第2話 機甲歩兵の軋み
青い足が、硬い表皮を勢いよく踏み砕く。
それでもそいつは、ギリギリ死にきれなかったのだろう。突き刺さった黒い特殊合金製の長刀を引き抜けば、ビクンと大きく痙攣してから、構造の分からない奇妙な体を小さく縮めた。
これで2つ。それぞれ見た目は異なれど、数えきれないほど殺した相手だ。
「ッ――次!」
振り返ると同時に脚に力を込めて宙を舞う。外からは金属質な背に、青白い光と開かれた補助翼を見たことだろう。
尤も、その相手は今、一瞬前まで自分の居た場所を頭のように見える歪な塊で打ち砕いていたが。
空中で機を翻して向き直る。荒々しい息がヘッドユニットの中で漏れた。
――この程度で、苦しい、などとは。
己が身を覆う青い鎧。800年前の戦闘兵器マキナ、翡翠の中で歯を食いしばる。
今までに何度も何度も、それこそ飽きる程に繰り返してきた戦闘機動。だというのに、心臓の鼓動は痛みを生ずる程に早く、全身からは嫌な汗が噴き出しており、今すぐ止まれと苦痛を盾に訴えてくる。
まるで、リミッターを外して戦闘した時と同じように。
刀の柄を強く握りこむ。今は余計なことを考える時間ではない。
空戦ユニットが吐き出した光を背に、僕は弾丸のような動きで真っすぐ翡翠を飛ばした。
向かってくる化物の姿は、振動のせいか大きくボケて映っていたように思う。だが、敵がどんな形をしていようとも、どんな格好をしていようとも自分には関係ない。
真っすぐ突っ込んで、まさしく衝突するかという瞬間。僕はジャンプブースターを噴射し、機を僅かに左へと滑らせた。あとは急降下する勢いを乗せた黒い長刀を振るえば、言葉通り骨董品の刃が強靭な表皮を走り抜けていく。
地面の砂を撒き散らし滑りながら翡翠は着地する。その背後からは、ギィギィという何処から発しているのかもわからない化物の叫びが聞こえ、間もなくソイツも派手な音を立てて降ってきた。
『まだ、浅い、か……ッ!』
長く水の中へ潜っていたかのように、自分の息は短く荒い。
一方、斬りつけられたはずの化物は、まだまだと言わんばかりに釣鐘状の身体を立て直し。
「とぁーッ!」
岩陰から飛び出した人影が、そいつ目掛けて大きな武器を振り下ろしたのが見えた。
ガツンと響く鈍い音。もしこれが見た目通りの攻撃だったなら、化物には蚊に刺された程度の衝撃だったに違いない。
だが、歪なまでに大きな切っ先と、内側へ抉れたような特徴的な刃は、体中のばねを使って振りぬかれ、それもしっかりと異形の頂点部に突き刺さっていた。
化物にとっては、大きな誤算だったのかもしれない。足のように見える組織をビクンビクンと震わせたかと思えば、派手に体液をまき散らしながら、砂の大地へ倒れ伏す。
一方、人影の方は、歪な剣を引き抜くや、軽業師のように化物を蹴って跳び、僕のすぐ前へ綺麗に着地した。
「あてて……思ったよりかったいですね。手が痺れました」
橙色の髪から生える大きな獣耳をピッピッと弾き、人影だった少女はぺろりと自分の掌を軽く嘗める。長い三つ編みと共に、長い尻尾が揺れていた。
それでも、猫のような種族、キメラリア・ケットの少女であるファティマにとって、やはり戦いは高揚する物なのだろう。いつもの飄然とした態度や、ふにゃりと溶けるような表情とは違い、その顔にはペーパームーンのような笑みが浮かんでいた。
――助けられた、な。
周囲に敵反応がないことを確認しつつ、僕は大きく息を吐く。
それが緊張の糸を切ってしまう行為であることくらい、わかっていたというのに。
特殊合金の長刀が砂の地面へ突き刺さる。思いのほか、ガツンと大きな音がした。
「おにーさん? どうかしました?」
聞かれていることはわかっている。大丈夫だと言うべきことも。
にもかかわらず、上手く声にならない。ただ頭を垂れたまま、軽く手を振るだけで。
