第67話 バカンス2日目
波音に目を覚ます清々しい朝。
普段から自分たちの暮らす場所は人里から離れており、草葉の香りが漂う穏やかな土地ではある。それと比べても、注ぐ日差しと潮の匂いに巻かれるログハウスは中々どうして悪くない。
と、少なくともぼくは思うのだが。
「眩しい……頭痛い……」
「うー……ズキズキしますぅ……」
小屋の中には呻くような声が転がっていた。
開け放たれた鎧戸から差し込む朝日が辛いのか、シューニャは両腕で顔を覆い、ファティマに至っては体を丸めた姿勢のまま動こうともしなかった。
「だいじょーぶ?」
「だらしないわねぇ。ちょっとお酒に呑まれたくらいで二日酔いなんて」
「シューニャもファティマも、普段はあんまり呑まないッスから」
心配を口にするのはポラリスだけで、普段からアルコールに慣れているアポロニアとマオリィネはどこか呆れた様子を見せる。
昨日の時点では全員酔いつぶれているように見えたが、平然としている彼女らはどうやら、限界に至るまでは呑んでいなかったらしい。
「それだけ美味しかったんだろう。シューニャ、これを」
朝日を遮る形で彼女の隣へ膝をつく。すると、これ以上ないくらいに怠そうな翠色の瞳が、腕の隙間からこちらを覗きこんだ。
「うー……? 何、それ……?」
「昔の頭痛薬だよ。一応、少しは楽になるはずだ。ほら、身体を起こして。飲めるかい?」
「ん……ありがと」
背中を手で支えながら座らせれば、彼女はどうにかこうにかと言った様子で錠剤を飲み下す。
一息ついたのを確認してから、再び体を寝袋の上に寝かせれば、水を口に含めたこともあってか、さっきよりは少しだけ落ち着いたように見えた。
「おにーさぁん、ボクにもくださぁい……」
「ああ」
丸まった体のまま、手だけを伸ばしてくるファティマの方へと振り返る。
ただ、同じように体を起こして、薬と水を飲ませてやっていれば、背中に微妙な声が投げかけられた。
「なんでッスかね。シャキっとしてる自分が負けた気になるの」
「体が丈夫なのはいいことよアポロニア」
「そうかもしれないッスけど、自分もご主人に優しくされたいッスよぉ」
「あら? 昨日は柔肌を晒していたんじゃないの? それも随分はしたない雰囲気で」
「ややややっぱなんでもないッス」
聞かなかったことにしよう。
薬を飲み終えたファティマを寝かせてから、僕は静かに立ち上がった。
「今日はのんびりしているといい。ダマルと軍曹も居ないことだし」
「おー……ごろごろしましょー……」
「……賛成」
力のない賛同に、アポロニアとマオリィネは仕方ないと肩を竦める。
倒れている2人を小屋の中に残し、僕らは揃ってビーチのベースキャンプへ足を向けた。
「ということで、今日は思い思いに過ごすとしようか」
僕がビーチチェアをギィと鳴らせば、アポロニアとポラリスが真似するようにビーチマットの上に腰を下ろす。一方で、何となくだらしない雰囲気を嫌ってか、マオリィネだけはパラソルの下で立ったまま腕を組んだ。
「……まぁ、休暇ってそういうものかしら。何人か欠けているけれど」
「そういや、ダマルさんとバグさんはどこ行ったッスか? あとアラン君も」
「昨日の夜、お出かけになられましたよ。行先は知りませんけど」
2人の疑問に答えたのは、ようやく水着パーカー姿に慣れたらしいサフェージュである。
フサフサした尻尾を軽く振りながら、どうぞと水の入ったタンブラーを渡してくれた。
一方、その後ろで珍しく唇を尖らせている者も居る。
「もぉ、ダマルさんはまた……何も言わずにどこかへ行っちゃうんだから」
「心中お察しします、お嬢様」
「すぐに戻ってくると思いますよ。何か悪巧みをしていたようなので」
拗ねた様子のジークルーンと、どうにか慰めようと苦心するクリンに、僕はハハハと微妙な苦笑いを零す。
せっかく手にしたバカンスである。久しぶりに恋人と過ごせる時間であることも考えれば、発案者である骸骨自身がそう長く空けるとは思えない。流石に絶対とは言い切れないが。
だといいんですけど、なんて言いながらジークルーンは遠い空を見上げていた。
