第66話 追憶のトワイライト

 呑みやすい酒というのは、きつい酒より恐ろしい。


「まさかここまで壊滅するとは」


「あんだけカパカパ呑んでりゃそうもなるさ。吐き散らさなかっただけ可愛いもんだぜ」


 日暮れも近い頃、マットと寝袋が敷かれたログハウスの中へ転がされた屍を前にして、骸骨は新入生歓迎会の大学生を見ているようだとため息を付く。

 ジュースのよう、と言っていた時点で気を付けるべきだった。まずシューニャの眼が座り始め、続いてファティマがひっくり返り、その様子を弱っちいと笑っていた酒好き2人が、スピリタスを勢いよくいって撃沈。裏ではジークルーンも呑んでいたようで、気付けば静かに沈んでいた。

 結果、現在の死屍累々。そんな呑兵衛共に混ざってもう1人。


「大人の勢いに乗せられて騒いだポラリスちゃんは電池切れ、と」


 唯一健全にダウンした彼女を、井筒少尉が酔っ払い組から少し離した場所へ寝かせる。

 水遊びというのは想像以上に疲れるものだ。それもぶっ通しのハイテンションともなれば無理もない。

 ただ、残された面々にとっては、まだ寝るに早い時間でもある。


「サフ君。悪いが彼女らを見ておいてやってくれ。顔面パックで窒息でもしたら笑えない」


「わ、分かりました」


「私も一緒に居ますね」


「おう、悪ぃなクリン」


 女性陣の勢いに圧されて逆にあまり呑まなかったサフェージュと、使用人が酔っ払っては仕事にならないからとプロ意識を滲ませたクリンのペアに小屋の中を任せて外に出る。

 すると、いつの間にか水着を着替えたらしいアランとバグナル軍曹が、ピギーバックの前に並んでいた。

 この後は焚火でも眺めつつボーっとするものだと思っていたが、どうやら彼らは違うらしい。その主導者と考えられる者など1人しかいないが。


「明日の仕込みでも?」


「ま、そんなとこさ。行くぞお前ら」


「はいはい、タクシーね」


「了解」


 詳しいことは何も語らないまま、ひらりと白い手を振って輸送機に乗り込んでいくダマル他2名。

 ジェットエンジンの風を浴びながら彼らを見送れば、1歩退いた後ろで残された井筒少尉が訝し気な顔で腕を組んでいた。


「今度は何を企んでいるのかしら?」


「ダマルの事だ、そう悪いことでもないだろう」


 唐突に大ボケをかます骸骨ではあるが、害になるような真似をする奴ではない。

 遠のいていく轟音を聞きながら踵を返せば、随分と意外そうな様子で少尉は顎に手を当てた。


「随分信頼しているのね、あの骸骨の事」


「一蓮托生の相棒だよ。信頼無くしてやっていける関係じゃない」


「そう」


 少尉そう短く言ったきり黙り込む。

 言葉足らずは相変わらず。おかげで掴めない部分も多いが、少なくとも自分だけ小屋に戻るつもりはないらしく、木の枝を集めながらビーチへと歩く自分の後ろへと続いた。

 水平線の向こうに陽が沈み、茜が紺に飲み込まれようとする空の下、僕は砂浜に枝を積み上げてライターで火を灯す。後は置き去られたチェアに腰を下ろせば完成だ。


「座らないのかい?」


「……そうね」


 少し躊躇った様子だったが、僕が持ち主の居ないチェアを勧めれば、少尉はどこか観念した様子で体を椅子に沈めた。

 火の勢いが少し大きくなった焚火がパチリと爆ぜる。その向こう側で、人間だった頃と何も変わらないように見える少尉の瞳が揺れていた。


「昔話をするにはいい機会だろう。よければ教えてくれないか」


 枝を新たに1つ放り込む。


「中隊があの後どうなったのか。何故君が、独立国家共同体に居たのかを」


「面白い内容じゃないわ。それに、知らなくたって貴方には何の不都合もない」


「今更、僕が指揮官としての責任だなんて言った所で、滑稽なだけなのは分かっている。だが、800年前に始まった作戦のデブリーフィングを、僕はまだ受けられていない」


 微かに舞い上がる火の粉の中、彼女の視線が僕を捉える。本当に聞きたいのか、と問うように。

 それも自分が一切揺らがずに黙っていれば、諦めたようなため息に変わった。


「――第3機甲歩兵大隊麾下特殊作戦中隊は、ロンホア前哨基地から撤退する友軍部隊の殿を務め、ジウバオ市の市街地にて遅滞作戦を展開。戦力の3分の2を喪失する損害を被りつつも作戦を完遂」