早く収まれと自分の身体を責めたが、どうにも言うことは聞いてもらえないらしい。力の抜けた手に反応する形で、翡翠のマニピュレータが長刀の柄を離してずるりと落ちた。
「おにーさん!」
耳にこびりついたのは、慌てた様子のファティマの叫び。
狭まった視野の中で、全く情けないものだと自嘲する。自分の身体に起きていることさえ、全く見当もつかないのだから。
■
装甲マキナ支援車シャルトルズ。相棒が
ただ、この2段になっている寝台の下段を使うことに、あまりいい思い出がない。というのも、玉匣で自分に割り当てられた本来の寝床は、床に敷いた寝袋であり、寝台を使うのは怪我をしたり意識を失ったりして運び込まれた時ばかりなのだ。
その原因が、不器用な自分にあることは言い訳のしようもないが。
「こりゃ要精密検査ってとこですなァ。
そう言ってため息を付くのは、色白とか美白という言葉が霞むほどに純白な面を晒す相棒。
ダマルという偽名か本名かすらわからない彼は、自らを食い、眠り、動き回る骨と自称する。
とはいえ、人というのはトンデモホラーでもなんでも、慣れていくものなのだろう。この喋る骨格標本にも、声に混ざってカタカタとやかましく鳴る下顎骨にも、既に珍しさは微塵もなく、僕はだろうねぇと自然な苦笑いを浮かべていた。
「我ながら、随分と難儀な体になったものだよ」
「カッ! ついこの間まで生死の狭間を彷徨ってたってのに、贅沢な野郎だな」
「違いない」
骸骨の笑いは呆れか同情か。未だ収まらない総合的な体調の悪さに、僕は言い訳すら許して貰えない訳だが。
寝台に体重を預けて目を閉じ、深呼吸を1つ。すると、額にひやりとした何かが触れた。
「少しだけ熱がある、感じ?」
薄目を開ければ、見えたのは翠色の瞳に錦紗の髪を持つ少女の顔。色白で細い腕が、こちらへ向かって伸ばされていた。
「君の手は冷たくて気持ちいいな、シューニャ」
「……そう?」
いつもと変わらない鉄壁の無表情で、シューニャ・フォン・ロールは小首を傾げる。
知識人である彼女の手は細く柔らかく、しかしこちらの体温が移ってか、間もなくその冷たさは失われていった。
シューニャもそれを感じてか、何かこちらの視界の外へ向かって軽く目配せをする。
離れていく細い手指。だが、それを視線で追うより早く、人肌とは明らかに異なる水気を含んだ感触が、額の上に降ってきた。
「どうッスか、ご主人?」
濡れタオルの向こう側。視界にひょこりと頭を生やしたのは、赤茶の毛から分厚い獣耳を生やした女性。シューニャよりもなお幼く映る顔立ちには、人より鋭い小さな八重歯が覗いている。
「ありがとうアポロ。助かるよ」
「なら、良かったッス。他にもして欲しいことがあったら、なんでも言うッスよ。身の回りの事なら、大体できるッスから」
小型犬とも称されるキメラリア・アステリオンの女性、アポロニアはそう言ってニッと笑みを浮かべる。彼女の背後に視線を流せば、太い尻尾がゆっくりと揺られていた。
安心を与えてくれる仲間の、家族の、恋人の顔。しかし、それらはいつもより少し強ばっているように思える。
その元凶は、間違いなく横たわるこの身だ。
「ダマル、原因はわかる?」
「わかんねぇから検査するんだろが。俺はメカニックであって医者じゃねぇんだ」
シューニャの問いかけに、ダマルは専門外だと肩を竦める。
しかし、数秒の沈黙を挟んだ後、骸骨は再びその顎をカタリと小さく鳴らした。
「――だが、気になることもなくはねぇ」
ダマルはそう言うと、髑髏を車内へ巡らせる。
僕を含めた6つの視線がそれを追い、行き着いた先は、ゴチャゴチャした機械に包まれて眠る、青い人型。
「まさか、翡翠が?」
「ただの想像だ。前例のあるような話でもなさそうだしよ」
愛機は何も語らず、冷たい色をした装甲を晒すばかり。
自分が生死の狭間を彷徨ったのと同じく、翡翠もまた激しい損傷を受け、大規模な修理を必要としたとは聞いている。
