第62話 ワイルドビーチランウェイ
白い椅子を大きく広げ、パラソルを砂へと突き刺す。
「とりあえず、準備はこんなものか」
ここだけを見れば、800年前に戻ったかのようだ。あくまで、見た目だけならば、だが。
「現代でかき集めたにしちゃあ、それなりに上等な装備だと思うぜ?」
クーラーボックスを砂の上へ下ろした骨は、アロハなサーフパンツを揺らしサングラスを橙色に輝かせながらカタカタと笑う。
一応、僕の中に入っている骨格も似たようなもののはずだが、たとえ自分が骸骨になったとしても、彼と同じような雰囲気にはなれないと思うのは何故だろうか。
「パラソルにビーチマットにビーチチェア、真水タンクに簡易シャワー、バーベキューコンロ。これくらいは普通じゃないのかね?」
水を運んでいた海パン姿の軍曹には、どこか感動気味な自分たちが不思議だったらしい。ボサボサした髪の毛を掻きあげながら、何がそんなに珍しいのかと首を捻る。
そんな反応に自分たちは、これだからとわざとらしく肩を竦めてみせた。
「感覚を現代に合わせろよトサカ野郎。昔は全部ホームセンターで揃えられたかもしれねぇが、今じゃ金銀探す方が簡単なくらいだ」
「本気で言ってる? 俺まだ、今の文明をこの目で見てないんだけど」
「ああ。どれもそこらで売っているような物ではない。この下着みたいな服も合わせてな」
ラッシュガードを羽織るアランは、それでも少々居心地が悪そうに、これで本当に合っているのかと怪訝そうな表情を見せる。
「海パンは下着じゃねぇよ。蜘蛛姉ちゃんの一品物だぞ」
「正直、これで異性の前にでるというのはどうかと思うんだが……なぁサフェージュ。サフェージュ?」
骸骨からの一喝にも、なお懸念は払拭されなかったのか。近しい感性の持ち主を求めて彼が後ろを振り返れば、パラソルに隠れるようにして赤い顔がこちらを覗いていた。
「に、兄さぁん……これ、これで、本当に、あってるんです、よねぇ?」
「お前はお前で、いつまでパーカーてるてる坊主やってんだよ。思春期の女子か」
まさしくダマルの表現通り、サフェージュはダボッとしたパーカーで膝まで隠して縮こまってしまっていた。
――覚え違いでなければサフ君の水着って、セーラー風のシャツと海パンだった、よな?
水着らしくお腹周りが見えるくらいには丈が短かいモデルだが、恥ずかしがるほどの露出はなかったはず。そう思っていたのだが、寒冷地出身の彼としてはアウト判定だったらしい。これでも一応気を遣ったつもりなのだが。
せめて前くらい開けとけ、と骸骨に引っ張られた彼は、キャーキャー言って抵抗していた。
その姿に、軍曹はなんとも微妙そうな表情を滲ませる。
「もしかしてなんだけど、現代じゃ肌を晒すこと自体、珍しかったりする感じ?」
「国や文化によって違いはあるようだがね。僕は少なくとも目覚めてこの方、海水浴だのプールだのというのを聞いたことはないよ」
「そりゃあまた、娯楽の衰退が随分と目覚ましいことで」
違いないと苦笑する。
何せ現代の庶民階級といえば、仕事があるだけでありがたく思わねばならないような立場であり、娯楽と言えば酒や煙草、吟遊詩人の物語に、演劇や何かの試合が見られれば万々歳。富裕層の商人や貴族ならば、これに音楽だったり社交界だったり、あるいはお水系なお話が追加されるかもしれないが、少なくとも自分たちが知る娯楽の基準からはあまりにもかけ離れている。
それも当然と受け入れてしまえば、なんとなく平和に生きていけそうではあるが。
「中隊長」
「やあ、お帰り少尉。そっちの首尾は――おぉ」
呼びかけに応じて振り返れば、目に入ってきた姿につい声が漏れた。
