第17話 残火
『独立国家共同体、か』
運転席のモニターの中、大きく分厚い手が禿頭をペチンと叩く。
リッゲンバッハ教授は画面の中に居ることが常だからか、どうにも通信越しであることを忘れそうになってしまう。
尤も、何処に居ようと電子の世界から出てくることはできないのだが。
「あくまで状況証拠によるものでしかありませんが、少なくとも、投入された戦力はそれに準ずるものでした」
『バイオドールを擁する以上、他は考えられん。とはいえ、軍事力として利用された記録はなかったはずじゃがなぁ』
「なら、俺たちが記念すべき最初の実戦相手って訳だ。800年も経ってるってのに、馬鹿馬鹿しくて涙が出るぜ」
僕の右隣でカタカタと骨が鳴る。といっても、そこに人が入れるようなスペースなどはなく、乾ききっていながら涙云々と抜かすのは、置物のようになっている髑髏だった。
何か悪さをしたのかと思ったが、どうやら全員が運転席の周りに集まるのに、最も小さくなれる特性を利用しての事らしい。解体され過ぎたせいか、最近は自ら頭骨単体になることへの抵抗すら失われつつあるようだ。
『かの文明崩壊を生き延びた国があるとは、とても思えん。そも、奇跡的に残っていたとすれば、両大国の亡き今、世界は生き残りの天下となっているはずじゃろうに』
教授の意見も尤もである。あの衛星国が、当時どの程度の野心を抱えていたかは知りようもないにせよ、ここまで文明が後退した世界に唯一残ったとすれば、望まずとも覇権は転がり込んできそうなものだ。
それが800年の時を経た今更になって、旧企業連合領に偵察部隊を派遣した意図とは何か。正直言って、全く想像がつかない。
「ガーデンの方では、何も捉えられませんか?」
『影も形もと言ったところじゃの。元々未完成の施設な上に、頼みの通信衛星も、先の天雷照射の余波を受けてか、あちこちエラーが続発しておるでな』
あぁ、と苦笑を浮かべる。
ただでさえ、戦略兵器の脅威はミクスチャなんぞとは比べ物にならないのだ。クロウドン災禍に対しての使用は、必要に迫られてだったとはいえ、やはり様々な弊害を引き起こしているらしい。
これにはダマルも大きくため息をついた。
「地道に行くしかねぇか。つっても、800年前の国がマジで残ってるなら、俺ぁ躊躇いなく万歳しちまうがな」
「同感だ。軍の採用枠が空いてればいいんだが」
「……キョウイチやダマルでも、敵わない相手が居る?」
肩を竦める僕に、心底不思議そうに首を傾げるのはシューニャである。
彼女の中で、自分は一体どんな存在と認知されているのか。相変わらずの無表情も相まって、冗談が含まれているようにも思えず、いやいや、と手を振るくらいしかできなかった。
「買いかぶりすぎだよ。僕らが国や組織と対等に話せるのは、あくまで兵器による圧倒的な有利によるものに過ぎないんだから」
「俺なんざ、ベッドの上の姉ちゃんにも敵わねぇぞ。カカカッ」
「相変わらず、言う事が下品ッス」
骸骨の軽口はどうにも不評らしく、僕の膝に顎を乗せていた赤茶の頭で、分厚い耳が後ろへ絞られる。
一方、耳の大きさなら勝っていながらも、一切無視を決め込める者も居た。
「でも、アチカの戦いは余裕に見えましたけど」
「小規模の偵察部隊相手だったからね。あれくらいなら、僕だけでもなんとかできるが」
「その時点で普通じゃねぇってことに自覚持てよ」
『戦争は基本数じゃ。同じようにマキナを運用する国家に、本格的な攻撃部隊なぞ差し向けられたとあっては、1人2人の力ではどうにもならんわい』
産まれてこの方、現代を生きてきた彼女らからすれば、自分が規格外の存在であることは共通認識らしい。
