第4話 翻って我が家

 ユライア王国には四季があるらしい。

 となると、自分たちが初めてこの国を訪れたのは過ごしやすい季節、およそ秋と呼べる頃合だったのだろう。それから戦争の短い冬を越え、花萌ゆる春のほとんどを意識のないまま過ごし、至る現在。

 青々と葉を茂らせる森に3面を囲まれた広い我が家は、開け放たれた鎧戸から、穏やかな涼風が吹き込むようになっていた。

 そんな風に吹かれてか、僕の目の前では、4つの獣耳がゆらゆら揺れている。


「おにーさんの身体とヒスイを直すために」


「またタマクシゲに乗って旅に出る、ッスか?」


 不思議そうにこちらを眺める金と茶色の瞳。ついでにその後ろでは、およそ事情を察したであろう閉じられた目と、もの言いたげなため息を足した琥珀色の半眼も。

 無理もない話である。何せ、つい数日前まで病床に揺られてヘロヘロだった男が、治療を終えて帰ってくるなり、旅に出ると言い出すのだから。

 ソファへ向けられた4対の眼は、それぞれ言い回しは違えど、まず静養ではないのか、と言っているように思えた。

 が、ここで怯んではならない。いかんせん、彼女らは過保護と言えるくらいの心配性である。むしろ、元気であることをしっかりアピールしておかねば、それこそ静養を名目に自室軟禁状態とされかねないのだ。

 故に僕はいつもより意識して堂々と、ローテーブルの上へタブレット端末を滑らせる。そこには古代の地図が浮かんでいた。


「目的地はこの辺りになる。800年前の地図でなら、ガーデンから海路を使うべきなんだが」


「シューニャの姉ちゃんに、外海ははちゃめちゃ荒れててすぐ船が沈む、って脅されてな。どうだ妹」


「ん……姉の言う通り。リンデン交易国周りの外海は、ほとんどが常に嵐のような天候だし、今の船ではすぐバラバラにされるから誰も近づかない」


サンスカーラもシューニャも、海を専門としている訳では無いはず。にも関わらずここまで言い切れるのだから、現代では常識の範疇なのかもしれない。

ただでさえ、自分たちの持つ海上移動手段は、エア・クッション艇の白藍のみ。脅威が海賊程度なら強行突破も難しくないが、荒波や暴風には滅法弱い。


「だから陸路を取る。道が整備されている訳でもないし、多少長旅にもなるだろうが、こちらの方が安全だろう。何か質問は?」


そう言って地図から顔をあげれば、シューニャが遠慮がちに手を挙げた。


「その……キョウイチの体調は大丈夫、なの?」


「心配ないよ。この間の不調は、翡翠のハードエラーが主な原因のようだし、基本的には戦闘機動のような激しい運動を無闇矢鱈としなければ、日常生活に支障は出ないそうだから」


 無表情ながら、どこか不安と呆れが入り交じったようなシューニャからの問いかけに、理屈立てて元気であることを重ねて伝える。

 そんな態度が功を奏したのか。彼女は訝し気ながらも、それ以上何も言わなかった。

 しかし、周りの皆が皆、同じように納得してくれるはずもない。


「貴方ねぇ……あんまり他人事みたいに言わないでくれる? 留守番に回った私でも、話を聞いた時は酷く心配したのよ?」


 長い黒髪を軽く払い、胸の前に腕を組んだ女性。王国の貴族令嬢であるマオリィネ・トリシュナーは、じとりと僕を睨んでくる。

 退院早々の初仕事となった今回の任務について、僕らは揃って王都ユライアシティに出向き、依頼主であるリロイストン首長国との会合を行った。正しくは、その特別連絡役であるウィラミットと、だが。

 その際、長期間の遠征任務となる可能性が高いことから、僕とダマル、シューニャとファティマ、そしてアポロニアの5名で向かうことを決め、他のメンバーには留守番を頼んでいたのである。

 離れていたからこそ、彼女の心配は尤もだろう。僕は素直に、すまない、と頭を下げた。


「だが、これ以上心配をかけない為にも、必要な旅だということは理解してもらいたい」


 言い訳のつもりはないが、そう聞こえても不思議ではない言い方だっただろう。

 マオリィネは暫く僕の方をジッと見ていたが、やがて大きくため息をついて肩を落とした。


「私だって子どもじゃないもの。貴方たちのする無茶には、何か意味があることくらい、わかっているつもりよ」


「心配をかけてすまない。それから、ありがとうマオ」


 両膝に手をついて深々頭を垂れれば、ふん、という控えめな鼻息が聞こえてきた。


「それより、目的地のテクニカは何処にあるのかしら? これを見せられても、東という以外は、あまりピンとこないのだけれど?」


「我が家から見れば、北東方向辺りになる。ダマル」


 いい加減、待ちくたびれていたのだろう。僕が頭を上げるより早く、骸骨はカランコロンと体を鳴らしながらローテーブルの前に立ち、タッチペンの先で目的地を指し示した。


「昔の地形データは当てにならねぇから、ザックリした位置情報になるが、現代の地図と重ねて考えりゃ、大体ベル地中海東岸の陸地。この黒く塗られたエリアじゃねぇかと踏んで――どした?」


