第73話 野暮用
「ご主人様、またお出かけされるのですか?」
開かれたピギーバックのカーゴランプで、後ろからそう声をかけられた。
振り返らずとも分かる。俺の事をご主人様等と呼ぶ奴はこの世に1人しか居ない。
「おう、ちょっくら長めの野暮用が出来てな。ジークにはお前から伝えといてくれ」
個人的な必要資材を積む込む傍ら、振り返らないままひらりと手を上げて応じる。
別に他意はない。これまでもそうしてきたから、今回も同じように頼むと言っただけのこと。
「……あの、お言葉ですが」
「あん?」
想像と異なる返答に、俺はチェック項目を数える手を止めて、肩越しに彼女を振り返る。
フリルのついた水着姿から伸びる短い羽毛に覆われた手足と、頭から生える特徴的な飾り羽。まだまだ薄っぺらい腹の上に、ピタリと揃えられた手はどこか緊張した様子で、その癖俺から視線を反らそうともしないまま、クリンは小さく唇を震わせた。
「そういうことは、ご主人様が直接お嬢様にお伝えされた方がよろしいかと思います。もちろん、ご主人様がお忙しいのは分かっておりますけど」
「分かってんなら――」
お前に頼んでもいいだろ、と言いかけてやめた。
何故、俺は当たり前に誰かを伝言板としているのだろう。それも相手はあのジークルーンなのにだ。
「いや、それもそうだな。悪いが呼んできてくれるか」
「はい、かしこまりました」
綺麗に頭を下げたクリンは、しずしずと俺の視界から消えていく。
彼女が見えなくなってからようやく、俺は小さく自分の頬を掻いた。
――馬鹿馬鹿しい話だ。後ろめたいとでも思ってんのかね、俺は。
お互い好き合っていたとしても、四六時中お傍でべったりしなければならない理由はない。
俺たちの関係にはただ緩急があるだけ。だから再会を楽しみにしているし、休暇となれば甘ったるい時間を過ごしもする。
だからこれは、家で待つ彼女に行ってきますを言うのと変わらない。それをわざわざ伝言させようとしていたのだから、我ながらよくわからんなと苦笑した。
「中尉殿は可能性に賭ける訳だ」
コツンと鳴った床に顔を上げれば、コンテナにもたれかかるニヤついたバグナルの顔が視界に入った。
聞き耳とは感心しないが、隠すつもりもない俺は携帯端末を軽くタッチペンで叩く。
「惚れた女を喜ばせられるなら、手段なんて選んでらんねぇだろ」
「おっほほ、意外と熱い漢だねぇ」
「無機物に体温があるかよ」
「ハートの話だよ。見えないほうのさ」
とっ散らかった頭のチャラい男は、トントンと自らの胸を叩いてから、俺の肋骨辺りを指さしてくる。
痛々しいセリフを恥ずかしげもなく良く吐けるものだ。相棒もたまに似たような言い回しをするが、アイツより遥かに慣れた雰囲気がイラつく。
おかげでまともに突っ込んでやろうとも思えなかったのだが、体温という言葉からふと、以前サラッと聞いた話が頭に浮かんだ。
「そういやお前、ちょっと前に体のパーツは再現できるっつってたよな?」
「言ったね。ネオキノーとバイオドール用の有機部品なら、基礎設計データは俺の頭にも入ってるし、設備と資材があるなら生産するのは難しくない」
「骸骨の体にもくっつけられると思うか?」
「そりゃあやってみないことには――」
1歩迫った俺にバグナルが難しい顔を作った所で、背中に声が飛んできた。
「ダマルさん!」
どうやら、現実味を感じられない与太話は一旦ここまでらしい。
チャラ男もそれは理解してくれたらしく、軽く手を振った俺に喜色悪いウインクを残し、ひょこひょこと操縦席の方へ戻っていった。
ならば何を気にする必要もない。携帯端末を座席の上に放り投げた俺は、両手を広げて我が天使様を迎えた。
「よぉ、悪ぃな急に呼び出しちまって」
「ううん。それより、また出かけるの?」
「ああ。不本意ながら、どこぞの面長野郎に発破かけられちまってな」
気を利かせたのはクリンか、あるいは他の誰かなのか。どうやら知るべき事情の多くをジークルーンは理解しているらしい。
おかげで説明の手間が省けたが、頷いた俺に対し彼女はラッシュガードの裾を小さく握りこんだ。
「……今度は、いつ会える、かな」
「さてな。今ン所、これって当てがある訳じゃあねぇからよ。不安か?」
「会えなくなるの、ダマルさんは寂しくない?」
「そりゃあ、寂しくないっつったら嘘になるが、今回の話ゃお互いの為に――」
