第5話 娘を囲む祖父と姉、ところにより父?

 それはつい先日のこと。

 ガーデンを発つ準備を終えた僕とダマルは、地下ドライドックにて、こちらに残る面々に別れの挨拶をしていたのだが。


「あれ? 一緒に帰らないのかい?」


 雪のように白い少女こと、ポラリスは、セーラーワンピースを揺らしながら、パシナの隣に立っていた。

 彼女は800年前、僕の恋人だったストリ・リッゲンバッハの遺伝子を根幹とし、超能力兵器として産み出された人工の命ホムンクルスであり、現代で言えば、冷気の魔法を操る魔術師でもある。

 無邪気で天真爛漫な性格に、10歳という年齢も相まって、家族の中では末妹のように可愛がられており、ポラリス自身も皆によく懐いていた。

 だからこそ、てっきり皆と早く会いたがるものだとばかり思っていたのだが。


「んとね。まだこっちでやりたいことがある、っていうか?」


 青みがかった銀髪が揺れる。そこには一片の迷いも見受けられない。

 僕はダマルと顔を見合せ、アイコンタクトで何か知っているかと問いかける。しかし、骸骨にも思い当たる節はないらしく、ただただ細い肩を竦めるばかり。


「ダメ?」


 こちらの反応に不安を抱いたのか。ポラリスの大きな空色の瞳が、こちらを見上げてきた。


「いや、僕は別に構わないが、教授たちは――」


 ご迷惑じゃありませんか、と出かかった言葉は喉に引っかかって止まった。

 アイロンの上に笑みを浮かべる爺。それも何となく、悔しいかね、と言わんばかりの視線まで送ってくるのだから。

 久しぶりに思い出したこの苛立ち。この人格プログラムの元となったカール・ローマン・リッゲンバッハという人物は、なんだかんだと愚痴を零しはしても、結局的には孫娘にとえも甘い爺さんだということを忘れてはならない。

 加えて、ポラリスを後ろから抱き寄せる手もある。


「心配しなくてもいいわよぅ導師様。ポーちゃんの面倒なら、お姉ちゃんがみといてあげるから」


 シューニャの姉であり、彼女を少し大人びさせたような顔立ちに、似ても似つかぬスタイルの女性。サンスカーラ・フォン・ロールが、ねー? と腕の中に向かって言えば、ポラリスも同じように、ねー! と返す。


「サーラさん、また来てらっしゃったんですか」


「そりゃあもうっ! こんなにめんこい子を放っておけるものですかっ! 私には癒しが必要なんですからねッ!」


 カッと目を見開いた彼女の圧に、危うく後ずさりそうになった。

 妹過激派であり、女好きをも公言しているサンスカーラの事である。滅多に帰らないシューニャへの寂しさの反動もあってか、ポラリスがガーデンに来てからというもの、暇さえあれば入り浸っているという。

