第9話 血脈
「私に兄弟姉妹が居ないのは不思議?」
マオリィネの方を見ないまま、僕はああ、と短く返す。
彼女に対しては、少々デリケートな話題だとは思う。それでも時には、言葉を飾らず聞いておいた方がいいこともある。
「王族貴族というのは普通、家名と血脈を確実に繋ぐために、何人も側室を抱えるものだろう?」
たとえ貴きと言われる者達でなくとも、人間は多くの場合において、血脈というものを重要視してきた歴史を持つ。王国の貴族もそれに準ずるならば、嫡子でなくとも、できるだけ多くの子を持とうとするのが一般的であるはず。
しかし、彼女は小さく首を横に振った。
「対外的な建前が足枷なのよ。お父様にとっての正妻は、私とは血の繋がらないお母様、人間だったメイヤー・トリシュナー夫人。そのお母様が亡くなられてから今日まで、お父様は新たな正妻を迎えていないし、側室も表向きには居ないことになっているわ」
「……産みのお母様が側室にすら入らないのは、やはりキメラリアだからか」
「お父様がキメラリア好きなことは、世間的にも広く知られている。だから、ウィリアム卿はお気に入りを家の使用人として抱えている、という噂は最早公然のものよ。だけど、その子どもはトリシュナー伯爵家に居ない。居てはならないの」
あまりにも強い拒絶の言葉に、自然と唇に力が籠った。
ユライア王国は、キメラリアやデミへの差別意識が、比較的緩い部類だと思っていた。否、キメラリアを人体実験に供していたカサドール帝国や、人間至上主義の宗教で成り立っていたというオン・ダ・ノーラ神国などと比べれば、実際緩いのだろう。
「では、新しい正妻を迎えられないというのも」
「そう、
自分の感覚が麻痺していることを痛感させられる。
種族のことなど、僕らは誰も気にしない。だが、それは現代の普通と、あまりにもかけ離れているのだろう。あるいは、メイヤーと呼ばれた彼女の母が、こちらに近い変わり者だとも言える。
しかし、種族と言われて、ふと懐かしい記憶が浮かんだ。
「はて……僕の覚え違いでなければ、君は随分とアッサリ、僕に秘密を暴露したような気がするんだが」
隣で肩が跳ねるのが見える。同時に、周りを漂っていたどこか陰鬱な空気が、瞬く間に吹き飛んだように思えた。
「あ、ああああの時は、本気で驚いたから、つい口が滑っちゃったのよ! 黒髪の人間が居るなんて知らなかったし――そっ、それに貴方! アポロニアが居なければ、絶対気付かなかったでしょう!?」
マオリィネにとっては、これ以上ない程大失態の記憶だったのか。その頬は真っ赤に染まり、しかし目尻をキッと吊り上げて、こちらへ掴みかからんばかりの勢いで迫ってくるではないか。
その雰囲気が、余計に夜泣鳥亭の中庭で出会ったあの日を彷彿とさせるのだが、言えば火に油となるのは想像に難くないため、僕はごめんごめんと手を振りながら、脱線した話題を元へ戻した。
「しかし、君の素性を知る貴族家はあるように思うが。チェサピーク家とか、ヴィンターツール家とか」
「……まぁ、それで全部だけどね。だとして、そこに未婚かつ妙齢の女性は居る?」
マオリィネはベンチへ座り直したものの、流石に気持ちは収まりきらなかったのか、少し意地の悪いクエスチョンを投げつけてくる。
「僕が知る限りなら、ジークルーンさんくらい、じゃないかな」
「それが答えよ。ジークはヴィンターツール家の初仔で長女だから、ダメということはないのでしょうけれど、お父様は流石に、私の幼馴染を娶る気にはなれなかったみたい。その下は長男次男三男四男と、まぁ男の子ばっかり。エデュアルトの子は女の子だけど、まだ歩き始めたばかりだし、クローゼは未婚な上に貴族社会とはもう繋がりがないわ」
