第8話 毛皮とは別の皮算用
アチカに到着してから一夜明け、僕は鞍の上に揺られていた。
町を出て道を北へ。大した距離も進まない内に、枝と紐で作られたあまりにも簡単な柵を過ぎれば、その先には森と接する草原が広がるばかり。
農地の終端、あるいは文明と自然の境界線なのだろう。黄色く染まった深い草葉を前に、先導していたウィリアムは手綱を押さえた。
「初めて乗ったにしては、中々様になってるじゃあないか」
「恐縮です。とはいえ、跨ってからずっと、おっかなびっくりなんですが」
「なぁに、昨日の今日なら上等も上等。もしかすると英雄の名が、獣にも轟いているのかも知れないなァ!」
そう言って伯爵は大笑する。テンションが高いのは出会ってから今までずっとだが、今日は輪をかけて機嫌が良いらしい。
尤も、出かける直前には、盛大な謝罪を受けたのだが。
『申し訳ないッ! まさか、騎乗経験がないとは思わず!』
僕がアンヴへ跨るのにもたついていることを疑問に思ったのだろう。慣れていないのかと聞かれ、素直に昨日初めてマオリィネから指導を受けたと告げれば、物凄い勢いで腰を折られてしまった。当然、無理をしなくていいとも言われたのだが。
『いえ、せっかくお誘いくださったのです。それにマオリィネさんの指導を無駄にしたとあっては、僕も立つ瀬がありませんから』
娘の名前を出したのは、少しズルかったかもしれないと、後になって思うが、ウィリアムは気にした様子もなく、むしろその意気やよしと勇ましく軍獣に跨った。
趣味、と言うだけのことはあるのだろう。公務に向かう時より、その表情はあからさまに生き生きとしていた。
至る現在。
果たしてこの先に待つのは接待か、あるいはダマルの言う何らかの企みか。どちらであろうとも、僕にできることは手綱をしっかり握っておくことぐらいなのだが。
「ご当主様、準備整いましてございます」
そう言って胸に拳を当てるのは、明るい茶色の毛並みをした、キメラリア・カラの男性である。
彼を含めて、十数人程度のキメラリアばかりが、この狩りには同行していた。その多くは犬と呼ばれるカラやアステリオンだが、中にはフーリーと思しき女性の姿も見える。
以前からキメラリア好きと聞いてはいたが、昨日の会話も含めて筋金入りらしい。マオリィネがデミとして生を受けたのも頷けるというものだ。
「よーし、では始めるとしよう。お前たち、頼んだぞ」
「ハッ」
どうやら茶色の毛並みをした彼が、部隊長的な立場であるらしい。ウィリアムの意志を確認すると、行くぞと後方へハンドサインを送り、部下たちを背の高い草原の中へと散開させた。
「獲物の炙り出しですか?」
「見つけんことには話にならないからねぇ。草に隠れた獣を見つけることに関しては、私達人間よりもキメラリアの方が余程優れている。それでも、見つかるまでは暫くかかるが――」
小綺麗な身なりの中年男は、こちらへ顔を巡らせてニヤリと笑う。
「お互いをより深く知る為には、丁度いい機会だろう。朝のように、私だけがそう思っていなければ、だけどね」
剃刀のような薄くも鋭い緊張感が駆け抜ける。
アチカへ立ち寄ると決めた時点で、無関心でなどいられない話となるのは分かっていた。それがどんな形で訪れるか、というだけのこと。
含みのある言い方に、深呼吸を1つ。スイッチの入れ方は、戦闘の前と変わらない。
「敢えて伺いますが、何故、僕だけをお呼びに?」
「私はウングペール伯ウィリアム・トリシュナーであり、君は英雄アマミ・キョウイチ。今の所、その接点は1つしかないだろう?」
「マオリィネさんの事、ですね」
「ハハハッ! そう緊張することはないよ。娘に手を出しおって! けしからん! と怒鳴り込もうなんて、微塵も思っちゃいないんだからさ」
僕の反応を面白がってか、ウィリアムはカラカラと笑う。
ユライア王国における恋愛等の風俗は、これまでに聞いた話から比較的お堅い印象を受けていたこともあり、彼の反応はあまりにも意外だったのだ。
