第69話 合宿は休暇に含まれますか?
強い日差しに照らされて、ギラリと輝くガンメタルの装甲。
見た目にも高い運動性を誇ることが分かる、細身な第三世代のマキナは、どうしてかしっかり砂を引きずるように足を踏み出していた。
「ちんたら歩いてんじゃねぇ! そんなんじゃカカシと変わらねぇぞ!」
『走ろうとはしてるんですけどー!?』
「体の動きがぎこちねぇんだよ! 言われただろ、自然体で扱えってな! 普段の軽業師はどこいった!?」
メガホン片手に骸骨が叫べば、重々しい尖晶こと中身のファティマは、ぐぬぬと唸り声を漏らす。
とはいえ、自然体など言うに易し行うに難し。
――あの感じだと、練習より感覚かな。
ファティマの様子を横目に次のトレーニング内容を考える一方、僕はなお難しい状況にある2人を見ていた。
「直立から、しゃがむ、伏せ、しゃがむ、ジャンプ。覚えたかい?」
「そりゃまぁ、普通にはできるッスけど」
マキナの練習をするはずが、着装すらせず体を動かす指示を受けたアポロニアは、不思議そうに首を傾げる。
彼女は種族の特性上、小柄で非力ではあるものの、決して運動能力が低いという訳ではない。当然、バーピージャンプくらいどうということはないだろう。
「今の感覚をそのまま機体へ流し込むんだ。甲鉄は運動性の悪い機体だが、人間の体にできる動きは再現出来る」
必要なのは、感覚をマキナの操縦に反映させること。特に単一思考リンク方式を採用する第一世代型では、これが何より難しく、一方で最も基礎となる部分なのだ。
ただ、口で言ったところでアポロニアにはよくわからなかったらしい。とりあえず言われるがまま甲鉄に乗り込むと、さっき自分が口にしていた順番を、外部マイク越しに響かせた。
『えーと、しゃがむ……伏せ……からのしゃがむ……』
ゴォンと音を立てて大柄な甲鉄が砂に伏せる。
ここまではよし。だが、問題はその次だった。
「――伏せたまま動けてないが」
『いや分かってるんスけど、やり直そうにも立ってくれなくて』
「立てないとそのまま干からびることになるぞ」
甲鉄はコックピットハッチの構造上、緊急脱出も機体正面から行うことを基本としている。それはつまり、うつぶせに倒れてしまうと、外力無くして脱出不能となるに等しい。
尤も、アポロニアくらい小柄ならば、ヘッドユニットのロック部を爆砕すれば抜けてこられそうではあるが、敢えてその部分を言葉にしなければ、彼女はあわあわと重々しい機体をバタつかせた。
『そそそそれは嫌ッス! ちょっ、ご主人!? 置いてかないでぇ!?』
「さっきの感覚を思い出せばできるよ」
怯えた時の方が動けるじゃないか、と苦笑が漏らしつつ踵を返す。彼女の場合、慌てさせるくらいで教えた方がよく覚えられるのかもしれない。
あるいは、動けるという時点でアポロニアはまだマシと思うべきだろう。
『よ、よし……この感覚にも慣れてきたわよ……』
そう言って直立のまま深い息を吐くのは、誰より苦戦中のマオリィネである。
彼女の扱う黒鋼は、第一世代機程扱いに難があるでもなく、かといって第三世代ほどピーキーでもない。今回準備されたマキナの中では、間違いなく最も扱いやすいと断言できる。
では何が問題なのかといえば、マオリィネが未だ機体の扱いやすさという次元に至れていないことだろう。
「まだ1歩も動いてないが」
『き、気分さえ悪くならなければ……それくらい……!』
2度3度と肩を上下させたかと思えば、黒鋼はギラリとアイユニットを光らせる。
「おっ、行ったか?」
アクチュエータの駆動音を響かせ、鈍色の足が1歩前へ。ズンと腹に響く足音に、砂粒が舞い散る。
動作は悪くない。というか、今の所誰よりも滑らかに動けているくらいだ。
これはもしかしてと、期待したのも束の間。
『うぐっ……ゆ、揺らされると、また気持ち悪さが』