しかし、ダマルの普通基準が厳しいのはさておき、リッゲンバッハ教授が呆れた様子で言い切った通り、単機で国を相手に戦争を挑めるほど僕は人間をやめていないのだ。
「とりあえず、テクニカ調査と並行して調べてみるつもりです。無目的に奇襲攻撃を仕掛けてきたのでなければ、話の通じる相手が居るかもしれない」
『ならばこちらは、残骸から何かしらの情報を得られないかを試してみるとしよう。回収は手配しておく』
「お願いします」
リッゲンバッハ教授ができる手配となると、ほぼ間違いなくサンスカーラさんである。またパシナと共に王国まで派遣されてくることになるのだろう。ポラリスの事といい、何かと迷惑をかけまくっているので、いい加減何かお礼を考えておかねばなるまい。
シューニャを連れて里帰りするだけで、十二分に喜んでくれそうなことは、とりあえず脇に置いておくとして、だ。
『して、君の方はどうなんじゃ? 戦闘後に不調は現れておらんか?』
「多少の疲労はありますが、今のところはそれだけです。生命維持装置がまともに稼働していたおかげだとは思いますが」
翡翠の調子も含め、以前よりは大きく改善している。万全な時には気付かないが、それほどまでに空戦ユニットは機体への負荷が大きいということだろう。
手を握り、緩め、また握って緩める。力が入らないこともなく、痙攣するような震えも襲ってこなければ。感覚もしっかりしていて、嫌な汗が噴き出すこともない。
万全でないにせよ、それだけで十分だろうと、僕は大丈夫と頷いたのだが、リッゲンバッハ教授の表情はどこか複雑そうだった。
『……くれぐれも無茶は控えるようにな。命大事に、じゃぞ』
「僕ぁいつでも、そのつもりなんですがね」
『それは、行動で示しなさい』
言うが早いか、こちらに答えを返す間も与えぬうちに、モニターが暗転する。
自業自得と言えばそうかもしれないが、どうにも僕の安全思想は信じてもらえないらしい。
「僕ぁ常日頃から、そんなに無謀なことばかりしているだろうか」
「自分の胸に聞いて」
こういう話をすると、シューニャは非常に素っ気ない。というよりは冷たくすらある。
自分の胸に、と言われても、わからないから聞いているのだが。
「うーん……できるだけ安全策を取ってるつもりなんだがなぁ。痛っ」
ぺちこ、と小さな掌が額にぶつかった。痛いとは言ったものの、ほぼ触れたという程度の衝撃だったが。
「え、えぇと? シューニャ?」
「知らない」
難解な乙女心の問題か、はたまた僕の常識観がズレているのか。答えをくれないまま、シューニャはすたすたと運転席を去っていき、ファティマがその後を追っていった。
強いて珍しいと思ったのは、彼女は小さな背中から、微妙な不機嫌を滲ませていたことだろうか。
「怒っちゃダメッスよご主人。あんな不器用でも、本気で心配してるんスから」
へへっ、と笑うアポロニア。彼女はいつの間にか僕の膝にもたれかかり、ばらけた骨格標本をカチャカチャと触っていた。
「まさか、怒ったりしないよ。ただ、自分が不甲斐ないと思うだけでね」
「きっとシューニャも同じ気持ちだと思うッスよ。ほい、直った」
「ありがとよ。いい加減、プラモになった気分だぜ」
プラモデルとは言い得て妙かもしれない。組み立てに関してはアポロニアが誰より優れているらしく、ダマルは軽く肩を回しながらいい具合だと車体後部へ歩いていく。
何とも便利な身体の相棒であろう。相変わらず謎ばかりではあるのだが、しかし、それ以上に。
「……同じ、とは?」
「ご主人が無理するのは、必要に迫られた時だってことくらい、自分だってわかってるッス。だからこそ、不甲斐ないって感じることはよくあるし、シューニャも同じ気持ちだと思うッスよ」
