第64話 懐古的海水浴(中編)

 砂煙、いや砂柱と言うべきだろうか。

 天高く立ち上がったそれは、奇怪な叫びと共に空から降り注ぐ。


「ぶべらぁっ!?」


「おーおー、犬が凧みたいになってやがる」


 僕は何を見せられているのだろう。いくら小さく軽いとはいえ、人体が砂浜から打ちあがり、頭から海面にダイブするなど。


「ちょ、ちょっとアポロニアしっかりしなさい!」


 ざぶざぶと水をかき分けて救助に向かったマオリィネによって、どうにか遠浅の海中から浮上してきたアポロニアは、ケホケホと水を吐きつつ、震える手をチームメイトの肩へかけた。


「あ、あとは、あとは、任せた……ッス」


 ガクンとうなだれる犬娘。彼女は戦いに倒れた戦士の顔をしていた気がする。

 一方、彼女を頼みの綱としていたのか。残された騎士様は悲痛な叫びを響かせた。


「何言ってるの! 立って! 立ちなさい! あれと2対1なんて嫌――っていうか無理よ!?」


 本当に何を見せられているだろう。

 涙目のマオリィネが望む先に立つのは、いつもよりなお白い魔女様とゆらりゆらめく猫娘。


「わたしはボールをパスしただけなんだけどなぁ」


「ボクはそれを叩いただけですよ。できる限りの全力で」


 原因が判明した。いや、最初から分かっていたが。


「俺の知ってるビーチボールの威力じゃないんだけど」


「選手交代だな」


 軍曹が表情を引き攣らせるのもむべなるかな。着弾地点には立派なクレーターができあがっているのだから。

 よくビーチボールがその衝撃に耐えたなぁ、なんて他人事のように思う。着弾時然り、ファティマのスマッシュ時然り。


「こりゃ何事だい」


「お、ちょうどいいとこに。見りゃ分かんだろ、ビーチバレーさ」


「ビーチバレーで人は飛ばんだろう」


「まぁまぁ細けぇこたぁいいのさ。シューニャ、どうだ? やってみねぇか?」


 ブンブンブンブンブンブン。

 シューニャのこんな高速首振りを僕は見たことがない。それも無表情ながら小刻みに震えている辺り、本気で命の危機を感じているようだ。

 逆に言えば、あれの直撃を受けてなお失神することなく浮いていられるアポロニアは、自分の思っているより相当頑丈なのかもしれない。

 ともあれ、流石に運動が苦手なシューニャを組ませるのは酷な気がして、ならばと僕はチームワークの良さそうな別メンバーを指名することにした。


「マオと組ませるなら、ジークルーンさんじゃないのかい?」


「む、むむむむむ無理ですよぉ!? 私どんくさいし、あんなの受けたら、し、死んじゃうかも……」


「そいつぁ困るな。おいおーい、我こそはって奴ぁ居ねぇのかァ?」


 ジークルーンをしっかり庇いつつ、しかし軽い雰囲気を崩さない辺り、流石はダマルだと思う。

 だが、あの一撃を見て手を挙げられる勇者など早々出てくるとは。


「……私が代わるわ」


 ザリ、と木陰で砂が鳴った。


「少尉、随分乗り気じゃないか」


「フェアじゃないもの」


 井筒少尉は短くそう告げると、実況解説ポジションの男性陣の隙間を通り抜け、マオリィネ側のコートでファティマに向き直った。


「お? 交代ですか?」


「先に謝っておくわ。私、手加減は苦手だから」


 気の入らないような表情なのに、ギラリと輝く眼光からは殺気のようなものが滲んでいる気がした。

 そしてそれは、ポラリスにもファティマにも敏感に感じ取れたらしい。


「わ、つよそう……ファティ姉ちゃん、だいじょーぶ?」


「――ふふん、受けて立ちましょう」


 引き攣った笑顔を見せるポラリスと、どこか楽しそうにぺろりと唇を舐めるファティマ。これが本組手とかでなくてよかったと心から思う。

