第41話 保身は悪か

「あいつ差し出して終わり、って訳にはいかないッスよねぇ……」


 アポロニアはどこか憂鬱そうに、ラウンジの椅子をギシリと揺らす。

 ルウルアの件があったからか、どうにもB-20-PMのことはあまり好ましくないと考えているらしい。それは彼女に限った話ではないかも知れないが。


「敵の目的がそれだけなら、戦闘を拒否したって構わないんだが、如何せんアチカの前例もある。ここが落ちれば次はどこまで押し寄せてくるか想像もつかないし、敵部隊に多方面の戦線を形成されでもしたら、僕らの力では止められなくなる」


「この間来たような数が、あっちこっちの町に襲いかかってくるかも、ってことッスか?」


「そうなったら、諦めた方がよさそうですね。諦める以外、何も出来ないって言った方がいいかもですけど」


 うへぇ、と舌を出すアポロニアと、困ったように笑うファティマ。仮に自分やB-20-PMの想定通りに事が進めば、彼女らのイメージした世界が訪れるのはそう遠くない。

 自分達の手は世界を覆えるほど大きくなく、テクニカにしてもアチカにしても、その防衛に協力できたこと自体、奇跡と言っていいくらいなのだ。

 もしも敵が師団規模の戦力を抱えていて、テクニカの次は旧企業連合領の攻略と定めたら、その時は戦争などという形式ばったやり取りは起こらないだろう。彼らの目的が何であれ、抵抗した勢力に待っているのは一方的な地ならしだ。1個分隊にも満たない自分たち程度の戦力では、大波に攫われる木の葉に等しい。


「だがよ、敵の規模はマジで未知数だぜ? 仮に運良くプラットフォームをぶっ壊せたとしても、裏に本国がくっついてたら、結局はゲームオーバーだろ」


 換気扇の傍で煙草に火を点けた骸骨は、既に自分達では手の施しようがないんじゃないかと、頭蓋のあちこちから青白い煙を吐く。


「その時は、純白の旗を天に掲げるとしよう。戦時国際法に則って対処してもらえることを祈りながらね」


 この想定を恐ろしいと見るべきか、あるいは希望があると見るべきかは分からない。

 ただ、800年前の国家が残っていて、そこが現代文明の領域を支配しようと目論むのならば、結局何をやってもやらなくても同じこと。僕らにできるのは、武器を捨て諸手を挙げるだけ。

 こちら側に居る事を罪と断じられれば、その時点でダマルの言う通りゲームオーバーだ。

 とはいえ、今日まで見てきた世界の状況で、800年前の国家が存続しているとは流石に考えづらいが。


「……全てを捨てて逃げる、という選択は?」


 ポツリと零れた声に隣を見れば、シューニャは珈琲の注がれた自身のマグカップを、俯きがちに見つめていた。


「これまで築いてきた全部を捨てて逃げるということも、私達にはできるはず。敵の狙いはこっちじゃないし、たとえそうだったとしても、今の内に敵の目から逃れてしまえば、この広い世界からタマクシゲを見つけることは難しくなる」


 ファティマとアポロニアは顔を見合わせ、ダマルは興味深げに腕を組む。

 言葉は小さな波紋となって皆の考えを揺らしたのだろう。勿論、僕自身に対しても。


「そりゃまぁ、そうかもしれないッスけど」


「本当に逃げちゃっていいんでしょーか?」


「キョウイチは今、自分を治すために旅をしている。それなのに、わざわざ危険に飛び込むのは道理が通らない。違う?」


 シューニャはこちらを見た。その口調も視線も責めるようなものではなく、ただ強い憂いを含んでいるような。


「確かにな。保身だけ目指すなら、それが最良だろうよ」


 カカッ、とダマルは笑う。その声から、彼が今何を考えているのかは察せられない。

 彼女の言う通り、手の中にある暮らしを、財産を、立場を、えにしを、何もかも捨て去って世界の果てまで逃げれば、成程確かに戦いを避けることはできるだろう。その期間が何か月か何年か、はたまた追われることもないかも知れない。