しかし、それも束の間。こちらがポカンとしていれば、ウィリアムは優しげな眼に僅かな憂いを滲ませた。
「無論、大切な一人娘が可愛くない訳じゃあない。ただ、親だからこそ良い部分も悪い部分もよく知っているせいで、アレが君に迷惑をかけないかと心配でね」
彼の言が、貴族としての体面を気にしての事か、あるいは子を送り出す親としての本心なのかはわからない。
ただ、どんな裏があろうとて、僕が肩透かしを受けたような気分となったことに変わりはないのだが。
「それは、無用なご心配ですよ。個性的な部分は誰しもにありますし、それらを含めて、僕はマオリィネさんは素敵な女性だと思ってます。自分なんかには勿体ないくらいだ」
飾るつもりのない言葉は、スラスラと口をついて流れ出る。
現代の人々がどれだけ英雄などと祭り上げたところで、僕の本質がただの機甲歩兵であることに変わりはない。蓋を開けてみれば、過去の記憶を引きずったまま、文明崩壊後の常識に馴染み切れない男であり、それでも周りに支えられながら、どうにか生きていけるようにと生活をこしらえて、その過程で1年と経たないうちに幾度となく死にかけた。
そんな大間抜けの輩が、誰かと並んで歩こうなどと片腹痛い話であろう。にも関わらず、仲間として歩む女性たちは、幾重にも血と泥に塗れた自分の手を、億すことなく握り続けてくれたのだ。
これが、勿体ないと言わずしてなんという。自分の何を捧げれば、その好意に釣り合うのかすら、未だわからないままだというのに。
「お、おおう、惚気も言い切るねぇ。その様子なら、やるべき事もキッチリやっているのではないか?」
ウィリアムは気圧されたように目を見開いたが、それもほんの一瞬。間もなくニヤリと嫌らしい笑みを浮かべ、こちらを覗き込んできた。
これがダマル相手なら、やかましい、の一言で片付けられただろう。しかし、相手は想い人の父親である。
「いえいえいえ! 恋人関係にあることは事実なのですが、まだその、お互いの距離を縮めはじめたばかりと言いますか」
先ほどの自然体など見る影もない。手綱越しに僕の焦りを感じ取ったのか、草を食んでいたアンヴまでもが、何事かとこちらを振り返る始末。
当然、伯爵は呆れたように肩を竦めた。
「なんだねなんだね。ミクスチャにすら臆さぬと謳われる英雄が、うら若い乙女を相手に及び腰とは。老婆心で言わせてもらうが、傍に置きながら手を出さんと言うのは、ひじょーによろしくない。そういうのが変な噂を呼び込んだり、不仲の原因になったりするんだぞぉ?」
「ご、ご忠告痛み入ります。ただその、気持ちを伝えたのは戦争の最中でしたし、終戦からついぞこの間まで、僕は意識がなかったものですから」
言い訳、というには重た過ぎたのか。どこか冗談めかした調子だったウィリアムは、今度こそギョッとした様子で表情を強張らせる。
「……よ、良く生きてたものだねぇ。身体は大丈夫なのかい?」
「流石に万全とは言えませんが、普通に生活する分には問題ないので、ご心配には及びませんよ」
「ふぅむ……これから子を成そうという時に、苦労がなければいいが」
さらりと顎を撫でる彼の様子に、ようやく合点が行った。
自分だけをわざわざ呼び出したのも、からかうような言動も、帰結する先としては申し分ない。
「もしや、ウィリアムさんの気がかりは、跡継ぎの事ですか?」
「流石に露骨だったかな。まぁ、家に連なる何者かである以上、避けては通れない話なんだがね」
ハハ、とウィリアムは自嘲気味に笑い、敢えて僕から目を反らすように、遠くで掻き分けられていく草原に顔を向けた。
「アマミ君に、爵位を受け取るつもりがないことは、大老殿から聞き及んでいるよ。貴族としてはこの時点で、娘はやらんと突っぱねるべきなんだろうけど、どうにもそういう気にはなれなくてさ。何せ、今までに浮いた話の1つもしなかったマオリィネが、初めて自分の意志で選んだ相手だ」
「だから、彼女の子を、と?」
