第77話 たまになら悪いことをしても
『まぁた面倒臭そうなのに絡まれてんなァ』
まるで他人事のようにダマルはため息を吐く。
今どこに居るのかも分からない彼に、ツウシンが繋がったのは運が良かったと思う。私達だけでは分からないことが多すぎるから。
「何か心当たり、ある?」
『俺をなんだと思ってんだ。まだ何処の巣も突いてねぇよ』
「そういう意味では聞いてない」
真面目に、ともにたぁ越しの頭蓋骨を睨みつければ、ダマルは少し沈黙した後、うーんと唸った。
『実物を見ねぇことにゃなんともな。ガーデンに後送すんだろ?』
「ご主人はそう言ってたッス。センモンカに見てもらうべきだって」
ズン、と頭の上に何かが乗っかる。
妙に柔らかいそれのことを、私はできるだけ考えないようにしておいた。
『なら爺さんの判断を待つ方が賢明だろうよ。で、その言ってた本人はどうした?』
「今は休んでるッス。さっきの戦闘で、ちょっと疲れた、って」
何か薬を飲んではいたが、それでも疲労を消すことはできないのだろう。
報告を受けたダマルは、やれやれと頭蓋骨を押さえた。
『てこたぁ、やっぱり機体だけのせいじゃねぇか』
「……体の問題?」
『だとしか言えねぇだろ。少なくとも、翡翠のパラメータは回復してんだ』
私にもまきなの詳しい話はよく分からない。
ただ、問題を起こしていた部品は、ガーデンで作り直した物と入れ替えたと言っていたし、ダマルが整備に満足している様子だったのも覚えている。
それでも、帰ってきたキョウイチの様子は、あまり変わっていなかったのだ。
「じゃ、じゃあ、他に何かできることとか!」
まるで何かを否定したいように、アポロニアは一層前へ身を乗り出す。おかげで首が一層重たくなったが、ダマルの反応はやはり冷ややかだった。
『極力戦闘を避ける、身体に負荷をかけねぇ、ってくらいじゃねぇの』
今までと何も変わらない。彼が大切ならばと言われ続けてきたことの反復。
ちくりと胸が痛んだ。
「今回の遭遇が偶然なら、それもできるとは思う。けど、もしまた神代の何かが動いているのだとすれば、キョウイチは」
『悲観するなよ。敵の素性だって分かっちゃいねぇし、アイツだって今日明日に死んじまう訳じゃねぇ。何のためにマキナを用意したと思ってやがる』
ヒューンと鼻が鳴る音が聞こえた。
私達が戦えれば、キョウイチの負担は小さくできる。ダマルの考えは、私達にまきなを操らせようとしていた時点で分かっていたことだ。
けれど、だとしても、私は膝の上で手を握りこんだ。
「キョウイチが治ることは、ない?」
諦めたくない、と。神代の技術があればなんとかできるのではないか、と。
自分の無力を棚に上げて、なお縋ることをやめられない。
『分からんってのが本音さ。俺は医者じゃなくて整備兵だからな。機械は直せても人体は門外漢だぜ』
こういう時、ダマルは嘘も冗談も言わない。それは厳しさであり、優しさであることも分かっていた。
「下手な気休め」
『ただの現実だ。ともかくお前らは、アイツの傍に居てやれ。それが1番だろ』
静かに息を吸って吐く。
私にしてあげられることはなんだろう。
私と彼が目指す先は、なんなのだろうかと。
■
寝息の聞こえてくる小屋の中、僕は静かに手を握って開く。
震えはない。胸を絞るような痛みや苦しさも襲ってこない。
咥えたペンライトで照らしたポーチの中へ、小さな筒を放り込んで息を吐いた。
「……やれやれ」
襲撃者に感謝するなんて馬鹿馬鹿しい話だ。
それでも、今後の指標となったのは間違いないだろう。今日くらいの規模なら問題なくとも、より厳しく長い戦いとなればまず体はついてこない。
分かっただけで収穫である。少なくとも、同じ轍を踏まないようにはできる方法には心当たりがあるのだから。
とはいえ、この場で準備できる物でもない為、僕は一旦思考を頭の隅へ追いやり、ぐっと体を伸ばしてから小屋を出た。
「ここも羽を伸ばすにはいい場所だが、風呂がないのはやっぱり痛いなァ。今度来る時は、白藍に野外入浴装備でも積んでくるか」
戦闘を終えてから、今の今までひっくり返っていたのだ。パイロットスーツこそ脱いではいても、汗に塗れた不快感までは拭えない。
そういう意味では、バカンスを少しでも快適にしようと野外用シャワーを準備してくれたダマルには頭が下がる思いだ。湯に浸かることは叶わずとも、汗を流せるのだから。
ペンライトで足元を照らしながら、ピギーバックの置いていった貨物コンテナの裏へ回り込む。
この暗がりでは誰に見られることを気にするでもない。物臭な自分はシャツを適当に脱ぎながら、かけられた目隠し用の布に手をかけた。
「お?」
聞こえるはずのない声が聞こえた。既に皆寝静まっているはずなのに。
視線を落として見えたのは、今まさに解かれようとしていた三つ編みと、その向こうにある一糸まとわぬ艶やかな肌。
――デジャヴ?
