第68話 試乗会

 夏の日差しに照らされる中、ビーチにはあまりにも不似合いな音が響き渡っていた。


『お、お、お……おぁャー!?』


 素っ頓狂な声を出しながらひっくり返る尖晶、もといファティマ。


「どうしたどうした、もう疲れちまったのかァ!? 仕方ねぇよなぁ、赤ちゃんだもんなァ!?」


 アロハシャツを着てメガホン片手に叫ぶ骸骨は、明らかにノリノリだった。

 ファティマはどんな顔をしていただろう。ヘッドユニットに覆われた表情は見えずとも、頭から生える大型センサーらしきパーツはぺったりと倒れ、腰部背面から伸びる稼働構造がブンブンと振られる。まるで彼女の耳尻尾であるかのように。

 いや、中身は実際にそうなのだが、装甲に覆われたそれらがガシャガシャ動くのは何とも奇妙な光景に見える。


『す、好き勝手、言って、くれやがるッス、ねぇ……!』


 ガッチャコン、ガッチャコン、と踏みしめるように歩く甲鉄。こちらもまた、産まれたての子鹿を思わせる動きだった。

 否、動かせているだけでもよくできている方だとは思う。


「お前らの望んだことだろうがよ! もっと滑らかに動くことを意識しろ! 生身は失ったと思え! そいつぁお前の新しい皮膚と筋肉だ!」


『んぎぎ……んなこと、言われてもォ……!』


『あの、起きれないんですけど、助けてください』


「甘えんな! 子猫だって自分で立つぞ!」


 厳しいダマルの言葉に、僕は苦笑いを貼り付ける。実際、マキナを扱うことはそう簡単では無いのだから、軍人でもない彼女らには可哀想だと思うが、乗ると決めた以上は必要な経験だ。


「アポロニアさんの方が、適性はありそうね」


「ああ。の操縦を初日であそこまで動かせれば、砲兵教練部隊には入れてもらえるよ」


 アポロニアの小柄な体躯は、マキナを操縦するのに適さない。これは第二世代型マキナ以降で採用された、

 機体を着込む形で搭乗する操縦方式。外骨格アシスト・EA・思考リンクTL複合式の問題である。

 彼女の体格が、フレームの自動調整限界から外れていることは言うまでもなく、フレームを加工してパーソナライズしてもまだ足りない。となれば、実質マキナに乗ることは不可能だった。

 が、それはあくまでEA・TL方式に限った話。


「まきなの中に椅子があるとは思わなかった」


「古い操縦方式でね。玉泉重工の第一世代型マキナは、作業用重機の特徴を併せ持っているんだ」


「それが、考えるだけで動かせる方式?」


「ああ。見ての通り、操縦に慣れるまではとんでもなく難しいんだがね」


「聞くだけなら、簡単そうなのに」


 シューニャが怪訝そうに首を傾げるのもむべなるかな。

 単一思考リンク式は、操縦の全てをパイロットの思考読み取りに頼っており、手を握ると考えればマニピュレータを握り込むし、歩くことを考えれば機体は前へ前進する。非常にシンプルかつ容易に思える方式なのだが。


「大概の人は、身体を動かすことを明確に意識して行ってはいない。だから、システムに対して的確に命令を認識させるための訓練が必要になる。赤ん坊のように歩かせるだけでもね」


「じゃあアポロニアは今、新しい体に慣れていないから、あんな状態?」


「慣れられればいいんだが、そこは努力次第かな」


 苦笑しながら後ろ頭を掻く。

 甲鉄自体、重武装を前提とした鈍臭いマキナではあるが、それでも後期生産のD型以降ではEA・TL方式に載せ替えられている。それはつまり、単一思考リンク式操縦システムが扱いにくかったことの証左に他ならない。