当然ながら、現代で純正の予備部品を揃えることは至難のこと。装甲やセンサーなどの一部を、同じ第三世代型マキナである尖晶の物で代替し、元々ブルーグリーンに染っていた外観は、まだらにガンメタリックが混ざるようになっている。
だが、少なくとも試験段階では問題なかった。長く翡翠に乗ってきた身としても、そこまで酷く性能が低下していたり、操縦がピーキーになっているような不具合は感じていない。
だからこそ、こうして新たなる生業に精を出していた訳だが。
「すまない。これでは夜光協会も、いきなり開店休業かな」
「健康問題が理由じゃ仕方ねぇだろ。今はミクスチャ相手の初仕事を片付けられただけでも、良しとしとかねぇとなァ」
腕を組む骸骨に苦笑しつつも、内心それはそうだと激しく同意する。
何せこの初仕事を寄越したのは、二度と関わるまいと思い続けているしわくちゃの妖怪なのだから。
下手に弱みを見せたり、借りを作ったりすると、何を吹っ掛けられるかわかったものでは無い。今回の案件も、建前では砂漠地帯に出没するミクスチャの排除のみを謳っているが、内実は明らかに、カサドール帝国軍残党の排除を伴う、リロイストン首長国南部国境地帯の治安回復なのだから。
自分たちには権力に擦り寄るつもりも、外交内政の問題に関与するつもりもない。ただ、ミクスチャという自分たちの文明が残した禍根が絡んできたが為に、仕事を請け負ったに過ぎないのだ。
結果がこれでは、格好もつかないが。
「おにーさんがダメそうなら、ボクが頑張りますけど」
そう言いながら、視界の端にひょっこりと顔を覗かせるファティマ。耳のいい彼女のことだ。車上で周辺警戒をしながらも、車内の会話に耳を傾けていたのだろう。
パイロットスーツに補助されたケットの剛力と、神代の金属を用いた剣であるミカヅキの組み合わせは、ミクスチャすら切り伏せられるのだから、現代における近接戦火力としては破格と言っていい
しかし、どうですかと首を傾げる少女の提案に、僕はやんわりと首を振った。
「それはそれで気が気じゃないな。ファティの力を信用していない訳じゃないが、生身である以上、防ぎきれない事故はあるんだから、あまり無茶はしないでくれ」
如何に優れた身体能力があろうとも、彼女は人種である。人間とキメラリアを総称する言葉でくくられる以上、その命は時に風が吹いただけでも失われてしまいかねない儚いもの。
マキナを扱えてもなお、絶対の安全は無いのだ。愛しい相手に、危険へと近づいて欲しくないと思うのは当然のことだろう。
ただ、僕の言葉に対して、金色の瞳はじとりと半月を描いた。
「おにーさんがそれ言うんですか?」
「……ごもっともで」
他人の心配ができるような立場かと、言葉にはせずともその視線は鋭く突き刺さる。特にファティマは感情を嘘偽りなくぶつけてくることもあり、輪をかけて衝撃が大きい。
おかげで身体を支配する不快感と怠さとは別に、胃まで痛んできそうな気がして、僕は冷や汗を垂らしながら目を逸らすしかなかった。
そんな自分に、呆れたようなため息が降ってくる。
「懲りねぇ奴だなお前も。今はお前の身体の状態把握と休養が最優先だ。痴話喧嘩ならガーデンに帰ってからにしろよ」
「ダマル、運転なら私が」
カランコロンと骨を鳴らしながら、ダマルが視界から消えていく。その後をシューニャも追おうとしたようだが。
「いいから座ってろ。客先に出す書類の確認は、お前にしかできねぇんだ。ついでにクソボケの面倒も見てやれ。犬猫、お前らもだ」
と吐き捨てられて、むぅと小さく唸っていた。とはいえ、文句を言わない辺り、ダマルの判断を合理的と考えたのだろう。
瞼を落とし、寝台に体を沈ませながら、僕はゆっくりと息を吐いた。
クソボケとは、また随分と言い得て妙なものだと思いながら。
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