サマーバケーション?

第57話 カラーフラ

 神よ。生死すら超越した絶対的な神よ。

 我が身は御許へ行くことを許されたでしょうか。未だ献身も信心も不足とは存じておりますが。

 我は祈る。真っ暗に沈んだ夢の中で。

 ピシリ痛みが走った。

 死は肉体の痛みを取り去ってくれないのだろうか。それとも、我は未だあの状況から。


「……しぶといものだな。人というのは」


 ぼやける視界の中、映った灰色の天井が神の世界でないのなら、この身は未だ生きねばならないのだろう。そして、変わらない手足の感覚や痺れるような痛みが、現実であろうという予想を付けてくれた。


「ここはどこだ……我は……卑劣なカニバル共は……?」


 あの邪な儀式を嬉々として行っていた人喰い共が、傷だけを残し逃がしてくれたとは思えない。

 だが、痛みに耐えながら身体を起こし、ゆっくりと辺りを見回してみても、身体に模様を刻んだ者はおろか、人影の1つさえ見つけられなかった。

 その代わりに。


『意識が戻ったか。君はそれなりに、幸運を携えているらしい』


「何者だ」


 再び周囲を睨みつける。だが、先ほどもそうであったように、部屋の中はただただ灰色が広がるばかり。

 にもかかわらず、男であろう低い声はどこからかワァンと響き渡る。


『問いたいのは私の方だ。リトルレディ』


 傭兵といい砂賊といいカニバルといい、この所無礼な奴ばかりが自分の前には現れる。

 その中においてこの声は、比較的理知的な雰囲気を漂わせていたが、結局の所連中と変わらぬ無知蒙昧の輩なのだろう。

 姿が見えずとも、怯えてなどやるものか。そう心に決めて腕を組む。


「名乗る気はないと?」


『必要ならば、私の事は中佐と呼びなさい』


 意外にもアッサリと返された呼び名に、危うく拍子抜けしそうになった。

 剥がれかけた威厳の仮面を取り繕うように、咳ばらいを1つ。


「チュウサ……? 随分珍妙な名前だな。カニバルの伝統か何かか?」


『階級を知らぬとなれば、軍属ではないのだな。であればなおの事。君は何故キュムロニンバスのマスターキーを持っていた?』


「……せめて通じるように話せ。お前は何を言ってる?」


 あまりに一方的で、自己完結したような問いかけに、我がムッと眉間を寄せるも、声の主は全く動じない。

 言葉は通じているようだが、人の話を聞くつもりはない、ということだろうか。


『言い方を改めよう。あの白いリングは、どこで手に入れた物だね? 場合によっては国家反逆罪を問わねばならなくなるが』


「反逆だと? この身が神国が最たる聖、ファゾルトが娘、フォンティンであると知った上での発言か?」


 フン、と鼻を鳴らす。

 今のオン・ダ・ノーラに、我ほどの愛国者など残ってはいまい。

 真に教義を胸に抱き、神を讃え、国を愛した者のほとんどは、ソランの地を守らんとして異教徒共との戦いに散っていった。

 我は生き残った故にこそ、神国の為に果たせなばならぬ使命がある。その身を反逆者などと、誰が言えようか。

 しかし、声の主はまるで呆れたかのような口調で、どこからか大きく息を漏らした。


『君がどのような夢想の国に居たのかは知らんが、ここでは身元不明の侵入者だ。それで、質問には答えてもらえるかね?』


「所詮は邪教徒。我と口を利けただけで光栄に思うがいい」


『沈黙が答えならばそれも結構。未来を選ぶ権利は、誰にでもあるものだ。その結果が苦痛を伴うものであろうと、悔いは残るまい』


 ビクリと体が震える。

 目の奥に刃と炎がちらつく。鼓動が早くなり、口の中が渇いた。


「っ……な、何をする気だ」


『君には申し訳ないが非常事態宣言下だ。尋問にはあらゆる方法の行使が認められる。さて、君の爪は合わせて20枚ある訳だが、どこからいくかね』


 耳にこびりついた恐怖が叫ぶ。


 ――我らが父祖よ! この麗しき魂を音声として捧ぐ!


 目の奥で刃が揺らめく。何度も何度も浅く浅く切り裂かれ、痛い痛いと叫んでも、見えるのは平服する蛮族の姿だけ。

 思い出される恐怖を前に、威厳はまるで錆びた剣のように脆く、我は寝かされていた白い台の前にへたり込んだ。


「ひ――ッ!? 待て、待ってくれ!」


『もう一度問う。マスターキーはどこで手に入れた?』


「こ、この腕輪は我が聖下、父上より受け継いだ物! であればこそ、この身を置いて他に、正当を語れる者など居るはずがない! そうだろう!?」


 相手はただの声で、刃も炎も見えないのに、私は震える体を抱きしめながら声を絞り出す。

 もう痛いのは嫌だ。何故、正しい行いをしている我だけが、こんな目に遭わなければならないのか。

 何度も何度も思ったこと。これがただの悪夢で、目が覚めれば穏やかな神殿の中であればと。

 そんな妄想すら、低い声は受け入れてくれない。


『成程。では、バヴァリア・イグナティウス、という名に聞き覚えは?』


「し、知らぬ。ただ――」


 ごくりと唾を飲んだ。

 ほんの少しだけ肩の力が抜け、身体の震えが小さくなる。


「イグナティウスというのは我が一族の名と、同じ、だ……古くより神の光の下、オン・ダ・ノーラの地を治めていた」


 単なる偶然か神の思し召しかは分からなかった。

 ただ、聖たる血脈の名を語るのに嘘など吐けはしない。自分の名前が、フォンテイン・イグナティウスである以上は。

 声の主は暫し沈黙する。怯えていた我にはその僅かな間が、次の瞬間に痛みを伴うのではと恐ろしくてならなかった。

 だが、訪れたのは肌を開くための刃ではなく、今までと変わらぬ低い声のみ。それもどことなく、圧力のようなものが消えていた。


『……簡易DNA鑑定の結果に間違いはなかった、ということか。800余年の年月が誠とも信じがたいが』


「お、お前は、お前は何者なんだ? 人は何をすれば、そんな途方もない歳月を生きられる?」


 問い返せたのも、きっと少しばかり緊張が薄まったからだろう。

 相手は人間、或いは人種ですらないかもしれない。口を突いた一種の好奇心にも似た疑問に、彼はふむと少し考えたように唸ると。


『私を最も端的に表すならば、戦人としての究極を目指したが故、カラーフラ・インダストリに全てを売った愚か者、と言ったところか』


 頭の中がガァンと鳴った気がする。

 カラーフラ。それは我らが信奉する教義の名。同じ銘がこの世に2つとあるとは思えず、しかし声の主が同じ神の子とも考えにくく。

 思考が絡まれば言葉らしい言葉など出てくるはずもない。あ、とか、う、とか零している内に、彼は何かを理解したように話題を切り替えた。


『君がイグナティウス中将のご子息であれば、閣下はマスターキーを託されたのだろう。所持の正当性は確認された。無礼をお詫びする、リトルレディ。君は自由だ』


 パシュと音を立てて、独りでに灰色の扉が開く。

 薄暗い外からは、古い書庫のような臭いを冷やりとした風が運んでくる。

 しかし、自由という言葉以上に我は声の主を呼び止めねばならなかった。姿は見えなくとも、まだ聞いてくれていると信じて。


「待て、待ってくれ! お前は、いや貴方は! カラーフラの何なんだ!?」


『奇妙なものだな。かの名前に何を固執する?』


 返答があったことにホッとしつつ、我は尻もちをついたままだった姿勢を整え、何となく天井を見上げる。

 何もない灰色の板の中にある、唯一の変化。何か磨かれた石のような半球形の物が埋まっており、赤く小さな光を宿している。

 それが声の主と関係があるかはともかく、我はそれに向かって話すことにした。


「カラーフラとは、我ら神国の者にとって最も重要な教義。大いなる神、エカルラトの子が抱くべき教えだ」


 静寂。

 我が語ったのは、国在りし頃の常識。それがどう響くかは分からないが、大まかに説明する方法が咄嗟に思い浮かばなかった。

 程なくして、ザザザと砂を擦り合わせるような音が聞こえてくる。合わせて、ふふ、と男の息が小さく漏れた気がした。


『ふははははははっ! 教義? 神? 道理で話が噛み合わん訳だ! ククク』


「な、何故笑う! 何がおかしい!」


『おかしいとも。ついの戦争が世を狂わせるであろうことは理解していたが、かくも常識すら悉く消え失せるとは思わなんだものでな』


 笑う声の主に、腹立たしさ半分、恥ずかしさ半分で顔が赤くなる。

 恥ずかしいと感じた理由はよくわからないが、それ以上にこいつは何なのか。

 言い返そうにも、どうして笑われているかさえ掴めず、一層の事全て聞かなかったことにして、開かれた扉から逃げ出してやろうかとも考えた。

 しかし、我がそれを実行に移すより先に、ひとしきり笑い終えたらしい低い声は、打って変わった落ち着いた様子で。


『エカルラトとは、すなわち私の事だ』


 などと宣った。

 パクパクと口は動く物の、やはり声は出ない。


 ――こいつは何を言っている。エカルラト? 聞いたものをそのまま返しただけなのでは?


 あり得ないあり得ないあり得ない。頭ではそう繰り返しているはずなのに、心のどこか片隅で、もしかしたらなんて思ってしまう自分も居て、我はこっそりと口調を改めた。


「よ、よもや我をからかっておいでか! 神の名を騙ることは、火刑に処さねばならぬ重罪で――」


『私は神などではない。戦いに飢え、高みを望んだ結果、人間であることを捨てた将校に過ぎんよ』


 それでも、声の主はエカルラトであることを否定しない。

 御身は神であろうとも、自ら神であると名乗ることはしないのか。それともカラーフラの教義自体に間違いがあるのか。やはりただの戯言か。

 我は自然と片膝をつき、拳を胸の前に当てる祈りの姿勢を作る。


「……お姿を、お見せになっては頂けないのですか」


『容易には動けぬ身でな。とはいえ、閣下の末代と出会えると言うのは奇跡的でもあろう。少し話をしようじゃないか。君に疑問が渦巻くように、私にも色々と聞きたいことがあるのでね』


 普段であれば、一笑に伏して終わる与太話。それでも、我はゆっくりと立ち上がる。

 きっと信じたかったのだと思う。

 これまで救われなかった自らの行いが、これまで奪われるままだった自分という存在が。

 神の一手により、全て覆るという奇跡を。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る