八方塞がりとはまさにこの事だろう。とはいえ、頼みの綱となりうる唯一の女性が、骸骨の恋人であることを思えば、この方法に可能性が見出せなかったのは行こうと捉えるべきだが。
「なるほどなぁ……まぁ、僕の浅知恵程度で片付くような話なら、最初から悩んだりしないか」
大きく息を吐きながら、背もたれにだらりと体を預ける。そのまま空を仰ぐように頭を後ろへ垂らせば。
「あっ、おにーさーん」
開かれた2階の窓から身を乗り出して、こちらへ手を振る猫娘の姿が見えた。
偶然の邂逅に、脱力した姿勢のまま、やぁ、と軽く手を上げて応える。
「これからシューニャとお散歩に行くんですけど、一緒にどーですかぁ?」
「アチカの町中をかい? というか、ダマルとアポロは?」
「ダマルさんはお昼前くらいからタマクシゲに戻ってます。理由は知りませんけど。アポロニアはリュシアンから、料理を教えてもらうとか言ってました」
「そう、かぁ。うぅん」
それぞれやりたいように、という形らしい。ならば自分も、動かずダラダラしていた方が、という考えが頭をよぎる。
しかし、それも一瞬の事。隣からポンと膝を叩かれた。
「気分転換も大切よ。ほら、私が案内してあげるから」
ねっ? なんて言いながら、覗き込むように向けられる笑顔。
マオリィネはもしかすると、僕がこのまま跡継ぎ問題で悩み続けることを心配してくれたのかもしれないし、事実、静かな屋敷に1人で残れば、そうなった可能性は高い。
しかし、決め手は何より。
「――それもそうだね。ああ、付き合うよ」
どんな形であれ、楽しげに手を引いてくれる彼女の提案を、無下にはできなかったからだろう。
■
「おー」
金色の瞳が、並べられたグラスを覗き込む。
薄く色がついているのは、そういうデザインが好まれているからか、あるいは不純物を完全に取り除くことができない為なのか。
どちらにせよ、現代文明の中でここまで多くのガラス製品を目にしたのは初めてである。
案内を買って出たマオリィネ曰く。
「元々はお酒の容器を作り始めたのがきっかけでね。あまり有名じゃないけど、ガラス細工の工房はいくつもあるのよ」
蒸留所と工房から空へと伸びる煙や蒸気。これこそ町の自慢なのだと、彼女は誇らしげに胸を張って見せる。
そんな彼女の言に、ガラス工房の職人らしき男性はハハハと照れたように笑った。
「マオリィネ様は変わりませんなぁ。王都を見てこられたってのに、それでもアチカの方がいいと仰られるとは」
「私の故郷だもの、当然でしょう」
昔馴染みなのか。領主の娘を相手にしているというのに、ガラス職人は気張った様子もなく、それどころかマオリィネを見つめる瞳は穏やかである。
市井から隔離された王宮に集う有象無象と違い、トリシュナー家が随分民衆に近い立場にあるのだろう。
それに加えて。
「きれー……」
さっきまで食器を眺めていたファティマは、知らぬ間に興味が移ったようで、今度は装飾品らしき商品の前で釘付けとなっていた。
「ケットのお嬢ちゃん。そいつがお気に入りかい」
夢中になりすぎていたのか。後ろからかけられた女性の声に、ビクリと長い尻尾が跳ねる。
ガラス職人の母親、と言った感じだろうか。その声色こそ穏やかだったが、明らかに彼女は身構えていた。
「あ、ごめんなさい。つい、じっと見ちゃって」
自由気ままな雰囲気のファティマでさえ、虐げられる種族としての習慣は体に染みついているのだろう。
バックサイドサークルのような闇市や貧民街の中でなければ、キメラリアは入店することさえ拒否されることがほとんどで、買い物をするなどもっての外。認めたくはないが、それが現代社会の常識なのだ。
余計なトラブルを起こさないために、ファティマはすぐに商品から離れようとしたし、僕も余計なことを言わぬようにぐっと顎に力を籠める。
