第74話 アグレッサーの実力

 翡翠のマイナーチェンジである濃青のマキナは、甲高い機関音を響かせながら姿勢を正すと、白いアイユニットをギラリと光らせた。


『覚悟はいいわね?』


 たった1体の機甲歩兵が場の空気を塗り替える。

 単に圧と言うにはあまりにも重く、同じように装甲を纏ったアポロニアは機体の大きさと裏腹に小さく震えあがった。


『ほ、ほらぁ!? 自分ら巻き添えじゃないッスか!』


『いいじゃない。言われっぱなしでは引き下がれないでしょう?』


『ボクは分かりやすくて好きですよ。たのしそーですし』


『周りが戦闘狂しか居ないんスけど!? 助けてごしゅじーん!』


 腰を落として構えを取るマオリィネと、迫力を前になお平常を崩さないファティマ。彼女達らしい反応に対して、生来臆病であると語る小型犬は自分だけでも助命をと言わんばかりの様子で、器用に甲鉄の腕をこちらへ向けてブンブン振っていた。


「甘えるんじゃない。相手が待ってくれる戦場なんてないぞアポロ」


『……ご主人も大概だったッス』


 アポロニアの声に、ここまでの諦念を感じたのは初めてかもしれない。

 だが、訓練を前に甘やかすなど言語道断。戦場には多くの不確定要素があるにせよ、汗を流した分、血の流れる確率を減らせるのは事実なのだ。

 現代においてどれだけマキナが優位な存在であれど、無敵ではないことを身に刻んでもらわねばならない。その役目に井筒少尉程の適任は居ないだろう。


『ハンデをあげるわ。私はこの円から動かないことにしましょう。少しでも出せれば貴女達の勝ち』


 鋼の足がゆっくりと削った砂の円は、瑪瑙の手が届く範囲とほぼ同じ。

 逃げることはおろか躱すことすら難しい狭小なエリアに、尖晶はヘッドユニットに付け足された可動部を大きく後ろへ絞った。


『舐められてますよ、完全に』


『実際、その位の実力差はあるでしょうね。でも、力量を読み切れてると思われるのは癪なのよ!』


 言いながら、マオリィネの黒鋼が砂を蹴って走り出す。

 訓練期間は3人の中で最も短い彼女だが、着装酔いさえなければマキナへの適性は高かったようで、その動きは自分が想像しているよりぎこちなさは感じない。


『たあああああ――うぐっ!?』


 しかしそれだけだ。勢いそのままに飛び掛かった黒鋼に対し、瑪瑙は半身を僅かに躱したのみ。宙に浮いたがら空きのボディは、軽く後ろへ飛ばされていた。


『動きが直線的過ぎる。やりなおし』


『おー、綺麗にひっくり返されてますね』


『まぁそんな気はしてたッスけど』


 砂浜へ墜落した尖晶に、ファティマは何を思ってかブンと大きく尻尾を振り、アポロニアは器用に甲鉄の額にごつい手を当ててため息をつく。


『次、さっさと来なさい』


 少尉は構えすら取らないまま、残る2人は向き直る。

 それは相手にしていないという挑発だったが、ファティマは気にした様子もなく1拍置いてから、とんと機体を軽く跳躍させた。


『アポロニア、合わせてください。行きますよ』


『いやちょ、か、簡単に言うなッス! あーもう、聞いてないし!!』


 2対1ならどうか。それも高い機動性と運動性を誇る第三世代機と、本来は格闘戦に向かないものの、重量を生かした衝撃ならば優位に立てる第一世代型の共闘。

 左右に跳躍しながら先行するファティマを追って、アポロニアは不器用にジャンプブースターを吹かしつつ真っすぐ突進していく。

 あの様子から察するに、全くの即席という訳ではないのだろう。意外にも息の合った動きに、ほぉと僕は感心していた。

 が、現実は非情である。


『これで、どう、です、かぁ――あー!?』


 ファティマは持ち前の機動力を生かし、攻撃の寸前に機体をスライドさせるフェイントを見せた。

 しかし、動きを見切られたフェイントに意味はない。瑪瑙が軽く伸ばした足に引っかかり、勢いをつけて宙を舞った。


『んだらぁ! これで貰ったッス――あれ? ぶへっ!?』


 一方のアポロニアはと言えば、視線を外したと見てダイビング体当たりに打って出た。

 大型の機体と質量を生かした攻撃、と言えば聞こえはいいが、マキナのセンサーは人間の五感を大きく補完していることを忘れてはならない。

 バレエを踊るかのような回転を見せた瑪瑙に、力士のような大型機は綺麗に躱され、やはりビーチの砂を抉っていた。


『即席の共闘にしても、もう少し意味を持たせなさい。次』


 力の差を分からせてやる。そんな意気込みを感じる情け容赦のないやり方に、僕は遠巻きに苦笑を浮かべる。