成程、夜目の利くファティマだから照明はついていなかったと。シャワーの音が聞こえなかったのは洗髪の準備をしていたからか。
深呼吸を1つ。脱ぎ捨てようとしていたボトムスから手を離しつつ、僕はそっと回れ右をする。
「……あぁうん、まさかこんな時間に誰か居るとは思わず。失礼しました、どうぞごゆっくり」
フラッシュバックする顔面直撃猫パンチ。ドキドキするのは多分、ラッキースケベとかではなく身の危険を感じるから。
しかし、勢い良く逃げるな。相手を脅かさないよう、努めて自然にゆっくりと目隠し用の布を潜り。
「えと、おにーさん」
背中にかけられた声にビクンと肩が震える。
呼び止めないでほしかったが、こちらに非がある以上無視して逃げる訳にもいかず、その場で直立不動。
「見てません、何も見てません」
「ボクまだ何も言ってませんけど」
「どうか、どーか命ばかりはお許しを。何でもしますんで」
「ほぉ、なんでもですか」
咄嗟に口走った命乞いに、肉食獣が舌なめずりをした気がした。
否、甘んじて受けよう。事故だとしても恋人だとしても、許可なく覗き行為に及んだのは自分なのだ。
「じゃあ、一緒に入りましょ?」
「はい喜んで――って、はい?」
素っ頓狂な声と共に振り返る。
そこには布から顔だけを覗かせるファティマが居て、いつも通りのふにゃりとした笑顔を浮かべていた。
およそ数分の後。
――なんだ、この状況は。
タオルで前を隠しながら小さなバスチェアに腰を下ろしたファティマが前に居て、僕の手はどうしてか長い橙色の髪をシャンプーで泡立てていた。
それも気持ちいいのだろうか。ふふーんなんて鼻歌が聞こえてくる始末。
「髪の毛洗うの、いつも大変なので助かりました。おにーさん、上手ですね」
「それは、どうも」
言わんとしていることは分かる。普段の三つ編みがどれだけ圧縮されているのか疑いたくなる程の毛量を洗うのは、確かに骨が折れるだろう。
疑問点は、それを自分が洗っていることだ。長い毛を泡に包んでいくのは手触りもいいし、嬉しそうな彼女の鼻歌も心地よいのだが、そこに己が含まれることが奇妙でならない。
いくらタオルで身体を隠しているとはいえ、以前なら問答無用でぶっ飛ばされた案件だぞと。
しかし、コンディショナーを髪に馴染ませてもなお、拳はおろか恨みごとの1つすら聞こえてこず、それらを流したシャワーを止めれば、ファティマはぶるぶると頭を大きく振ってからこちらを振り返った。
「交代です。背中流しますね」
本当に何を言ってるんだこの娘は。
「いやあの、ファティ? 僕はそのまぁ、なんだ、嬉しいと言うかありがたいと言うか、礼拝然るべき所なんだろうが、君その、恥じらいとかそういうのは」
耳がおかしくなったのかと思った。あるいは何者かに中身を乗っ取られていないかとも。
だが、ファティマはいつもと変わらない仕草で、んーと少し考える素振りを見せた後、少しだけ頬を赤らめてクスりと笑った。
「恥ずかしいは恥ずかしい、ですよ? でも恋人さんなら、別に変なことじゃないんでしょ?」
「まぁそれはそう、かもしれんが……何故急にこんなことを」
「そーですねぇ」
勧められるがまま、彼女と交代する形でバスチェアに腰を下ろす。なんだか自分の意志が薄弱な気がしてならないが、それ以上にやはりファティマの行動が不思議だった。
何が彼女を心境を変えたのだろうかと考えていれば、背中に石鹸の泡と細い手指が触れた。
「おにーさんは、見たくないですか? ボクの裸」
「ゲホッゲホッ!? な、何を急に!?」