それでも骸骨が現れる様子もないとわかれば、ポラリスはいい加減大人たちの雑談にも飽きたのだろう。
「じゃ、わたしは今日、かいがらとか探してみよっかなぁ。アポロ姉ちゃん、手伝ってくれる?」
「いいッスよー。自分も海のことはよく知らないッスけど」
ぴょんと立ち上がった白魔女様に手を引かれ、アポロニアは砂浜を駆けていく。
スタイルを除く背格好は、大して変わらないはずなのだが、ちゃんと保護者に見える辺りはやはり年齢なのだろうか。
そんなどうでもいいことを考えていれば、自分の正面から影が落ちた。
「キョウイチ、もし時間があるのならだけど」
「うん?」
どこか控えめに、あるいは躊躇いがちにと言うべきか。
マオリィネはわざとらしく髪を耳にかけながら、少し声のトーンを落として呟いた。
「泳ぎ方、教えてくれない?」
■
「ぷはっ! けほっけほっ」
軽くむせながら、マオリィネは大きく息を吐く。ピッタリと体にくっついた黒髪は、言葉通りの濡烏と言った雰囲気だった。
そんな彼女の手を引っ張って、後ろ向きに歩きながら声をかける。
「まだまだ力が入ってるよ。手を持っているんだから沈まないし、怖がらずふわっと浮く感じで」
「こ、こう?」
誰かに泳ぎ方を教えたことなんてない。おかげで全般的に曖昧かつ感覚的な物言いになってしまっていたが、それでも流石はマオリィネ。元々優秀な運動能力を生かし、早々と形を飲み込んでいく。
「そうそう。そのまま、さっき教えた感覚で足をばたつかせてみて」
「ええと、足の付け根から、よね……?」
「いい感じだ。流石、覚えが早いな」
「そう、かしら」
自分では実感がわかない様子だったが、僕は決してお世辞を言っているつもりはない。
実際、怖がっていたのは最初だけ。時間が経つごとに水の中という環境に慣れ、陽が頭上へと近づく頃には体の使い方が随分様になってきた。
とはいえ、そろそろ限界だろう。
「少し休憩しようか」
「え、ええ……はぁ……」
全く持って大した集中力である。水の中で立ち上がった彼女は、自身の疲労に意外そうな顔を見せていた。
剣の道を極めんと努力する中で習得した者だろうか。放っておけば、ずっと練習していた気がしてならない。
「泳ぐのって想像以上に疲れるわね。意外だったわ」
「あれだけ泳げば誰でも疲れるよ。基礎体力はあるだろうと思っていたが、それにしたって大したものだ」
「そ、そうかしら? 今日は随分と褒めてくれるのね」
「む……特に意識しているつもりはない、んだが」
「ふふっ、貴方が照れてどうするのよ」
少し赤らんだ頬で、マオリィネはクスクスと笑う。そんな風に言われてしまうと、後ろ頭を掻くくらいしかできることもないのだが。
ただ、それでは何となく負けた気がするので、返答に困って唸っていれば、遠くから声が聞こえてきた。
「アマミ様ぁ、マオリィネ様ぁ」
振り返って見えたのは、水面に浮かぶ緑色の頭。特徴的な色合いもそうだが、2つの飾り毛がピコピコと揺れているおかげですぐに誰だか判別がつく。
「クリン? 貴女、泳げるの?」
「はい。これでも、元は漁師の子でございますから。まさかこうして、海に浮く日がまた来ようとは思いませんでしたけれど」
滑るように近づいてきたクリンは、僕の知るどんな泳ぎ方とも違った動きをしていた。
キメラリア・クシュである彼女の手足には、頭髪と同色の羽毛が生えている。それが水を吸って重くなりそうなものだが、苦にする様子もなく泳げている辺り、羽毛というのも自分が持つイメージとは違うのかもしれない。
ただ、自信ありげな様子だったのも束の間。クリンはハッと何かを思い出したように顔色を変えた。
「じゃなかった! お2人とも、一旦海から上がられた方がよろしいかと」
はて、と軽く首を傾げる。
周囲を軽く見回した限り、空にも海にも変わった様子は見受けられない。
「何かあるのかい?」
「はい。少し、さざ波が立っておりますでしょう? こういう時は、あまり海に入らない方がよいと、父がよく語っておりました」
「言われてみれば、少し風があるな」
「天気が荒れるのかしら? 何にせよ、クリンの言う通りにした方が良さそうね」
