第15話 神代の徴

『待てぇ犬っコロ』


『あきゃぁん!? ごへっ!?』


 ムセンと直接との両方から聞こえた、黄色い声と何か鈍い音。多分、アポロニアはどこかぶつけたのだろう。


『お? ダマルさん、気がついたんですね』


『あぁ、目ぇ覚めたのはついさっきだがな。どこの馬鹿か知らねぇが、人様の頭蓋骨に挨拶もなく弾丸くれやがって。俺じゃなきゃ即死だったぞ』


『ダマルさんて、ホントどうやったら死ぬんでしょうか?』


 無事でよかったという安堵もあったが、ファティマの疑問にも心の底から賛同できる。この骨、本当に不死身なのではと。


『知らねぇし知りたくもねぇよ。それより今は敵だ』


『ををを……い、いきなり尻尾掴むなんて、何考えてるんッスか!?』


『止めるには手っ取り早いだろ。そこ代われ』


『二度とするなッス』


 唸るアポロニアを宥めようともせず、ダマルはいつもの調子でホウシュセキを交代したらしい。

 私はすぐさまレシイバァを取った。


「相手はムハンドウホウを使ってた。数もわからない。キョウイチは戻ってくれると言っていたけど、それまではどうしたらいい?」


『当たればこっちの負け、逃げ切ればこっちの勝ちって訳だ。だが、そんな博打に乗ってやるつもりはねぇよ。右の雑木林だ、薮に突っ込め』


「本気……? 動けなくなったら、どうしようもないのに」


『こっちが動き辛ぇ分、向こうの射線も遮れる。大事なのはどうやって俺たちのステージに引きずり込むか、だぜ』


 ぞくり、と背中を冷たいものが走る。

 忘れてはいけない。普段はお調子者で軽口の多い骸骨だが、その本質はむしろ見た目と近い。

 ダマルもまた、キョウイチと肩を並べた神代の兵士だったのだと。



 ■



 湿った地面に足音が響く。

 星灯りは葉陰に阻まれて届かずとも、産まれたての獣道が行き先を指し示している。

 2つの人影は独特の轍を踏み、時に木立へ、時に岩陰に身を潜めながら、素早く獣道の先を目指した。

 すると間もなく、倒れた背の高い木の下敷きとなって、沈黙している鉄の箱が現れる。

 偽装か、あるいは何かの故障やスタックか。どちらにせよ、追いついてしまえばやることは変わらない。

 装甲車の砲塔は獣道を指向していなかったが、人影は油断なく暗がりの中へと紛れ込む。


「シャ……ッ」


 それは風の撫でるような音だった。

 前を進んでいた片割れは、警戒して咄嗟に後ろを振り返る。そこには背後を守る相方が居たはず。

 だが、人影の向いた先にあったのは、既に人の形を失った何かだった。

 柔らかい土の上に、水音を立てて転がる影。遅れて首から下だったであろう物が、糸の切れた操り人形のように崩れ落ちた。

 敵が居る。小銃を握った追跡者は、すぐさま周りを警戒して首を回す。

 その喉元に違和感を覚えれば、結果は違ったかもしれないが。


「――ッ!? ――ッ!?」


 声にならない声と共に、小銃が地面にこぼれ落ちる。空いた両手で首を掻き毟っても、それは確実に喉仏を捉えていた。


「んぐるるァッ!」


 唸り一声。泡を吐いていた口が動かなくなり、両の腕がダラリと弛緩する。

 体重が支えを失ったことを確認し、小さな手はようやくアラネア繊維のロープを緩め、彼女はコロりと地面を転がった。


「うへへへ……隠れて倒す方法、ご主人から習っといてよかったッス」


 手に残る感触は、気持ちのいいものでは無い。おかげで気分は最悪だったが、やってやったという謎の達成感も混ざっていて、アポロニアの顔には妙な笑いが込み上げていた。

 尤も、余韻に浸っていられる時間など、彼女には与えられなかったのだが。


「ってやばぁ!? ファティマぁ!」


 木立の向こうから現れた新しい影に、アポロニアはわたわたと藪の中へ走り込む。

