第3話 ハックアンドスラッシュをもう一度

 数週間後。

 司書の谷最深部、旧企業連合所属大規模シェルター施設、ガーデン内部。


『治療シークエンス終了。気化薬剤、排出開始』


 無感情な合成音声に、自然と瞼が持ち上がる。

 視界はひたすらの白。しかし、濃霧か煙の中のようなそれも、間もなく左右から吸い込まれるようにして消えていく。


『カプセル内、常圧へ移行。ハッチを開放します。天海恭一様、お疲れ様でした』


 気密が解かれる音がして、目の前にあった弧を描く壁が、戦闘機のキャノピィのようにせりあがる。

 目覚めの時間。あるいは、強制的な眠りの終わり。夢は見なかったように思うが、既に記憶は曖昧だった。

 ゆっくりと体を起こし、大きく息を吐く。肺に浸透していたであろう薬剤ガスの白い煙が、口の端から薄青い医療用ガウンを這うように、ゆらりと流れていった。


『調子はどうかね?』


 半身を持ち上げて早々、そんな問いかけをくれるのは、ギッチャコギッチャコ体を鳴らしながら歩くアイロンこと、自動整備機械オートメックのパシナ。

 ではなく、そのアーム上に支えられた四角い画面の中に映る、禿げ頭に白髭を蓄えた好々爺。カール・ローマン・リッゲンバッハ教授の人格移植プログラムの方である。


「主観的には特に問題なさそうですが――数値はどうです?」


『まぁ、想像通りと言ったところじゃよ。日常生活への支障はなさそうじゃが、それすら絶対とはよう言わん。体に無理を強いるような真似をすれば、尚のことよ』


「無理、ですか」


 画面上に表示された身体状況を示す値に視線を流せば、自然と表情が少し険しくなった。

 医学的な知識などないに等しい身でも、正常な値を横に並べられれば、自らの体がよろしくないことは視覚的に理解できる。過去に同じような数値の羅列を見たことがあれば、なおさらだ。


 ――生命維持装置の機能停止時における、機甲歩兵の戦闘機動が人体に与える影響、だったか。


 軍学校時代に読んだ、第二世代マキナに関する研究論文だったと思う。鈍重な第一世代から大きく性能を飛躍させた第二世代は、パイロットスーツの補助だけで操縦者の人体を保護することが難しくなり、高度な生命維持装置の搭載を余儀なくされた、と。

 まさか、自分がそれの被験者と同じ状態になる日が来るとは。人生分からないものだなぁとなんて、呆れたような笑いが込み上げてくる。おかげで、それを見たリッゲンバッハ教授にため息をつかれてしまった。


『君の事じゃ、経験からその加減は身に染みておろう。今回のように、異変を感じてすぐガーデンへ戻れるのならば、早々大事に至ることはなかろうがの』


「たった1度の戦闘機動でこれでは、先が思いやられます」


 あの砂漠地帯において、僕はミクスチャと合計3回交戦している。だが、その内2回は1匹だけを引き連れた帝国軍残党の小部隊であったため、手早く狙撃で片付けることができた。

 今考えればこの時は、運動量も機体負荷も最低限だったから、体調の変化が見られなかったのだろう。

 しかし、最後の戦闘まで同じようには行かなかった。というのも、自分たちが襲撃した先は、まさしく軍閥化した帝国軍残党の本拠地とも言える場所であり、複数のミクスチャやイソ・マンを擁していた上、連中は遮蔽物の多い市街地に居座っていたのだから。

 最初の数匹こそ狙撃に成功したものの、ミクスチャという奴は同族を傷付けられると、異様なまでに鋭敏な反応を示す。どんなセンサーを持っているのか知らないが、あっという間に狙撃地点を割り出され、しかも的にならないよう分散しながら突撃してくるものだから、乱戦となるまでにはそう時間もかからなかった。