スカスカの喉に言葉がつっかえた。
青い瞳は寂し気で、顔には下手くそな笑みを浮かべながら、いつも通り眉をハの字に曲げて俺を見ていたから。
「私達の為なのに、言ってくれないんだね。一緒に来い、って」
音を立てず顎を閉じる。
彼女はことあるごとに出かける俺を、いつも気を付けてと笑って見送ってくれていた。
そうすれば、帰った先にジークルーンは居てくれる。危険に身を晒させる可能性も少ないし、お互い安心じゃあないか。
だが、それは俺のエゴだったらしい。程なくして、彼女はハッとした様子で両手を前に突き出した。
「あ、え、えぇと、ご、ごめんね!? 急に変なこと言って! 気にしなくていいから、私、ちゃんと待って――あたっ!?」
茶髪が映える額に手刀が落ちる。
あわてんぼうの泣き虫め。それも可愛い所ではあるが、こっちが浅慮を悔いる時間すら与えてくれないとは。
「全部自己完結してんじゃねぇよ。いつぞやの小便娘が、まともなこと言うようになったと思ったらこれだ」
「しょぉ――ッ!? も、もぉ! なんでそんなお下品な言い方するかなぁ!」
額を抑えたまま顔を真っ赤に染めたジークルーンを横目に、俺は機内通話用の受話器をおもむろに掴んだ。
「お嬢様と違って育ちが悪ぃもんでな。パイロット、乗客1人追加だ。チケットを用意してくれ」
『承りー、ご利用ありがとうございまーす』
叩きつけるように受話器を戻す。俺も軽薄さなら人に遅れは取らないが、こっちの状況を見透かしたようなバグナルの声には腹が立つ。
しかし、野郎相手の苛立ちなんてものは二の次だ。
「え、えと、ダマルさん? それって?」
振り返った先にあったのは、どこか呆然とした、あるいは夢を見ているかのような女の顔。
おかげで少しばかり、ほんの少しばかりではあるが、スケコマシの気持ちが分かったような気がした。
「しっかり準備してこい。ちゃんと待っててやるからよ」
ポンと茶色い頭に白骨の手を置いて、耳元でカチンと歯を鳴らす。
すると表情すら見えていないというのに、何か暖かい感情が広がるのを骨身に感じられた。
「っ……はい!」
こんなに嬉しそうな返事を聞いたのは、果たしていつぶりだっただろう。
尤も、感情に素直で単純なのはアイツより俺自身の方かもしれないが。
■
赤と緑の航空灯を輝かせながら、巨大な鉄の鳥は入道雲の浮かぶ空を飛び去って行く。
あっという間に小さくなる機影を微笑ましげに眺めていれば、砂を踏む足音が隣に並んだ。
「良かったの? ピギーバックを行かせてしまって。いつ帰ってくるかも分からないのでしょう?」
「これまで散々こっちの都合に付き合わせてきたんだ。軍曹には苦労をかけるが、足くらい用意させて貰わないと」
井筒少尉の訝し気な視線に苦笑を返す。
骸骨であるという変えようのない現実に対する光明は、単なる偶然の思い付きでしかなかった。
800年前に行われた魂の器計画とやらが、聞き及んだ通りの凍結された軍事機密だったとしても、何らかの経緯で独立国家共同体へと流出し、ネオキノー開発に活用されている。
その中には、計画内で唯一の成功例であるダマルの情報が事細かに残されているはず。それこそ、プライバシーも人権も無視したありとあらゆるデータがだ。
遺伝子情報なんて特に重要視されていることだろう。それさえ見つけることができれば、古代のテクニカやガーデンに残されている設備で細胞を培養することは難しくない。
あくまで憶測でしかない希望。それでも、行ってこいと背を押すくらいはさせてもらわねば。
「だとして、こちらの補給手段はどうするつもり?」
「エアクッション艇を呼んである。効率は落ちるが問題ないよ」
「呆れた。操船担当まで配置してるんですか?」
「人じゃあないがね」
少尉はまた訝し気に首を捻る。多分だが、彼女の中ではバイオドール辺りを想像しているのだろう。実際に出てくるのは黒いアイロン状のオートメックなのだが。
「あのぉ、私はどうすれば良いのでしょうか……?」
おずおずとした様子で後ろから声をかけてきたのは、どういう訳か置いてけぼりにされたクリンである。
元々は僕も、ジークルーンのことだから彼女だけは同行させるだろうと思っていたのだが、それはダマルから聞かされたとある理由によって既に覆されていた。
「せっかくの機会だ。仕事を忘れて羽を伸ばすといい」