 その中でも数少ない利点が、今発揮されている訳だが。


『んがぁぁぁぁぁぁ!! 真っ直ぐ歩くのって、こんなに大変なことッスかねぇ!?』


 まるで下手くそなマリオネットのような動きに、金属の腹の中から苛立った声が響き渡る。

 不自由のストレスは言わずもがな。先にも言った通り、アポロニアはこれでもよくやっている方なので、むしろ褒めてやらねばと思った矢先。


「馬鹿野郎! こんなもん序の口だぞ! 四の五の言わずに身体を機体に馴染ませろ!」


『言われてできりゃ苦労しないッス! てか、まきなに乗れないダマルさんに言われたくないんスけど!?』


「カッ! そういうことは、せめてヨチヨチ歩きくらい出来るようになってから言うんだな。今のお前じゃら着装恐怖症の俺にも勝てやしねぇぞ」


 ライセンスも持っていない男がよく言うものだ、と苦笑が漏れる。

 ただ、ダマルに限らず整備兵という連中を侮ってはならない。かの兵科に属する者たちは、あらゆる機体を扱わねばならない立場上、誰であれ現行で用いられるマキナの基本操縦は習得しているものなのだ。

 骸骨の操縦技術が如何程であったとて、今のアポロニアが唸ったくらいで埋まるほど小さな差では無いのは確かである。

 尤も、唸れるだけで彼女はマシなのだが。


『あれ? ボクこれ今、どっち向いてます?』


「お前はまずシャンと立て。そっちの方が基礎操縦は簡単なんだからな」


 オートバランサーとの折り合いが悪いのか、それともセンサーとのリンクによる五感の拡張のせいなのか。

 普段のバランス感覚からは信じられない不器用さを見せるファティマには、骸骨でさえ少し声のトーンを落としていた。


「おかしーなー。アポロ姉ちゃんとファティ姉ちゃんに合わせてプログラムしてるのにぃ」


 僕の隣で腕を組んだポラリスは、むーんと不服そうな声を出す。


「まさか、君がシステム設計を?」


「うん。じーちゃんにおしえてもらったの。でもやっぱり、ストリの作ったのとくらべたら、まだまだだなぁ」


「……いつから、プログラミングの勉強を?」


「キョーイチが起きれなくなってから、だけど?」


 一瞬声が出なくなった。なんなら、自分の視界が宇宙に包まれた気さえする。

 ストリは確かに天才だった。しかし、彼女の場合は幼い頃からの積み上げもあったはず。

 一方のポラリスは、800年前の時点においてホムンクルスという兵器実験体であり、年齢相応程度の教養こそ受けられたかもしれないが、マキナ開発に触れる機会などなかっただろう。

 それがどうして、ここ数ヶ月という短期間で、ほぼ完成されたキメラリア対応の操縦システムを組み上げられるのか。

 聞き間違いかとも思ったが、多少眉間を揉んだところで、耳や尻尾の動きをトレースするマキナがそこにあることは揺るがなかった。

 深呼吸を1つ。


「功労者って意味がよくわかったよ。君が天才だってこともね」


「えへへ……でもねでもね、ホントはもっとのりやすくなってるはずだったんだよ? お耳としっぽだけじゃなくてさ」


 青銀色の頭に手を置けば、ポラリスは複雑そうに笑う。

 褒められたのは嬉しいが、完成品としては納得できない、と言ったところだろうか。こんな所までストリとそっくりなのだから、無自覚に残された彼女の記憶が滲み出てきているのかもしれないとさえ思える。

 しかし、ポラリスの努力があってなお、ダマルの言うようにヨチヨチ歩きさえできないマキナの姿には、これまた苦々しい表情を浮かべる者も居た。


「……昔の自分を見ているようだ」


 何を思い出したのか分からないが、アランは見るのも辛そうに視線を背ける。


「乗り始めは誰でもあんなものだろう。まずは動かせているだけで十分、なんだが――」


 ファティマとアポロニアが悪戦苦闘しているのは否定しない。だが、ライセンス取得の為の基礎操作を教える教習所や、マキナに触れたことの無い新兵の訓練現場等では、日常的に見られた光景である。