 その結果がこれである。

 モニタの中で顎髭を撫でる教授は、ふぅむとため息のような声を出した。


『仕方あるまい。万全でないのは、翡翠も同じじゃからのう』


 ガッチャンと音を立て、パシナは伸びをするようにしながら歩き出す。

 その後に従えば、医務室から出てまもなく。薄暗い廊下の先に景色が開けた。

 ガーデンの誇る大型格納庫。何体ものオートメックが行き交うその一角に、僕の愛機は幾らかの装甲を剥がされた状態で佇んでいる。

 黒いツナギ服の人影、否、骨影とともに。


「よぉ、そっちの診察は終わりか? その面ぁ見る限り、要再検査のハンコを貰ったみてぇだな。カッカッカッ!」


 ホラーを極めたる相棒は、そう言って笑う。

 自分は表情など作れない癖に、人の顔からどうやってそこまで思考を読み取れるのか。


「残念ながら正解だよ。とりあえず、普通に過ごす分には問題なさそうだが」


「今までみてぇなマキナサーカスはキツいってこったろ? これでようやく人間のスタートラインじゃねぇか」


「なんだい人が元々化物みたいに。というか、見た目なら君の方が余程化物だろう、ラフィンスカル君」


「惚れんなよ?」


「挽いて畑に撒いてやろうか」


 骸骨の調子は抜群らしい。

 ありもしない鼻を親指で擦ってみせるダマルに、骨を肥料とするには焼くだけで良かったかと考える。

 が、吐いた毒への反応が来るより先に、自走アイロンのスピーカーが声を吐いた。


『ダマル君、翡翠の方はどうかね?』


「あー……まぁその、こっちも難ありってとこですよ。見てくれが尖晶の装甲を混ぜ込んだパッチワークなのは置いといたとしても、やっぱりエーテル機関がグズるのがどうにもねぇ。最初はそこまで深刻に捉えてなかったんですが、前の過負荷機動からへそ曲げちまったみたいで、どーにも出力が安定しねぇんですわ」


 珍しく、ダマルは困ったように後ろ頭をコリコリと掻く。

 僕の身体がズタボロになった原因である先の決戦において、帝都クロウドンをゲル状存在ごと焼き尽くした衛星レーザー砲の余波を受けたことで、翡翠は全損と言ってもいいほどの大ダメージを被った。

 如何にマキナが強力な兵器でも、所詮歩兵単体で運用できる豪華な鎧。戦略兵器相手ではひとたまりもなく、むしろ実働状態に復帰できたこと自体奇跡と言っていい。

 だが、一度文明が滅びた現代は、重工業の産声すら上がっていない時代である。専用部品の調達などほぼ不可能であることは言うまでもない。

 結果、手持ちの予備品をあるだけ使って出来上がったのが、実に外装系の4割と内装系の6割を、別のマキナのパーツで無理矢理に代替した、現地改修型翡翠と言うべき代物だった。

 とはいえ、初仕事で着装した身としては、少々首を捻りたくなる話でもある。


「確かに、空戦ユニットやジャンプブースターが咳き込む感じはあったが、機関不調なんてよくある話だろう? 多少のふらつきくらい、パイロット側で対応するべき問題じゃないのかい?」


 機体の僅かな不調など、前線で戦う機甲歩兵には日常茶飯事だったのだ。その度に後方の整備部隊へ送っていたのでは、正面戦力など常に虫食いの穴だらけになってしまう。

 だが、僕なりの現場的意見に対し、後方部隊である整備兵は、はぁーあと深い深いため息を吐いた。


「これだからエース様はよぉ……いいかよく聞け。今のこいつは、中身がお前じゃなけりゃ即スクラップ申請してサヨナラするレベルでヤベェんだ。見ろ」


 骨の手でタッチペンをタブレット端末へ軽く走らせると、ダマルはそれを僕の鼻先へ突き付けてくる。

 健康状態が芳しくないとはいえ、いきなりド近眼になった覚えはないため、ボヤける端末を受け取って目を通せば、そこには翡翠のコンディションがグラフとなって表示されていた。