 おかげで、ポラリスの方は既に馴染みきったらしい。体重を預けてじゃれ合うような姿は、微笑ましくすらある。

 だが、そんな彼女を無感情に見つめる赤い目もあった。


「いつも思っていたんだが、アンタ暇なのか?」


 無愛想な声に、ギッとサンスカーラの表情が引き攣る。できれば図星であって欲しくは無いが、反論に悩んでいるあたりで察しはつく。


「ま、またまたぁ、アラン君はわかってないわねぇ。可愛い女の子を愛で――守るのは私の立派な役割なのよぅ?」


「……だそうだ、隊長。任せておいても負担にはならないと思うが」


 パイロットスーツに身を包んだ短い金髪の青年、アラン・シャップロンは、そう言って僕を見る。

 単純に呆れから言葉が零れただけかと思いきや、どうやら誘導だったらしい。基本的にはクールでぶっきらぼうな印象を受ける彼だが、意外とよく周りを見ているなと感心した。


「なら、お言葉に甘えさせてもらおうかな。ポラリスの事、よろしくお願いします」



 ■



 至る現在。


「という感じだったからねぇ」


 ありのまま伝えれば、膝から崩れてテーブルに突っ伏すシューニャ。


「姉ぇ……!」


 変わりなしの近況報告としては満点のはず。しかし、妹という立場からは素直に喜べないようで、無表情の裏側に詰まった複雑な感情が、処理エラーを引き起こした様子だった。

 その気持ちは分からなくもないが。


「サーラさんが相変わらずなのはともかく、ポーちゃんは何がしたいんスか?」


 アッサリと流される無敵の姉問題。

 否、察しのいいアポロニアのことである。シューニャを思って、わざと話題を転換したのかもしれないと、僕は流れに乗る方向へ話題の舵を切ることにした。


「うーん、僕も聞いてはみたんだが、内緒だと頑なに教えてくれなくてね。正直、想像もつかない」


「……もしかして、反抗期かしら?」


 予想外どころでは無い返球に、僕の目は点になっていただろう。否、それは自分だけではないようで、リビングを流れる時間そのものが、一瞬止まってしまったかのような静けさが流れた。

 カロン、と。それを打ち破ったのは、軽くかわいた音。


「カーッカッカッカッ! じゃなんだ!? あのチビスケぁそのうち、洗濯物はお父さんの服と分けて洗って、とか、お父さんの後にはお風呂入りたくない、とか言い出すかもしれねぇってか!?」


 あまりに真剣なマオリィネの表情と、誰も予想しえなかったであろう言葉のフォークボールは、骸骨のツボに突き刺さったらしい。

 ありもしない腹を抱えて、しっかり爆笑してくれるではないか。


「イーッヒッヒッヒ、腹痛てぇ! なぁお父さんよぉ、しっかり覚悟しとけよォ? アレに言われるとなりゃ結構来るもんあると思うぜぇ? カカカ」


「誰がお父さんだ、誰が」


 相変わらず口さがないラフィンスカルである。自分が軽く睨みつけたくらいでは、最早ビクともしない。

 僕とポラリスの歳が離れているのは事実だが、親子と見える程では無いはず。全く馬鹿げたことを垂れ流してくれるものだ。

 と、考えた自分の頭は、どうやらまだ過去文明の常識に取り残されているらしい。


「別に違和感ないわよ? キョウイチくらいの歳なら、あれくらいの子どもが居ても不思議じゃないしね」


「そうなんですか?」


「正直、そう見える時は、ある」


「うひひ、将来有望ッスねぇ、ご主人?」


「……一応、未婚なんだがなぁ」


 久しぶりに感じた好奇の目。加えること、率直な意見と、やや困惑した同意。そして好奇心を含んだ悪戯心。

 言い訳をボヤきつつも、僕の負けだと緩くバンザイをして見せれば、マオリィネは苦笑を浮かべ、シューニャは小さく息をつき、アポロニアはニマニマと口を伸ばしていた。

 ただ、自身の親を知らないからか。ファティマには、あまり理解できない話だったらしい。興味もなさげに、ふーんと鼻を鳴らす他にリアクションはせず、ただ長い尻尾の先をペタラペタラと遊ばせていた。


「あーあ、笑った笑ったァ。そんじゃま、ボチボチ旅支度にかかるとすっかね」


 骸骨がポンと膝を叩いて立ち上がれば、皆もそれに続く格好で、思い思いに動き出す。


「ほいほい。ファティマ、ちょっと手伝ってほしいッス」


「もー、めんどくさいですねー」


「私も行く」


 ぐぐぐと、大きく伸びをするアポロニアと、あくびを噛み殺すファティマに、裾を払って立ち上がるシューニャ。

 アポロニアが主導するとなれば、生活物資の選別や積み込みだろう。


「なら、僕も何か手伝おうか」


 料理のセンスはからっきしでも、肉体労働なら多少は役に立つ。

 そう思って腰を浮かせた途端、鼻先にビシリと人差し指を突き立てられた。


「ご主人は、基本安静ッスよ」


「です」


「ん」


 無警戒だったこともあり、微かに腹の底が冷たくなる。別に火器を向けられている訳でもないのに。

 それくらいの迫力が、彼女らの視線には篭っていたと言うべきか。


「む、ぉ……いや、しかしだな、皆が働いてくれている中、僕だけのほほんとしているというのは」


「怪我人病人は、休むことが仕事」


「ですよ」


「ッス」


 適当な理由をつけた抵抗程度で、彼女らが揺らぐはずもない。それどころか、シューニャから見事な正論のクロスカウンターを貰ってしまい、僕は浮かしかかった尻を、そのままソファに戻すしか無かった。