 以前リッゲンバッハ教授から聞いた話を、より深く掘り下げた内容に僕はうんと小さく頷く。

 800年前の自分が生命保管装置に入れられる原因の戦闘。だが、被害の大きさは想像していた以上だったらしい。


「残ったのは、誰か」


第1小隊グランシャリオ、井筒少尉、浅間あさま曹長、計2名。第2小隊プレアデス雨嶋あめじま中尉、大和田おおわだ軍曹、住吉すみよし軍曹、計3名。第3小隊カシオペア榛原しんはら軍曹、音戸おんど伍長、前坂さきさか伍長、計3名。以上です」


 あまりにも少ない生還報告に、自然と拳へと力が籠る。


「そうか、多くの者がここで……」


 懐かしい顔が浮かんでは消えていく。皆優秀な機甲歩兵ばかりで、自分を支えてくれた部下たちだった。

 撤退する大隊を支援するという役目は完遂されたかもしれない。だが、結局自分の力では部下たちを生かし切ることはできなかった。


「特殊作戦中隊は本任務の終了をもって解隊。自分は第2小隊の3人と共に、後方に建設された国際協調団体の保有する施設警備隊へ編入されました」


 中隊長直轄である第1小隊と第3小隊の指揮官を同時に失ったどころか、中隊全体で僅か8名しか機甲歩兵が残らなかったとなれば、夜光中隊としての再編成が行われないのも頷ける。

 ただ、疑問符は別の場所についた。


国際協調団体NGO? 軍を防衛に参加させるような施設を持つ組織なんて聞いたことがないが」


「いいえ、隊長もよく存じているはずですよ。戦争が激化する中にあって、人類の保全を目的とした実業家たちの集まりが、国家の垣根を越えて造った施設を」


「――テクニカか」


 ゆっくりとした瞬きが自分の答えに正解を伝えてくる。

 現代でテクニカと言えば、スノウライト・テクニカのような文明崩壊後に現代人たちが作り上げたものを指すが、言葉の源流は先日接触したB-20-PMを責任者としているあの施設だ。

 まさか、800年前の時点で少尉に接点があったとは思わなかったが。


「当時、表向きには環境保護区に作られた大規模な保全施設。確か、ジオドームという名前で公表されていました。まさかそれが、文明の崩壊を予見した者達による箱舟だったなんて考えもしませんでしたが」


「あれだけ大きな地上施設を完全に隠蔽することは難しい故、かな。しかし、だとしたら何故テクニカに翡翠が搬入された記録が残っていないんだ?」


 井筒少尉を含め、元夜光中隊の隊員が所属したとなれば、装備していたマキナは当然翡翠であるはず。

 真っ先に疑うとすればあのバイオドールだが、彼女はその理由をあっさりと言い放った。


「結局の所、私達があそこに着任することがなかったからよ」


「というと?」


「私達はショコウノミヤコからテクニカへと移動する際、第303輸送中隊とカール・ローマン・リッゲンバッハ教授を護衛する任務に就いていた」


「リッゲンバッハ教授を?」


「ええ。教授たってのご希望だったとか。前線で貴方がどうなったのか、直接目にしていたであろう部下から聞きたかったそうよ」


 教授は以前、井筒少尉から自分の状況を聞いたと語っていたことを思い出した。

 どういう手を使ったかは知らないが、あの人の立場ならば護衛部隊を指名することくらい容易かったことだろう。上層部からの無理に振り回されたであろう高月師団長が、どんな顔をしていたかまで想像がつく。


「けれど、道中で文明の崩壊が始まった。ショコウノミヤコからの出発があと半日遅かったら、私はエーテル反応兵器の消滅反応に巻き込まれて死んでいたでしょう」


「……環境遮断天蓋ホシノアマガサすら耐えられない訳だ」


 柱だけが残されたフラットアンドアーチの景色を思い出し、深く背もたれに体重を乗せる。

 エーテル反応兵器の動作原理は機密とされており、自分はもちろんダマルでさえ詳しくはわからないだろう。だが、それの引き起こす被害は知っている。

 実験映像を見た限りでは、作動と同時に黒い空間が球形に広がり、接触したものを吸い込むように消失させてしまう。比喩表現ではあるが、ブラックホールのようだとよく言われていた。

