第16話 トリシュナー

 蝋燭の火が揺れる屋敷の中、僕はバルコニーへと続く扉を押し開く。

 なんとなく、彼女はそこに居るだろうと思ってのこと。実際、白む空をバックに、長く美しい黒髪が風に遊ばれていた。


「終わった、のね」


「ああ。ウィリアムさんは?」


「今しがた、眠ったところよ。できるだけの手当は済ませたし、後は傷口が膿んだりしなければ、きっと大丈夫」


 振り返らないマオリィネの後ろで、僕は小さく拳を握り込む。


「すまない。僕がもっと早く、気付けていれば」


「やめてキョウイチ。貴方が居なければ、みんな死んでいたわ。民たちからも、死者の報告は受けていないもの」


 ふわり、と甘い香りが舞った。

 申し訳なさそうな、疲れの滲んだ笑顔。今は静かになっている屋敷も、ほんの少し前までは、全く異なる顔を見せていたに違いない。

 だからこそ、余計に心苦しく思う。


「それでも……いや、そうじゃないな。アポロ」


「ほい」


「ダマルから抗生剤を貰ってきてくれ。感染症さえ防げば、きっと大丈夫だ」


「コーセーザイ、了解ッス」


 後ろを着いてきてくれていたアポロニアは、僕の真似をしてなのか。ピッと指先を眉に揃えると、パタパタと来た道を駆け戻っていく。

 小さく音を立て、バルコニーの扉が閉じる。その代わりに、石の床を靴底がコツンと鳴らした。


「アチカを襲った敵は、何者だったの? 何が目的で、いきなり?」


 こちらを見据える琥珀色の瞳。そこに浮かぶのは、怒りよりも困惑が強かったように思う。

 どうしてこの穏やかな故郷が、と。

 呼吸を1つ。僕はゆっくりと口を開いた。


「それなんだが」



 ■



 同時刻。アチカ東の森。

 俺は顔面を潰された青金相手に、ガチャガチャと工具を振るっていた。


「結局、そのドクリツナントカって、何なんですか?」


 と、聞いてくるのは、使えそうなものを運ばせていたファティマである。彼女が興味を示しそうな話題とも思えなかったが、いい加減ゴミ拾いも飽きてきたと言ったところか。


「東の海に浮かぶ群島国家だった場所だ。名前の通り、国力のねぇ弱小国家を束ねて、企業連合にも共和国にも属さない自治集団を標榜してた」


「大国に抵抗していたということ?」


 選別を任せていたシューニャが、いつの間にか寄ってきていた。こちらは話題に釣られたに違いない。

 サボり魔の多い事だと、兜の中で小さく笑う。


「建前はな。だが、集まってんのは自国の運営にも喘ぐ貧困国ばっかり。そんなのがいくら団結を叫んだところで、他所からの支援なしにやってけるはずもねぇ。おかげでその内実は、企業連合の衛星国みたいなもんだった」


 えーせーこく? とファティマは首を傾げていた。現代には存在しない言葉なのかもしれない。

 しかし、シューニャは言葉そのものの意味を問おうとはせず、俺の隣へしゃがみ込んだ。


「その国だという確証はある?」


「今ンところはねぇよ。だが、状況証拠から推測するこたァできるぜ。見ろ」


 こじ開けたメンテナンスハッチに手を突っ込み、緊急解放レバーを捻る。

 フレームに歪みの1つすら生じることなく機能停止させられたからだろう。青金は綺麗に背面を開き、その中身を外気に晒した。

 途端に、猫の尻尾が太く膨れる。


「な、何ですかこれ……!?」


「透明な血……これは、人、なの?」


 2人が後ずさるのも不思議は無い。

 転がり出てきたパイロットは、見た目こそ人間だったが、潰れた顔からは基盤のような物が飛び出し、流れ出る液体に触れた配線が、パチパチと火花を散らしていたのだから。


「バイオドール。800年前に独立国家共同体が開発した、いわゆるアンドロイドって奴さ」


「生き物じゃない、ってことですか?」


「人工筋肉やら有機物も多く使われてるが、基本は機械だ。俺の記憶が正しけりゃ、企業連合から、倫理違反がどうのとか生命尊厳がどうたらってイチャモン的な圧力をかけられて、独立国家共同体の中だけで細々と開発運用されてた代物だったはずだ」


 企業連合は、衛星国が新産業を興すことによって、自らの立場と経済的なシェアが奪われることを恐れたのだろう。それでも、制作会社を金の力で潰さなかった辺り、いずれは技術者を流出させて、産業自体を奪い取るくらいのことは考えていたに違いない。