 斯く言う自分とて、最初は似たり寄ったりだったのだ。ぎこちない動きしかできなくて、ちょっとした歩行でひっくり返り、何度となく障害物にぶち当たってきた。

 故に彼女らは普通と言っていいだろう。ここで問題とすべきは、それすらできない者である。


「おぇ……み、皆よく乗れるわね、あんなの」


「だ、大丈夫? 顔色悪いよ?」


 ジークルーンに支えられ、肩で息をしながら青白い顔を歪めるマオリィネ。

 現時点の操縦適性でワーストを決めるなら、満場一致で彼女だった。


「着装酔いだな。君がなるとは意外だが」


 水筒を差し出しても、マオリィネはいらないと緩く首を振る。

 昔から着装酔いする者は一定居たが、その中でも彼女のようにフラフラになるのは珍しい。あるいは、電子機器に慣れない現代人だからこそ、余計に酷いのかもしれないが。


「マオリーネは弱っちい」


「う、うるさいわね……あんな、頭の後ろにも目がついてるような感覚……気持ち悪くなるに決まってる、でしょう、うぷ」


 素直な感想という最強の煽りに、マオリィネは悔しそうに目尻を吊り上げたものの、それも長くは続けられず、喉奥から込み上げてくる物をどうにかこうにか抑え込んでいる様子だった。


「手がかかりそうね」


 その発言は、3人全員を指してのことか。はたまた、マオリィネの惨状を目の当たりにしてか。

 どちらにせよ、井筒少尉の深い深い溜息には、自分とて同意である。だからこそ。


「ひとつ相談なんだが」


「嫌よ。面倒くさいもの」


「そんなご無体な」


 頭を下げる時間すら与えてもらえず、酢の物並にアッサリとフラれた。こういう反応を塩いと言うのだと教えてくれたのは、確かストリだった気がする。できることなら、もう少し元上官に優しくしてもらいたい。