 何せ、チラリと見えたその手には、生身を相手に使うべきでは無い長筒が握られていたのだから。


「呼ばなくても、わかってます――よっ!」


 暗い森の中に、金属のぶち当たる鈍い音が響き渡る。

 樹上から飛びかかったファティマの一閃は、追跡者が肩に担いだ無反動砲を確実に捉え、その砲身を斜めに切り飛ばしていた。

 だが、彼女は不服そうに唇を舐める。


「武器だけ、ですか……!」


 着地と同時に身を翻し、滑る土を蹴っ飛ばし、人影目掛けて跳ね返るように斬り掛かった。


「ふぅぅぅぅぅっ! とあーッ!」


 相手の反応は鈍い。それでも、闇を跳んで近づく金の瞳に、尻もちをついたりせず、腰から刃物を引き抜こうとしたことは賞賛に値するが。

 しかし、その腕が柄を握ったところで、人影の腰辺りに輝く刃が滑り込んだ。

 800年前の金属で作られた歪な大剣、ミカヅキ。堅牢なミクスチャの表皮すら斬り裂く湾曲した刃は、キメラリア・ケットの凄まじい筋力によって振るわれる。

 黒い影が、腰の辺りから上下に泣き別れするのは避けられない現実だった。

 だが、吹き出した液体を避けるように、後ろへと飛んだファティマは、不服そうに耳をピッピッと弾き、長い尻尾を大きくブンと振った。


「むぅ……なんなんでしょうこいつら。鎧を着てるようには見えないのに、ミカヅキが通りにくいくらいカチカチなんて」


「自分が知る訳ないッスよ、っと」


 薮から顔を出したアポロニアは、ファティマの不満気な呟きを鼻で笑う。キメラリアの種族ならばまだしも、神代の技術となれば、彼女らにはわかりようも無いのだから。

 とはいえ、理屈抜きで使えるものはまた別である。


『どうだ、片付いたか?』


 胸元でガリと鳴った無線に、アポロニアは慣れた手つきで通話ボタンを押し込む。


「3匹仕留めて静かにはなったッス。でも、まだ近くから同じ臭いがしてるッスよ」


「別の場所から林に入ったのが居るかもしれません。ムハンドウホウ持ちも、1人だけとは限りませんし」


『違ぇねぇ。レーダーは相変わらず役に立ちそうにねぇしなぁ。とりあえず、玉匣の近くに戻ってしっかり隠れとけ。先に見つかったら、こっちの負けだぜ』


 神代と呼ばれてもなお、技術は万能から程遠い。敵がステルス性能の高い装備をしているのか、はたまた玉匣のレーダーがへそを曲げているからなのか。どちらにせよ、電子装備よりもキメラリアの耳鼻の方が鋭敏に周辺状況を捉えているという事実は変わらない。

 加えて人より夜目も利くとなれば、待ち伏せ要員として適任なのは言うまでもなく、アポロニアは自慢の鼻を指で突いて見せた。


「わかってるッスよ。隠れてるのは得意ッス。それに、あんなのと真正面から殴り合いなんて、自分じゃいくつ命があっても――」


 スン、と2人の鼻が同時に鳴る。

 それは金属の臭い。足すことの、嗅いだことの無い奇妙な香り。そして耳につく土の音。

 感覚が狂ったのでなければ、どれもこれも、すぐ側に。


「真正面から、ですね」


 金と焦げ茶の瞳は、同時にそれを捉えたことだろう。

 肩に担がれた長い筒は、暗い穴を2人の方へ向け、人影は腰を落として取っ手を握っていた。


「ふぎゃー!?」「きゃーんッ!?」


 彼女らは同時に叫び、同時に地面へダイブした。

 その頭上を、補助翼を開いた対戦車榴弾が越えていく。瞬きすら許さない内に、爆風が背中を撫でて通り、土塊がバラバラと音を立てて降り注いだ。


「あ、あいつぅ! 生身のキメラリアに向かってムハンドウホウぶっ放すとか、頭おかしんじゃないッスか!?」


「うー……耳がキンキンします」


 無反動砲の威力について、彼女らは経験からよく知っている。カサドール帝国の強大な軍艦を、一撃で木っ端微塵にしたのは他ならぬアポロニアであり、その弾を込めたのはファティマだったのだから。