 唯一ついていけなかったのは、アポロニアを木陰に退避させていたマオリィネだろう。コートに帰って来てみれば、いきなり臨戦態勢なのだから。


「マオリィネさん、私が受けたら高く上げて」


「タヱ!? ま、まさか貴女、あれを1人で――」


「いくわ」


 軽いサーブはポラリスへ。彼女は非力ながらセンスは高いようで、飛んできたビーチボールを綺麗に高く、そしてファティマがスマッシュを撃つのに絶好の位置へ上げていた。

 しなやかな身体が力強く砂を蹴って跳ぶ。キメラリア・ケットという種族の特性がそうさせるのか、こういう動きに関してファティマの右に出る者は中々居ないだろう。


「とぉッ!」


 弾けるような音で加速するビーチボール。僕にはこの時点で、あれが遊戯用の道具であると信じられなくなった。


「速い……けど、単調ね」


 しかし、先ほどと違って砂柱は立ち上がらない。

 弾けるような音はしたものの、ボールは再び勢いを失って高く上がっていた。


「おいおいマジか、猫のスマッシュを受けやがったぞ」


「ネオキノーは頑丈だからねぇ。それに――」


 隣で軍曹がニヤリと笑う。


「タヱ!」


 威力さえ失ってしまえば、ビーチ―ボールを捉えるくらいマオリィネの運動神経なら問題なかったのだろう。

 ネット際にふわりと浮かび上がったそれへ、少尉の体は狙いすまして跳び上がり。


「――ふっ!」


 僕は再びの爆撃を目にすることとなった。



 ■



 ザブザブと浅瀬で青銀の髪を洗う。


「すなまみれー」


「ごめんなさい。できるだけポラリスからは離したつもりだったのだけれど」


「見事なサンドシャワーだったね」


 ビーチボールの着弾点は確かにポラリスと反対側へと逸れていた。

 しかし、少尉もまだネオキノーという体を使いこなせていないのか、あるいはそういう微調整が難しいからなのか。ファティマと同等級の威力で放たれたスマッシュは、大量の砂を天高く打ち上げた。

 そして、上がったものが落ちてくるのは道理というもの。ポラリスの長髪はそれをしっかりと受け止めることとなった訳だが。


「ボクの方が酷いんですけど。あの、引っ張り出してくれませんか」


「どうやったらこうなるの」


 至近弾となったファティマの方は、浴びたというより埋まったという表現が正しいだろう。

 器用に砂山から首が生えているような恰好になっており、踏ん張りが効かないからか自力での脱出も難しいらしい。呆れ顔のシューニャに掘り起こされていた。

 そうしてようやく出てこられた彼女だが、ぶるぶると大きく体を振った程度で、きめ細かい砂を落とし切れるはずもない。


「ファティも入って。洗うから」


「むー……濡れるのは好きじゃないんですが」


「その為の水着なんだから、試してみるといい」


「きもちいーよー」


 いつもならシューニャに手を引かれれば、すぐに応じるファティマだが、どうしても水は好きになれないのだろう。僕が手招きしても、ポラリスが洗われながらへらりと笑ってもなお、浅瀬に向かう足取りはとんでもなく重い。


「せめて向こうの流れる奴で浴びるだけ、とか」


「ダメ。真水は貴重」


「シャワーを使うなら最後にしよう。それに、膝くらいまで入ってしまえばそのうち慣れるさ。シューニャ、彼女を頼む」


「ん。ほら流すから座って」


「ぞわぞわしますよぉ……」


 渋々、本当に渋々浅瀬にやってきたファティマは、シューニャに洗い流してもらうのに腰を落とすことさえ、恐る恐ると言った様子で、尻尾が濡れた瞬間にはゾゾゾと毛並みを震わせていた。