「そう仰られましても、私は使用人の身ですし、皆様と同じようにと言う訳には」
それでもここに居る内はまだいい。仮に自分たちが合宿を終えて帰宅するとなれば、自分はどの家に戻り何をしていればいいのだろう。
使用人として成長しているとはいえ、未だ彼女は仕事を始めて半年ほどの新人なのだ。一時的とはいえ命綱である主に手を離されれば、不安になるのも分かる。
そんなクリンの様子からか、少尉は膝を折って背の低い彼女に視線を合わせると、あまり見たことのない優し気な表情を向けた。
「殊勝な心がけね。なら、暇そうにしている奴の相手でもしてあげなさい。ちょうど都合の良さそうな子も、そこに居るでしょう」
少尉の視線を追いかければ、ビーチボールを手にトコトコ歩く人影。
背格好はクリンと変わらない程ながら、彼女にはない尖った耳と誰よりフサフサした尻尾を揺する彼は、突然かかった声にビクリと肩を震わせた。
「えっ? な、なんですか? ぼくに何か……?」
「いい機会だサフ君。クリンに泳ぎ方を教えて貰ったらどうだい。頼めるかな?」
「わわ、分かりました!」
狐の弟分はきっと事情を理解する時間もなかっただろう。
ズンズンと近づいてきたかと思えば、あっという間に腕を取ったクリンに目を白黒させている。
「えっ、クリン!? 何、何なの急に!?」
「いいからこっち!」
「い、行くから! 行くから服を引っ張らないでぇ! 脱げちゃうってば!」
照れ隠しだったのか、あるいは年上2人の視線に耐えかねてか。こぁーと響く叫びを聞きながら、僕と少尉は珍しくトンと拳を突き合わせた。
「夏は人を開放的にするってよく言うけど、あながち嘘でもないのかもね」
「平穏であればこそだ。微笑ましいものだよ」
骸骨の思惑に沿った行動はとれたと思いたい。
クリンとサフェージュ。唯一無二の青春を生きる彼らにとっても、この休暇が大切な思い出になるように。
■
ズゥンと重い音を立て、甲鉄が太い脚を砂浜につく。
それから程なく胴体部装甲が大きく解放され、中から小柄なワンコが力なくビーチへ転がり落ちた。
「ぅぐへぇ……きぼちわるいッス」
砂を掴みながら這う様子は、まさしく地獄を見たという様子。あまり汗をかかないのは種族としての特徴だろうが、顔色の悪さが疲労の濃さを如実に表している。
とはいえ、決してアポロニアだけが限界に達している訳ではないが。
「ひゅー……ひゅー……」
「これ……いつまで……やるのよ……」
小休止の合図を受け、先に脱装したファティマは大の字に転がっており、いつもは貴族としての体面を気にするマオリィネさえ、四つん這いの状態で肩を上下させていた。
一方、彼女らを見下ろす教官の目に慈悲はない。
「辞めたいなら止めないわ。水着に着替えて遊んできなさい。意志のない者を鍛えるなんて時間の無駄だもの」
「くっそぉ……おぇ……言ってくれるじゃないッスか」
「ボク達だって……頑張ってるん……うぷ……ですからね……」
「勘違いしない事ね。努力をするのは当たり前。結果が出るまで続けなければ意味なんてない」
相変らず厳しいものだと苦笑する。
だが、僕は決して口を挟まない。甘い訓練で戦場に立たされることを思えば、彼女の行いこそが真の慈悲であることは疑いようもないのだから。
「ひとつ、聞かせてくれる……?」
どうにかこうにか顔を上げたマオリィネは、額に張り付く黒髪をどかそうともしないまま大きく息を吐いた。
「今の私は……いえ、私達3人は、貴女やキョウイチから見てどの位の位置に居るのかしら?」
それは不味い、と聞いてから思っても後の祭りである。
ピクリと跳ねた少尉の眉は、既に言ってはならぬ言葉が耳に届いた後。
あまりにも長く、同時に深いため息だった。これを聞いたのはいつぶりだろうか。
「――思い上がりも甚だしいわね。いいわ、教えてあげる。着装しなさい」
背筋に冷たいものが走ったのは、どうやら自分だけではないらしい。
今まで息を切らしていたキメラリア2人が、揃ってジワリと瞳孔を開く。
「なんか嫌な予感がするんスけど」
「えっ? ボクもですか?」
「総員着装、急げ!」
号令と同時に彼女らは弾かれたように自らの機へ戻っていく。未だ訓練期間は短いながら、この辺りは既に染み付いたらしい。
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