「よーしお前ら! 今回はここまでだ! 機体を片付けろ! さっさとしねぇとずぶ濡れになるぞ!」


 唐突な骸骨の声に、何事だと首を回す。

 マキナは多少濡れたとてどうということもない。にもかかわらず、敢えてそんな表現を使ったのは何故か。

 答えは砂浜の向こうから迫る影にあった。


「あれは、もしかしてスコールか?」


「皆さん、急いで小屋に入りましょう! 凄いのがきますよ!」


 クリンの呼びかけに、観客に過ぎなかった面々はいそいそと動き出すものの、教習初日組はそうもいかない。

 置いて行かないで。悲痛な彼女らの声は、間もなく降り始めたバケツをひっくり返したような雨の中。儚くも消えていったのである。



 ■



 頬と額が痛い。

 スコールと呼ぶには長く降り続く雨の中、僕は歯型のついた顔で、ファティマの頭を拭いていた。


「恨みますからね」


「できれば精神的な方だけにしてもらいたかったな」


「むしろ、ちょっと齧るだけで済ませたことに感謝して欲しいッス」


 今日いきなり初めて触れて、自分たちが右も左も分からないのを分かっていながら、雨の中に捨て置いて逃げるとは何事か。

 頭を齧られながら伝えられた文句は、そんな内容だったと思う。半分くらいは、フニョフニョ言っているだけにしか聞こえなかったが。


「悪かったと思ってるよ。だからその、濡れた尻尾で抗議するのはやめてくれ」


 毛が水を吸って重くなった分、脇腹に刺さるファティマのブンブン攻撃は見た目以上に重く、痛いと言うよりも、体を揺さぶられていると言った方がいいかもしれない。


「いいじゃねーかそれくらい。俺なんてまたトーテンコップにされてんだぞ」


 と、カタカタ鳴く髑髏。

 久しぶりに解体された骨身は、小屋の片隅に積み上げられていた。ここだけ見ると猟奇的な因習村に思えなくもない。


「その割に、膝枕の具合は良さそうに見えるが?」


 加えて、ランプに照らされる髑髏を撫でている優しげな美女が居るのだから、事情を知らなければ猟奇に狂気も追加される。


「おう。羨ましくても譲ってやらねぇぞ」


 バラされているのにどこか誇らしげなダマルと、照れているのか困惑しているのか、八の字眉の笑い顔を浮かべるジークルーン。

 当人達が幸せなら邪魔するつもりもないが、いつ見ても奇っ怪な光景であろう。

 その上、ずぶ濡れにされた犬猫は、彼の様子が気に入らなかったのか小さく唸り声を上げた。


「なんだかとってもイライラします」


「同感ッス」


「カーッカッカッカ! 悔しかったらテメェらも誰かにしてもらうんだなァ!」


 どうにも的外れな煽りに、僕はやれやれと肩をすくめる。

 2人が唸ったのはそういう意味じゃなかろうに。


「おにーさん」


「ご主人」


 爛と輝く金の瞳と、へらりとゆるむ犬の頬。

 的外れと思ったのは、どうやら自分だけだったらしい。


「はいはい、乾いてからね」


 期待の眼差しを向けてくる彼女らをいつも通りの苦笑いで押し留める。

 決して膝枕をしたくない訳ではないが、流石にこの場でいきなりというのもどうだろうと思っての事だったが、どうしてか聞こえた唸り声は、手元にある2つの頭のどちらからでもなかった。


「くっそぉ、するのもされるのも羨ましいんですけど……そう思わないですか少尉殿」


 ボサボサ髪をかき上げながら、菱形の口を作るチャラ男。もとい軍曹。

 だが、誘うには相手が悪かった。


「興味無いわ」


「つれないなぁ。ここはノリって奴でさぁ」


「近づかないでくれる。セクハラで訴えるわよ」


「ストレートに酷くない?」


 滑るように距離をとる井筒少尉は、氷のように冷たい眼差しを彼へ向ける。昔はよく、自分もあんな目で睨まれていた。

 これが結構堪えることを知っている僕は、ゾッと背中を冷たくしながら、タオルの中から顔を出すファティマとアポロニアへ視線を戻した。


「それで、2人はどうだった? 初めての着装は」


「これまでは、おにーさんは凄いって思ってましたけど、今は狂ってるって思ってます」


「失礼だな。練習すれば誰でもできるよ」


「そうなれる気がしないから言ってるんスよ」


 茶色の半眼はどこか恨めしげで、僕はポリポリと頬をかいた。

 嘘を言っているつもりなどないのだが。


「中隊長の基準は無視しなさい。この人は、自分が特別だということを頑なに認めないから」


「む……いや、そんなことは」


「企業連合の兵士が全員お前と同等の技術を持てたなら、ロシェンナが出てきたくらいで戦線が揺らぐかよ」


 世紀を越えた近しい世代の者達に、大袈裟と出かかった反論は喉の奥へ封じ込められる。無言ではあったが、バグナル軍曹にまでうんうんと首を振られる始末。


 ――僕ぁ運良く死ななかっただけなんだがなァ。


 全く取り合って貰えないであろう言い訳を反芻していれば、髑髏はジークルーンの膝上でカンカンと顎を打った。


「それで? お前らはどうする? 選択肢は準備したが、無理に乗らせるつもりは――」


「やりますけど?」


「今更アホみたいな質問しないで欲しいッス」


 ファティマは食い気味にダマルの言葉を切り捨て、アポロニアもフッと鼻を鳴らして肩を竦める。


「私もやるわ」


「マオ? だが、さっきは……」


 2人に続いた乙女の声に、僕がギョッと振り返れば、マオリィネは普段と変わらない様子でサラリと髪を払って見せた。


「自信なんて全くない。けど、練習すれば扱えるようになる可能性はあるのよね?」


「それはまぁ……適性の個人差はあくまで訓練開始時点の指標に過ぎない、とされてはいたが」


「十分だわ。いいかしら、ダマル」


 胸に手を添えて振り返った彼女に、骸骨は暫くの沈黙を挟んだ後、顎だけで器用にドクロの向きを僕の方へ変えた。


「だそうだぜ、教官殿?」


「教えるのはあまり得意じゃないんだが……まぁ、やると言うからには手を抜くつもりは無いよ」


「決まりだな。ここなら人目にもつかねぇし、やりたいだけやりゃいいさ。あぁ先に言っとくが、機体は大事に扱え。いいな?」


 カカカと叩かれる骨の音。尤も、自分以上にマキナを荒く使う者が居るとは、流石に思えなかったが。

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