第70話 きっかけ色々
休暇が合宿に変わって2日目の夜。
ビーチに組まれた焚火を前にしながら、アポロニアはむむむむと唸っていた。
「これを、こうして……あれ、違うような」
彼女の指には両端を括り繋いだ靴紐が通されており、複雑に絡み合いながら奇妙な形を作り出している。
所謂、あやとりという奴だ。
「いや、合っているよ。手を引くときの感じで形が崩れているだけだ」
つんつんと軽く整えてやれば、綺麗な箒が出来上がる。
焚火の光にかざされたそれを、アポロニアはしげしげと眺めたかと思えば、カクンと首を捻った。
「ご主人って、時々わかんない人ッスよね。不器用なんだか器用なんだか」
「子どもの頃、祖母に教えられて遊んでいただけだよ。得意って程じゃない」
「でもこの箒って簡単な方なんスよね? 自分、もう指がこんがらがってるんスけど」
「君の方が器用なんだ。何度か練習すればすぐ上手くなるさ」
指がこんがらがると言ってもたった数回のこと。自分が覚えようとしたときなど、もう1度もう1度とどれだけ祖母に聞いたやら分からない。
だがアポロニアは、微妙な半眼をこちらへ向けて顔をむくれさせた。
「すーぐそうやって買い被るんスから。で、次は何スか?」
「梯子にするかな。箒よりは複雑だし――」
指の中でくるくると靴紐を回していく。半長靴用とはいえあやとりには少々短いのだが、見た目が多少不格好になる以外はそれほど問題もない。
両手をそっと広げれば、鉄橋のような構造が掌の間に広がった。
「こんな感じで」
「……見てただけじゃ、何がどうなってこの形になってるのかサッパリ分からんスね。えーと、こうやってこうやって?」
見よう見まねでアポロニアが手を動かし始める。
それに1歩先行する形で自分も目の前で繰り返す。
「ここで手を回して、小指にかかってるのを親指で押し上げるようにして」
「ちょっ、ご主人早いッス。ただでさえ複雑なんだから、追いつけないッスよ」
彼女の手は彼女自身が考えるよりも器用である。それが唐突について来れなくなったということは、見ただけではどうすればいいかが分からなくなった可能性が高い。
実際、すぐ前の手順で困っていたようなので、僕は自分の手に通した紐を下ろしてアポロニアの真正面にしゃがみこんだ。
「ここまで追えているなら、そんなに難しくないさ。どれ――」
「うぇ!? あ、あの、ご主人?」
「集中」
驚いて身を退こうとした彼女だが、僕がぴしゃりと言えば体を硬直させる。
後は小さな手に自分の手を重ね、通された黒い紐を少しずつ修正していく。
「こう掌を前に出して、親指を下に回して、そのまま中指の奥の紐を取る」
「う、うス」
「よし、張るよ」
ゆっくりと開かれた手の間に、自分が作ったのと同じ梯子が姿を現す。
何故そうなるのか分からないからだろう。アポロニアはおぉ、と声を上げたものの、どうしてかすぐに視線を暗がりへ彷徨わせた。
「か、形にはなったッス、けど……」
「けど?」
「ご主人、その、手が」
確かに僕の手の中には、アポロニアの小さな手があり、卵でも握るかのように触れた肌は少しだけ体温を上げているように感じられてはいた。
しかし、この反応には首を傾げざるを得ない。
「……今更じゃないか?」
「んなぁ!? 何スかその余裕!? 今までずーっと、木の股から産まれたような顔してた癖に! 女に囲まれ過ぎて慣れたとか、新鮮さが足りないとでも言うんスか!?」
自分の反応が余程意外だったらしい。アポロニアはカッと目を見開くと、機関銃のような勢いで納得いかないと叫んだ。
「失礼だな。そりゃ誰でも多少は馴染むものだろうに」
叫ぶだけで振りほどこうとはされない柔らかい彼女の手を、僕は掌の中で揉むように撫でながら、誰が植物性だと苦笑する。