 時折微かに震える手、なんとなく怠い身体、稀に聞こえてくる小さな耳鳴り。それらにだけ向き合うなら。


「……シューニャの言う通り、僕の選択は元々の理屈からはかけ離れている」


「だったら――」


「それでも」


 どこか期待を抱いたようなシューニャの声に、僕はわざとらしく声を被せる。


「それでも、逃げるとしたらやれることを全部やった後だ。今ここで全てを、たとえばマオの家族や故郷、王都の友人たち、ガーデンや司書の谷の皆、他にも沢山の大切な物を全てを投げ出してしまったら、どう足掻いたって後悔することになるだろう?」


 玉匣に乗れる人数は限られている。今のメンバーにマオリィネとポラリスを足せば、生活空間としての車内は一杯一杯だ。

 もしも独立国家共同体が戦火を広げれば、自分達と一緒に逃げられなかった者たちの未来は誰にも想像できない。マハ・ダランが良心的なら占領地の人間を利用し、指導者だけを挿げ替えて終わるかもしれないが、危険因子と判断されれば根絶やしにされる可能性だってある。

 全てを捨てる、というのは、言葉ほど簡単なことではないのだと。それでもなお、君には選べるのかと。僕は言外に問いかければ、シューニャはうっと言葉を詰まらせた。


「な、なら、テンライを使うというのは? クロウドンの災禍を消し去ったあの力なら、敵がどんなに強固な要塞でも――」


「残念だが、アレに2度目はねぇよ。遙か天高くを走る衛星軌道まで行って、ぶっ壊れてる部品を一切合切直せるなら話ゃ別だがな」


「そう、なの……」


 換気扇のダクトへ消えていく紫煙に、シューニャは再び視線をマグカップへと落とす。

 大量破壊兵器を容易に用いるという考えに対しての是非はともかく、もしも天雷が使えたならば、彼女の言う通り、要塞の1つや2つを蒸発させることは容易かっただろう。

 だが、相手は800年間放置された戦略兵器だ。1発照射できただけでも半ば奇跡であり、高エネルギーを撃ちだした反動は、風化に耐えていた多くの部品の寿命を一気に削り切ってしまった。

 必殺の切札は早晩、スペースデブリの仲間入りを果たすだろう。シューニャはどこか希望を打ち砕かれたような様子だったが。


「そう悲観ばかりしなくてもいいだろう。こういう状況は初めてじゃないし、切り抜けてきたから僕はここに居られるんだ。それに、作戦内容もまだ固めた訳じゃないしね」


 いつもと同じように、金紗の髪をポスポスと撫でる。

 僕は別に死にに行こうとしている訳じゃない。無理無謀な突撃を敢行するのでなければ、何事にもやりようはあるものだ。それはこれから決める事でもある。

 ただ、自分が平穏無事な生を全うする為にこそ。


「……ん」


 一応、と言った様子でシューニャは頷く。利口な彼女の事だ、何かと気を揉んでくれているのだろう。

 もう少し何か、安心できるような言葉をつけ足しておくべきかとも思ったが、僕の低スペックな頭が気の利いた台詞を思いつくよりも早く、ダマルは煙草を揉み消した。


「おし、とりあえず俺ぁもう一仕事してくるぜ。さっさとあのボロスケを直してやらねぇとな。ワンニャンズ、ちょっと付き合え」


「「はーい」」


 ぐずる自動工作機との根競べは、未だ終わりが見えないらしい。外は陽が沈もうかという時間だというのに、彼らの勤勉さには全く頭が下がる。

 本来なら自分も手伝うべきなのだが、初めにそう伝えた時に、お前の仕事じゃねぇと釘を刺されてしまえば、食い下がること等できるはずもなく。置いてけぼりの手持無沙汰となった僕は、とりあえず珈琲でも入れ直すかとラウンジチェアから腰を浮かせ。