どこか躊躇いがちに、しかしハッキリと彼は頷く。
ウングペール伯ウィリアム・トリシュナーではなく、これがマオリィネの父としての顔なのだろう。
「難儀な話をしていることはわかっている。だが、こんなちゃらんぽらんな男でも、領地と領民を預かる家の長なのだ。無論、強制することはできないが、どうか心の片隅に、留めておいてもらいたい」
貴族社会の常識など僕は知らないし、庶民の生まれである身からすれば、可能な限り近づきたくもないと思っている。その一方で、父親としての気持ちは、親になったことすらない僕にも十分に理解できた。
――自由に振舞うための選択と犠牲、だが。
もしも自分が想像する通りの考え方だとすれば、ウィリアムの言に対し、1つの疑問も浮かんでくる。
ただ、どうやらタイムアップらしい。僕がそれを口に出すよりも先に、遠くから甲高い指笛の音がこだました。
「ふふ、いよいよ獣がお出ましのようだ。しっかりついてきたまえよ!」
「ッ! はい!」
弓を取ったウィリアムが手綱を振るえば、アンヴは弾かれたように地を蹴って走り出す。
それに着いてこいと言われてしまえば、僕に他のことを考えていられる余裕など、ありはしなかった。
■
川音の響く昼下がり。筋肉のチクチクとした痛みを感じながら、僕は裏庭のベンチに腰を下ろしていた。
同じ夏のはずなのに、800年前の熱された都会とは違い、木陰を吹き抜ける風はとても涼しい。不慣れな騎乗運動による疲労も含めて、このまま昼寝をしてもいいくらいの快適さである。
「こんな所に居たの」
まるで探していたかのような声が、背後から投げかけられる。どうやら、木陰での優雅な昼寝はお預けらしい。
薄く開いた瞼の向こうで揺れる黒髪。風に流されてか、ほんのり甘い香りが鼻を突く。
グッと伸びをしながら尻をずらせば、1人半ほど空いたベンチに、マオリィネはバトルドレスの裾を整えながら、服が触れるか触れないかという距離に腰を下ろした。
「どうだった? 初めて行った狩りのご感想は?」
「新鮮な体験だったよ。確か、尾巻獣(ウインチャー)と言ったか? 白い毛の獣を追い込もうと思ったんだが、いざやってみれば、見失わないようにするだけで精一杯だった」
ウィリアムから聞いた話だと、本来は森で樹上生活を行う草食性の小動物で、基本的に臆病なことから人間に直接害をなすようなことはないらしい。ただ、物凄い子沢山であることから、天敵の少ない環境で放置すれば、あっという間に数が増えてしまい、やがて不足する食料を求めて田畑を荒らすようになるのだとか。
故にこの狩りは、アチカを守るためにも重要な、趣味と実益を兼ねたモノだと、かの伯爵は豪語していた。その意見には賛同するが、やはりド素人にどうこうできる相手ではないのだろう。マオリィネは僕の感想に、呆れたような笑いを浮かべていた。
「キョウイチは贅沢ね。昨日の今日でウインチャーを追えたのなら、それだけで十分立派なことよ?」
「――贅沢、か。うん、そうなんだろうな」
彼女から視線を逸らし、小さく息を吐く。
贅沢なのが悪いことだとは思わない。何なら、最初からできないと決めつけて狩りに出なければ、そんなこと考えもしなかっただろうから。
ただ、果たして自分の贅沢な選択は、己の身の丈に合っているのだろうか。軽く持ち上げた掌を眺めていれば、マオリィネは怪訝そうに眉を顰めた。
「お父様との間に、何かあった?」
「いや、そう言う訳ではないんだが……」
言葉に詰まるのは、自分の考えすら纏まっていないからだろう。それこそ、昼寝に逃げたくなるくらいには。
だが、そもそも当事者は僕ではなく彼女の方であることを考えれば、流してしまっていいような話でもない。結局僕は状況の回避を諦め、性能のよろしくない頭の中を捻りに捻り、比較的衝撃力の小さそうな言葉を探し出そうとして。
「マオは、何か考えているかい。その……子ども、について」
前言撤回。どうやら僕の頭は、衝撃力の大小すら碌に計算できないらしい。
