第42話 呑まれる真心
あり得ない、と思う気持ち半分。もう半分は、これが夢でなく奇跡なら、どうかそのまま現実に、という祈りだったかもしれない。
しかし、当の本人はまるで朝の挨拶をするかのような雰囲気で、驚いた僕の顔を見ながらカラカラと笑っていた。
「そんな疑わんでもいいっしょ。ちゃんとアンタの知ってるルウルアさ。少なくとも、この意識はね」
「意識……? いやすまない。まさか君が無事だったなんて夢にも思わなくて、少し、混乱している」
「安心してよ。アンタの記憶は間違ってないから」
「なら、あの損傷で、どうやって」
ルウルアが着装していた尖晶は、自分の見間違いでなければ、ヘッドユニットを敵弾に貫通されていた。
加えて、センサー範囲外からの超長距離狙撃であること、それでいて尖晶の装甲を容易に貫通していることから、使用された武装について、僕とダマルの意見は
装甲で多少威力を減衰したところで、耐熱徹甲弾の直撃に生物が耐えられるはずがない。
だというのに、ルウルアはそこに居るのが当然かのように語り、その一方でどこか自嘲的で影のある笑いを浮かべていた。
「ウチの意識は特別なのさ。簡単には死ねないし、その分深い深い業を背負ってる。望まないサヨナラを、沢山ね」
人間と何も変わらない手が、部屋を隔てるガラスに触れる。彼女の視線は奇妙な植物か、あるいはイソギンチャクのように見える存在へと向けられていた。
「ウチの命はね、血を分けた
「ポリプ、と言ったか。それとなんの関係が?」
「これはウチら、クヴァレの源にして本来の個。ルウルアの意識や魂はここから生じ、これが失われない限り消えることも無い」
小さく息を呑む。
彼女の口にした内容が全て事実だとすれば、クヴァレは人間型の身体を持たずとも、生命活動を維持できることになる。それは、これまでに見聞きしたどんなキメラリアとも異なる、種としてのヒトからあまりにもかけ離れた生態だった。
加えて、キメラリアという種が生み出された理由を考えると。
「それは、あのバイオドールの受け売り、だろうか」
「ただの事実だよ。そういう風に、ウチらは生み出された。死なない人間を作り出すために、ね」
「不死の研究……」
生物の域を超越する進化。新たな人類の創生。
エクシアンへと進化することは、飢餓に倒れることも、病に侵されることもなく、寿命という生命の定めすら過去のものとなることに他なりません。そう語った男の声が、頭の中をを駆け巡る。
ルイス・ウィドマーク・ロヒャー。狂気に駆られたキメラリア博愛主義の研究者は、800年前の人類が目指した生命の形を、そのまま実現しようとしただったとしたら。
その結晶は今、自分の目の前に立ち、ただの雑談をしているかのように軽く鼻を鳴らす。
「ま、これまでの同族を使った実験は、成功はしてないみたいだけどね。トゥーゼロが言うには、ポリプも世代を重ねてるらしいしさ。ただ――」
ルウルアがこちらへ向き直る。
「ウチの真価はまだ試されてない」
「それは、どういう意味だ」
薄暗い部屋の中、光って見える瞳。青を湛えるそんな目が、僕には微かに笑ったように見えた。
「ウチらが生まれた目的は、死なない人間を作り出そうとしたこと。クヴァレそのものが不死になることを目指した訳じゃないんよ」
『J型キメラリアの研究は、その遺伝子的特徴を既存の人類に付与することにあり、世代交代を経ることなく人間という種を進化させることを目指していた』
唐突にスピーカーから流れ出した声に、自分の身体は自然と強張る。
忘れてはいけない。この施設のどこに居ようとも、中央システムはビジターを捕捉しているのだと。
「盗み聞きとは感心しないな、管理権原者代理」
『不躾である点は謝罪しよう。しかし、これはシューニャ・フォン・ロール氏と、利害が一致した結果である点は考慮してもらいたい』
「――シューニャ?」
まさかと隣に立つ少女の顔を覗き込む。
だが、僕のよく知るシューニャは俯いたまま。首を横には振ってくれなかった。
「身体を治すため、健康に過ごすため。この旅の目的は、貴方にとって変わっていないのかもしれない」
紺色をしたポンチョの裾を、小さな手が握りこむ。その肌がいつもより白く見えるのは、ポリプから零れる青白い光のせいだろうか。