 しかし、抵抗もそこまで。開始早々肩から勢いよく海水で流され始めれば、流石に観念した様子で、彼女にしては珍しく体を強張らせながらも静かに洗われていた。

 そんな姿を横目に僕も手を動かしていたのだが、ポラリスは髪こそ手間がかかれど他は大したことがない。砂は間もなく海水に攫われて見えなくなった。


「はい、背中と頭は大体とれたよ」


「えー、もうおわりー?」


「そりゃただの砂だからね。流せばあっという間――ぶふぁ」


 突如顔面に降りかかる海水。それも器用に直撃したおかげで、苦さを伴う塩味が口の中に広がった。


「あははは! キョーイチへんなかおー!」


「や、やったな……」


「きゃー、こわーい!」


 わざとらしく叫んで、笑いながらザパザパと離れていくポラリス。

 忘れてはならない。彼女の中に残る遺伝子は間違いなくストリ・リッゲンバッハのものであり、彼女がどれほど自分を玩具にしていたか。

 何より、こうやって仕掛けてくる時、逃がしてしまえば味を占めるということを。


「待てポラリス! 勝ち逃げは卑怯――ぬぶぉッ!?」


 彼女を追って走り出そうとした途端、今度は横から結構な水が飛んできた。あろうことか、同じく顔面に向けて。

 こういうノリについてきそうな人物と言えば、筆頭はアポロニアだろうか。そう思って顔を拭いながら振り向いてみれば。


「楽しそうで、つい」


「……奇襲攻撃が過ぎるぞシューニャ」


 意外な人物過ぎて硬直した。

 否、意外という方が失礼なのかもしれない。彼女だってまだ10代であるし、現代の年齢計算が正しいかも曖昧なのだ。はしゃぎたい気持ちが先行したって何の不思議もないではないか。


「えっと次は、逃げる?」


 そんな思考が頭を流れている中、シューニャも不器用な動きでポラリスの下へと駆けていく。ポラリスの方もノッてくれたのが嬉しかったのか、楽しそうな声を上げながらシューニャに抱き着いていた。

 が、これは不味い。拡大しすぎれば僕は永遠に海水を呑まされ続けることになる。


「くそ、やられっぱなしで居られるぐぼごぼげぼごぼぼ」


 動き出そうとした矢先。今までとは桁違いの水量が頭上から降ってきた。表現するとすれば、滝のようなと言うべきか。


「つ、次は誰だ……いよいよバケツか何かまで使い始めてから……に?」


「よぉ、気持ちよかったか?」


 そこにはペール缶を抱えた骸骨が立っていた。成程、つまりさっきの水はおよそ20リットルだと。

 1拍置いて考える。考えはしたが。


「……何をしている、中尉」


「水も滴るいい男って奴ですよ大尉。じゃ、俺忙しいから」


 くるりと回れ右をして離れていくダマルの背に、僕は自分の髪からぽたりと水滴が垂れたのを見た。


「少尉」


「はい中隊長」


 軽く右手を差し出せば、その上に軽い感触が伝わってくる。

 樹脂製品だから本物よりは相当軽いが、手に馴染む感覚は同じ。ショットガンに弾を込める感覚で、2回3回とポンピングし、特に意味のない照星を覗き込んだ。

 その音にダマルも気が付いたらしい。恐る恐るとこちらを振り返った途端、下顎骨がコトリと開いた。


「お、おい待て、井筒少尉! お前そのクソデカ水鉄砲どっから出し――ぶへぇ!?」


 中々の水圧だったと思う。眉間への綺麗なヘッドショットを受けた骸骨は、珍妙な声を出しながら海中へ没した。


「ヒット、お見事です」


化物アンデッド退治コンクエスト完了コンプリート。いい仕事だ少尉」


「人を魔物扱いするんじゃねぇよ……否定できんけども」


 骨は水に浮かない。だから海面に顔を出したそれは、腕足の力で無理矢理水面まで浮いてきたらしかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る