天は青空、海もさざ波以上の変哲はないが、港町ポロムル出身の彼女がそう言うのだから、素直に従った方がいいだろう。
「ありがとうクリン。さ、戻りましょ――う?」
ふと、踵を返そうとしたマオリィネの視線が固まった。
先に見えるのは空と海ばかり。もこもことした夏の雲がいくらか浮かんでいる他は、美しい青が広がっているだけ。
しかし、琥珀色の瞳は胡麻粒ほどのそれを捉えていた様だ。
「あれって、もしかしてぴぎぃばっく?」
キラリと陽の光が反射する。
現代の生物が如何に奇妙奇天烈揃いだったとて、流石にあんな飛び方をする鳥は居ないだろう。微かに聞こえ始める聞き慣れたジェットの音が、彼女の目が正しいことを示していた。
「帰ってきたみたいだな。ちょうどいい、んだが」
無人島と自分たちの位置を考える。真正面にはピギーバック。それも高度を落としながら影を大きくしている。
――このアプローチだと、多分。
予想が確信に変わった時には、既に轟音は間近に迫っていた。なんとすれば、自分の予想よりもはるかに低空で。
「きゃあ!?」
「ひゃい!?」
巻き上がる飛沫と吹きすさぶ暴風に、マオリィネとクリンは咄嗟に顔を伏せ、僕は咄嗟に2人を庇う形で抱きかかえる。
高速で通過する航空機のブラストなどほんの一瞬のこと。しかし、それだけで自分はしっかりと海水を被っていた。
「軍曹め、やってくれる……2人とも、大丈夫か?」
「え、ええ。少し飛沫を浴びただけ」
「あ、ああ、ありがとうございますぅ」
硬直しているだけの2人を見て、まずはホッと胸を撫でおろす。
これは一応、クレームを入れておかねばなるまい。
■
というわけで、カスタマーサポートに連絡を取った訳だが。
「悪ぃ悪ぃ、積乱雲避けてたらお前らの頭上に行っちまってなァ」
そこに居たのは非常に軽薄な態度の担当者だった。何なら、身体まで人間らしからぬ軽さであろう。
カタカタと笑うばかりで、全くと言っていいほど反省の色が見られず、僕は腕組みをしながらパイロットの方を睨みつけた。
「よく言うよ。普通ならあんな低空で入らんだろうに」
「いやぁ、俺ってば正規のパイロットじゃないもんで」
分かっていてやったなこいつら。
しかし、そこを追及したところで暖簾に腕押し、柳に風。高度までピッタリ計算ずくで入ってきた可能性まであり、これ以上問い詰めたところで意味もないだろう。
「はぁ……まぁ実害はなかったからいいが。それで? 今回はどんな悪巧みだい?」
こちらが諦め気味に話題を変えた途端、骸骨は身を乗り出してくる。
「おう、早速お披露目と行きてぇんだが――こいつら何でまだひっくり返ってんの?」
ただ、その暗い眼孔はすぐさま小屋の片隅に転がるミノムシへ向けられた。
「二日酔いだそうだ。そっとしておいてやってくれ」
「なっさけねぇなぁオイ。ま、あんだけチューハイばっかりカパカパ飲んでりゃそうなるか」
文句の1つすら返せない2人は、多分薬が効いて眠っているのだろう。
骸骨は呆れたように言いながら、自分が腰を下ろしていたコンテナの中を漁ると、何やら見慣れないパッケージの小箱を取り出した。
「それは?」
「雪石製薬の酔い醒ましさ。地獄みてぇな味だが、言葉通りの即効だぜぇ」
カッカッカ。そんな笑い声を上げる骨以上に、地獄感のある存在もないだろう。
ダマルは実に楽し気に、シロップ状の薬を小さな器に注ぐと、周囲のやかましさにウッソリと目を覚ました2人の下へ持って行った。
それは救いだったのか。あるいは何かの罰だったのか。
これを飲めば一気に治るぞ、という悪魔の甘言に耳を貸してしまった2人は、暫くの間のログハウスの中を声も出せずにたうちまわることになったのである。
■
惨劇から暫し後。
自分たちはバカンスらしい水着姿のまま、着陸したピギーバックの前に集められた。
その大半の顔には、これから何が始まるのだろうという疑問だけが貼りついている。一部の例外を除いては。
「ひ、酷い目に、遭った……」
「うぇ……まだ口の中のニガニガが取れません」
「そう睨むなよ。助けてやったんじゃねぇか」