まるでため息を吐くように、ヒューンとエーテル機関の音がフェードアウトする。
やはり、最も難儀なのは彼女らしい。
「……着装酔いの感覚だけは理解できないからなぁ。そもそも、何が原因なんだ?」
「思考リンクによる脳波の混乱だとはよく言われてたが、個人差があり過ぎてよく分かんねぇんだよなぁ。治る時ぁ急に治るしよォ」
いつの間にか隣へ寄ってきていた骸骨は、俺にもサッパリだとガリガリ後ろ頭を掻く。
過去、軍学校や新兵訓練で見かけた割合だと、大体10人に1人くらいは同じような症状を見せており、決してマオリィネが特別珍しいという訳ではない。
その上、ダマルが言った通り治る時は急に治るのだ。おかげで800年前の時点ではあまり問題視されておらず、どうしても治らないという者はライセンス不適合で弾かれるだけで、根本原因は解明されていなかった。
おかげで僕とダマルは揃って首を捻るしかないのだが、その様子が余程深刻に見えたのか、ふいに後ろからラッシュガードの裾をツンツンと引かれた。
「あ、あの、兄さん。これって休暇、なんですよね……?」
サフェージュは紫色の瞳で、心配そうにこちらを見上げてくる。
「一応そのはずだが、今の感じだと合宿の方が近いかなぁ」
「お休みできているようには見えないんですが」
自分の恰好は休暇そのものなのだが、砂浜で暴れ回るマキナを覆い隠すには流石に足らないのだろう。
とはいえ、僕自身が機体を乗り回すでもなければ、苦戦する素人たちをぼんやり眺めながら、求めに応じてあーしろこーしろと指示を出すだけであり、実際は何もしていないに等しい。
それでもサフェージュは、思っていたのと違うと言いたげに、むぅと頬を膨らませていた。
「いいんじゃないの? 訓練も遊びも全力でさ」
予期せぬ方向からの援護射撃に振り返れば、軍曹はニカッと白い歯を見せて笑う。僕としては、サンオイルでテカテカになった体の方が気になるのだが。
「そーだそーだ! バグ兄ちゃんはいいこと言うなー」
と、その背後からはサンオイルのボトルを手にしたポラリスが顔を覗かせた。どうやら、彼女が塗ってあげたらしい。あの様子だと、多分面白がっている。
初心者講習に汗水を垂らす者たちと、焼けるのかどうかすら怪しいボディにオイルを塗る者。確かに訓練も遊びも全力で、というのを体現したような光景ではあろう。
僕としても、軍曹の意見には賛成だった。マキナの訓練にせよ、軍隊でやっていたような堅苦しい物ではないのだから。
しかし、サフェージュとはしてはやはり納得いかないらしい。腕を組みながら微妙な表情を浮かべていた。
「それは、うーん……いいこと、なのかなぁ」
「騙されている気がする」
と、彼に賛同したのは、木陰から訓練を眺めていたシューニャである。
今の所、唯一ダマルの悪巧みに絡んでいない彼女だが、だからこそ眩しそうな半眼には僕も思う所があった。
「君はいいのかい? あの甲鉄になら乗れそうだが」
言外に、退屈していないか、と告げる。
ただでさえ、未知の物に強い興味関心を持っているシューニャのことだ。眺めているだけ、というのは逆に不満なのではと勘繰ったが。
「興味はあるけど、使いこなせる気はしないから」
「乗ってみなければ分からないだろう」
「ん……なら、アポロニアの邪魔にならないような時に、乗せてもらうくらいはするかもしれない」
苦戦する彼女らを見ているからか、シューニャはどうにもマキナに乗ることに対しては消極的らしい。
無理強いするような話でもないので、僕もそうかい、と話題を切った。
「しっかし、あんな調子で扱えるようになんのか?」
そう言ってダマルは骨の腕を組む。
何とも気の短い話ではないか。
「一朝一夕にできれば苦労しないよ。だろう?」
