ぐ。800年以上の時を経てもなお、体が泳ぎ方を忘れていなくてよかったと心の底から思った。
「……か、勝ったぞ」
結果、僕はミジンコのようなプライドを守り切るために、砂浜へと打ち上げられることとなったが。柄じゃないことはするもんじゃない。
「ご、ご主人、いきなり無理しすぎッスよ」
「もしかしてこれ、何かの修行だったんでしょーか?」
心配そうに顔を覗き込んでくるアポロニアと、何を面白がってか半笑いでお腹周りをツンツンしてくるファティマ。
マキナで無茶をした時とはまた違う、身体のあちこちが軋むような感覚に、ぜぇぜぇと喉の奥から息を吐く。やはり多少は衰えもあるのだろう。
ただ、その仕掛け人は濡れたお下げ髪を握って軽く絞りながら、どこか満足げにこちらを見下ろしていた。
「運動能力そのものは訛っていないようね。安心したわ」
「君は相変わらず……試すような真似をするんじゃないよ」
挙句、息も切れていないのだから、最早皮肉なのではないかとさえ思えてくる。お互いが800年前と同じ状態であれば、ここまで差がつくようなこともないだろうに。
よろりと生まれたての小鹿よろしく立ち上がれば、一連の流れを見ていた面々と目が合った。そのどれもが顔を青ざめさせていたが。
「もしかして、今のを全員でやれ、ということ?」
「普通に無理よ!? 真似できるわけないでしょう!?」
運動自体が不得手なシューニャと、水泳の経験がないらしいマオリィネに、ジークルーンとクリンも賛同する形でブンブンと首を縦に振る。
しかし、そのあまりにも勘違い甚だしい様子には、ビーチチェアに寝転がった骸骨さえ呆れ果てたらしい。いつの間にトロピカルジュースまで準備していたのか知らないが、寝そべったままやれやれと髑髏を横に振った。
「ったく、不器用な連中だぜ。遊びだっつってんだろ。やりたいことやりゃあいいんだよ。大体、日焼け止めも塗らずに海に突撃しやがって」
「ど、同感だ……これだと訓練の方が近いぞ」
ファティマとアポロニアに両脇を支えられつつ、僕はビーチパラソルの方へ向かって歩き出す。普段より過激な柔らかさを左右から感じながら。
一方、泳がなくてもいいと知った面々は一様に胸を撫でおろしつつ、それでいてシューニャはまた不思議そうに首を捻った。
「日焼けを、止めるの?」
「これも、案ずるより産むが易し、かな。すまんが、僕は少し休ませてもらうよ」
■
「あははははははは!?」
ビタンビタンと暴れる少女。釣られたばかりの魚のようだと思った。
「こらポラリス、暴れないの! 上手く塗れないでしょう」
「だってくすぐったい!」
「仕方ないわね。ジーク、そっち押さえて」
「う、うん。ごめんねポーちゃん」
「や、やぁ、首はだめぇ!? きゃあー!?」
大人2人がかりで押さえられては、ポラリスの細い身体で抵抗などできようはずもない。彼女の肌よりもなお白い塗り薬を、くすぐったさに悶えながら擦りこまれていた。
木陰の下でその姿を眺めていた自分とファティマは、どうにも昔の人の考えが理解できず、手渡された容器を前に首を捻る。
「日焼けって普通じゃないんですか?」
「貴族様たちは別としても、普通に働いてたら焼けるのは当たり前だと思うッスけど」
「日焼けは軽度の火傷よ。綺麗な肌を維持したいなら、気を付けた方がいいわ」
黒い眼鏡をかけたタヱちゃんは、そう言いつつ自らの体にヒヤケドメなる薬を塗り込んでいく。ねおきのぉとかいう種族も、日焼けをするのだろうか。
その隣ではダマルさん同様、何も敷かれていない寝台のような椅子に寝転がったバグさんが彼女に同調する。
「後でヒリヒリしてくるし、熱っぽくなったり疲れたりもするから、肌を焼きたいんでなければしないにこしたことはないかな」
「だから、背中に塗る時はポーちゃんみたいにされる訳ッスか」
「ボクは体柔らかいですから、大体は自分で塗れると思いますけど」
キメラリア・ケットは種族的に体が柔軟だと言われる。ファティマもそれに漏れないのだろう。あるいは、彼女も相当なくすぐったがりだから、ポラリスの姿を見ていて避けたかったのかもしれない。
斯く言う自分も、くすぐったいのはあまり得意ではない。しかし、日焼けというのが思いのほか体に良いものではなく、美容にもよろしくないと言われてしまえば、それくらい我慢した方がいいだろう。
「自分は無理ッスね。ファティマ、後でちょっと手伝――」