「けれど、私には分からなくなった。もし身体が治っても治らなくても、貴方はきっとまた、謳われる英雄らしく、戦いに赴く。死ぬことを、失うことを怖いと言いながら、それでも立ち向かえてしまう。キョウイチは強いから」
「いや、そんなことは……」
「でも、私は弱い。貴方を失ってしまうことが、怖くて、怖くて、堪らない」
初めて目が合った。
そこにあるのはいつもと変わらない無表情。なのにどうしてだろうか。
ただ微かに揺れる瞳を見ただけで、僕は彼女が緊張と恐怖に震えているのが手に取るように分かる。
溢れ出した不安を止める術はなかったのだろう。震える唇から、シューニャは身体に沈殿した恐怖を吐き出した。
「まきなは無敵の鎧なんかじゃなく、貴方も不死身の存在じゃない。人は天気が変わるだけで、死んでしまうこともあるくらいに脆いのに、戦いに身を投じていたら、いつか、いつか」
息の詰まりそうな言葉の羅列に、僕はグッと顎に力を込める。
まだあどけなさを残す少女の曝け出された本音は、自分にとって内容こそ想像できても、その重みは理解の及ばないものだった。
「成程な……君は、僕が不死身になれる方法を見つけた、という訳だ。利害の一致というのはその点だろう。管理権原者代理?」
『理解が早くて助かる。尤も、現時点における当研究の成果では、言葉通りの不死身を完全に再現するには至っていないが』
「シューニャに何を教えたのか、聞かせてもらっても」
出来る事なら、聞きたくはなかった。それでも、シューニャの縋るような言葉を聞いてしまった後で、何もなかったことにして踵を返すことなど、僕にはできそうもない。
この複雑な感情を数値化できれば、B-20-PMにも伝えられたのだろうか。しかし、バイオドールは自らの権限範囲で問われたことに対しては、一切の返答を躊躇うことはなく、そこに感情等という曖昧な物を挟むことはなかった。
『端的に言えば、J型キメラリアの持つポリプという特異性を、自然発生した人間に付与するというものだ。これは当機が処理すべき本来の研究内容でもある』
「要するに、そちらは被検体を欲していた訳か。メリットは大体理解したが、何の反動もなく出来るものだとは思えないな」
『過去5回の臨床実験において、実験における死傷者は出ていない。ただ、ポリプと同化した全ての被験者が、人間という種を維持できないという問題が生じている』
背中を嫌な汗が伝っていく。自分の無意識はきっと理解を拒もうとしたのだろう。
それでも、僕は聞かねばならない。聞いて、シューニャが見つけ出した道を理解しなければならないのだと、深く深く息を吸った。
「……それは、ポリプと同化するとクヴァレになる、ということか?」
『その理解で間違いない。尤も、試行回数の少なさから、データの偏りが発生している可能性は否定できないが』
「他には」
『まだ確立された技術でなく、どのようなイレギュラーが発生するかが不明な点を除けば、人間側が憂慮すべき点は特に無い』
「クヴァレの側にはある、と?」
『研究精度における重要な課題として、同一条件による再現実験が不可能な点が挙げられる。これはポリプに人間を同化させる際、ポリプに刻まれている元々の遺伝子は上書きされてしまう特性によるもので、既存個体の物を使用せざるを得ない状況では――』
自分の勘は妙に当たる。
戦場では何度も助けられた感覚だが、今ほど当たって欲しくないと思うことも珍しい。
「待て。既存のポリプはルウルアの物だろう。その遺伝子を上書きするというのは、まさか」
「ウチらの役目は終わり、ってこと」
ルウルアはアッサリと言い放つ。まるでそれが当然であるかのように。微塵の恐れすら覗かせることはなく。
『安心してくれ大尉。J型キメラリア個体群は、実験用に生産されたテクニカの資産だ。臨床試験に関する損失について、君が憂慮すべき点はないことを約束しよう』
B-20-PMの音声は確かに鼓膜を揺らしていたはずなのに、その意味はまるで頭の中に入ってこなかった。
ただ、僕は静かにシューニャへと向き直る。
「……君はこの事を、ルウルアが犠牲になることを知った上で、選んだのかい?」
自分はどんな顔をしていただろう。憂い、悲しみ、怒り、分からない。
ただ、シューニャはビクリと肩を震わせたきり、こちらに目を合わせようとはしなかった。
言葉にならない答え。言葉にはならずとも、あまりにハッキリとした回答。