すると緊張したようにアポロニアは背筋を伸ばし、かと思えばまた不服そうに頬を膨らませた。
「うぁが……は、ハッキリ言ってくれちゃってぇ……」
「君達との距離に慣れなければ、その内こっちの身がもたなくなるってだけだよ。アポロがマキナに慣れようとしているのと同じでね」
「――ほぉん?」
普段からふいにくっついてくるのは君の方だろう。その度に緊張させられ、意識を持っていかれているようでは私生活に問題が出るし、何がとは言わないが精神衛生的によろしくない。
一応そういう合理的な理由からの慣れだと伝えたのだが、アポロニアはどう受け取ったのか。きらりと茶色い瞳を輝かせる。
「そういうことなら、慣れる前に崩しちゃった方が面白そうッスねぇ」
「君はまたそういう――うぐっ」
にんまりと伸ばされた口元に、ろくでもないことを考えてるなと肩を竦めれば、胸に頭が飛んできた。
「ほーらー、理屈はいいッスから続き続き。これが何になるのか知らないッスけど」
「わかった、わかったから。明日の訓練の時、マキナでやってもらおうと思ってね」
「ほーん……はい?」
ぐりぐりと押し込んできていた額を両手で押し返せば、再び見えた顔にはどうしたことか。ポカンとした表情が貼りついていた。
否、理由は1つしかないのだろうが。
■
「で、甲鉄にロープであやとりさせてんのかよ」
腕を組んだ骸骨が見上げる先で、大型のマニピュレータがアラネア繊維の細いロープをゴリゴリと通していく。
その動きはマキナらしからぬものではあるものの、昨日までのぎこちない歩き方が嘘のように自然だった。
「どう思う?」
「狂ってんな」
「狂ってるわね」
ダマルと井筒少尉に揃って肩を竦められる。
だが、自然に行っている動きを意識的に流し込むよりも、敢えて不慣れかつアポロニアが得意とする器用さを生かす方法にシフトしたのは正解だったと言えるだろう。実際、彼女は程なく歓声を上げて甲鉄の手をこちらに向けた。
『箒できたッスー!』
「なんでアイツは平然とやれてんだよ」
「元が器用だから、以外にないだろう」
暗い眼孔から向けられる視線は非常に訝しい。誰でもこんな訓練で上手く動かせるようになるのなら、単一思考リンク操縦方式が淘汰されることにはならないだろうとでも言いたげに。
ただ、理由は何であれできるようになっているのだから、それ以上甲鉄に対しては何も言おうとせず、恐ろしい髑髏をぐるりとビーチの方へ向けた。
「あっちもか?」
言うが早いか、白砂が音を立てて舞い上がる。
『とあー!』
気迫一声、砂を吹き飛ばすように現れるのは、ガンメタルの装甲を輝かせた尖晶だ。
「走ってるな」
「跳んでるんだよ、普通に。乗り始め3日目の動きじゃねぇぞ」
ファティマらしい敏捷さと柔軟性にはまだまだ届かないが、それでも油の切れた機械であるかのような昨日までとは打って変わって、自然なフォームで動けている。
ダマルにはそれが奇天烈なモノに見えたのだろう。この辺りの感覚は、天才整備士といえど本職の機甲歩兵とはズレがあるらしい。
「理論より感覚。知識より経験。体に馴染みさえすれば、基本動作は唐突にできるようになるものよ。大きな個人差があることは認めるけれど」
「犬猫がずば抜けてる訳じゃねぇ、ってか?」
「この段階の評価なんて意味がないわ。それよりも、問題はこれから先でしょう」
未熟な兵を多く見てきた少尉は、腕を組んだまま自分の方へと視線を流してくる。
所詮ここまでは基礎の基礎。なんなら遊んでいると言ってもいい。
だからこそ、彼女は僕の答えを求めたのだろう。
「気乗りする訳じゃあないが、彼女らが望む限りは応えるつもりだよ」
小さく息を吐く。