しかし、年嵩の女性は不快感を表すこともなく、静かに彼女の眺めていたガラス細工を手に取った。
「何も謝ることはないだろう。ここはアチカなんだ、欲しいなら売ってあげるよ」
差し出された小さな装飾品に、パチクリと金色の瞳が瞬く。あのシューニャでさえ、僅かに目を見開いたくらいなのだから、当事者であるファティマからすれば硬直してしまうのも当然だろう。
これは、とマオリィネに視線を流せば、彼女は自慢げに肩を竦めて見せた。
キメラリアの立場向上を掲げた努力の賜物、と言うべきか。
「え、えっと――それじゃあ、こっちのも一緒に、いい、ですか?」
「もちろん。はいどうぞ」
恐る恐ると言った様子で、別の商品をファティマが指させば、女性はそれを掌の上に乗せて、躊躇うことなく彼女の方へと差し出した。
怯えるように伏せていた大きな耳が、ゆっくりと立ち上がる。お金を支払い、ガラス細工を受け取れば、ようやくファティマは普通の買い物だと信じられたらしい。明らかに緊張していた顔をようやく緩ませて、ぺこりと頭を下げた。
「ありがとうございます。シューニャぁ」
「ん。何を買ったの?」
店での買い物なんて普通の事。しかし、ファティマは余程嬉しかったのだろう。買ったばかりのガラス細工を手のひらに乗せ、楽しそうにシューニャへと報告をしていた。
あまりにも当たり前ながら、それでいてなんと微笑ましい光景だろう。
「いい場所ですね、ここは」
僕がそんなことを小さく零せば、ガラス職人はギョッとした様子で、こちらを振り返る。
「い゛ッ!? え、英雄様にそう仰っていただけるのは、なんつーかその、光栄なんですが……?」
「彼はそういう人なのよ。賞賛だと素直に受け取っていいわ」
「は、はぁ……他所から来られたってのに、変わったお方ですねぇ。まるで、うちの領主様だ」
町の外から訪れた者達に、奇異の目で見られることに慣れ過ぎているのか。マオリィネの援護射撃を受けてもなお、彼からすれば珍獣を見たような様子で、唇をすぼめながら、禿げあがった頭を撫でていた。
「そういえば、コレットは元気にしている?」
「あぁそうだ! ちょうどご報告せにゃと思ってたところでして」
ガラス職人はポンと手を叩くと、そのまま僕らを工房の奥へと招き入れた。
――職人が貴族令嬢に報告というと、何か注文でもしていたのだろうか。
マオリィネの背を追いかけながら、そんなことを考える。
ただ、案内された場所は作業場や倉庫ではないらしい。ギィと鳴って開いた扉の向こうに、薄く見えた先は生活空間のようで。
「あら、あらあらあら! マオリィネ様、わざわざいらっしゃって下さったんですか?」
「こ、コレット!? 貴女、その子は――じゃない! キョウイチは入っちゃダメ!」
若い女性の声が聞こえた矢先、何故か僕はマオリィネに廊下へ押し返された。
不意打ちな上、結構な力が腹に加わった為、カエルの鳴くような声が口から零れる。
「ぐえっ……え、ちょっ、何が」
「い、い、か、ら! ちょっとそこで待ってなさい!」
どうやら問答無用らしい。キョトンとするシューニャとファティマもついでに残し、物凄い勢いで扉は閉じてしまった。
何が起こっているのかは気になったが、さっきの慌て具合を見る限り、下手なことはしない方がいいだろう。興味本位で扉に触れて、目潰しを食らっては割に合わないのだから。
――見るなのタブー、という奴だろうか。
状況が呑み込めないままボンヤリ待つこと暫く。閉まった時とは打って変わって、扉は静かに開かれた。
「いいわよ、入って」
「そりゃあどうも。結局何だったん――」
ようやく見えた部屋の全景。それは僕の口から零れかかった疑問を、一瞬で飲み込ませるのに十分すぎた。
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