「そりゃそうなんだが……連中の運動能力からすりゃ、もうちょい使いこなすかと思ったんだがなぁ。買い被りすぎか?」
未だ普通に動くこともままならない彼女らを見れば、なるほど買い被りという言葉が出るのも不思議では無い。
ふむ、と顎に手を当てる。
自分の想像が間違っていなければ。
「ファティ! いいかな?」
手を振りながら砂浜の尖晶へ歩み寄る。
すると程なく、はぁいという気の抜けた声が返ってきた。
「脱装してくれ。休憩にしよう」
マキナの背面がヒラキのように広がれば、その中からパイロットスーツを着たファティマがうっそりと顔を出す。
上手くいかないというのは、精神的にもよろしくないものだ。汗をかいた様子はないが、リフレッシュが必要だろうと一旦着替えてくるように伝え、僕はビーチチェアに腰を下ろしてファティマを待った。
程なく、水着姿に戻った彼女がゆらゆらと歩いてくる。
いつも通りの、ボーッとしたような雰囲気。何を考えいるかは分からないが、ともかくと僕は自分の膝をポンと叩いてみせた。
「おいで」
「珍しいですね? おにーさんから膝の上に呼んでくれるなんて」
意外そうな表情を向けられる。
言われてみれば確かに、ファティマから乗っかってきたり、体をくっつけてくる事はあっても、こちらから誘うというのは滅多にしていない。
一方的に感じられるのはよろしくないな、と少し反省する。自分だってファティマを抱っこしているのは好きなのだから。
ともあれ、今はそういう話ではない。膝の上に腰を下ろした彼女を、肩の後ろから覗き込んだ。
「物は試しって感じでね。少し手を拝借」
「お? なんですかなんですか?」
ファティマの手首を軽く握る。あの剛力からは想像もつかないような、細く柔らかい感触が手のひらに伝わってくる。
「僕の足の甲に、足を乗せてくれ。背中に体重も預けて、力を抜く感じで」
彼女は僕の言った通りに体を動かしていく。
すると当然ながら。
「おにーさんとぺったりです」
いつもよりなお密着した格好で、ファティマは肩越しにこちらを見上げて、どこか悪戯っぽく笑う。そこには恥じらいのようなものもあったかもしれない。
複合的な魅力に、僕もドキリとさせられてはいるのだが、今はそうじゃないと振り払い、全身に力を込めた。
「いい感じだ。重心そのまま、立つよ」
ファティマの体を後ろから押すようにして、ビーチチェアから腰を浮かせる。
普通なら、不安定な足の甲に立つ彼女は、握られた手首を支えにしようと重心が前のめりになりそうなものだが。
「流石だ。ふらつきもしないとは」
「膝の位置が違うから、ちょっと立ちにくいですね?」
凄まじい体幹と言うべきか。あるいはしなやかな柔軟性を持つ体の故か。
「何度かやってみよう」
単純に、座ると立つを繰り返す。その度にファティマはされるがまま、揺らぐことなく自然に体を追従させた。
5回ほど重ねた頃だろうか。大きな耳がピッピと弾かれた。
「これ、何か意味があるんですか?」
「大まかに、君より背が高いもの、腕が長いものに合わせる感覚を伝えてる。マキナの外側は似たようなものだから」
マキナは外骨格を目指して作られているとはいえ、手足に神経が通っている訳では無い。加えて、手にあたるマニピュレータや足にあたる接地部付近は、パイロットの手足から更に先の位置に置かれる。
伸びた手足の感覚に適応できなければ、自然体を意識してもなおギクシャクすることが多い。
そんな説明を軽くしていれば、ファティマは僕の足を踏む格好で立ったまま、背中をトンと当てて体重を預けてきた。
「ほぉほぉ、ならこの感じで動かせば上手くできますか?」
「試してみるといい」
ファティマの手首を開放する。
しかし、彼女は僕の足の上で、首を傾けたまま動こうとしなかった。
「んー……?」
「ファティ?」
太ももの辺りにフワフワした何かが触れる。