彼女はまた僕の膝に顎を乗せなおしながら、柔らかい頬をムニと潰して困ったように笑う。
「まぁ、あの口下手の表現下手には困ったもんスけど」
「お姉さんのようだな、君は」
「実際お姉さんッスからね。体は小さいッスけど、見直したッスか?」
上目遣いに向けられる茶色い瞳。年齢に対して童顔で、大きな目は一層幼さを強調しているものの、その奥に滲む思いやりが見た目との乖離を強く伝えてくる。
たかが1歳、2歳の差かも知れない。何なら、暦すら曖昧な現代において、年齢の基準などあてにもならないのだろうが、アポロニアがお姉さんだというのは、どうしてか疑う気も起きず自然と受け入れられる。
それどころか、彼女のよく口にする、小さいという言葉すら、奇妙に思えるくらいで。
「今更なんだが、僕ぁ最初どうして、君を子どもと見間違えたんだろうなぁ」
「どこ見てるッスか。自分が言ってるのはそういう部分じゃな――いや、そういう部分もあるッスけど」
彼女はパッと体を離すと、両腕で隠しきれない胸元を覆いながら、こちらをジトリと睨んだ。
凝視したつもりはないが、どうやらアポロニアは小さいから連想して、視線が吸い寄せられたように思えたらしい。
改めてそう言われると、低い背格好と不釣り合いなスタイルというトンデモ兵器ではあるのだが。
「小さいのも大きいのも、全部魅力だと思ってるよ」
「ぁ、う……」
ポカンと開く口元と、だらりと落ちる胸元を隠していた腕。
彼女らしい反応に頬が緩む。人をからかうことは好きな割に、自分が好意を向けられることには慣れていないのだ。
尤も、僕にからかったつもりなど微塵もないのだが。
「そ、そういうの、行動で示してほしいッスね」
「行動?」
いつもの演技派な表情はどこへやら。先端がブンブン揺れる尻尾を片手で押さえつつ、彼女は無理矢理に唇を尖らせる。
「爺様が言ってた通りッス。今回の御貴族様問題だって納得はしてるッスけど、やっぱり順番って気になっちゃうッスから。あ、ご主人が誰が1番とか2番とか、決めてないのはわかってるッスよ?」
「それは、そうなんだが。うーん……」
行動で好意を示す。それは普通のことかもしれない。
僕だってやりたいことは沢山ある。アポロニアとも、他の皆ともだ。
我儘は百も承知。移り気と言われたって、僕はもう貫くと決めたのだから構いはしない。
ただ、自分が気にするべきは現代の環境だ。恋人だから、慕い合う関係だからと、800年前のようにはいかない。
正直、言葉にするのはどうかとも思うが、この際いい機会だろうと喉に力を込めた。
「アポロはその、子どもが欲しいって思うかい?」
「ぅげほっげほっ!? い、いいいいいいいきなり何スか!?」
鎌を掛けるようなことを言ったのは自分の癖に、アポロニアは激しくむせ返りながら、涙目でこちらを睨んでくる。尻尾の毛も大きく膨らんでいる辺り、本気でびっくりしたらしい。
妙齢の女性らしく振舞ったかと思えば、たちまち生娘に戻る。百面相の顔も含めて飽きないのだが、かといって自分も余裕をもってリードできるほどの経験はなく、ポリポリと頬を掻いた。
「マオでもそうなんだが、婚姻を結ぶというのは、そこまで見据えた話、だと思うんだが」
「あ――あぁ、それはそう、なんだと思うんスけど、そのぉ……」
もじもじと体を揺すりつつ、アポロニアは口籠る。
彼女が顔を真っ赤にするのはわかっていた。投げかけた僕の方ですら頬が熱いのだ。
しかし、勢いだけで片付けることは許されない。何せ、科学が未発達な現代の中で、医学程信用ならないものはないのだから。
それこそ、800年前ならば肉体関係を持とうとも、子を成さないようにする方法は、自分の知る範囲でも複数存在していた。
