第79話 形

 革紐の先端に辿り着いた途端、空色の目が丸く見開かれる。

 ぶら下がっているのは、小さな月長石がはめ込まれた銀のリング。

 華美な装飾のないシンプルなものだが、個人的にはいい出来だと感じていた。ファティマに教えてもらったあの鍛冶屋、宝飾品は手に負えないんだが、なんて言っていたのは謙遜だったらしい。


「待たせてばかりだからね、特に君は。だからこそ、約束を形にしておきたかった」


 緊張はしていたが、それ以上にようやく手渡せたと胸を撫でおろす。

 いつもいつも、自分は恋愛について後手後手なのだ。この休暇中にとは思っていたものの、今日まで段取りばかり考えて踏ん切りがつかなかった。

 ただ、それも良かったのかもしれない。日焼けした肌でも分かるくらい、彼女はポンと頬を染めていた。


「わ、わ、わ!? こりぇって、ぷぷ、ぷろぽーず……?」


「の、予約かな。ポラリスが大人になったら、ネックレスじゃなく指輪として、改めて送らせて欲しい。いいだろうか?」


「は、はにゃ……ぃ」


 いつも元気なポラリスだが、流石に唐突過ぎたのだろう。耳まで赤くしたまま俯いてしまった。

 嬉しい反応ではある。ただ、愛おしい姿を見ながら浸っている暇は貰えそうにない。


「さて、次は誰から渡そうか?」


 振り返らずに声を出せば、背後で人の動く気配がした。正しくは、派手な音が鳴ったと言うべきだろうか。

 多分、真後ろにあった岩の裏手だろう。身を隠しながら近づくにはちょうどいい。


「い、いやぁあの、聞き耳立てるつもりは無かったんスけど……」


「前にもフォートサザーランドで同じこと言ってた気がします」


「ああああの時だって偶然だったんスよ! 今回だって邪魔したら悪いと思って、だから自分は無実ッス!」


 弁明に走るアポロニアと自然体を貫くファティマ。

 耳鼻の利く2人が居るのは想定していた。しかし、どうやら自分の見立ては甘かったらしい。


「言い訳がましいわね。結果は同じでしょう?」


「ごめん」


 全員集合だった。

 いつの間に、と聞きそうになってやめる。どうせなら、皆居てくれた方がいいのだから。


「それで? キョウイチ?」


 改めてポーチの中をゴソゴソ探っていれば、マオリィネから奇怪な疑問符が飛んできた。

 顔を上げれば、何やら説明してほしそうな4つの視線が突き刺さる。


「……それで、とは?」


 足りないのは自分の読解力か。はたまた向こうの説明か。どちらにせよ理解が及んでいないことに変わりはなく首を傾げると、4人は揃って顔を見合わせた。


「知りたいのは、ポラリスに装飾品を贈った意図。何かあるの?」


 と、シューニャ。

 これには僕とポラリスが顔を見合わせることになった。

 セーラーワンピースの胸元に輝くのは、革紐に吊るされているとはいえ銀の指輪。恋人に指輪を送るのだから、その意図なんて聞くまでもないはず。

 そこまで考えてからハッとした。


「まさか、これも現代だと普通じゃない、のか……?」


 戦慄する自分に対し、4人は揃ってコクンと頷く。


「普通の贈り物という意味でなら無理がある。簡単な銀細工であっても、庶民には中々手が届かない。そも、宝飾品を持てるのは豪商や貴族がほとんど」


「でなきゃ相当な高級娼婦とかッスかねぇ」


「い、言われてみればそうか……」


 ド忘れもいい所だろう。これまでに見てきた現代における庶民以下の人々は、服飾や宝飾品にかまけている余裕があるようには見えなかった。

 どうやらそれは、婚礼などの特別な催しでも同じらしい。何なら貴族であるマオリィネすら首を傾げている辺り、現代では婚姻に際して宝飾品を送ること自体が普通でないのだろう。


