第7話 辺境変わり者貴族

「いずれ、国内の情勢が落ち着けば、私の方から挨拶に伺わねばと考えていたのだがね。まさかそちらから、こんな辺境まで出向いて来られようとは、思いもよらなかった」


 屋敷の広間で、革張りの椅子に腰掛けたウィリアムは、軽く顎を撫でながら、相変わらずフレンドリーな雰囲気を崩さない。

 初対面であるはずが、まるで親戚が来たかのように思えた。


「しかし、娘から聞いてはいたが、改めて目にすると、本当に奇妙な集団だねぇ君たちは」


「と、申されますと?」


「人間とキメラリア。国家に思想に地位。傍目からもバラバラであることはわかるのに、どうしてかとても落ち着いている」


 マオリィネに遺伝したであろう琥珀色の瞳から、探るような視線が投げかけられる。その向かう先は僕では無い。


「そちらの、美しいアステリオンのお嬢さん」


「うぇ!? は、はい、アポロニア、ッス」


 まさか声をかけられるとは、思ってもみなかったのだろう。アポロニアは、尻尾をビクリと震わせると、おどおどと目を泳がせながら返事をしていた。

 現代の普通からすると、人間文明の貴族はキメラリアを下賎と称し、視界に入っていないように振る舞うし、自らの居館に入れようなどとは思わないものであろう。

 しかし、ウィリアムは噂通りの変わり者であるらしく、一切忌避する様子もなく、アポロニアに対して笑顔を向けた。


「ではアポロニア君。君は何がきっかけで、彼らと行動を共に? あぁ、言いにくいなら答えなくても構わないよ。単なる興味本位だからさ」


 ちら、と茶色の瞳がこちらを覗き見る。言ってもいいものか、悩んだが故だろう。

 特に彼女の場合、その出自を王国内で明かさない方がいい場合も多いのだ。

 しかし、相手はマオリィネの肉親である。ここはまず信用して接するべきだろうと、僕は促すように小さく首を縦に振った。


「え、えぇと、今だからハッキリ言えるんスけど、自分は元々帝国軍の斥候でして。ご主人の捕虜になったのが、同行のきっかけって言いますか」


「なんと! そォれはそれは! 投降という君の素晴らしい選択が、奇跡を呼び寄せるに至ったという訳か」


 ウィリアムは実に興味深そうな様子で、大仰なリアクションを起こす。それも不自然に見えないあたり、多分常日頃からこういう人なのだろう。

 逆にアポロニアは反応に困ったらしく、なんともぎこちない笑みを浮かべていたが。


「ケットのお嬢さん。君はどうかな?」


 再びの指名はファティマに向く。どうやら伯爵様の興味は尽きないらしい。


「ボクですか? ボクはポインティ・エイトに襲われている所を助けてもらって、それからシューニャと一緒に、雇ってもらうことにしたんです」


「ふぅむ、これまた意外だね。雇われているようには見えないのだが」


「あくまで建前のようなものだと思ってください。彼女らは、僕にとってかけがえのない、家族です」


 恋人たちと言いかけて、恥ずかしさのあまりやめた。初対面の相手に、わざわざ言うようなことでは無いだろうという言い訳もつけて。

 すると、ウィリアムは何事か大きく目を見開いて硬直する。細身で整った顔立ちのナイスミドルが、いきなり変顔をぶつけてくるのはやめて頂きたい。危うく吹き出すところだった。