しかし、現代ではそうもいかない。むしろそんな事を考えているかさえわからないくらいだ。
加えて、マオリィネの秘密が疑われることもなかった辺り、出産が命がけであることが現代において常識なのは言うまでもないだろう。
感情だけに任せるなら、彼女らとより親密な関係になりたいとは思うが、結果としてリスクを背負うのは母体となる女性なのだ。故にハッキリと聞いておかねば、と思ったのだが。
「よ、夜も遅くなってきたッスから、この話はまた今度ッス! お、おやすみなさいぃぃぃぃ!」
「あっ、アポロ……さーん……」
どうやらアポロニアは、羞恥の方が勝ってしまったらしい。手足をバタバタ動かしながら、転がるように車体後部へ逃げてしまった。
――流石に露骨過ぎた、だろうか。まぁ急ぐことでもない、が。
血脈と家名を背負うマオリィネが特別だった、ということにしておこう。
■
「それなりの事情があるのでしょうね?」
薄暗い部屋の中、冷めた女の声がキンと響く。
壁にもたれかかったその影は、さも面倒くさそうに腕を組んでいた。
睨むような視線の先、くるりと椅子が回る。モニターから向き直ったのは、なんとも特徴のない背格好の男。
「わざわざ悪いね。レコン3が規定ルートから外れたもんだからさ」
「交戦したの?」
「そこまではわからないけど、最後のビーコン発信位置を見る限り、どーも退避してるように思えてさぁ」
癖のある白髪をかきあげた彼は、人懐っこい笑みを零す。
しかし、細身の影は男の友好的な雰囲気に応えるつもりはないらしい。面倒臭そうに壁から背を離すと、手近な端末へと歩み寄り、しかしキーに触れることなくモニターへと手首をかざした。
ため息。
「……曖昧な情報ね」
まるで何も得るものがないと言わんばかりに、彼女は躊躇いなく踵を返す。
この反応に、男の方は待った待ったと立ち上がる。モニターの光が伸ばした影は、慌てたようにその手足を振っていた。
「まぁまぁ、そんなにツンケンしなくってもいいじゃない? ほら、情報の共有は基本中の基本って言うしさ。お互いのためにもさ、もっとコミュニケーションとっていこうよ」
彼の言葉が本心ならば、どうにかして距離を縮めたかったのだろう。しかし、女の影は肩を竦めることすらせず、チラと肩越しに感情の乗らない視線を投げた。
「命令だけ伝えればいいでしょう。マリオネットと会話した所で、意味なんてないわ」
「いやだから、俺たちの権限は同等だって、何度も言ってるでしょう。嘘ついた所で、こっちに得がある訳でもないし、俺はただ仲良くしたいだけだよ」
「尚更無意味ね。言われたことはするから、どうでもいい話でいちいち呼び出さないで頂戴」
男の影は大袈裟に両手を広げて見せたが、しかし、女は青いメッシュの入った長いお下げ髪を揺らすのみ。
食い違う感覚。群れを拒絶する野生動物のような反応に、男はがっくりと肩を落とした。
「もう1つ更新された情報もあるんだけど、それも要らない?」
「どっちでもいいわ。必要かどうかは貴方が決めることよ」
「なら、せっかくだし伝えさせよ。まぁ急ぎって訳でもないんだけど」
また溜め息をついてから、女性は再び手首を端末にかざす。
それから間もなく、彼女の目には今日初めて、興味に似た色が浮かんだ。
「レコンに伝えておいて。外部からの偵察を徹底し、接敵した場合は退避を優先するようにと」
「てことは、重要な軍事施設か何か?」
「ええ。私の記憶が正しければ、だけれど」
それだけ短く告げると、彼女は今度こそ踵を返す。
しかし、その足取りは先程とは違い、ハッキリと目指す先があるように大股なものだったが。
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