「冗談です。ホントはちょっとでもおにーさんの疲れを取ってあげたかったので。誰かにゴシゴシしてもらうのって、きもちいーでしょ? おっとと」
「……誠にその通りかと存じます」
一瞬、背中の広い面に何か柔らかいものがぶつかった気がしたが、多分気のせいだろう。バランスを崩したような声も聞こえたが、これも幻聴に違いない。
今日何度目になるか分からない深呼吸をしながら、背中の感覚を全力で切り離す。そうしないと理性が壊れる。
ざぁと背中を流されるまで、またもマキナの起動シークエンスを頭に走らせていたら、両肩にファティマの手が触れた。
「ヒスイが直っても、おにーさんの身体、よくならないですね」
耳元、すぐ傍から聞こえてくる声に微かな不安が滲む。
ここへ来て、ようやく1つのピースが嵌った。だから、疲れを取ってあげたかった、なのだろうと。
「劇的に良化するとは、最初から思ってないさ。それでも、前よりはずっと良くなった」
「むー……見た目は普通なんですけどね。あちこち傷だらけなだけで」
「改めて観察されると、流石に少し恥ずかしいんだが」
見ていて気持ちのいいものでもないだろうに、と苦笑する。昔ならこんな古傷を残さない方法はいくらでもあったのを、自分が無精なあまり気にすることもなく放置した結果に過ぎないのだから。
しかし、ファティマは僕の背中にある銃創痕にそっと触れながら、そんなことないですと首を振る。
「ボクは好きですよ、おにーさんの背中。戦う人の背中です」
「くすぐったいな」
何が楽しいのか、丸い傷跡を暫くくるくるとなぞっていた彼女は、ふいに小さく笑う。
「んふふ、なんででしょう。普段から抱っこしてもらってるのに、水浴びしてるってだけでちょっと変な気持ちになりますね」
ドキリと胸が跳ねた。断じて、今度は命の危機からではない。
――もしかしてアレか? 僕ぁ何かを試されてるのか?
一体どこでそんな、誘うような文句を覚えてくるのだろう。自然の発露だとすれば末恐ろしい。
「ねぇ、おにーさん」
耳元にかかる吐息と、背中に触れたタオルの感触。
この間とは真逆で、後ろから僕の肩に回された腕に抱きしめられる。
「ボク、頑張ります。頑張って強くなります。おにーさんが戦わなくてもいいように」
「それは……いや、しかし」
「おにーさんが苦しそうにするの、見たくないんです。だからボクのこと、頑張らせてください」
言葉に詰まった。
僕は機甲歩兵であることを辞められない。二度と大切な物を失わないようにと、思い続けている。
肩代わりなんて誰にも頼めない話だ。それでも、いつもと違うファティマの声に、肩へ乗せられた彼女の頭に手を伸ばした。
「君は、優しい子だな」
「いいえ。ボク、ワガママなので。ん……っ」
肩越しに唇を重ねる。それ以上、言葉はいらないと伝えるために。
どれくらい経っただろう。ねだるように寄せてくる唇が静かに離れて、またファティマは頬を染めながら笑った。
「……ふふふっ。おにーさんのこと独占しちゃいました」
「悪いことかな」
「かもしれません。けど、怒られたっていいんです」
ぎゅっと、回された腕に力が籠る。彼女の体温が伝わってくる。
「人にもキメラリアにも、明日のことは分からないんですから」
だから前に踏み出すのだと、ファティマは行動で示してくれた。
ふわりと鼻を着いた甘い石鹸の香りに、胸が少し詰まる。
もしも己の胸を締める何かが目に見えるのならば、それは理屈ではなく感情を形としていたに違いない。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます