第6話 カントリーロード
黄色い草原と疎らな木々に囲まれて、ガラガラガシャンと履帯は進む。
「風が気持ちいーですね」
「日向だと、ちょっと暑くないかい?」
相変わらずと言うべきか。ファティマはエアコンの効いた車内より、狭い機銃座に腰掛けているのが好きらしい。
マオリィネ曰く、本格的な夏はまだ先だとか。実際、日が陰ってさえいればファティマの言う通りなのだ。
しかし、季節は日に日に進む。そんな中で、直射日光を浴びる装甲の上となれば、流石に快適とは言い難いはず。
と、思っていたのだが。
「砂漠とか沼地とかと比べたら、ずっとマシですよ。口とか耳の中がジャリジャリしたり、服が張り付いてベタベタしたりしませんもん」
「それはまた、比較対象が悪いなぁ」
双眼鏡をぶら下げたまま苦笑すれば、視界の片隅を長い尻尾がふわりと通り過ぎていく。
砂漠はつい先日まで。沼地というのは以前、シューニャの故郷である司書の谷を、陸路で目指した道中のことだろう。
片や乾燥と日差しに干され、片や霧の中を蒸し暑さに揉まれるという、甲乙つけ難い不快さではあった。
そんな地域から考えれば、このウングペールと呼ばれる地域は間違いなく快適と言える。
「おにーさんこそ、暑いなら中に居た方がよくないですか?」
「それはそうだが、景色の移り変わりを眺めるのにモニター越しじゃ味気ないだろう? 旅情と言う奴だよ」
ウングペールの景色は、平野に森や草原が広がるユライアランドとも、白砂に覆われたホワイトコーストの大地とも異なる表情を見せている。
ハイパークリフから続くであろう断崖と、そこからなだらかに広がる草原。加えて、踏み均されただけの街道からは、時折細道が分かれており、その先には果樹園のような低木の集まりや、人里らしき建物の群れも見えるなど、中々目が飽きることもない。
しかし、ファティマは腕を組んでむぅん? と唸っていた。
「わかるよーな、わからないよーな。いえ、やっぱりわかりませんね」
「うむ、正直でよろしい」
変に取り繕うことなく、わからないと素直に言えるのが、彼女らしく好感の持てる部分でもある。
そう思って、ぐりぐりと顔を擦るファティマの頭をポンと撫でれば、金色の瞳は不思議そうにこちらを見上げていた。
『見えたわ。アチカの町よ』
レシーバーから聞こえたマオリィネの声に、僕は首から下げていた双眼鏡を取った。
「土塁に石垣、それと堀――いや、周りの窪地は河川か?」
『リリウム川ね。その流れをアチカの土台が分断しているの』
『ほーん? 川中島にしちゃ、そこだけ随分隆起した地形に見えるが』
『アチカの言い伝えだと、それはそれは大きな
聞き覚えのない名前に首を傾げる。ただ、自分以外はダマルを含めて皆見知っているかのように、おぉ、と嘆息のような声を漏らしていた。
「ポミプース、とは?」
『あぁ、そういやお前は見てねぇわな。帝都の戦いの時に、グランマが引っ張ってきたクソデカ苔玉盆栽ウサギが居たんだよ。そいつらが5、6人の兵士を背中に乗せて撤退させてたぜ』
「全く想像ができないんだが、兵員輸送車並みのウサギってことかい? それが、老齢になると地形のような大きさになる、と?」
『グランは小さな土手のように見える、と言われることがある。けれど、ここまで大きな個体が居るかはわからない』
『ま、伝説なんてそんなもんッスよねぇ』
『あら、そうとも言い切れないわよ? アチカで井戸を掘っていたら、大きな骨が出てきたことがあるのだから』
シューニャの説明に、アポロニアが所詮物語のことと鼻で笑えば、聞きなれていると言わんばかりにマオリィネが上から可能性を被せにかかる。
それなりに慣れたと思っていた現代生物の奇抜さだが、どうやら自分の想像力など大自然を相手にはまだまだ足りないらしい。
「巨大兎の亡骸の上に作られた町、か。本当に、現代はわからないものだなぁ」
『言い伝えが残っているなら、調べてみたいとは思う。けれど今は、川に囲まれた町へどうやってタマクシゲで入るかの方が大事』
「違いない。シューニャ、この辺りで停車してくれ。直接見に行ってみよう」
『ん』
随分と町を囲む防壁が近くなってきた頃合いで、玉匣は街道の脇に寄って停車した。
走っている時からそうだったが、街道を行き交う人々は驚いて畑に逃げたり、踵を返して走り出したりと忙しい。当然、止まってもそれは変わらず、農作業に勤しむ農夫たちは、恐る恐ると言った様子で、遠巻きからこちらを眺めていた。
とはいえ、いい加減そんな反応にも慣れたものだ。尻もちをついたり、慌てふためく姿には、相変わらず申し訳なさも覚えるが、名が知れ渡っている以上、人目を避けて走る理由は既にないのだから。
警備要員として、ファティマとアポロニアを残し、僕らはリリウム川の低い土手を上った。
「ふむ……市門前に架かってるのは、木造の跳ね橋か」
「ありゃ流石に無謀だろ。つーか、町に入れねぇだけなら可愛げもあるが、渡河できねぇってなったら流石に笑えねぇぞ」
現代の橋梁でも、石造のアーチ橋や重ねて渡し板が貼られた船橋等で十分な幅さえあれば、玉匣で渡ることは難しくない。
ただ、可動橋となると話は別だった。獣車程度の重量ならば余裕で支えられるよう作られていても、装甲車となるとその比ではないのだから。
「最初から海路を使った方がよかったかな」
「カッ、地形情報の欠片もねぇまま強襲上陸なんてたまんねぇぜ。下手すりゃ片道切符になっちまう」
「私もあまりお勧めしない。ベル地中海の東側は、岩礁が多くて複雑な海だと聞く」
「なら最悪は、川を渡るためだけに白藍を呼び出す、くらいかな」
「効率悪ぃなぁオイ」
骸骨が肩を竦めるのもむべなるかな。
ここまでは街道が整備されていたから、問題なく進んでこれたものの、焼けた大地が噂通りの土地ならば、交通インフラなど皆無と考えねばならない。
そこで河川にぶつかる度、わざわざ海岸まで進んでエア・クッション艇を渡し船にしていたのでは、テクニカへ辿り着くまで果たしてどれだけかかるのか。
「ねぇキョウイチ? タマクシゲって、水には全く入れないのかしら?」
「いや、カタログスペック上なら、流れの緩い浅瀬くらいは問題ないはずだが」
「これじゃあな」
視線を下へ落とせば、見えるのは轟々たる水の流れ。
大した傾斜を流れているようには思えないのに、凄まじい流速であり、マオリィネの案は現実的でなかった。
のだが、以外にも彼女は悩む素振りも見せず、なお食い下がる。
「そんなに心配いらないわ。これ、きっと雨が降った後だからよ。普段のリリウム川は、深い場所でも大人の膝くらいまでだしね」
何日か待てば落ち着くはず、と自信たっぷりに胸を張る。
出身者がそう言うのだ。情報の信頼性は高いはず。
なのに何故だろう。彼女の堂々たる様を見ると、どこかでズッコケそうなイメージが湧いてしまうのは。
しかし、思考は顔に出る。そして女性陣はこういう変化に鋭い。
「何よ?」
琥珀色の吊り目に、ジトリと睨まれる。無論、君は空回りしやすいから、なんて言えるはずもない。
「い、いや……前にもこんなことがあったなぁ、とね」
「グラデーションゾーンで渡河した時だろ。シューニャがやらかした奴」
「むぅ……過去の失態を掘り返すのはやめてほしい」
適当な言い訳に逃げれば、あったあったとダマルが同調し、キャスケットの影が落ちる無表情から、少し不服そうな声が聞こえてくる。
シューニャからすれば、とんだ流れ弾だっただろう。心の中で謝罪していれば、ダマルがこちらへ向き直った。
「それで、どうする相棒? 急ぐか止まるか」
「うーん、明確な期限のある旅ではない、が」
あまり悠長に構えていたくはない。そう続けようとした矢先、1歩前に踏み出したマオリィネに、僕の言葉は遮られた。
「ならいいじゃない。せっかく私の故郷に来てくれたのだから、少しは案内させて頂戴。ねっ?」
「ん。元々、アチカを足がかりにするつもりだったし、反対する理由は無いと思う」
「まぁ、それもそうか」
「決まりね」
どちらにせよ、食料等の生活消耗品の類は補給しなければならないのだから、数日立ち寄る程度で何か損をすることもないだろう。
シューニャにも背中を押されて頷けば、マオリィネはどこか嬉しそうにポンと手を叩き、軽やかな動きで踵を返した。
「マオ? どこへ?」
「先に領主様へ挨拶してくるわ。いきなり町中に英雄様が現れたら、大騒ぎになってしまいかねないもの」
手を振りながら去っていく彼女の背中を見て、なるほど確かに、とこの時はぼんやり思っていた。
■
のだが、改めて考えると。
「時すでに遅い気もするなぁ」
「目立ちますからね、タマクシゲ」
街道脇に路駐された装甲車を見上げれば、その異質感にため息も出る。
現代人からすれば未知の怪物そのもの。しかしそれも、動かず静かにしているとなると、怖いもの見たさで寄ってくる輩が現れるものだ。
実際、王都や港町ポロムルと比べ、人の往来が少ないこの場所でも、既に遠巻きの見物人があちこちの茂みに身を隠していた。
「やっぱり、もう少し人目につかない場所を選ぶべきだった」
と、シューニャが後悔したように言えば、鎧兜の中からカラカラと骨が反論する。
『しゃーねぇだろが、隠せる場所ねぇんだから。見ろよ。海側は田畑、山側は低木の果樹園だぜ?』
「でもここは流石に、人目につきすぎるッスよ」
車載機関銃にもたれながら、アポロニアは、たはーと笑う。
町を中心に農地の開発が進められたであろう土地に、装甲車を隠せる場所は無い。せめてポロムルのように、放棄された農地でも近場にあれば話は別だのだろうが。
ともかく、今はマオリィネの帰りを待つ他ないと、外から装甲にもたれかかった時、ファティマがピクリと耳を揺らした。
「沢山の足音がします。来たんじゃないですか?」
人より遥かに優れた耳を持つケットの反応に、町のある方へと顔を向ければ、まもなく足音を発していたであろう一団が、土手の向こうから姿を現した。
先頭を歩くのは、よくよく見慣れた黒いバトルドレスの女性。その後ろには、2人の兵士らしき人影と、軍獣に跨った男性が見え、そこからも尚人の列が続く。
隊列は全体で、十数人程だろうか。頭上に旗までたなびかせ、街道の人々を脇へと押しのけながら、こちらへ向かって近づき、やがて玉匣を囲むようにして止まった。
「皆、お待たせ!」
「お、おかえり、マオ」
いつもより凛々しい表情のマオリィネ。だが、彼女との挨拶もそこそこに、僕はこの行列は何かと、アイコンタクトを飛ばさねばならなかった。
一方、彼女としては、こちらの困惑すら計画のうちだったのかもしれない。マオリィネは堂々と背筋を伸ばして僕の隣へ立ち位置を変えると、軍獣から降りた男性へと掌を向けた。
「紹介するわ。この方が、ウングペールを治めておられる領主、ウィリアム・トリシュナー伯爵よ」
トリシュナーという性に背筋が伸びる。
マオリィネと同じ。つまりは、このキリリとした雰囲気の男性こそが。
と、思った瞬間である。ニッと、白い歯が覗いたのは。
「やぁやぁ初めまして英雄君! 私はウィリアム・トリシュナー、お会いできて光栄だ! なんとまぁ、唄に聞く通り、本当に黒髪の人間なのだねぇ」
どうやら、沈黙は金であったらしい。