自然と握りこんだ拳は、小刻みに震えていた。
「そうか……そう、なんだな」
「あー、タイイさん? シューニャのことは責めないであげてよ? ウチらのこと知った時は、その子もすごい悩んで――」
「黙れ!」
自分の怒声が静かな部屋の中へ木霊する。
シューニャを庇おうとしたルウルアに腹が立った訳ではない。いい訳すら口にしなかったシューニャを怒鳴りつけようと思った訳でもない。
それでも、自分の感情は焼けるように熱く、頭の中は凍り付いたように冷たくなって、相反する2つの温度が口の中から水分を奪い去っていた。
「自分の生き方が、最良になるよう選んできた道が、シューニャをここまで追い詰めていたかと思うと、自己嫌悪で吐き気がする」
何故、気付けなかった。何故、理解してくれていると己惚れていた。
戦争の中で刻まれた兵士としての生き方は、パートナーなど求めるべきでないとあれほど自戒していたのに。自分を癒してくれた暖かさを勘違いし、どこかで有頂天となっていたのではないか。
考えれば考える程に、腹の奥底から己への怒りが沸き上がってきて、火を吐くように息が熱かった。
『重ねて言おう。実験の問題点について、君は何も気にかける必要は無く、シューニャ・フォン・ロール氏についても、一切の責任は生じないことが約束されている。被験者が憂慮すべき点は――』
「責任がない、だと!? 800年前の文明が残した、この馬鹿げた倫理感の選択を、この子は一生背負うことになるんだぞ! 形はどうあれ、他人の命を天秤に掛けたという事実をだ!」
バイオドールに理解できるものでないことは分かっている。心の傷など、機械は決してエミュレーションできず、そんな非効率なプログラムを実装する必要もないのだから。
それでも、怒鳴らずにはいられなかった。何故わからない、と。
「ま、待ってキョウイチ。2人は悪くない、これは私が……っ!?」
「君が僕を想ってくれたことは、よく分かっている。それが自分の不甲斐なさに起因していることもだ」
おずおずと伸ばされていた手が、僕が振り返った途端慌てて引っ込む。きっと自分は酷い顔をしていただろうから。
彼女は優しいのだ。こんな不甲斐ない僕の事を、傷つき後悔する事すら恐れず、どうにかして救おうとしてくれたのだから。
だからこそ、ゆっくりと息を吐いて膝を折り、目線の高さをシューニャへと合わせる。
「それでも、それでもなんだよシューニャ。たとえ善意からの行動であろうとも、他人の命を絶対の犠牲としなければ成り立たない手段は、何があっても選んではいけない。いけないんだ」
「う……」
不安を吐き出した口がきつく結ばれる。
シューニャは聡い。だからこそ、こんなやり方をしたところで、僕が喜ぶことはないことくらい。
問題の一切は、そんな方法を取らせてしまった自分にあるのだから。
「ったく、タイイさんは想像以上にお優しいみたいだね」
頭上から降り注いだ呆れたような声に顔を上げれば、ルウルアは呆れかえった様子で腕と触腕を組み、ジトリとこちらを見下していた。
「アンタ勘違いしてるよ。その子はウチらの役割に賛同してくれただけ。実験体として課された使命を、この体はようやく果たせるんだ。同情なんて誰も求めてないんだよ」
「……成程。確かに、これは僕のエゴかもしれないな」
ルウルアは実験体として生み出され、親代わりとなったB-20-PMから、研究内容を使命を聞いて生きてきたのだろう。その心情だけを切り取るなら、自分の倫理観など紙屑ほどの価値もない外野のクレームそのものだ。
それでも、僕は改めて姿勢を正し、ルウルアとしっかり目を合わせた。
「だが、そうして君の意識が失われることを、君自身が死を迎えることを、スゥという子も望んでいるのか?」
「っ! アンタ、なんでその名前を……?」
青い目が驚きに見開かれる。
あくまで想像でしかなかった。しかし、ルウルアの反応を見るに、自分の想像は意外にも正解だったらしい。
「先の戦闘が終わった後、彼女は他のクヴァレたちを連れて、僕に会いに来た。会話が成り立っていたかは曖昧だったが、それも今繋がった」
感情の読み取れないところはシューニャに似ていて、しかしシューニャよりもボンヤリした雰囲気が強かった、不思議なクヴァレの少女。
スゥは言葉の意味を説明してくれなかった。それが声の印象を強める為なのか、特に理由なく言い放っただけだったのか。