 また立ち上がって、さっきとは違う方法で挑みかかる3機を相手に、少尉は一切動かない。まるでライン作業でもしているかのような手際で、受け止め受け流し叩き伏せていく。


「一方的」


「そりゃそうだ。タヱちゃんは元々、教導隊アグレッサーのエースだったんだから」


 シューニャはカクンと頭を傾ける。現代では全くと言っていいほど聞き馴染みのない言葉だったからだろう。

 各地を巡りながら部隊教練に努める専門の精鋭部隊。その中で井筒少尉は若輩だったものの、技量は隊で1、2を争っていたと聞いている。

 実際、彼女が叩きのめした自称部隊のエース様はどれだけ居たことか。調子に乗った鼻っ柱をへし折られた不良部隊の話など、そこかしこから聞こえていた。


「キョーイチとなら、どっちが強いの?」


 無邪気なポラリスの質問に、僕はうーんと唸る。


「状況次第、かな。格闘戦なら僕に分があるが、狙撃となると彼女にはとても敵わない」


「あれで射撃戦術が主体なのか……恐ろしいな」


 ぶるりと体を震わせるアラン。つい先日、砂浜へ逆さまに埋められた記憶が蘇ったのかもしれない。

 井筒少尉が最も得意としていたのは、携帯式電磁加速砲(パーソナルレールガン)を用いたアウトレンジ攻撃だ。あの狙撃精度の高さは、前衛戦闘を主体とする自分に真似できるものではない。

 無論、格闘戦技能に関しても機甲歩兵の平均から考えれば群を抜いた存在である。ただ、専門とはしていなかったことから、多くは夜光中隊に配属されて以降に僕が教えており、そこは負けていないと信じたい部分だ。


「アラン君は行かないのかい?」


「いや、俺が混ざっての4対1は流石に不公平じゃないか?」


 大きなため息が出た。

 この分だと、彼が母親であるモーガル・シャップロンに追いつくのには、まだ暫くの時間がかかりそうだ。


「どうやら君はまだまだタヱちゃんの怖さを分かってないらしい」


 怪訝そうに首を傾げる彼に、いいから着装して来いと背を押して暫く。

 僕の目の前を朱色の金属が物凄い勢いで通り過ぎていく。


『ぬあー!?』


「わぁ、ノルフェンが飛んでる」


「綺麗な背負い投げだったな。投げっぱなしになってるが」


 地面が柔らかい砂でよかったと心の底から思う。でなければ組手など認められない訳だが。

 どーんと激しい砂埃が舞い上がる中、肩で息をしているキメラリア2人は揃ってゆるく首を振った。


『はぁ……全然役に立ちませんね、あの赤毛』


『この間は砂浜にぶっ刺されてたッスから……おぇ』


『まだ無駄口を叩けるなんて随分余裕なのね。少なくとも、アラン1人の方が今の貴女達3人より少しはマシよ』


 少しは、という部分に関しては発破をかける為だと解釈しておこう。

 井筒少尉に敵わないという意味では似たようなものかもしれないが、それでも彼と3人の間には隔絶した差がある。でなければ、少尉が加減なく吹っ飛ばすような真似はしないだろう。

 ただ、気骨と言う部分なら優劣は分からないが。


『それはどう、かしらぁッ!』


「お、視界外からの奇襲か。考えたな」


 ジャンプブースターによる後方からの奇襲。

 策略と言っていいのかは分からないが、ファティマとアポロニアが息を切らしているというのを一種の囮としたらしい。意地でも一撃は入れたいという強い意志を感じる。

 相手が同レベルのパイロットなら、だが。


『ってあれ? 何処に――い゛っ!?』


 きっと掴みかかろうとしたマオリィネには、瑪瑙の動きが全く見えなかったのだろう。

 否、あまりに綺麗な払腰で投げられたこともほぼ分からず、気が付けば天を仰いでいた感覚と言うべきか。

 無論、投げて終わりにしてくれるほど少尉は甘くない。


『あだだだだだだだ!?』


『生身の感覚に頼り過ぎ。いい加減、マキナのセンサーが何のためについているか、よく考えなさい』


 しっかり捻り上げられる左腕。マキナの関節可動域としてはまだ余裕があるが、中の人間はそうもいかない。

 ただ、つい先日怒られたばかりの行為であるため、僕は慌てて止めに入らねばならなかった。


「そこまでそこまで。気持ちは分かるが、関節技サブミッションを極めるんじゃない。またダマルに怒られるぞ」


 ゴトリと力なく落ちる黒鋼の腕。同時にこちらへ向き直った瑪瑙の顔に、何故か恨めし気に睨まれている感覚を覚える。


『中隊長がそれを言うんですか』


「……昔の事なら何度も謝っているじゃないか」


 本来マークスマンとしての技能に優れる彼女が、格闘戦訓練に精を出すようになった理由。それは間違いなく、自分が少尉との演習で奇天烈な関節技を極めて泣かせてからであり、元凶たるこの身は視線を逸らすくらいしかできなかった。