無言の内に感じていたウィリアムの、如何にも特別な存在という空気は、あまりにもフレンドリーな口調の為に、一瞬で霧散してしまった。
「こ、これはどうも。夜光協会の天海恭一です」
「ハッハッハ! そんなにかしこまらないでくれたまえよ。いつも娘が世話になっているようだし、いつかお礼をせねばと思っていた所なのだからねッ」
ここが居酒屋だったなら、この
「いえそんな。むしろ、マオリィネさんには僕の方が何かと助けてもらっているくらいでして」
「ほほぅ? 私の娘は、君の役に立てている、と?」
「そ、それはもう」
何か含みのある視線だったが、その意図を測れないまま素直に頷けば、ウィリアムはまたもハッハッハと大きく笑ってみせる。
「そうかそうか! よかったなぁマオリィネ! お前は昔から空回りしやすいから、英雄君に一杯迷惑をかけているのではないかと、父は心配で心配で」
「ちょ、ちょっとお父様ッ! そのようなこと、大きな声で仰らないで!」
口さがない人物なのか、あるいはこれも一種の親馬鹿なのか。
自分たちからすれば、ここまでの付き合いでマオリィネが、しっかりしているようで意外と抜けていることは承知している。だが、マオリィネからすれば死活問題だったらしく、慌てて暴走する実父の静止にかかり。
「コホン」
とても静かで、かつ冷ややかな咳払いに、暴れ狂っていた空気がピンと張り詰めた気がした。
「ご当主様、マオリィネお嬢様も。大事なお客人を前に、このような場所で親子喧嘩は如何なものかと存じまする」
声のした方に顔を巡らせれば、並ぶ兵士の間から、コツコツと踵を鳴らし、スラリと背の高い女性が姿を見せる。
――黒い髪をした、キメラリアの使用人?
丈の長いエプロンドレスは、少なくとも貴人という印象は受けない。加えて、首元や袖口から覗く黒い羽毛は、鳥のような特徴を身体に持つ、キメラリア・クシュであろうことが伺える。
年齢は、自分よりも上だろうか。見た目からは判断が難しいが、毅然としたその態度からは熟練の雰囲気が漂っている。
その為か、ウィリアムの方も不敬をとがめる様子もなく、顎を撫でながらすまんすまん、と笑っていた。
「いやぁ、話始めるとつい熱が入ってしまうのは、私も悪い癖でねぇ。どうか許してくれたまえ」
「いえ、お気になさらず。そちらの方は?」
「私の召使いだ。名をリュシアンと言う」
「お初にお目にかかります、英雄様、お連れ様方。この身は、クシュ・レーヴァンのリュシアンと申します。本日よりアチカのお屋敷にいらっしゃる間、皆様方の身の回りのお世話をさせて頂きます。どうぞお見知りおきを」
ピシリ、と。まるで精緻な時計のような動きで、リュシアンと名乗った女性は腰を折る。
「こ、これはご丁寧に、どうも」
「ひゅー……本物のメイドさんって訳だ。そそるねぇ」
骸骨の妄言はともかく、洗練された所作が故か。些細な動きにも迫力があるように感じられる。それが関係あるかどうかは分からないが、我が家の犬猫コンビが静かに緊張感を走らせていた。
そんな中でも、ウィリアムは全くブレることなく、ポンと手を叩いてみせる。
「挨拶も済んだことだ。ともかく、まずは屋敷にご案内しようじゃないか。へスティング、ウォーワゴンの警備については君に一任する。兵は自由に使って構わない。ただ、昼夜を問わず、常に複数名で当たらせるように」
「はい、ご当主様」
若そうな兵の1人に指示を出すや、いざや反転反転と声を上げ、アチカの領主様は歩き出す。
リリウム川の流れにも負けないであろうその勢いに、僕は始終圧倒されていた気がしてならない。
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