『ユチのこと、スゥのこと、わすれないでいてくれたら、うれしい』
そのままにルウルアへと伝えれば、彼女は狼狽えた様に1歩後ずさり、複雑な表情で顔を背けた。
「あの子が、そんなことを……」
「これは勝手な解釈だが、彼女は抗いようのない生物としての性質を前にして、それでも君に生きて欲しかったんじゃないのか。僕なんぞにたどたどしい言葉を残したのも、実験体の使命なんかじゃなく、君が君であり続けられるよう願っていたんじゃないのか」
居なくなってしまった誰かの言葉を代弁するなど、おこがましい行為であることは分かっている。スゥの心など、誰にも理解しようがないのだから。
だからこれは、自分のエゴに過ぎない。今のルウルアの身体が、過去スゥの物であったなら、生きられなかった妹の分を無下にしてほしくないと、そう思っただけ。
お前が妹を語るなと怒鳴られ殴られるなら、僕はそれも甘んじて受けるつもりだった。しかし、ルウルアは暫く黙したかと思うと、やがて半透明な髪をガシガシと掻いて、ああクソと吐き棄てて顔を背けた。
「あーもー、分かった分かった。ウチの負けだよ。スゥのヤツ、普段はボケっとしてる癖に、変なとこばっかり勘がいいんだから。残されるお姉ちゃんの気持ちも、ちょっとは考えろっての」
微かな鼻声に、僕は内心少しホッとする。
ルウルアは紛れもなく、自分達と同じ人種だ。特別な生態を抱えていても、弟妹達を命のストックだとは思っていないし、失われることへの痛みも想われる事への温かさもよく知っている。
『被験者の拒否を確認。実験番号CJ000458は中止された。実験体CC5G32-0004アルファの待機を解除し、試験フェーズは3Bへ再構築される』
一方、天井のスピーカーから聞こえてくる声は、やはり手続きを書き換えた以上の感情を含まない。こちらに関しては、元より期待などしていないが。
相手はどこまで行っても機械なのだ。腹立たしく思うだけ無意味だと、気を抜けば吐き出しそうになる怒気を抑えつつ、自分を見ているであろう監視カメラへ向き直る。
「管理権原者代理、今回の話は一切聞かなかった事にしておく。いいな」
『同意事項の再確認。この研究計画は部外秘のものであり、テクニカのセキュリティポリシーについて――』
「守秘義務なら理解している。もし外部への漏洩が確認されたら、一切の嫌疑を自分に被せて構わない。必要なら誓約書でもなんでも書く」
被せるように吐き棄てる。
どんな罰則があろうとも、それは既に過去の話だ。800年前に記されたセキュリティポリシーなど、高度技術の再現が不可能な現代文明を前にすれば、全く無価値かつ無意味な代物に過ぎない。
今はただ、この会話そのものを一刻も早く断ち切りたかった。
『承諾した。では、速やかに当該エリアから退出を願う』
「言われんでもそうするさ。シューニャ、行くぞ」
「あ……っ」
細く小さな手を握り、僕は大股で踵を返す。
白い廊下を通り過ぎ、無闇に長い階段を足早に上って、この所見慣れてきた居住区の景色がガラス越しに見える通路に出る。
後ろに続いた少し荒い呼吸に、僕は握っていた手をそっと離した。
冷たく降りる夜の静寂。テクニカに暮らす人々の喧騒は既になく、壊れた環境遮断天蓋の隙間を見上げれば、やけに明るい星空が顔を覗かせていた。
「……幻滅、した?」
「君にじゃない。自分にだよ」
キャスケットの奥から恐る恐ると見上げてくるシューニャに、僕は心の中で己の信念とやらをせせら笑う。
僕は何を手に入れたいのだろう。不安を呼び寄せねば手に入らない、安寧で幸福な人生とはなんだ。
「でも、私は――」
「君があの方法を取らざるを得なくなった原因は僕にあるんだ。なのに、それが分かっていながら、どうすればいいのかがまるで思い浮かばなくて、自分が嫌になる」
「……キョウイチ」
「すまない。今日は、もう休もう。明日になれば、何かいい方法が浮かぶかもしれないから」
揺れる瞳に背を向けることが、ただの逃げでしかないことは分かっていた。
けれどそうしなければ、こんな生き方しかできない自分に銃口を向け、トリガを引いてしまいそうな気がしてならなかったのだ。
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