 故に、強靭な環境遮断天蓋の支柱だけが残され、本来守られるべきである内側の都市が綺麗さっぱり消滅してしまったのだろう。今更ながら、あまりにも納得できる原因にはため息も出ない。


「きっかけは共和国が?」


「最初のボタンを押したのが誰かなんて、今になっては分からないわ。けれど、事態を察したリッゲンバッハ教授は同行していた笹倉大佐に、護衛部隊である私達をシンジュー市へ向かわせたのよ」


 シンジュー市といえば、企業連合の東部に位置する小規模な港湾都市だったはず。陸軍の駐屯地こそ近くにあったような覚えはあるものの、敢えて名指しで向かうよう指示を出すような場所ではない。

 自分の訝し気な表情が目についたのだろう。少尉はフッと肩の力を緩めて首を振った。


「最初は理由も判然としなかったけれど、到着してから数日もすれば嫌でもわかった。戦略兵器による破壊の応酬は企業連合の中央圏を焼き尽くし、続けて地方の都市にも手を伸ばしたわ。そうなれば当然、どうにか難を逃れた避難民が行き着く先は絞られる」


 人道も倫理もかなぐり捨てた最終戦争だからこそ、防護設備を持たないような小さな地方都市の方が生き残ると教授は読んだらしい。しかもその予想が当たった以上、大都市部には凄惨な景色が広がったことになる。


「国家機能は、まだ残っていたのかい?」


「温存されていた第三艦隊旗艦に臨時政府が置かれて、閣僚で唯一生き残った外務大臣が指揮を執っていたわ。私が独立国家共同体に居た理由も、第三艦隊がシンジュー港から民間人を退避させていたからよ」


「ではシンジュー市にも大量破壊攻撃が?」


「いいえ。戦略兵器の飛来警報は3日としない内に聞かなくなった。お互いに撃ち尽くしたのか、攻撃拠点が全て消滅したのか知らないけど、本当の地獄はその後よ」


 ほんの僅かながら、彼女の眉間に力が籠ったように見えた。声も微かに震えを孕む。


「未曾有の規模となったエーテル汚染は、誰も予想しえなかった事態を引き起こした。狂暴化した変異生物が辺りに溢れ、あちこちで極度の地殻変動が起こり始めた。まるで世界をゼロから作り直そうとしているかのように」


 言葉を失った。

 確かに800年前と現代の地形は大きく異なる点が多い。だがまさか、それは数世紀をかけて変化したものだとばかり考えていた。否、それでも歴史を辿ればかなり急激な変化だろう。

 しかし、彼女の語った内容が事実だとすれば、地形変動はほんの数日の内に、素人目にもわかるレベルで発生していたことになる。

 災害の規模は想像を絶するものだろう。しかも国家は体裁を保つのに精一杯な状況で、国民を保護すべき軍隊もまともに機能していたとは考えづらい。そこへ大量のミクスチャが襲来したのだとすれば、どれほど絶望的な状況になるかは火を見るより明らかだった。


「小隊の受けた任務は、港から船が無事に離脱できるようにすること。1秒でも長く変異生物を押し留めること。だけど私は――私だけが、船に乗せられた。古いフェリーだったわ。笹倉大佐に、雨嶋中尉に、住吉と大和田に、最後まで船と避難民を守れと言われて」


 静かに息を吐き、星の輝きだした空を見る。

 父親のように慕っていた上官の、自分の部下として第2小隊を率いた気さくな男の、それを支えた優秀で仲の良かった2人の最期を、自分はようやく知ることができた。

 自分はそこで共にあることができなかった。それはとても悔しく情けないと思ってしまうが、先に逝った彼らがこんなことを聞けばきっと呆れかえるだろう。それは少尉に対しても同じ。

 生き残るというのは、そういうものだ。だから少尉は唇を震わせる。


「結局、海は荒れるばかりで敵が現れることはありませんでした。でも、終わらないのは地獄も同じ」


 焚火の光に照らされる彼女は、自らの掌へと視線を落とした。


「独立国家共同体は、大陸の状況が対岸の火事でないことを悟ったのでしょうね。国家非常事態宣言を発令した彼らは、受け入れた避難民をネオキノー実験に投入することを決めた。最初こそ自主的な協力を求めていたけれど、あの様子だと最後は強制的に人体実験の材料にしたのでしょう」