 ダマルの訝し気な声に、地図から視線を上げれば、マオリィネが顔を青ざめさせ、シューニャもぽかんと口を開けていた。

 少なくとも、4つの眼はペン先が当たった位置を見ておらず、解説する髑髏へと向けられている。その眼前でダマルが白い手を振ると、ようやく彼女らは言葉を発した。


「その辺ってまさか……」


「焼けた、大地」


 深刻そうな口調に、ファティマとアポロニアが首を傾げる。どうやら、現代人全員が知っている場所ではないらしい。

 ただ、珍しく僕はその名前に思い当たる節があった。


「そう言えば、いつだったかシューニャに聞いたね。確か、動植物の生きられない危険な土地、だったかな?」


「なんだそりゃ。毒でも出てんのか?」


「私も詳しいことは知らない。ただ、名前を知る人は皆、近づいてはいけないと口を揃える」


「実際、ほとんど情報がないのよ。命知らずな冒険者が、名声を得ようとして挑んでいくのは見たことあるけれど、帰ってきた人の話は聞いたことがないわ」


 苦々し気な表情を作るマオリィネに、僕は現代の曖昧な地図へ視線を落とす。

 ユライア王国から北東方向に延びる、誤ってインクをぶちまけたかのような、真っ黒に塗られたエリア。それが彼女の語りを補強しているようにも思えてくる。


「なんか詳しいんスね、マオリィネ」


「別に詳しくなんてないわ。ただ、私の故郷が、焼けた大地に1番近い町、というだけでね」


 彼女の細い指が、トントンと現代地図の一角を叩く。

 そこには煤けた文字で、ウングペールという地域を表す大きな文字と共に、アチカと書かれた小ぶりな建物群が描かれている。

 何度となく聞いたトリシュナー伯爵領。マオリィネが生まれ育ったという町の名が、橋頭保となり得る場所に刻まれていることなど、言われるまで全く気が付かなかった。

 それはダマルも同じであるらしい。はぁー、と素っ頓狂な声を響かせる。


「ってこたぁ、地元民でもそんなレベルかよ。本気で未開の土地らしいな。どうすんだ相棒」


「未開の地なら、僕らが行って確かめるだけの話だ。毒であれ野生動物であれ、手に負えない危険があるならすぐに引き返せばいいし」


「カカッ、違ぇねぇ」


 提案したのは自分だ。ならば、結論など最初から決まっている。

 相手が何らかの自然環境によるものか、はたまた凶暴な生物によるものかはわからないが、これはリッゲンバッハ教授が見つけてくれた奇跡的に手がかりなのだ。仮に目標地点に辿り着けないとしても、僕はその理由をXのまま終わらせるつもりはない。

 ただでさえ、現代人と同じ目線で尻込みをするには、自分たちの装備はあまりに優れすぎているのだから。

 とはいえ。


「だが、絶対に安全とは言えない旅程であることも、また事実だ。参加するかどうかは、各々の判断に任せるよ」


 むぅ、と女性陣の間に微妙な空気が流れる。

 好きにしていいという言葉は、聞こえ方によって、居ても居なくても変わらない、という意味にもとられかねない。それでも、僕は彼女らの自由意志を尊重する方を選んだ。

 勿論、ダマルも同じである。故に君も、と言おうとしたところで、骸骨はカタカタと顎を鳴らした。


「ま、留守番だって大切な役目だってこったな。それが暇で嫌だってんなら、何してたって文句はねぇ。それこそ、雪ん子と赤髪ボーイみたく、ガーデンでお勉強してくれたっていいんだぜ」