「各部へのエネルギー供給レベル……んんっ!? どこもかしこも、定格の4割くらいしか出せてないのか!?」


「これで自分の異常さが分かったか? パイロット側で多少の補正をするのは当然でも、お前の場合は無意識の内にきっちりリソースを振り分けてる。まるで、まともに動いてるように見えるくらいにな」


 むぅ、と僕は唸った。

 主機関からのエネルギー分配を思考マニュアル制御で操作することは、新兵の頃に身体へ叩き込んだことを覚えている。戦闘中にそんなことを考える余裕などなかったからだ。

 しかし、全くの無意識でできるようになったのは、果たしていつからだったのか。まるで思い出せないのは、その時点で自然にこなしていたからかもしれない。

 とはいえ、近い感覚で言えば、自転車に乗れるようになるようなモノだろう。故に大して特別なこととも思えないのだが、今は機甲歩兵についての一般論などどうだっていい。


「こうなっている原因が、機関不調にあると?」


「ああ。エネルギーの出力がアホみてぇにフラつくおかげで、レギュレーター側の安全装置が常時動作状態になっちまってんのさ。機関を丸ごと載せ替えでもしねぇことにゃ、正直お手上げだぜ」


「機関か……尖晶のを代用することは?」


「残念だが無理だ。いくら共通化してるパーツが多いっつっても、翡翠の心臓は完全に別モンの高級品だからな」


 これまでに破損したり交換が必要になった部品は、どれも翡翠以外の機体から代用が効いた。しかし、それが不可能となると、急激に修復の難易度は高くなる。

 元々が少数生産の特務機であったことを考えれば、状態のいい尖晶を探した方が早いくらいだろう。

 同じ第三世代型ながら、性能面や拡張性で1段劣るものの、正直現代ならば誤差の範囲と言ってもいい。それでも、やはりここまで自分を支えてくれた愛機である。軽々と手放す方向で考えるのは、流石に気が進まなかった。


 ――ストリが残してくれた機体、という意味でも、なぁ。


 そんな考えが脳裏を過り、ゆっくりと首を横に振る。

 交換用のエーテル機関を見つけることより容易いとはいえ、代替機とてすぐに準備できるようなものではないのだ。皮算用で憂鬱になっても仕方がない。

 しかし、まるでこちらを追い討つかのように、パシナのボディからは老翁の渋い声が聞こえてきた。


『ふぅむ……しかし、これではパイロットの体調悪化もむべなるかな』


「どういうことです?」


「レギュレータからのエネルギー供給は、何も駆動部品だけに限らねぇってことさ」


 骸骨のタッチペンがタブレットの画面を拡大すれば、表示されていた図面の一部が点滅する。

 その部分こそ、軽い初仕事で僕が体調を崩した原因だった。


「……なるほど、生命維持装置か」


「一応、空戦ユニットを切り離したら多少は安定したが、それでも取っ組み合いをするにゃ合格ラインギリギリだ。ハードな運動戦は極力避けるべきだろうよ。三十路手前で俺みたいになりたくねぇならな」


『骨が嫌ならワシのような形でも構わんぞ?』


「どっちも遠慮しときますよ。せっかく助かった命と、残された身体ですから」


 妙に明るく語られる死後の提案を、僕は苦笑しながらハッキリとお断りしておく。

 戦略兵器の照射からギリギリで生き抜いたというのだから、軽々野垂れ死んでなどやるものか。そうでなければ、自分を慕ってくれる皆に顔向けもできない。

 諦める選択を捨てるのならば、考えるべきは打開策のみ。それも翡翠専用の特別製となると。


「機関の製造ラインを当たるか、それとも翡翠を運用していた部隊の足取りを探すか……どちらにせよ、難儀な仕事になりそうだ」


「前者は望み薄じゃねぇか? いやまぁ、どっちも目くそ鼻くそなんだろうけどよ。ここまでの経験上、まともな工場設備が見つかるたぁ思えねぇぜ」


 800年前。あれほど所狭しと並んだ建造物も、今は影すら見られない。それでも僅かに残っているものと言えば、大きな地上型シェルターや、環境遮断天蓋といった特別堅牢な物の一部のみ。