「ということは、君は早い内に?」


「自分から志願したわ。避難民を守るために残された命だもの。それ以外に、自分が生きていることに価値なんて、なかった」


 最後の言葉は絞り出すかのようだった。

 どれほどの覚悟だったのだろう。どれほどの絶望だったのだろう。想像を巡らせたところで、同情などなんの役にも立ちはしないのだ。


「――それでも、それでもだタヱちゃん」


 小さく息を吸う。現代では珍しい、自分とよく似た黒い瞳に視線を合わせる。


「よく、生きていてくれた」


 それはただただ、自分の本心を吐き出したに過ぎない。否、それしか言えなかった。

 大きく見開かれた目に、そのまなじりに光った小さな涙に、企業連合軍少尉ではなく井筒タヱという女性の表情が一瞬だけ見えた気がした。


「ッ……やめて。あの時に私が、私なんかが、隊長に助けてもらわなければ、命令を無視してでも貴方を1人にしなければ、皆……皆助かったかもしれないのに」


「後悔は僕にもある。もっと自分が強ければ、模範的な指揮官で居られればなんて、たらればを考える。何の慰めにもなりはしないのにな」


 ネオキノー実験にどれほどの人間が供され、そして目覚めぬまま命を落としたかは分からない。それを推し進めた独立国家共同体の為政者や国民も、結局は世界を覆った文明崩壊の波に呑まれて死んでいったのだろう。

 しかし、現実という奴は彼女の覚悟を嘲笑うかのように井筒少尉を生かした。バグナル・バグレイ・ボベリ軍曹と、僅かに2人だけという中で。

 それでも。


「それでも、君は生きている。ネオキノーという人と違う姿になっても、ここに居る。それだけで、僕は少しでも救われた気がしているんだ」


 我ながら、言葉にしてみればなんと薄っぺらなものだろう。

 800年以上の時が過ぎたと知った時、僕は自らの孤独を悟った。

 両親も友人も部下たちも、仮にあの戦争を生き残っていたとしても、数世紀という時間は人間が自然に生き続けるにはあまりにも長すぎる。

 だから、僕は生命保管システムが置かれていた施設で、ダマルと共に出立の準備を整えてきた時点で、穴だらけの記憶の中に見える親交のあった人々のことを、思考の彼方へと追いやっていた。彼らの最期を知る術すら、自分にはないかもしれないと。

 そんな考えは、新たに芽生えた幼い文明に触れるにつれ確信へと変わった。途中、リッゲンバッハ教授の人格をコピーしたプログラムに出会えたという奇跡こそあったものの、2度目があるなんて思えるはずもない。

 だが、自分のよく知る井筒タヱという女性は間違いなく目の前に居る。

 彼女が生きていてくれただけでも十分なのに、自分は永遠に知ることのできないと思っていた親しい人々の最期に敬礼を送ることもできた。この奇跡を救いと言わずして何と言えばいいのだろう。

 ジッと見つめる僕の目に、井筒少尉はふっと表情を和らげた。


「もしかして、口説いてます?」


「僕がそんな器用なことのできる男じゃないことくらい、君は良く知ってるだろう?」


「あれだけの子たちを囲っておきながら、まだ大切な人を作るのが怖いんですか」


「怖いさ。だからこそ、君が居てくれるというのは心強い」


 新しい薪を放り込む。衝撃に小さく火の粉が舞った。


「意気地なし」


「厳しいな」


 ジトリとした半眼に苦笑を漏らす。

 情けないのは百も承知。多少小言を貰うくらい、甘んじて受けねばなるまい。

 だが、彼女は小さく肩を落とすと、なんだかばつが悪そうに僕から視線を逸らした。


「まるで自分の鏡を見ているかのようだもの」


「君はそんなことないだろう?」


「……そう見えるなら、多少は格好をつけられている、ということかしらね」


 はてな、と首を傾げてみても、それきり彼女は何も語ろうとしなかった。

 ただ、暗い海を眺める横顔がどこかスッキリしたように見えたのは、自分の気のせいだろうか。

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