 何にせよ昔の話だ。青金同様、まさか800年経ってから目にする機会があるとは思わなかった。

 おそるおそる、シューニャはバイオドールの残骸を覗き込む。見方によっては、人間の亡骸よりもグロテスクかもしれない。


「……これが、アオガネを動かしていた? なら、追いかけてきた奴らも、空を飛んでいたのも?」


「多分な。連中の目的に関しちゃ、サッパリわからねぇがよ」


 唯一確かなことがあるとすれば、厄介な可能性が1つ増えたこと、くらいだろうか。



 ■



「安心は、できそうにないのね」


 独立国家共同体についての説明を聞いたマオリィネは、そう言って肩を落とす。

 僕としてもできれば、任せておいてくれ、と言ってやりたかったが。


「すまない。向こうの狙いが分からない以上、絶対と言えることが何も無いんだ」


 何のために現れたのか。本当に古代文明が存続しているのか。今はどれも謎に包まれている。

 だが、それでも。


「それでも、可能性を想像することはできる」


 琥珀色の視線がぶつかる。真剣な表情は、暫く僕の頭の中を探るようにじっとこちらを見つめ。

 やがて、フッと彼女は笑みを零した。


「それって、貴方のことだったりする?」


 マオリィネはエスパーだったのか。素晴らしい読みに、僕は小さく肩を竦めて見せた。


「玉匣を含めた往年の代物全てだよ。だからこそ、僕らはここに留まるべきじゃない。川水が下がり次第、僕らは予定通りテクニカへ向かうつもりだ」


 気がかりは、真っ先に自分たちの居た部屋が狙われたことである。

 キラービーの攻撃優先度が、武装の有無による危険度判定に頼っていた可能性もなくはない。だが、それだけなら剣やクロスボウも判定の圏内となるはずであり、それなら防壁や市門から騒ぎが起こっても良さそうなものだ。

 しかし、もしも狙いが自分たち、あるいはさらに拡大して、800年前の武装を所持する者だったとすればどうか。

 確証は無くとも、可能性は潰しておくべきである。その上で、僕はマオリィネに向き合った。


「しかし君は、ここに残った方がいいだろう」


 彼女の肩が、小さく強ばる。


「お見通し、ということかしら」


「ウィリアムさんや、アチカの人達が頼れるのは、トリシュナーの名前を持つ君にしか居ない。違うかい?」


 指導者がタクトを振るえない状態にある以上、誰かが立場を引き継がねばならない。それも貴族という立場があるなら、代われる者などほとんど決められている。

 だからだろうか。マオリィネはわざとらしく、僕から目を背けて唇を尖らせた。


「ズルい言い方」


「大人はズルいものだよ。あぁそれから」


 まさか続きの言葉があるとは思わなかったのだろう。マオリィネは訝しげに眉を曲げていた。

 気付かれないよう、深呼吸を1つ。本来なら、こんな形で出したいカードではないのだが。


「婚姻の儀とやらも、準備しておいてもらわないといけないからね」


「なぁっ!?」


 琥珀色の目が見開かれ、艶やかな頬が沸騰したかのように赤く染まった。まるで瞬間芸だ。


「い、いえ、それは、その……そうなのかもしれないけれどぉ!! こんな時に、貴方って人はもぉ……!」


 途中までは両手をあちこちへさ迷わせていたが、やがて堪えきれなくなったらしい。小さく握りこんだ拳で、ポカポカと胸を叩かれた。

 現代では立派な成人であろうとも、800年前ならまだ学生で未成年で、思春期とさえ呼ばれる年頃の女の子。

 凛々しく剣を携える彼女の、ある意味で素ともいえる一面に、僕は微笑みながら甘んじて拳を受け、そのままもたれかかって来る体を真正面から受け止めた。

 視線の下で、黒いつむじがグリグリと動く。ほんのりと、石鹸の甘い香りが鼻を着いた。


「……私、本気にするからね。待っていてあげるから、その分、ちゃんと愛してよ」


 彼女は顔も上げないまま、少し乱れた髪の隙間から見えた耳を真っ赤に染めて、蚊の鳴くのような声で訴えてくる。


「勿論。約束しよう」


「んっ……」


 ようやく胸から覗いた顔に、優しく唇を重ねた。

 自分に出来る最大の証明。最初は短く、少し離してもう一度。

 ただ、それで終わりになるかと思えば、離れようとしたところを、マオリィネがねだるように追ってきて、また暫く唇の体温を交換し続けた。

 それはどれくらいの時間だったのか。暖かい気持ちの中、どちらともなくそっと体が離れる。


「本当に、ズルい人」


「これでは不足だろうか?」


 口元に残った甘い感触に、ツンと指が重ねられる。


「当たり前でしょう。私、我儘なんだから」


 僅かに腰を屈めた上目遣いには、どこか蜂蜜のような色っぽさが滲んでいたように思う。

 女の子というものは、ふとした瞬間、急激に女性へと変わってしまうものなのかもしれない。



 ■



 装甲が水を掻き分け、履帯が泥と砂利を巻き上げる。

 車体を洗い流したリリウム川の流れは、マオリィネが言った通りの顔を取り戻し、装甲車が渡れる程の浅瀬をいくつも作り出してくれた。

 対岸の河川敷まで上がったことを確認し、僕は砲塔上から無線に呼びかける。


「渡河完了。車体外部異常なし。シューニャ」


『ん、このまま北へ向かって進む』


 返事の通り、玉匣は河川敷を駆け上がると、細くなった街道を北へ向かって走り出した。

 アチカの防壁を振り返る。そこには靡く黒髪が見え、僕が眉に右手指を揃えれば、ハッチから顔を出したファティマとアポロニアがブンブンと大きく手を振り、シューニャがパァンとホーンを鳴らした。

 町はすぐに小さくなり、代わりに森が近づいてくる。間もなく街道もなくなるのだろう。

 僕が砲塔のタラップを下って車内に戻れば、皆に遠慮してか顔を見せなかった骸骨が、翡翠の前で腕を組んでいた。


「良かったのか? 挨拶早々、置いてきちまってよ」


「今のアチカには、彼女が必要だからね」


「そうかもしれねぇが、こう……感情ってのは理屈じゃねぇだろ」


 ダマルはその見た目や言動に寄らず、どうにもロマンチストな面があるらしい。お前はどうなんだ、と言ってやりたい所でもあるが。


「物理的な距離が全てでもないさ。僕には僕の、マオにはマオの、立場や責任がある。大人としてのね」

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