 こちらが動かないことを確認すると、彼女らは優しげな視線を残して去っていく。


 ――そこまで酷いものでも、とは言えないのがなぁ。


 日常生活に支障は出ない。診断結果には確かにそう書かれていた。

 しかし、日常生活の基準はあくまで古代の水準を指しての事。つまり現代の環境における負荷のボーダーラインは、ほぼ分かっていないと言っていい。


「慎重になるのはわかるが、これ絶対安静という程なのか?」


「貴方ねぇ……」


 ため息のような声に、ビクリと肩が跳ねる。

 思い込みとは怖いものだ。部屋にはもう誰も残っていないもの、と考えて疑わなかったのだから。

 おかげで余計な独り言を聞かれてしまったらしく、半分になった琥珀色の瞳が呆れた様子で自分を見据えていた。


「い、いや違うんだマオ。別に君らの心配を無下にしようという訳では」


 咄嗟に出た言い訳は、人口密度の低下したリビングに虚しく響く。

 当然、湿り気を帯びた彼女の視線は緩まない。おかげで表情筋がこれでもかと引き攣りかけた矢先、小さなため息が短い沈黙を打ち消した。


「子どもじゃないのだから、屁理屈を捏ねてないで、ちゃんと皆の言うことを聞きなさいな。ほら、部屋に戻るわよ」


「行きます、行きますってば。だからそんなに引っ張らないでくれよ」


 こうなったマオリィネには、最早言い訳など通用しない。

 問答無用と騎士らしいパワフルさで腕を引かれた僕は、そのまま2階の自室へ連行され、ベッドの上に放り出された。

 挙句、それで解放されるものかと思えば、どういう訳か彼女は踵を返すことなく、部屋に置かれた机の前に座り始めるではないか。


「あの、心配してくれているのはありがたいんだが、流石にこれは過保護じゃなかろうか」


「当然でしょう。スノウライト・テクニカでの振舞い、忘れたとは言わせないわよ」


「……その節は、大変お世話になりまして」


 言葉が胸に突き刺さる。如何せん身に覚えがありすぎるのだ。

 改めて思えば、現代に目覚めてから今までという短い期間の中で、あちらこちらで怪我をしては、その度に皆に看病されていたような気がしてならない。

 たらればに意味はなく、過ぎた月日を変えられないことはわかっている。それでも、自分がもう少し器用に立ち回ることができれば、余計な心配と負担を皆に強いることもなく、より平穏な暮らしに向かえていたのではないだろうかと考えてしまう。

 ただ、僕が素直に頭を下げたからか。マオリィネはふふんと、どこか冗談めかした様子で鼻を鳴らした。


「わかればよろしい。少し書き物をしたいから、机借りるわよ」


 開け放たれた鎧戸の向こうから差し込む光に、可憐な横顔が輝いて見える。

 やはり、自分は贅沢になってしまったらしい。過程はどうであれ、せっかく生きていられるのだからと、暗くなりそうな思考を振り払い、ベッドの上で静かに座りなおした。


「手紙でも書くのかい?」


「ええ。暫くここを空けることになりそうだから、王宮宛にその報告をね。それと、お父様にも連絡しておきたいし」


「そういえば、君の故郷を通ると言ってたね」


「どこかで暇を見つけられれば、近況報告をしに帰ろうとは考えていたのよ? まさかそれが、焼けた大地へ向かう道すがらになるなんて、思いもしなかったけれど」


 羽ペンを走らせながら、マオリィネは苦笑を浮かべる。

 今を生きる者の常識からしてみれば、想像がつかないのは当然だろう。自分たちは生活が困窮しておらず、かといって名声を求めている訳でもないのだから。

 全ては自分が機甲歩兵として、現代を生きている為に。唯一の救いは、以前までのような緊急性がないことくらいだろうか。

 それでもまた、皆には苦労をかけるなぁと、僕は申し訳なさから後ろ頭を掻いた。


「貴方と一緒なら、願ったり叶ったりなのだけれどね」


 部屋の中を吹き抜ける風に、囁くような声が乗っていた気がして顔を上げる。


「うん? なんて?」


「――なんでもないわ。ふふっ」


 それからというもの、マオリィネは始終ご機嫌な様子だったように思う。理由など、僕には理解できようはずもなかったが。

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