悠久の機甲歩兵・夜光

竹氏

新たな旅路

第1話 神の消えた日

 神よ。この世を生み出したる鋼纏いし古の神よ。

 どうか、皆に力と勇気をお与えください。来たりし災厄を跳ね返し、異教の徒の血にて、砂の大地を潤すことのできる、力と勇気を。

 我は祈る。神具としての装飾の施された短剣を握り締めて。


「姫君」


 低く落ち着いた声に、我は閉じていた瞼を僅かに持ち上げる。


「壁を破られたか」


「我らの力及ばず」


 鎧姿の寡黙な老将は僅かしか語らない。とはいえ、この男が私などの傍へ現れた時点で、半ば状況は察せていたが。


「父上は、我1人に逃げよと申すのだな」


 フッ、と小さく笑みを零らしながら立ち上がる。

 この国で最も神に近い父が、一族の守り続けてきたこの神殿を離れようとするはずがない。もしも、万が一の時はと、何度も想像していたことだ。


「貴様ならどう思う。我らの聖なる地が穢されんとしている時に、民草までが抗っていながら、姫たる者がたった1人で逃げるとは」


「姫君……貴女様を失えば、この国はもう――!」


「ここは神の地である! たとえ一族の血脈が途絶えようと、我らが神敵に背を向けぬ限り、守り貫く者は連綿と後へ続こう! それこそが聖であり、信徒のあるべき姿ではないのか!?」


 神の下において、人間の地位は常に平らであるはず。だとすれば、自分の父親が聖下と呼ばれるのは、神の声をその身に受け、人々に道を示す必要があったからに過ぎない。

 我も父も母も臣下も民草も、皆同じ信徒なのだ。それならば、この身だけ災禍から逃げ出すことなど、どうして受け入れられようか。

 その叫びは心の底から出たものだった。

 しかし、老翁は我の反発など察していたのだろう。こちらへ向かい、静かに掌を開いて見せた。


「ッ……! これ、は……」


「どうか、どうかお聞き届けください。聖下は、神の祝福を民草へ分け与えるその役割を、貴女様に託されたのです」


 分厚い手の上にあったのは、僅かなくすみすらなく銀に輝く、1対の腕輪。

 父と母とが片方ずつを、肌身離さずつけていた、聖なるを示す奇跡の神具。

 殉教の道を選ぶ自由すら、この身には用意されていない。それが、親からの愛なのだとすれば。

 頬を静かに涙が伝う。


「何故、何故なのだ父上、母上……ッ! 何故、大切な時にこそ、共に往かせてはくれぬ! どうして我だけを残して……っ!!」


 ガンガンガンと、けたたましく扉が叩かれる。それは状況が切迫していることを、如実に示していた。

 たとえ小聖堂であろうとも、大きな音を立ててはならないことくらい、同じ神の下に在る者ならば子どもでさえよく理解しているのだから。


大士師だいしし様! お急ぎください! たった今、中門が落ちたとの報が!」


 ピクリと老将の眉が跳ねる。きっと、彼の想像よりも事態は一層深刻なのだろう。


「心中、お察しいたす。なれど姫君、今はどうか――」


「連れて行くがいい。何処へでも」


 身体ばかりいくら成長しようとも、腰に大層な剣をぶら下げようと、結局我は未だやや子と変わらない。自らの意志を貫く術など知らず、常に誰かの手で守られねば生きて行けぬ、か弱き雛。

 あるいは、抜け殻のようだとさえ、自分の姿を思った。


「ご英断、感謝致しまする」


 老将に手を引かれ、我は涙も拭わぬままに歩き出す。廊下に出れば間もなく、付き添いであろう女官と、護衛らしき近衛の1団が周囲を固めた。

 我を外へ連れ動くのに、これほど少ない集団であったことはないように思う。だが、それでもなお、我1人の為にこれだけの人間を連れねばならないことに唇を噛んだ。

 特に近衛は精鋭中の精鋭である。彼らが残れば、帝国の不信心者共を果たしてどれだけ押し返せるのか。それを、たかが小娘1人如きの為に。

 武具を鳴らして神殿の裏を進む。道中、鼻にはずっと何かが焼けるような臭いがこびりついていた。


「む……!?」


 荘厳な柱の列を潜った先、明るく開けた世界に、兵たちは戸惑ったように足を止める。当然、大士師と呼ばれる老将も、これには苦々し気に表情を歪めた。


「穢れた異教徒共め。既に裏にまで回りつつあろうとは」


 我の知る町は、既に我の知る姿と異なる姿を晒していた。

 人々の笑顔に溢れた市場は、崩れ燃え盛る建物に潰され、多くの者が行き交った目抜き通りには、矢を生やした屍が転がり、都市を囲んでいた荘厳な防壁は、山のように巨大な化物によって、積み木細工のように打ち崩されていく。