 獣耳の奥が痛むのは当然。むしろ他に怪我らしい怪我をせずに済んだことは、奇跡としか言いようがない。

 しかし、無線の奥に居る骨は、奇跡を称えるどころか、レシーバーがハウリングを起こしかねないような声量で怒鳴った。


『バッカ野郎ォ! 見つかるなっつった傍からお前らはよぉ!?』


「ふ、振り向いたら目が合ったんスよ! どうしようもないッス!」


「喋ってないで走りますよ! 後からが来てます!」


 はぁ? と言いながら後ろを振り返るアポロニア。

 おかわりの意味はすぐに分かっただろう。闇の中に、小銃を手にした人影が、ぞろぞろと姿を現したのだから。

 その狙いは果たして何か。考えるよりも先に、彼女らは地面を転げるように走り出す。

 それを追うように弾の雨が飛び、地面や木の表面がバチバチと音を立てるものだから、アポロニアもファティマも堪らず悲鳴を上げた。


「んぎゃぁぁぁぁ! 自分らモテすぎじゃないッスかねぇぇぇぇえ!?」


「ボクそういうの興味無いですからー!」


『2人とも伏せて! こっちから援護する!』


 シューニャが言い切る前に、玉匣はエーテル機関を唸らせる。履帯もガタガタと音を立て、のしかかっていた背の高い木を振り落とし、砲塔を回し。


『いや、もう大丈夫だ』


 チェーンガンが火を噴くよりも早く、穏やかながら怒気を孕む声が、無線を通して響き渡った。



 ■



 拳から液体が流れ落ち、ズルリと音を立てて人影が崩れ落ちる。

 攻撃目標、非装甲。対象、残り4。

 どうやら間に合ったらしい。ハイライトされた中に見えた、木陰へわたわたと飛び込んでいく2つの人影に、ふぅと安堵の息が漏れる。


 ――無茶をするものだ。その分、礼はたっぷりくれてやらねばならないが。


 飛んできた小銃弾が装甲を叩く。

 僕はゆらりとその発砲位置を見やった。

 敵ながら勇敢な連中である。強化服ハイアクター装備の重歩兵とはいえ、マキナを相手に恐れず撃ってくるとは。

 敬意は表そう。だが、身内に銃口を向けた以上、容赦はしない。

 飛来した対戦車榴弾を前へ跳んで躱し、ブーストの推力もそのまま、一気に距離を詰める。

 突撃銃はサブアームに預け、対機甲軍刀も腰にぶら下げたまま、小さな盾だけを左前腕に備え、無手で敵の群れに突っ込んだ。

 戦闘というより、蹂躙というべきだろう。無反動砲を抱えていた輩の腹に貫手を突っ込み、後ろに居た奴は2人まとめて蹴りを叩き込む。果敢に銃撃を続けていた最後の1人も、そのまま首根っこを掴まえて岩に叩きつければ、辺り一帯は静かになった。


『これで、終いか。怪我は?』


「おー……やっぱり人が相手なら一瞬ですね」


「おっそいッスよご主人。生きた心地しなかったッス」


『だから言っただろうに。戦闘は避けろと』


 地面にへたりこんだファティマとアポロニアは、緊張がほぐれたからか。にへらと気の抜けた笑みを漏らす。

 その様子から、どうやら怪我はしていないらしいが、これは運が良かっただけだろう。尤も、その運という奴は鍛えようもないので、素直に喜んでおくべきなのかもしれないが。


「ここは高速道路じゃねぇんだぞ。無反動砲持ちの重歩兵から逃げろって方が、よっぽどキツい命令だと思うがな?」


『ダマル、無事だったか』


 いつの間に、玉匣から這い出してきていたのか。隣に並んだ骸骨は、歯が丸見えの口にタバコを挟み、アークライターで小さな火を灯しながらため息をつく。


「無事なもんかよ。俺の大事なお肌が傷ついちまったぜ」


 白い指が小さく頭蓋骨を叩く。銃弾を受けたのは事実なのだろうが、傷らしい傷は特に見当たらなかった。

 なにより。


『肌なんてどこにあるんだい?』


「雪のような肌ってよく言われるぜ。羨ましいだろ」


『そりゃ比喩じゃないだろう』


 軽口が叩けるあたり、どうやら負傷による心配は無さそうだ。相変わらず謎の多い相棒である。

 暗い眼孔から紫煙を立ち上がらせているダマルは、指に煙草を挟むと、火のついた先端でふいと地面を指し示した。


「それより、このクソ野郎共だ。お前はどう見る」


 暗視モードの中、倒れ伏した兵士。その装備に描かれた紋章は、撃破したマキナの装甲に刻まれていたものと同じ。

 盾を丸く囲んだ星の図柄。こんな事ばかり、きっちり思い出せる頭が恨めしいが。


『独立国家共同体の統合防衛軍、だろう』


「やっぱそれしかねぇよなぁ。あの国、まさか現代まで生き残ってんのか?」


「ドクリツコッカ……? それは一体――」


 バカバカしいと煙を吐くダマルに、追いついてきていたシューニャが首を傾げる。

 だが、彼女の質問は頭上から響いた轟音に掻き消された。


「な、なんスかアレ!」


 アポロニアが指さした先。そこは玉匣がかき分けた獣道であり、枝葉の向こうには夜空が顔を覗かせている。

 その中に、現代からすれば明らかな異物が映り込んでいた。


中型輸送機ストークスか。どこに隠れていたんだか』


「成程な。機関停止状態のステルス塗装機が相手じゃ、こっちから探知できねぇのも当然だぜ」


 見上げるこちらを捉えてか。ティルトウィング式の垂直離着陸機は、翼端のローターごと翼を巡航形態に回しながら北東へ向かい飛び去っていく。

 その方角に、僕はヘッドユニットの中で1人目を細めていた。

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