今朝方とは全く異なる理由で顔を顰めるシューニャとファティマに、ダマルはカッカッカと悪びれもせず笑う。
それも今回の場合は、骸骨の言が事実である為、彼女らは恨めしそうな眼を向けるくらいしかできていなかった。
「確かに治りましたけど」
「苦い物は、凄く嫌い」
ファティマはまだしも、シューニャの恨み節は本物だろう。
一口舐めさせてもらった感想からすれば、二日酔いの薬とされたシロップは、その苦みをもって酔いを醒まそうとしているかの如く。
ただでさえ普段から、焼いた魚の肝などはもちろん、僅かな苦みを持つ野菜すら可能な限り避けようとするシューニャからすれば、口の中は阿鼻叫喚の様相だったに違いない。
尤も、だからと言って責められるべきはダマルではないのだが。
「なら、今度からは飲み方に気をつけることッスよ」
「むぅ……」
アポロニアの正論には、流石のシューニャもぐうの音も出なかったらしい。小さく唸った彼女は顔を隠すように麦藁帽を深く被りなおす。
正邪は決した。ただ問題があるとすれば、その正論という奴が諸刃の剣だったことだろう。苦笑する犬娘の隣で、マオリィネははてと首を傾げた。
「前に貴女も倒れてなかったかしら?」
「あ、あれはご主人が無理矢理もががぁ」
「さて、なんだったか。ダマル?」
自分の胸くらいの位置にある口を、後ろから咄嗟に両手で塞ぎながら、無理矢理に話題を切り替える。
全く、ややこしい昔話を蒸し返さないで頂きたい。アチカブランデーを彼女の口に突っ込んだのは、こちらとしても緊急回避だったのだから。
アポロニアはモガモガとまだ何か言いたげだったものの、流石に力で負けることはない。続けてくれと視線で骸骨に促せば、また大きなため息を貰ってしまった。
「締まらねぇスタートだな。まぁいいか」
「まぁいいかー」
木霊かのような呟きが聞こえたのは自分の隣から。
少女は居並ぶ疑問顔の列から抜け出すと、さも当然であるかの如く骸骨の隣へ並びこちらへ向き直った。
「ポラリス? 貴女なんでそっちに?」
「おチビも功労者だからさ。見て驚くなよ」
ダマルが背後へ向けて軽く手を振れば、口を開けたピギーバックのカーゴランプの奥から、自分にとっては耳慣れた金属音がいくつも響き始める。
否、いい加減身内たちも同じように感じていたことだろう。
「マキナ……?」
「ッスね?」
女性陣は不思議そうに首を傾げつつも、やはりその反応は薄い。
斯く言う自分はといえば、翡翠の主機関載せ替えの片手間によくやる、と手際の良さに驚きはすれど、機体そのものに対してそこまでの驚きは感じなかった。
「尖晶に黒鋼に甲鉄と、まるで玉泉重工の展示会だな」
尖晶は装甲形状から、最初の正式量産型のA-3型。黒鋼はオブシディアン・ナイトと同様、最も多数が作られたB-4型。甲鉄はどうにもツギハギらしく、胴体と背面のユニットに特徴的な膨らみはC型以前のモデルだが、足回りやブースターはD型以降の物が使われているように見える。
そんなキメラを含めても、さほど珍しいものでは無い。では、何故わざわざダマルが、と思った時、ふと違和感に気づいた。
「尖晶の頭部センサーユニット……これは稼働構造?」
「やはり、隊長には分かるのか」
「機甲歩兵様は伊達じゃねぇってこった」
アランとダマルが何か話していたが、その声は右から左へ抜けていく。
センサー類の指向性能を向上させるためにしては、可動範囲があまりにも広く取られ過ぎている。否、第三世代型マキナの基本的な電子戦装備を置き換えたとしても、わざわざ整備性を悪化させ、構造的にも脆弱な可動部位を設けるのは合理的でない。
眉間を軽く揉む。
考え方が違うのだ。これはセンサーの為の物ではない。
「ファティ、アポロ」
「はい」
「ッス」
「どうやらこれらは、君たちの機体のようだ」
「はぁ、ボク、の……? ボクの?」
「えーと、それってぇ?」
顔を見合せてから向き直った4つの目が、今ほどキョトンとして見えたことはなかったように思う。
「「はい?」」
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