「大士師様、これでは脱出など……」


「否! 姫君をお連れすることこそ我らが使命! 各々構えい! 神の下へ名を捧ぐるは今ぞ!」


 弱気になった兵の1人を叱咤するように、老将は籠手のついた直剣を腰から引き抜き、大きく声を張り上げる。


「姫様、こちらへ」


「……ああ」


 用意されていた豪奢な獣車は、両親が町村を外遊する際に利用するためのもの。私も幼い頃から、時折同行することがあった。

 聖王というだけありいつも息苦しく、けれど神殿を離れての旅は、楽しくもあったことを思い出す。

 それが今は、広い車の中に女官と2人。それも私以外の全員が武器を握っており、愛する日々とかけ離れた物々しい景色には吐き気すらしてくる。


「姫君、少々揺れますが、どうかご容赦下され」


「構わぬ。我のことは」


 風来フウライに跨った老将に緩く首を振れば、御者に指示が下されたのだろう。間もなく獣車はガタガタ揺れつつ走り出す。

 こんな速度で、聖王用である立派な獣車が走ったことなど、私が知る限り1度としてなかった。

 飛ぶように流れる景色の中で、軍獣に跨った近衛たちが同じように周りを囲む。本来ならば、誰人も止めてはならない、止められない集団だった。

 しかし、我らの道理が不信心者共に通じるはずもない。


「見ろ、見ろ! 大物だ!」


「敵将、異教の大士師と見受けたり! その首貰い受け――!」


 僅かに一目。老将が視線を流したかと思うと、次の瞬間、剣を向けていた帝国兵の首に、細い投げ槍が突き刺さっていた。

 口上を叩きつけた者は血泡を吹きながら、どうと地面に倒れ伏す。その様子に、後続の兵士たちが僅かに足を止める。


「汝らに迷いあり。故に我らを止め得る道理無し」


 静かに伸ばされた剣が、正面の敵集団を指し示す。

 すると、我の獣車を護衛していた近衛の騎獣が、息を合わせたかのように左右から躍りかかった。

 ただ剣を手にしているだけの散兵など、どの程度の障害になろうか。慌てて逃げ出した者はその背を槍に貫かれ、果敢にも立ち向かった者は軍獣アンヴの角に跳ね飛ばされて宙を舞う。


「道は成った。先へ!」


 拓かれた血路を、獣車は老将の背を追って再び走り出す。

 しかし、1つ角を進む毎、敵兵はまるで迷宮建築士ロガージョの如く次々と押し寄せる。

 それらを兵の実力で切り捨て、蹴落とし、追い払い、我を乗せた獣車は防壁までを駆けた。


「姫様、裏門が!」


 女官の声に正面を見れば、防壁に比べてやや小ぶりな市門が口を開けていた。

 そこまで大きく損傷しているように見えない辺り、やはり敵の主力は正面に集中していて、こちらはあくまで少数の搦手ということなのだろう。そこから逃げ果せようと言うのだから、手薄であったことには感謝しなければならない。

 ただ、そんな皮肉を我が考えていた矢先だった。


「いかんっ!」


 老将が言うが早いか、ドォと音を立てて横の建物が砂煙を上げて崩壊する。

 倒れてきた壁が当たったのか、あるいは何かに突き飛ばされたのか。女官の悲鳴が上がる中、獣車は天地左右がわからなくなる程ゴロゴロと転がり、我の頭が逆さまになった状態でようやく止まった。