「それで、何か意味があるの?」


「昔は婚約指輪という文化があったんだよ。僕も詳しくないし、形式ばった物は分からないから拘らないようにはしたんだが」


 ぱちくり、とシューニャが瞬きする。


「……婚約?」


「って、結婚を約束するっていう奴ですか?」


 他に何があるのかという意図を込めて、項垂れるように頷く。

 すると、一瞬にして空気が変わった。


「そ、そういう意味があるなら先に言いなさいよ! なら、私から受け取るのが当然よね!? ね!?」


「わぷ」


 シューニャを押しのける格好でぐいと前に出てくるマオリィネ。キラキラと目を輝かせる様子は、なんだか歳相応で微笑ましい。

 だが、誰かが勢いをつければ黙っていられない者も居る。バトルドレスの脇腹に赤茶けた頭が突き刺さった。


「ちょおっと待つッス! お貴族様はお家を理由に先んじて婚姻約束してるんスから、ここは年長者に譲るべきっしょ!」


「何よぉ!?」


「何スかぁ!?」


 額がぶつかりそうな勢いで睨み合う2人。アポロニアは太い尻尾はピンと立ち上げて唸り、マオリィネも整った眉を吊り上げる。

 平等がどうとか言っていたが、どうしても順番と言うのは生まれるものだとしみじみ思った。

 これを自分に御せる自信はないのだが、さてどうしたものかと考えていた矢先。


「もー騒がしいですね。おにーさん、ボクにもくれますか?」


「「あっ」」


 ギギギと歯を鳴らす2人の横をするりと抜けて、ファティマが自分の前にしゃがみこむ。

 彼女に2人の争いを治める意思があったかはともかく、ここは甘えておくことにした。


「こんな形だが、どうかな」


 ファティマ用にとしつらえてもらった物を掌に乗せれば、わぁと金色の目が輝いた。


「耳飾りにしてあるんですね。きれい」


 金で作られた閉じられていない輪に小さな青い宝石が輝くそれを、ファティマはすぐさま言い当てる。

 正直、鍛冶屋に勧められた時も完成品を見た時も、僕はこれでいいのかさっぱりわからなかったのだが。


「おにーさん、つけてくれますか?」


「もちろん」


 くるりと左耳を向けられ、その上から被せる形で根元にリングを嵌めこむ。最後に小さな金具で彼女の耳を挟めば完成と、鍛冶屋に言われた通りにやってみる。


「これで外れない、のか?」


「大丈夫ですよ。踊り子さんになったみたいで、可愛いです」


 ファティマは耳を軽く弾いてから少しだけ自分で位置を直すと、その場でくるりと回って笑う。青と金が輝くそれは、橙色の髪の中に映えて見えた。

 しかし、余韻に浸る間はない。彼女がふふーんと鼻歌を歌いながら少し離れた途端、足に何かがしがみ付くと同時に腕をぐいと引っ張られる。


「あのぉ、ご主人? えと、自分もぉ……」


「キョウイチ? 分かっていると思うけど」


「同時は無理だよ」


 と苦笑しつつ、2人に用意した分を手渡せば、ようやく順番争いから意識が逸れたらしい。

 アポロニアはファティマの物と似た、しかし二重の大きな輪になっているそれを見て、おわと声を出した。


「自分のは、尻尾飾りにしてくれたんスか」


「アステリオンは尻尾を飾ることが多いと聞いてね」


 これは鍛冶屋を訪れたキメラリアが、通り過ぎ際に呟いて帰った受け売りに過ぎないが、どうやら正解だったようだ。

 アポロニアは何かを見透かされたかのように笑うと、どこか恥ずかしそうに尻尾をこちらへ差し出してくる。

 手触りのいい毛並みに逆らって輪を通し、根元に近い部分まで持っていけば、その辺りでと膝を叩かれた。


「うひぇー……こんな高そうな宝飾品着けてる奴、見たことないッス。うへへ」


 留め具も何もなく、ただ通しただけだと言うのに、彼女がブンブンと尻尾を振ってみせても外れる様子はない。

 自分の尻尾を振り返って眺めるアポロニアの傍ら、待っていたとばかりにマオリィネがこちらを覗きこんでくる。


「これ、紫石英ね。どうして?」


「似合うと思った、以外にはないんだが……不満だったかな」


「いいえ、キョウイチらしいと思っただけよ。ふふっ」


 笑う彼女の細く長い指に、アメジストが輝く指輪を通す。

 キメラリアの2人と比べれば、特別なことは何もしていない。ただそれだけなのに、どうしてこう儀式めいて思うのだろう。

 不思議だと思いながら、最後の1つをポーチから取り出して陽の光に掲げた。