「家族、か。ふふふふふふ」


 暫く硬直した後、伯爵は小刻みに肩を震わせ始める。それは怒りか、驚きか、感動か、判断に困ったが。


「ハーッハッハッハ! やはりアレかマオリィネ!? お前の目は、私を見て育ったが故に、彼を見染めたのかな!?」


「断じて違うッ! あぁじゃなくて、違いますから!」


「恥ずかしがることはないだろう!? 趣味趣向と言うのは、人に縁を結ばせるものなのだ!」


 どうやら喜びに近い感情らしい。ただ、爆発の巻き添えを食ったマオリィネは、顔を真っ赤にしてギャーと叫んでいた。


「おい、あの親父大丈夫か?」


「僕に聞くんじゃないよ」


 隣に座るダマルからの耳打ちに、ムッと唇に力を込める。下手に喋ると頬が緩みそうだったのだ。

 しかし、またも御貴族親子が暴走し始めると、氷水のような声が、ため息とともに壁際から投げかけられる。


「ご当主様、ご気分よくお話されている所申し訳ありませんが、その辺りで。今後の予定に差し支えます」


「何ッ!? もうそのような陽の位置か!?」


「はい。今日の貴方様は、ウングペール地域全土を指揮する伯爵にありますれば」


 クラシックメイドそのものな雰囲気のクシュは、淡々と事実を羅列する。ともすれば慇懃無礼なその態度は、一種の信頼関係がなせる技なのだろう。

 ウィリアムは不快感を出すことも無く、代わりにわざとらしく襟を正して、威厳感を取り繕った。


「そう固いことを言うものじゃないぞリュシアン。大切なお客人をもてなすこと以上に、大切な公務などない。そうだろう?」


「ご歓談については明日、お時間を取られているはず。それでもなおと仰られるなら、今より荘園管理者の皆様に、査察中止の旨を伝えてまいりますが」


 貴族としての在り方を振りかざした伯爵へ、無慈悲に突き刺さるクロスカウンター。それこそ、自らの権力を盾に、私が白と言えば夜空も白なのだ、とでも叫ばぬ限り、状況は覆りそうもない。

 まもなくウィリアムは、伸ばしていた背筋と強ばらせていた表情を、同時にへにゃりと崩れさせた。


「はぁ……リュシアンには冗談が通じんなぁ。すまんねアマミ君、せっかく来てくれたというのに」


「いえ、とんでもありません。こちらこそ、急に押しかけてしまって」


「あぁ気にしないでくれ。それより、今日の埋め合わせと言っては何だが、明日は共に森へ狩りにでも行かないか? 話の続きは、その途上にでも」


「狩り、ですか?」


 意外な提案に目を丸くする。それは貴族らしい行いなのか、あるいは何かの狙いが。

 と、考える間もなく、コツンと壁際で踵が鳴らされる。


「ご当主様」


「わかっている。是非とも、是非とも前向きに考えておいてくれたまえよ!」


 しゃんと背筋を伸ばし、服の裾をピッと整え、しかし大股の足早に、ウィリアムは部屋を出ていったのである。



 ■



 町の中で最も高い位置に建つ屋敷で、案内された客間に腰を下ろして一声。


「凄い勢いの人だったなぁ……」


 これまでに会ったタイプの中だと、司書の谷で警備隊長を勤めていたヒゲのスクールズさんが、雰囲気は近いように思う。

 尤も、かのコメディアン然とした中年男性と比べて、圧のようなものはそこまで感じない気もするが。


「お前の親父さん、だいぶ軽い雰囲気だったが、普段からあんな感じなのか?」


「いつもいつでも、と言う訳じゃないわよ。けどまぁ、大体はそうかしら」


「なんかこう、想像してた貴族像がどんどん崩れていってる気がするッス」


 突然質問されたことが堪えたのか、へにゃりと耳を倒して笑うアポロニアに、周りもうんうんと同調する。唯一、部屋に入るや、そのままベッドへダイブしたファティマを除いて。


「同感。ガーラットやマオリィネは特別だと思っていたけれど、逆なのかもしれない」


「反論したいところだけど……私の周りが変わり者揃いなのは認めるわ」


「悪いことでもないだろう。マオがそんな風じゃなければ、こうして話すこともなかっただろうし」


 仮にマオリィネがステレオタイプな貴族であったなら、出会いがどんな形であれ、僕は距離を置いていただろう。放浪者モドキだった自分たちにとって、権力という奴は厄介者以外の何者でもないのだから。