会話に飽きたのか、それとも興味が別に映ったのか。それでもしっかりヒヤケドメの容器を持ち去っている辺り、彼女もそういうところは乙女である。
しかしどうしよう。グググと無理に手を後ろに回そうとしても、自分の体は想像以上に硬く、1人ではとても背中まで塗れそうにない。
「アポロニアさん、ちょっといいかしら」
そう思った矢先、タヱちゃんに小さく手招きされる。しかも口元に手をかざしており、耳打ちしようとしているらしい。
一体なんだろうか。自慢の耳をピッとそちらへ向けて頭を寄せれば、ぼそぼそと穏やかな声が聞こえ、しかしそれは頭の中にバクハツのような衝撃をもたらした。
「っ……!? そ、それは」
「そういう方法もある、というだけよ。やるかどうかは、あなた次第ね」
ごくりと喉が鳴る。仕方ないじゃないか、唾が溢れてきたのだから。
古代的発想恐るべし。自分はすぐさま容器を持ち去ったファティマを探し、木陰から飛び出していた。
■
身体にガタがあるアラサー男が、いきなり全力の競泳などするべきではないと改めて思う。休養とは一体。
息が整うまでの時間も今までよりかかり、治まったかと思えば次は疲労感と倦怠感が襲ってくるのだから、古傷というのも厄介なものだ。
そんなことを考えながらビーチマットの上に転がり、パラソルの脇から差し込む日差しに、片手で影を落としていれば、上からニュッと顔が生えてきた。
「ごーしゅーじん? ちょっといいッスか?」
「ん? ああ、なんだろうか」
どっこいしょ、とジジくさい声を出しながら体を起こして向き直る。
そこには何やら、もじもじとした様子で、しかしへらりと表情を緩めたアポロニアが、控えめに日焼け止めのボトルを差し出していた。
「その、さっき言ってたヒヤケドメって奴なんスけどぉ、よかったら背中ぁ」
「……誰に吹き込まれたんだい」
さっきまで皆でワーキャー言っていたのは、流石に僕の耳にも届いている。なら、わざわざ自分に頼む必要なんてないだろう。
それでいてなお、何か期待するような視線を向けてくる辺り、何者かが古代的色気知識を囁いたに違いない。それを咎めるつもりもないが。
「ダメなんて言わないッスよね? 一応にも自分たち、恋人なんスから」
「む……まぁ、それは、そうか」
少し考えてから、恋人同士なら別に変でもないかと開き直る。何より、僕自身も触れ合えることに対して文句などあろうはずもないのだ。
さっきまで自分が横になっていたビーチマットに、彼女をうつぶせで寝転がらせる。胸が苦しくないかと問いたかったが、そこは一旦呑み込んでおくとして。
「ひゃんッ!?」
タラリと伸びた液体が背中に触れた途端、アポロニアの体がビクンと跳ねる。
「だ、大丈夫かい?」
「ちょ、ちょっと冷たかっただけッス。へへ、大丈夫大丈夫」
安堵の息を吐く。
全く情けない話だ。5人の女性と関係性を築こうという身でありながら、自分は柔肌への触れ合い方すら未熟であり、反応の1つ1つに緊張してしまうのだから。
しかし、撫でるように日焼け止めを塗り広げていけば、アポロニアはうひひひと言いながら身を捩った。
「何かちょっとぞわぞわするッスね」
「そういうこと言わない」
小さな背中相手に緊張するこちらの身にもなってくれ、とは流石にプライドが許さず言えないが、艶めかしい動きには脳が焼かれそうになる。ただでさえ、普段と違う水着姿は刺激的だというのに。
しかし、僕がムッと唇に力を込めていれば、肩越しにニマニマした顔が振り返ってきた。
「おんやぁ? もしかして変なこと考えてるッスかぁ?」
久しぶりに、頭の中で何かの火花が散った気がする。
この娘はいつもいつも本当に。ああくそ、そういう所だよ、と。
「……考えているが」
「そッスよねぇ。ご主人はそういうとこ――ふぇっ!?」
大人げない拗ね方だったのは認めよう。だが、突然零れた素っ頓狂な声には、自分がさも興味を示さないものだと思われていたことに腹が立つ。
おかげで、彼女を上から覆うようにして、日焼け止めに濡れた手で背中をつついとなぞりながら、小さく厚みのある耳へと唇を寄せた。
「僕だって男だよ、アポロ。できれば、忘れないでくれると助かるが」
「ややややや!? そ、そんなこと急に言われても、こここ困るっていうか、皆が居るところだと流石に――あいたっ」
コツン、と赤茶けたつむじを軽く叩く。
「なら、誘うのはそういう時にしてくれるかい。お互いに、いつ歯止めがきかなくなるか分からないんだから」
「は、はいッスぅ……」