あまりにも直接的過ぎる物言いだったからだろうか。隣からは、ひゅぇッ!? と、怪鳥の鳴くような声が聞こえた気がした。
「な、ななな、何よ急に! そ、そりゃ考えない訳じゃないけれど――こう、ほら、色々順序ってあるじゃないッ!?」
弾かれたように、という言葉が、今の彼女程似合う人は中々居ないだろう。先ほどまでの触れ合うか否かというギリギリの距離から、一気にベンチの端まで後退したマオリィネは、顔を真っ赤にしながら自らを抱きしめるように両腕をきつく締めていた。
いや、これは僕が悪い。悪いのはわかっているのだが、それ以上に彼女の言葉が突き刺さる。
「そうか。やっぱり、考えている方が、普通なんだろうな」
「キョウ、イチ?」
多分だが、余程こちらの表情が深刻そうに見えたのだろう。頬の赤さが引かないうちに、彼女はゆっくりと座りなおし、困惑した様子で首を傾けた。
フッと零れる自嘲気味な笑み。それは心に刻まれた古傷が、余計な痛みを訴えないようにするための安全装置みたいなものだろう。
「僕はどうにも、自分が親になるとか、誰かとの間に子どもを授かる、みたいなことが想像できなくてね。というか、今までそういう思考を、無意識の内に排除していた、と言うべきだろうか」
「貴方の過去を思えば、わからなくもないけれど――」
どこか不安そうに曲がる細い眉。彼女にこんな顔をさせたかった訳では無いのだが、これまで散々逃げ回ってきたツケと思えば、無理もない。
ただ、少しの沈黙を挟んだ後、マオリィネは何かを察したように、あっ、と声を漏らした。
「もしかして、私の家の話?」
「ご明察。ウィリアムさんは、僕に爵位を受けるつもりがないことを承知された上で、君との関係を認めてはくださったが」
だからと言って、蔑ろにできるような話では無いだろう。
おかげで、新しい悩みが芽吹いた訳だが、何故かマオリィネは安心したような表情で、肺の中が真空になるのではと思うほどの、大きな大きなため息を吐いていた。
「あー……でしょうね。というか、正式な勅命まで出されていたのだから、反対できるのはガーラット様くらいのものよ」
いつものキリリと引き締まった表情や、ピンと背筋を伸ばした凛々しい姿勢はどこへやら。
実家だから、と言うのもあるかもしれないが、彼女にしては珍しく、完全に脱力したらしい。背もたれに体を預けたまま、ズルズルとお尻を前へ滑らせて沈んでいく。
「それで、私たちの関係は認めるけれど、トリシュナー家を繋ぐ為に跡取りが欲しい、とでも言われた?」
「君がエスパーだったとは驚きだ」
「お父様の考えそうなことくらい、簡単に想像できるわ。それで、何と返事をしたの?」
その辺りは、流石に親子と言ったところか。瞳の色以外は、あまり似ていない気もするが。
マオリィネはぐりぐりと姿勢を戻しながら、あまり聞きたくもなさそうに、前を向いたまま頬杖をつく。
「いいや何も。さっき言った通り、僕にとっては考えないようしていたような内容だったんだから」
聡い彼女のことである。僕の返事くらい予想が着いていたのではないだろうか。
ただ、どうしてかゆっくりとこちらを振り返ったのは、何やら不服そうな半眼だった。
「改めてそう言われると、やっぱりちょっと複雑なんですけど」
「そう膨れないでくれ。これからは、ちゃんと考えるから」
誤魔化すような笑いは、我ながらド下手くそだったと思う。
心の傷を言い訳に、逃げ回っていい時間は終わっている。重婚を決断したのは自分自身であり、ストリを含めた皆との約束でもあることを忘れてはならない。
恋人、家族、生活、そして子ども。マオリィネに限らず、全員との関係として、僕が考え向き合っていかねばならない話である。
だからこそ。
「……跡継ぎに不安があるのなら、ウィリアムさんは何故、君を一人っ子のままにしておくのだろう?」
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