「キョウイチ、これは」


 覗く瞳の色と同じ、深い緑色をした宝石の指輪。

 戦利品の中に見つけた時、これだけはシューニャに渡そうと決めていた物だ。

 けれど、彼女の求めている答えは宝石の意味ではないだろう。


「物として残しておきたかった。いや、これから形にしていきたい、の方が正しいかな」


 きっかけはシューニャなのだ。元々僕には、何かを形として残そうとする考えなんてほとんどなかった。

 太古のテクニカで、失うのが怖いとハッキリ伝えてくれなければ、それが甘えだと気付かせてくれなければ、僕はまだまだのほほんとしていたに違いない。


「……ん」


 小さく息を吸ってから、シューニャは嵌められた指輪を反対の手でぎゅっと握りこむ。

 免罪符にするつもりはないが、物としての形はこれで出来上がった。なら、次は。


「――帰ろうか。今はまず、ね」



 ■



 外は不思議な世界だった。

 与圧された機内から見る景色は、知らないはずなのに知っている。

 ただ、はるか雲の下を映すモニターには、想定されていたあるはずの物が見当たらない。

 どれくらいの間、ポッドの中とは異なる空気に浸っていただろう。

 突如鳴り響いた警告音に、夢のような世界は終わりを告げた。


「状況は?」


 余る袖から無理矢理手を伸ばしつつ、機器を監視していたフランクリン・レプリカ達に声をかける。


「リコンが接触、交戦した模様」


信号喪失シグナルロスト、4。広域ジャミングは確認できません」


 彼とも彼女とも呼びづらい小柄な存在達は、まるで信仰であるかのように眉一つ動かさない。

 なのに、世界なんて何も知らないはずの私は、頭の中に刻まれたからか。背筋に酷い悪寒が走った。


「まさか、あんな短時間で全滅させられた?」


 上手く使え、という冷徹な声が頭の中に木霊する。

 与えられた戦力はあくまで偵察を前提とした軽武装機。敵と識別した存在と遭遇した場合は戦力評価を行うよう指示も受けた。

 それでもこの損害は、許されないのではないだろうか。


「ハラゾーナの信号を識別しました。戦闘エリアから退避中の模様。ポイント103が最短合流地点となります」


「追撃は?」


「確認できません」


 ほふぅと小さく息を吐く。

 電子戦型が離脱してくれたなら、得られる物は大きい。

 ついの戦争から今までに何があったのか知らないが、官民を問わず人工衛星群を壊滅させた奴は、まず自分に対して謝るべきだ。

 偵察衛星の1つでも残っていれば、わざわざこんなリスクの高い真似をしなくて済むと言うのに。


「他に情報はない? なんでもいいの」


「10秒でデータリンク圏内に到達します」


「モニタに出して」


「了解」


 フランクリン・レプリカが手元のキーを叩くと同時に、モニタには荒い画像が表示された。

 どうやら電子戦型はセオリー通りの働きをしてくれたらしい。やや遠くはあるものの、キルミツと交戦する敵機の姿が見て取れた。


「――企業連合軍?」


 顎に手を触れながら小さく眉を顰める。

 確認された機体の一覧が表示されているが、その多くが非武装バニラである上、新旧入り乱れており統一感がない。


「データベースに類似記録なし。特殊編成の機甲歩兵小隊と想定されます」


「どう見ても普通じゃないね。予備機をエスコートに回して。ハラゾーナを回収後、直ちに帰投する」


 普通の編成じゃない奴らは強いと相場が決まっているのだ。何で見たのだったか思い出せないが、そんな場面はいくつも記憶がある。

 フランクリン・レプリカの座る背もたれから手を離して踵を返せば、他の個体が珍しく首を傾げた。


「ビーコンの想定エリアではありませんが」


「想定とは異なる脅威が見つかった以上、現有戦力での作戦継続は不可能だ。ということで、後よろしく」


 小さな飴玉を口の中に放り込む。

 家に帰るまでの間に、きちんと情報を整理しておかないと。

 本来の自分に与えられた役目とは違う。けれど、それが中佐からの指示なら、ちゃんとこなさないといけないから。

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悠久の機甲歩兵・夜光 竹氏 @mr_take

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