「姫、様、ご無事、ですか?」


「ッ……我はどうということも、ない。だが、一体……?」


 聖王家専用の獣車は大きく重く立派な作りであり、故に私たちはひっくり返されてもなお台車に押しつぶされたりしなかったのだろう。

 逆に言えば、多少の瓦礫を浴びたところで、容易く吹き飛ばされるような物ではないはず。

 状況を知りたいと、這うようにして獣車から出れば、目の前にその正体があった。


「なん、だ……こいつは……!」


 冒涜を具現化したような、と言えばいいだろうか。少なくとも、聖都と呼ばれるこの場に現れていい代物ではない。

 人のような形は胴体半ばまで。それより上は花の咲いたように裂け、魚の骨のような何かが飛び出して、鞭のようにうねっているではないか。

 そいつはギシギシと耳障りな音を立て、小刻みに体を震わせながらこちらを覗き込んでくるようだった。

 居てはいけない者。神が絶対に許さぬ穢れ。それが。


「いあぁーッ!」


 我の呆けた一瞬。目の前で銀の刃が踊り、骨格とも言い難い歪な体が斜めに斬れ落ちる。


「ふぅーッ……ふぅーッ……姫君、お怪我は?」


「う、うむ。大事ない。だが――ひッ!?」


 フウライを手放した老将が、剣に血振りを1つしたところで、我の体は冷たくなった。

 男の表情にではない。血なまぐさい戦の跡にでもない。

 砂煙の流れた景色の向こうだった。得体の知れない存在が、1つ、2つと姿を現す。それは留まることを知らず、無数の目とも耳とも知れぬ何かが、道を囲むようにしてこちらを見下ろしていた。


「だ、大士師様! このままでは囲まれます!」


「愚物共め、後から後から……怪我のない軍獣はあるか!?」


「ここに!」


 僅かに2騎の軍獣を連れ、近衛兵が駆け寄ってくる。

 見ればその兵は腕から血を滴らせ、鋼の兜も失っていた。

 否、彼だけでは無い。先程まで整然としていた近衛たちは、誰もが大なり小なり傷を負い、瓦礫の中に伏して動かぬ者まであった。


「姫君、女官を連れ、行きなされ。追手共は、我らがここで食い止めて御覧に入れましょうや」


 低い声に我はハッとして顔を上げる。


「ば、馬鹿を申すな! お前まで失えば、我は――!」


「聖下より賜りし我が使命は、姫君が悪辣たる不信心者共の手に落ちぬよう努めること。今その術は、たった1つしかござらん。どうか御堪忍を」


 男はいつもそうだった。我が父の言葉であれば、それを何より優先する。

 幼い我に稽古をつけてくれたのもそうだ。多忙な父に代わって世のことを教えてくれたのもそうだ。だから、今も同じように老いたる手で剣を握り、我を守る壁となってくれている。

 1人にするな、と言いたかった。祖父のように信頼していた男なのだから。

 それでも、ここで侭など、通せようはずもない。

 震える唇を精一杯に抑え込み、我は喘ぐように言葉を紡ぐ。


「なれば、我からも命ずる。必ず、必ず、後を追ってこい。我より先に、神の御許へ逝くことは許さぬ! 絶対にだ! よいか!」


「……御心のままに」


 その時、我には老将が、薄く笑ったように見えた。

 あるいは、そういう風に見えていたいという願望から、現実が歪んだのかもしれない。


「姫様、こちらに!」


 女官に手を引かれ軍獣に跨る。これも、あの男が教えてくれたこと。なにかの役に立てば幸い、などとムッツリした顔のまま言っていたことを覚えている。

 まさか、こんな形で使うことになろうとは思わなかったが。


「道を拓け! 奴らの穢れた手を、かの2騎に触れさせるでないぞ!」


 応と男たちが声を張り上げる。皆血に塗れながら、どうしてか獰猛に笑っていた。

 我らは勝つのだ、貴様らなどに栄光は渡さぬ、とでも言いたげに。


「今しかありませぬ! 参りましょう!」


「ッ……先導せよ……!」


 女官はどこで騎乗など習ったのか。妙に手馴れた様子で軍獣の首を回すと、手綱を振って走り出す。

 我もその後を追って獣を駆けさせた。時折、建物だった砂岩の塊が、まるで礫のように頭上から降り注いだが、それも僅かな間のみ。

 肩越しに後ろを振り返れば、ちょうど建物の上から、槍を頭に生やした化物が転がり落ちてくるのが見えた。

 彼らは命を賭して、この任を全うしようとしている。それは悲しいことだ。とてもとても、悲しい。

 だが、故に我は逃げねばならない。逃げ延びて、いつかこの不信心者共に罪を償わせねば、彼らの流した血も、崩れ落ちた町も、失った全てが無駄なものとなってしまう。

 神よ。人の子らを捏ね作りたる翼広げし全能の神よ。

 どうか御赦し下さい。貴方様の元に暮らす子である我らが、その威光をお守りできぬほど弱く儚いことを。

 我は祈る。陽炎の町を尻目に、軍獣を全力で走らせながら。

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