視線を落としてみれば、橙色をした長い尻尾が、自分の足を絡みとっていた。
「せっかくなので、1回抱っこしてください」
何がせっかくなのかは分からないが、足の甲に乗ったままの彼女は、横顔だけをちらりと見せて期待したような声を出す。
素直で気まぐれな猫娘さんである。多少勘繰ろうとしたところで、彼女の心中を察するなど、自分には逆立ちしたとて不可能だった。
「後ろから?」
「はい」
言われるがまま、ファティマの肩を覆うようにぐるりと腕を回すと、ゴロゴロと鳴る喉の音が伝わってきた。
ちょうど頬が触れるような位置に来る橙色の頭。陽の光を浴びた優しい香りが鼻をくすぐる。
――そういえば、昔猫吸いって言葉があったような。
厳密に言えば、キメラリアケットは猫ではない。が、猫の動物的特徴を得た人種であることは事実。
そんなことをぼんやり思った時、自分は無意識の内に彼女の髪に顔を埋めていた。
「ふにゃっ!? お、おにーさん?」
「おぉ……これは」
毛質による個性もあるのだろうか。尻尾の触り心地とはまた違う、しかしふんわりした髪とその香りに包まれた時、何故だか体の力が抜けていくのを感じた。
「や、や、やぁぁ……す、吸わないでくださぁい。ボクは毛布じゃないですよぉ」
ファティマはそう言いながらうねうねと腕の中で身体をくねらせる。
その癖、僕の腕を掴んだ手を離そうとはしないあたり、案外まんざらでもないのかもしれない。
否、彼女が本気で不快だと思った時は、力づくで自分を振りほどくだろうし、それもできないなら牙か爪かが自分の何処かに突き刺さっているだろう。
「どうしてだろう。こうしていると不思議と安らぐな」
「そ、そうですか? それは――う、うー……でもダメです! 背中ゾワゾワします! あむっ!」
「あ痛っ!?」
前腕に走る一瞬の痛み。
それに驚いてパッと腕を開けば、ファティマは弾かれたように砂浜を駆けていく。
「ボ、ボク、練習してきますね!」
「いやファティ!? その恰好のまま――あーあー」
大きな耳にも声は届かず。彼女は水着姿のまま尖晶に乗り込んでいく。
尤も、現時点においてはパイロットスーツの補助はほぼ不要であるため、肌がフレームと擦れて痛いという事態さえなければ服装はなんだっていいのだが。
エーテル機関の甲高い音を聞きながら、僕はポリポリと頬を掻く。
「調子に乗りすぎたかな」
「いやー、見直したぜ相棒。お前も中々やるじゃねぇか」
体が硬直する。
そんなことはお構いなしに、ぐるりと肩に回される骨の腕。
多分、骸骨の言葉は掛け値なしなのだろう。こんな方向性で褒められたくはないが。
「いやあの、別に意図してああした訳では」
「別に照れなくてもいいじゃねぇかよ。あんなやり方、流石の俺でも思いつかねぇ」
「アマミさんって、意外と大胆なんですね……」
いっそ殺してほしい。
水平線を望んだまま笑う骸骨と、小さなジークルーンのささやきは、自分にそう思わせるのに十分な威力を持っていた。
「で、次はどうすんだ? アポロかマオリィネか? 同じ方法だと、ただイチャつきにいくだけになっちまうぜ?」
イチャつくという言葉が魚の小骨のように引っかかる。
そんなもの、今更気にしても仕方の無いことは分かっているのだが。
「……マオの方だが、黒鋼のパーソナライズを。今の自分達に、練習機の手持ちは必要ない」
「なんだ、気付いてたのか」
「彼女の背格好なら、自動調整範囲だけで余裕だからね。センサー類の設定を特に重視してくれ。それから――」
意外そうな骸骨を前に、立てた指をくるくると回す。
「半長靴の靴紐、貸してくれ」
「おう……おぉん?」
骨の顎がカコンと鳴ったのは、珍しく理解が及ばなかったからかもしれない。
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