 フッと笑みが零れた。

 ありがたいことに、この白骨化した相棒は、最初から付き合うつもりで動いてくれている。その厚意に水を差そうとは思わない。

 一方の女性陣は、揃って顔を見合せたかと思えば、一様にどこか困ったような笑みを浮かべながら、僕の方へと向き直った。


「私は行くわ。気乗りする訳じゃないけれど、心配しながら待ち続けるよりずっといいもの。それに、アチカの周りでなら役に立つかもしれないしね」


「私も行く。焼けた大地に何があるのかは、私も知りたい」


「ボクは最初から決まってます。ずっとおにーさんについていきますよ」


「結局全員ッスね。あ、でも危なくなったら、すぐ逃げる方向でお願いするッス」


 答えは三者三様の言い方で、しかしその内側にはまるで、分かりきったことを聞くな、という言葉が織り込まれているように思えた。

 相変わらず、自分は貰ってばかりだ。耳を揃えて、というのは難しいかもしれないが、彼女らの思いやりにも、しっかり応えていかねばなるまい。


「ありがとう。恩に着る」


「決まりだな。サフェージュ!」


 また深々頭を下げた僕に対し、ダマルはポンと膝を打って立ち上がる。

 そのカタカタと鳴る呼びかけに応じて聞こえてきたのは、廊下を走る軽い足音だ。間もなくキィと蝶番を鳴かせ、鈍色の毛並みを持つ尖った耳と、誰より太くふさふさの尻尾を覗かせた。


「はーい!」


 とことこと部屋に入ってきたのは、褐色肌のキメラリア。

 鼻先を黒く、頬に三筋の白を塗った顔立ちは幼くすら見え、全体的に線が細く、背丈もファティマより低いくらい。

 挙句、声質も高めであることから、見ず知らずの者からすれば可憐な少女にしか見えないが、彼はれっきとした男である。

 フーリー、あるいは狐とも呼ばれる種族のサフェージュは、骸骨の手招きに従って僕の前にちょんと腰を下ろした。


「兄さん、ダマルさん、何か御用ですか?」


「うん。また暫く家を空けることになったから、留守番をお願いしたくてね。今回はマオリィネも一緒に行くから、1人になってしまうとは思うが、頼めるだろうか?」


「あっ、はい、わかりました。けど、ぼくだけで大丈夫でしょうか? 最近は、王都の方でも何かと物騒だって噂をよく聞きますし」


「物騒?」


 こくんと彼が頷けば、尖った耳がふにゃりと揺れる。

 以前、仕事の会合で立ち寄った際のことを思い出してみても、戦後復興で忙しいという様子こそあれ、物騒という言葉が出てくるような雰囲気は見られなかった。

 だが、時間はあっという間に物事を変えてしまうらしい。サフェージュの言った物騒がただの噂ではないと、マオリィネは緩く首を振って見せた。


「この所、ユライアランド全体で治安が悪化しているみたいなのよ。街道で野盗に襲われたという報告が増えているし、王都だと家や畑を失って貧民街に流れた人達が、盗みを働くようになっているという報告もあるわ」


「戦争の爪痕が膿になって出てきやがったわけだ。戦勝国とはいえ、やりきれねぇな」


 表情こそ出せない骸骨が、肩を竦めたくなる気持ちもよくわかる。斯く言う自分も、自然と額へ手が伸びていた。

 800年前にほぼ絶滅した古代人類が、キメラリアやデミを含めた新たな人種となってもなお、歴史は変わらず繰り返す。

 カサドール帝国を打ち滅ぼし、ミクスチャやエクシアンといった人種の敵を薙ぎ払ったことを後悔はしていない。だが、一兵卒としてではなく主導者として戦争に関わった以上、どうしたって罪悪感は込み上げてくる。


 ――それも傲慢だな。我が身のことさえままならないってのに。


 馴染みのある都市だからこそ、手を貸してやりたいという思いはある。だが、傷ついた王都を、あるいはユライア王国そのものを安定させ立て直すのは、自分の役目ではない。

 今集中すべきは、周りではなく自分のことなのだ。


「とりあえず、ガーデンの警備用クラッカーをいくつか送ってもらおう。相手が人間なら、十分な戦力になるはずだ」


「ま、それが妥当か。教授に手配を頼んどくぜ」


 ダマルは少し考えた様子だったが、他に考えも浮かばなかったのだろう。ローテーブルからタブレット端末を拾い上げると、画面にタッチペンを走らせる。

 しかし、その隣で大きく首を傾げる者も居た。


「そんなことしなくても、アラン君やポーちゃんに帰ってきてもらえばいいのでは?」


 ファティマの言い分は尤もだろう。ガーデンでは置物に過ぎないとしても、現代において貴重なクラッカーをわざわざ持ってくるより、ノルフェンのパイロットであるアランや、とんでもない超能力を使えるポラリスに留守を頼んだ方が、実際合理的ではある。

 あくまで、他の条件を考えなければ、だが。


「それはそうなんだけどね。アラン君には今、機甲歩兵としての基礎訓練を受けてもらってるから、できる限り中断させたくは無いんだ。それとポラリスについてなんだが――」

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