スポーティなデザインのビキニに、ラッシュガードを羽織った姿は、自分のよく知る軍装の彼女とは随分違って見える。
ただ、自分の感嘆に井筒少尉は少し眉を顰めた。
「おぉって……貴方の見るべきは私じゃないでしょう」
「いやそう言われましても」
綺麗どころなんだから、と言いかけて踏みとどまる。現代では訴える先もないかもしれないが、それでもセクハラ行為には気をつけねばならない。
しかし、こちらが内心で己を諫める最中、後ろからはひそひそ声が聞こえてくる。
「なぁ軍曹。ネオキノーってのはもしかして、スタイルまで自由自在なのか?」
「いやいや、俺たちみたいな実験用は生体情報ベースから外れてないし、ありゃ天然ものですぜ」
「マジで言ってんのかそれ。ありゃモデル並みだぞ」
お前たちに遠慮はないのか。
僕に聞こえている時点で、井筒少尉の耳にもしっかり届いていたのだろう。また呆れたような深い深いため息が零れた。
「そんなに綺麗な身体じゃないわ。興味もないし」
「君らしいな。とはいえ、あまり無関心というのも少し勿体ない気がするが」
軽く苦笑しつつ、後ろ手に散れ散れと2人に合図を送る。
お世辞のつもりはないが、史上稀に見る下手くそな褒め方だったと我ながら思う。そのせいか、彼女は一瞬少し目を見開いたかと思えば、両手を胸の前に組んで視線を反らした。
「……昔なら、気にしたかもね」
「なんて?」
「何でもないわ。それより、あの子たちは――」
何か呟いたように思ったが、振り向いた彼女は全くいつも通り。その上、話題が切れた途端に、再び耳に響く甲高い声が聞こえてきた。
「キョーイチぃー!」
青銀の長髪をなびかせながら、パタパタと駆けてくる小さな身体。太陽を反射する肌は白く眩しく、太陽のような笑顔はなお眩しく。
「成程、紺色ベースのフリルワンピース型ですか。いい趣味してるねぇ」
「ちと犯罪臭もするが、ありゃ今だけの特権みたいなもんだぜ」
「いつから採点員になったのよ……可愛いのは、わかるけれど」
いつの間にか、少尉も後方勢に加わったらしい。コホンと小さな咳払いが聞こえた気がした。
一方、ポラリスの方に下世話な会話は聞こえていなかったのか。彼女は僕の目の前でピョコンと跳んで立ち止まる。
「見て見てぇ! これどう? かわいい?」
胸が高鳴るのと同時に、小さな痛みがチクリと走る。
その動きが、振る舞いが、表情が。
もしストリが生きていれば、あの子と共に過ごしていれば、こんな姿を見たのだろうか。
重ねるべきではない。それは2人とって失礼だと、奥歯を噛んで溢れてくる妄想を断ち切った。
「っ……あぁ、とても良く似合っている。可愛いよ」
膝を折ってポンと頭を撫でれば、彼女は照れたように白い頬を薄く染める。
過去に囚われていてどうする。今目の前に、自分を求めてくれている娘が居るのだ。それを幸せにするのだと約束したじゃないか。
あと何年かすれば、現代においてこの子も大人になる。その時は。
――なんだ。僕の方こそ、気持ちを抑えられていないじゃないか。
馬鹿みたいだと笑った。まだまだ小さな、それでも立派なレディと触れ合えて喜んでいるのは、自分とて何も変わらない。
僕が姿勢を戻せば、ポラリスはくるくると腕に絡みついてくる。そうして戯れていれば、程なく別の声が後を追ってやってきた。
「待ってファティ、もう少しだけ心の準備を……」
「もー、そろそろ観念してください。隠れてたって始まらないんですから」
「わ、わかった。わかったから引っ張らないで!」
茂みの向こうから現れる2つの人影に、ゆっくりと息を吐く。
ついつい目を細めそうになるが、それでは勿体ないと思ってしまう程に。
「眩しいな……僕のセンスは存外、間違っていなかったらしい」
「ファティマさんにクロスデザインの白ビキニとは、大尉も中々やりますな」