ほら塗れたんだから遊んでおいで、とパラソルの下からアポロニアを追い払う。
真っ赤に染まった顔を両手で覆いながら、彼女はふらふらと去っていった。いや、正直これ以上近くに居られては自分の方が不味かった気がするが。
――髪に近づいたのは失敗だったな。何故同じシャンプーを使っているはずなのに、ああもいい匂いがするんだ。
アポロニアに限った話ではないが、迂闊だったと頭を左右に振る。皆が居る場所だというのに、自ら理性を捨てに行くような真似をしてどうするのか。
溜息を吐いて視線を落とす。泳いだ後とは異なる動悸が胸の奥で騒いでいる気がした。
と、視界の端に影が伸びてきた。
「キョウイチはもう、ヒヤケドメ塗った?」
顔を上げれば、今度はシューニャが立っていた。
その聞き方から察するに、アポロニアとは違って手伝ってほしいと言う訳ではなさそうだが。
「さっき塗ったよ。あぁいや、背中までは塗り切れていないが」
ビーチマットへ転がる前に、倒れるにしてもうつ伏せにはならないだろうと、塗れる範囲はやっておいたのだ。
そう伝えると彼女は、僕の隣で膝を折って視線を合わせてきた。相変わらず表情の変わらない顔で。
「手伝う?」
「なら、お願いしていいだろうか」
せっかくの好意だ。それに、今日だけで背中を焦がすのも避けたい所。
塗りやすいようにとビーチマットの上でうつぶせになれば、先ほどの僕を見ていたかのような位置で、シューニャは僕の背中へ掌を乗せた。
ぐりぐりと、どこかぎこちない手付きで日焼け止めが塗られていく。マッサージの経験があるかどうかはともかく、やはり誰かに撫でてもらうような感覚は、意外と心地のいい物だ。
「よい、しょ……キョウイチの背中は広い」
「そうかい?」
振り返らずにそう言うと、なんとなく彼女は頷いたようだった。
シューニャの手からすれば、確かに自分の背中面積は広いのかもしれない。だからと言って、縮めることができる訳でもないのだが、なんて馬鹿なことを考えていれば。
「跨ったほうが塗りやすそう。いい?」
「う、うん? そりゃ別に構わないが、そこまでしてもらわなくとも」
「中途半端にはしたくないから。重かったり苦しかったりしたら言って」
言うが早いか、腰の上に広く柔らかい感触が触れる。だからと言ってズンと座り込む訳ではなく、足に力を入れているのか僅かに擦れる程度だったが。
――これは、余計に意識してしまう気がするんだが。
密着ではない中途半端な接触は、こちらに負担をかけないように気を遣ってくれているのだろうが、なんだかもどかしくすら思える。
ただ、邪なことを考えるなと意識を集中していれば、やがて彼女は僕の背中の1点をツツツと指で撫でた。
「傷が一杯ある」
ゾワリとした感覚に声が出そうになったが、どうやらシューニャにそんなつもりはなかったらしい。危ない危ないと奥歯を噛みつつ、努めて平静を保った。
「あ、ああ。昔はこういう痕くらい簡単に消せたものだが」
「わざと残している?」
「いや、僕がしっかりした整形治療を面倒臭がった結果だよ。おかげで今となって、見苦しいやら恥ずかしいやら」
戦場の傷なんてありふれたものだ。自分だって何度も被弾したし、飛散した内部構造に肌を裂かれることは勿論、格闘戦でプラズマトーチの切っ先が装甲を溶かした結果、酷い火傷になった場所もある。
そういう傷を負う度に手術はされたが、何せ大半が野戦病院か前線基地の医務室だ。ケロイドになった部分は整形治療をしたものの、それ以外は傷痕は多くが残ってしまった。
おかげでそう言って苦笑していれば、今まで触れるかどうかだった柔肌のぬくもりが、心地よい重さと共に背中一面へと広がった。
「……見苦しくなんてない。私にはそれが貴方の、沢山の大切を守ってきた歴史だと、思えるから」
「シューニャ……」
胸の中がジワリと暖かくなった気がする。
決して触れていたいような肌ではないだろうに、頬ずりをするような感触が伝わってくるのだから。
振り返ってしまえば、そこで途切れてしまう気がして、僕は体をビーチマットに預けたまま静かに瞼を落とし。
次の瞬間、ズドンという激しい振動に体が浮いた気がした。
「な、何事?」
背中の上から転げ落ちたシューニャを、咄嗟に庇うような恰好で膝を立てる。
だが、振動はその一撃だけで、後には続かなかった。
「爆撃――ではない、よな?」
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