「そ、そう、かしら」


 マオリィネは口元に手を添えて、ぷいと顔を背けてしまう。

 はて、なにか悪いことでも言っただろうか。そんな疑問を吐き出すよりも早く、部屋の中へ穏やかなノックが転がり込んだ。


「リュシアンでございます。よろしいですか?」


「どうぞ」


 こちらが応答すれば、きっちり1拍空けてから、静かに扉が引き開かれる。

 そこには想像通り、彫像のような美しさで頭を下げるメイドさんの姿があった。


「失礼いたします」


「いらっしゃいリュシアン。何かあった?」


 僕の代わりにマオリィネが要件を問えば、リュシアンは体ごと僕の方へと向き直る。


「先ほどの件について、アマミ様のご予定を確認させていただきたく」


「狩りのことですか?」


「はい。明日の朝食後を予定しておりますが、いかがなさいましょう?」


 うーん、と腕を組んで考える。

 現代において自分がどう捉えられているかはわからないが、その内実はあくまで兵士なのだ。意図がいまいち読めないのは当然、加えて何より。


「お恥ずかしながら、狩猟の経験はないのですが、どんな風に行うものなんです?」


「軍獣に跨って、獣を弓やクロスボウで射るのよ。お父様のことだし、行き先は北の森でしょう」


「左様でございます」


 現代では珍しい、黒髪の女性2人からの説明で、なお強く考える。

 ド素人が付け焼き刃でできることなのか、と。


「一朝一夕にできるものかい、それ。獣に乗った経験すらないんだが」


「ご主人なら大丈夫ッスよ。身のこなしが人間離れしてるッスからねぇ」


 ニマニマと笑うアポロニア。あの顔は、絶対に面白がっている。たとえ違ったとしても、彼女の言う身体能力は、染み付いた近接格闘術のものであり、狩りだなんだとは全く関係がないだろう。