「キョウイチ」


「ん?」


 マグを掴む寸前、同じく残っていたシューニャから声をかけられた。それも何やら、真剣な眼差しで。


「少しだけ時間、いい?」


「ああ。別に構わないが、なんだろうか」


「ついてきて欲しい所がある。歩きながら、話したい」



 ■



 小さな背中を追いかけ、長い長い階段を下る。

 少なくとも僕は覚えのない道であり、しかしシューニャは勝手知ったると言った様子で、躊躇いなく下へ下へと進んでいく。

 その中で、彼女は振り返らないまま、ポツリポツリと言葉を零した。


「死ぬのは、怖くない?」


「怖いさ」


「なら、どうして自分から死に近付くの?」


「僕は兵士だからね。戦うことが仕事なのに、それを怖いからと言って、投げ出す訳にはいかないよ」


「貴方の居た軍隊は、もう残っていないのに?」


「軍人としての生き方しか知らないってもの、正直あるかな。ただ少なくとも、誰かを守れる機甲歩兵であり続けることは、誇りに思っているよ」


 破滅願望がある訳ではないし、兵士になる前から生死を達観していたつもりもない。

 こんな風に考えるようになったのは、数回の戦闘を生き延びてからだったように思う。

 どれだけ技術や文明が発達しても、人間はあまりにも簡単に死ぬ。前線で戦う兵士は特にそうだ。

 どれだけ血を吐くような訓練を重ねても、ギフテッドと呼んで差し支えないような才能を持っていても、ただの1度選択を誤っただけで、あるいはほんの少し運が悪かっただけで。

 考えを誰かに強要するつもりは無い。ただ僕は、自分が機甲歩兵を続ける限り、いつかは順番が回ってくると考えていた。だから結婚なんて考えもしなかったし、ストリに告白されたあの日も、心の底から嬉しく思いながら、後悔しないかと釘を刺しもしたのだ。

 今もその考えは変わっていない。ただ、悲しんでくれる人達が居るのも同じだから、精一杯生きようとしているだけのこと。

 短い会話で、自分の信仰とも言える考え方が伝わったかは分からない。ただ、シューニャは小さくキャスケット帽のつばを降ろし。


「それは、私を……」


「うん? なんて?」


「ううん、なんでもない。着いた」


 彼女は一体何を呟いたのか。問いかけることもできない内に階段は終わりを迎え、閉じられたままとなっている防火扉を、小さな体が押し開く。

 導かれた先は閑散とした通路。壁も床も天井も白一色で統一されたその場所は、なんとなく雪石製薬の地下研究所と似ている様な気がした。


「知らないエリアだとは思ったが、ここは?」


「後で説明する。とりあえず入って」


 シューニャはその通路の途中にあるセンサーへ、そっと手をかざす。

 指紋など登録されているはずもないのだが、どうしてか自動ドアは平然と開く。何かの誤作動か、それともただのタッチセンサーだったのか。

 しかし、自動ドアに対する疑問は、部屋の中に見えた景色のおかげで一気に塗りつぶされてしまった。


「ここは……生物の研究室かい?」


 大量に置かれた透明なシリンダーの中には、自分にも覚えのある生物たちが、当時の姿を保ったままで浮かんでいる。800年以上が経過してなお腐敗していない辺り、何らかの手段で厳重に保存されているのだろう。

 とはいえ、テクニカは元々が研究施設だ。こういう部屋があること自体は不思議でもなんでもないが。


「シューニャ、どうしてこんな所を?」


「大事なのは、この先にある」


 質問の答えは返ってこず、代わりに彼女は部屋の奥をピッと指す。

 そこにあったのはまたしても扉であり、しかし今度はシューニャの声を待っていたかのように、パシュと圧力の抜ける音がして独りでに開いた。

 呼ばれている。そう感じてしまったのは、躊躇いなく歩を進める彼女のせいだろうか。


「なんだこれ……? 植物、なのか?」


 エアロックのように頑丈そうな扉を潜った先。強化ガラスで遮られた向こうに見えたのは、大人1人を飲み込めそうなくらいの大きさをした不思議な塊であり、ふわふわと宙を泳ぐ蔓のような部分は蓄光性でもあるのか、青白い光をぼんやりと放っていた。


「ぽりぷ、というらしい。彼女が、教えてくれた」


「彼女? それは誰――っ!?」


 シューニャの方を向いた時、僕は目を疑った。

 虹色に輝く半透明の髪。それを風もないのに揺らす女性は、この世界のどこを探しても居ない存在のはず。


「や、戦場ぶりだね。タイイさん」


「ルウルア……間違いなく、君、なのか」


 薄い医療用ガウンだけを羽織ったクヴァレの女性は、妙に気安い口調もへらりと上げられる手も、つい先日守れなかった僚機のパイロットそっくりだった。

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