「シューニャの方はビスチェって奴か。随分可愛い系に振ったもんだ」
「貴方達、妙に詳しくない?」
ファティマの健康的な魅力と、シューニャのギャップ感。これは自分が判断を下したものだが、今ほど過去の自分を褒めようと思ったことはない。
少尉の視線は生暖かかったものの、今は気にしないようにしよう。ブンブンと手を振ってくれるファティマと、手を引かれるがままどうにか体を隠そうと身を捻るシューニャを前に、それは些細な問題でしかないのだから。
「待って待って待って! これは流石に殿方の前に出る格好じゃないよぉ!?」
「そ、そうよ! これじゃ変態みたいじゃないの! やっぱり考え直して、普段通りに――」
「ガー! 御貴族ズがごちゃごちゃやかましいッス! こんなもん勢いッスよ勢い! はよ行け!」
「頑張ってくださいお嬢様! ご主人様ならきっと大丈夫です! きっとお褒め下さいますから!」
かと思えば、次は蹴り出されるように貴族女性陣が転がり出てくる。声からして、アポロニアも随分遠慮がなくなったらしい。
尤も、自分の思考は既に目の前で頬を赤らめる黒髪乙女に釘付けだったが。
「マオも似合うとは思っていたが、言葉の割にすんなり着こなしてるなぁ……」
「黒のプランジングにシースルーパレオの組み合わせって、なんかこうセレブなスタイルだよねぇ。対するジークルーンさんは、オフショルダーのフリルと」
「ジークのコンセプトは、清楚かつ大胆に、だ。クリンのビキニスカートも含め、俺の目に狂いはねぇ。いい感じの眩しさだぜ」
「もう何も言わないわ」
少尉には見放された気がする。だが、この瞬間ばかりは聞かなかったことにしよう。
何より、テクニカから見つかった衣類のサンプル群から、ここまで忠実に再現してくれたウィラミットに感謝せねばなるまい。菓子折りで足りるか不安になるくらいには。
マオリィネもジークルーンも、揃って一緒に出てきたクリンの背に隠れようとしていたが、小柄な彼女に2人分の防御能力など望むべくもない。意味のない防壁を前にする御貴族ズを横目に、やれやれと肩を竦めながら最後の1人が姿を見せた。
「お待たせッスご主人。もー、ホント皆してうだうだと、ちょっと疲れたッスよ」
「「「うぉ、でっ……」」」
声が揃った。無理もない。
「で?」
「いや何でも、何でもないんだ。とても良く似合っている、よ」
キョトンとした顔で首を傾げるアポロニアに、僕はゲフンゴフンと咳払いをしつつ、平静な口調を取り繕う。
とはいえ、ここまで露骨な真似をすれば、彼女が面白がるのも当然のこと。おんやぁ? なんて嫌らしい声を出しながら、ニマニマした顔が下から迫ってきた。
「視線が泳いでるッスよ? ごーしゅーじん?」
「そ、そんなことは、な、ない、ぞ」
油膜切れを起こしたギアのように、ギリギリとぎこちない動きで首を捻る僕。視線を向けるにも離すにも、こんなに精神力が必要とは思わなかった。
加えて、後ろではヒソヒソ声が作戦室のような緊迫感を漂わせる始末。
「あ、あれ……あれこそ本当に天然なんですか中尉」
「じゃねぇと言いたいが、現代人である以上はガチだ。補正も何もねぇ」
「そこにレースアップビキニは、もう狙ってるとしか。破壊力が強すぎます」
「男って本当に……」
ため息すら出なくなった少尉を横目に、彼らは結論を出す。
あれは戦略兵器だと。
奇遇だな。その火力だけを考えれば、僕も全く同じ答えにたどり着いた。
一体何を食って育てば、小柄なアステリオンがあんなものを備えたのだろう。生物というのは、かくも恐ろしい。
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