操縦が満足にできるようになれば、次は戦闘訓練をこなしていくことになる。それは機甲歩兵になることに他ならない。
彼女らが一人前になれば、夜光協会の運用可能なマキナは計6機。機種や火器の統一性はともかく、戦力は完全武装の快速機甲歩兵小隊2個分に相当する。
組織として見るならば、喜ばしいことだろう。仕事の幅も広がる上、あらゆる脅威に対するリスクも分散できるのだから。
――恋人を戦地へと
力を持たずとも平穏に幸せな暮らしができる時代なら、マキナに触れる必要など何処にもない。
だが、現代の幼い文明はあまりにも不安定で、自分たちの標榜する仕事には常に未知の脅威が付きまとう。
僕には正解が分からなかった。だからこそ、彼女らの意思に任せるという消極的な結論を、複雑な気持ちで喉の奥から押し出すに留めたのである。
せめて、少しでも危険から遠ざけられるよう、皆を鍛えようとだけ心に決めて。
「私がやるわ」
「タヱちゃんが?」
ギョッとして隣を見た。あるいは、自分の耳が狂ったのかとさえ。
しかし、すぐそこに見えるどこか気だるげな顔は、冗談を言っているようにも思えない。
「俺から頼み込んだのさ。お前には課題以上に、飴であり鞭になってもらにゃならんからな」
カカカと顎を叩く骸骨。
全てを見通しているかのような黒いまなざしに、今度は何を企んでいるのかと僕は腕を組んだ。
「……というと?」
「モチベーションを維持するためには、課題達成で貰える報酬に対して、達成できなかった連中が心底悔しがれるようなモンがいい。となると、連中の中で共通のワードは1つしかねぇ」
そうだろ? と髑髏を傾ける相棒の、どこか面白がっているような雰囲気に、敢えて飴と鞭ではなく、飴であり鞭といった理由が読めた。
「まさか、報酬は僕自身だと?」
「よくわかってんじゃねぇか。訓練終了から晩飯の時間までが報酬だ。全員が達成できた時ぁ、3分割でも全員一緒でも連中の好きに決めさせりゃいい。逆に、誰も達成できなかったら――」
「私とポラリスがその時間を貰う」
一体いつから聞いていたのか。後ろを振り返れば、さも最初から居ましたという雰囲気で、てるてる坊主のような恰好のシューニャが立っており、その腕にはポラリスが絡みついていた。
「これでビョードー、でしょ?」
「抜け目ないなぁ……まぁ、僕は得するばかりだから、文句を言うのはお門違いなんだが」
抜け駆けはさせまいという思惑を感じるのが、どうにもくすぐったくて頬を掻く。
平等というのは簡単ではない。だが、仲のいい彼女たちは全員が納得できる形を進んで組み上げてくれている。
それだけに甘える訳にはいかないとしても、1つの体を小分けにもできず、かといって器用な立ち回りが得意な訳でもない自分にとっては、とてもありがたかった。
「ゲームには平等と公正が重要だ。そこで、景品以外の贔屓目を持たない監督となると、1人しか適任が居ねぇ」
だから頼んだと。いつの間に根回しをしたのか知らないが、それ以上に気になるのは。
「タヱちゃんはいいのかい? 前に頼んだ時は関わりたくなさそうだったが」
数日前、教官役を頼んだ時には取り付く島もなかったはず。
一体どういう心変わりかと首を捻れば、彼女は表情も変えずについと視線を反らした。
「ド素人の相手をするのは嫌と言っただけよ。あれだけ動けるのなら、多少無茶をさせても大丈夫でしょう。ただ――」
否、正しくは楽しそうに機を操る2人を見たのだろう。
自分と同じ、企業連合人らしい黒い目が、スッと細められたように見えた。
「あの子たちが泣き喚いたとしても、恨まないでよね」
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