「不安なら私が乗せてあげましょうか? 構わないでしょうリュシアン」


 渡りに船、と本気で思った。

 現役騎士であるマオリィネが言うのだから、タンデムでの騎乗は可能なのだろう。格好はつかないかもしれないが、少なくとも伯爵の狩りに同行する分には問題ないはず。

 と、思ったのだが。


「いえ、ご当主様は、アマミ様とのみ対話をご希望とのことでしたので、お嬢様はどうかご遠慮くださいませ」


「え゛っ? ダメなの? なんでよ」


 僕に差した一条の光は、黒いクシュメイドによって物の見事に掻き消されてしまった。

 だがその代わりに、より重要な何かの片鱗に触れることは出来たと見るべきだろう。


「ほぉーん? どうやら伯爵様にゃ、何かしら企みがあるらしいな。どうすんだ相棒?」


 ダマルは実に面白そうに、兜の奥でカタカタと顎を鳴らす。

 とはいえ、この決断に関しては、骨に煽られる必要などなかったのだが。


「となれば、断る訳にはいかないだろう。リュシアンさん、トリシュナーにはご一緒させて頂くとお伝えください」


「承知致しました。では、また何かございましたらお呼びつけください」


 静かな目礼を残し、黒いクシュのメイドは扉の向こうへ消えていく。

 その足音が聞こえなくなった頃、マオリィネはパチンと両手を合わせた。


「さってっと――じゃあ、行きましょうか。キョウイチ」


「行く、とは?」


「狩りの為の練習よ。少なくとも、騎乗ができなければ話にならないでしょう? 私が教えてあげるわ」



 ■



 軍獣ぐんじゅう、あるいは一角鹿いっかくろく

 そんな別名を持つアンヴは、現代においては馬のような役割を担っている内の1種である。

 だとして、馬にすら乗ったことの無い自分には、そもそも関係ないことなのだろうが。


「もっと肩の力を抜きなさい! 貴方が緊張すると、軍獣は言うことを聞いてくれなくなるわよ!」


 アチカの練兵場で、マオリィネの声を背中に聞きながら、僕はアンヴの手綱を必死で引っ張っている。

 最初は跨るところから。これは乗せてもらったアンヴが、大人しい個体だったからか、意外にもすんなりとクリアできた。

 だが、これが良くなかったのかもしれない。彼女はできると見るや、いきなりさぁ走らせろと、登るべき階段をいくつもすっ飛ばしたのである。

 至る現在。僕は軍獣に振り回されていた。


「ぐっ……休養という話は……どこへ行ったんだか……っととぉ!?」


「貴方が行くと約束したからでしょう? ほら、また腰が引けてる!」


「君さては鬼軍曹タイプだな!?」


 泣けど喚けど、アンヴが言うことを聞いてくれるはずもなく、さりとてマオリィネの指導強度が弱まることもない。

 ともかく言われるがまま、手綱を制御し続けること暫し。いい加減にしないと、ドクターストップがかけられている激しい運動に該当するのでは? と思い始めた頃。

 ようやくのこと、アンヴは言うことを聞くようになってくれた。それも、停止と常歩との指示くらいだが。


「うん、筋は悪くないわね」


「か、身体の、至る所が、悲鳴を」


 アンヴから降りるなり、僕は草地に転がった。

 この所の休養続きで、身体が鈍っているのもあるだろう。だがそれ以上に、普段使わない筋肉を酷使したらしく、早くも筋肉痛が顔を覗かせている。これは念入りにマッサージしておいた方が良さそうだ。


 ――まるで、新兵の頃に戻ったようだなぁ。


 汗だくの服は気持ち悪いが、吹き抜ける涼風は心地よい。

 そんなことを思っていれば、空を映す視界の中に、マオリィネの顔が逆さまから生えてきた。


「どう? 気分は悪くなってない?」


「それはまぁ、大丈夫だが」


 自分の中にあるボーダーラインは、よくわかっていない部分の方が多い。

 だが、これだけ激しい運動をしても問題ないなら、日常生活の静養はほとんど必要ないようにも思う。

 となると、警戒すべきはやはり、機甲歩兵としての活動なのだろうが。


「その様子なら、明日は問題なさそうね。これでダメなら、無理にでも止めないといけなかったし」


「いきなりチキンレースをさせるんじゃないよ。全く、君は過保護なのかそうじゃないのか」


「心配してるから、厳しくしてるのよ。はい、お水」


 差し出された革の水筒を受け取り、一気に呷る。

 きっと井戸水なのだろう。思っていたよりも冷たい水が喉を通って、火照った身体をじわりと静めていく。

 はふぅ、と一息。


「部屋でずっとダラダラしているのも悪くないが、たまには動かないとダメだな」


「あらそう? なら、次は私と狩りに行ってみる?」


 腹筋に力を込めて身体を起こせば、マオリィネは僕の前に立ち、風に遊ばれる長い黒髪を手で押さえながら、悪戯っぽく笑う。

 その姿はなんだか、騎士だの貴族だのという肩書きを取り払った、歳相応の無邪気な女の子に思えた。


「それはもしかして、逢い引きのお誘いだったり?」


「さぁ、どうかしら? ただ、あまり女に恥をかかせるものじゃないわよ、英雄様」


 細い人差し指に、ツンと鼻先をつつかれる。

 勘違いしてはならない。彼女はもう子どもではなく、立派な女性なのだと。

 電気のように痛みが走る足に喝を入れ、ふぅと息を入れながら立ち上がる。


「失礼。君からのお誘いなら、喜んで」


「ふふっ、よろしい」


 僕の返答に満足したのか、マオリィネは目を細めてからくるりと踵を返して歩き出す。

 遠くがけの向こう。沈みゆく赤い日差しに、艶やかな黒髪を揺らしながら。

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