 ダマルの言う通り、地上に並べられた圧巻の工場群は、探した所で見つかりはしないだろう。さりとて、実際に運用されていた翡翠を探すとなると、これもまた、特定の砂粒を砂漠の中から見つけ出すようなものに思える。

 しかし、抑止力ともなりうる翡翠を、このままにしておく訳には行かないのもまた事実。闇雲であれなんであれ、動き出さねば始まらない。

 そう考えていた矢先、パシナがアイロンのようなボディを、ぎこちない動きでこちらへ向けた。


『……ふむ。翡翠を運用していた部隊に関しての情報ならば、あるいは』


「何か心当たりが?」


『絶対とは言わぬがな。前に800年前のテクニカについて話したじゃろう? かの施設がまだ形を保っておれば、合流した部隊に翡翠があったやもしれん。他にも有益な物資や情報は、他より確実に高かろう』


 渡りに船とはよく言ったものである。

 たとえ細い光でも、全くの暗闇と比べれば雲泥の差。

 ただ、明確に提示された場所だからこそ、骸骨は細い腕を組んで、新たな懸念を口にした。


「つってもそれ、暴走マキナの巣窟になってんじゃねぇンスか?」


『無論、その可能性は大いに有り得る。故に、選択するのは君ら命ある者の役目じゃよ』


 聞いた話が事実なら、崩壊する文明を保存する目的で作られた800年前のテクニカは、他ならぬリッゲンバッハ教授の手によってマキナの暴走が引き起こされた場所である。

 仮に警備隊が暴走したマキナを制圧し、施設が稼働を続けていたとすれば、現代文明がここまで後退した物にはなっていないだろう。

 だが、そうならなかった以上、テクニカは暴走したマキナによって壊滅したと考えるのが妥当であり、となれば、当時の暴走マキナが今もスリープ状態で残っている可能性は十分に考えられる。

 それは1機か10機か、はたまた100機以上か。どうあれ、格闘戦すら満足にできない自分には、過酷な戦闘となりかねない。

 それが分かっているからだろう。リッゲンバッハ教授は、モニタの向こうで表情を曇らせた。


『選択肢は1つではあるまい。翡翠を直さずとも、他の機を探すという手もあろうし、恭一君自身についても、無理をさせずに定期的な投薬と医療用カプセルの利用を続ければ、回復する可能性もありうるのじゃからな』


 プログラムであるはずなのに、妙に人間臭い教授は、まるで引き留めようとするかのように言葉を続ける。

 しかし、こちらの腹は既に決まっていた。


「迷う必要はありませんね。ダマル」


「ま、だろうとは思ったがよ。割に合えばいいんだがなァ?」


 僕がアッサリと言い切れば、骸骨は後ろ頭に手を組みながら、カタカタとからかうように顎を鳴らす。

 自分と骨と、考えていることは同じだろう。


「現状、薬だって満足にあるわけじゃないんだ。それに、800年前の物資は僕ら全員の生命線ともなり得るだろう?」


「そりゃそうだ。何より、このまま手をこまねいた結果がジリ貧ってのは、流石にしょうもな過ぎる結末だからな」


 どうせ賭けねばならないのなら、大きく跳ねる札を選びたい。そういう意味においても、テクニカはうってつけと言えた。

 これも聞いた話でしかないが、本当に古代人類最後の砦として作られたのならば、そこに保管されている物資はガーデンの比では無いはず。翡翠に限らず、今という不安定な時代を生きる事において、手札は多ければ多いほどいいのだから。

 僕は骸骨と視線を合わせ頷き合う。この時点で、次の目標は定められた。


「教授、テクニカの座標はあるンスよね?」


『うむ。今がどうなっているかは、知る由もないがの』

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