 咳払いを1つ。話題を無理やり切り替える。


「それより、これで大体分かっただろう。今の君らはまだまだ若葉マークだ。それでも焦る必要はない。日々地道に操縦訓練を重ね、武装の運用方法を学び、機材への知識を深めていけば、いずれ必ず手足以上に扱えるようになるから」


 終わり終わりと手を叩く。疲労と不慣れを押して無理を通せば、訓練と言えど余計な怪我に繋がりかねない。

 彼女らとしても納得できたのだろう。各々転げ落ちるように脱装し、覚束ない足取りで僕の隣まで寄ってきた。


「酷い目に遭ったッス……」


「おにーさんはどのくらいで戦えるようになったんですかぁ?」


 ぺたんと座り込むアポロニアと、立ってはいるもののぐーらぐーらと頭を揺らすファティマ。

 ただ、意外な質問に僕は小さく顎を撫でた。


「えーと、軍学校で陸軍機甲歩兵科に進んだのが2年の時で、そこから前線部隊に配置されるまでは1年半くらいだったかな」


「キョウイチでもそんなにかかのね」


「いや、機甲歩兵が前線に出るまでの平均訓練期間は3か月から半年だ。正直、軍学校時代にしても士官候補生時代にしても、僕の技能評価は誇れるような物じゃない」


「……初耳なんだけど」


 井筒少尉は余程衝撃的だったのか、これまで見たことないほど目を丸くしていた。

 恥ずかしい話ではあるが、少々彼女は僕を買い被りすぎている。エースだのなんだのと祭り上げられてはいるが、自分は別に特別優れた人間ではないのだ。


「笹倉大佐に格闘技方面へ振り回されていたおかげで、知識面が常々不足気味でね。もう少し自分が勤勉だったら、違ったのかもしれないが」


 マキナの操縦だけなら人並より得意だと言えなくもなかったが、軍学校時代の総合成績は中の下くらい。おかげで士官候補生になってから苦労し、実戦部隊に配置されてからなおの事苦労して、小隊長を任されてから更に苦労して、上が空いたからと中隊長に任命されてからは頭の痛い日がどれだけ続いたか。


「人は見かけによらないものね……」


 井筒少尉にはそんな苦労はあまり伝わっていなかったのか、狼狽えた様子でこめかみに手を当てられた。

 自分が不器用なことは自他ともに認める部分だというのに、意外にも上手く誤魔化せていたようだ。


「ちょっと待ってくれ。さっきの話だと、今日まで半人前扱いを受けてる俺はどうなる?」


 己の立ち位置を想像してか。アランが顔を青ざめさせる。

 ただ、800年前の普通と彼のおかれている環境はあまりにも違いすぎる為、僕はチラと教官殿に視線を投げた。


「正式な教練プログラムを使えてる訳じゃないんだ。君はよくやってるよ」


「――そうね。少なくとも、そこらの新兵よりは動けるんじゃないかしら」


「褒められている気がしないんだが……一人前とはどのくらいなんだ」


 僕にしても井筒少尉にしても口が上手い方ではないため、アラン君は複雑そうだったが、評価と言われると少し考えねばならない。

 一人前の定義。それこそ平均的な機甲歩兵を目標とするならば、訓練内容をもう少し楽に下ってかまわないのだが。


「最低限、私達の機動戦闘についてこられることが条件よ。そうでなければ、足手まといだもの」


「あー……えっとぉ?」


「それってどれくらいですか?」


 自他ともに厳しい少尉が居る以上、そんな生半可なアンサーが許されるはずもなかった。



 ■



 擦れ合う装甲に火花が走る。

 ヒスイの指を揃えた突きはメノウの肩をかすめ、かと思えば次の瞬間にはメノウが肘を使って反撃。


『一段と早くなったな、少尉』


『当たり前でしょう。昔とは体が違うのよ。それなのに――』


 目にも留まらぬ速度で行われる無手の応酬。まるで完璧な踊りのように、時に受け、時に流し、しかし決して攻める事を止めない。


『何故かしらね。まだ追いつけないのは!』


『どうぞと譲ってやれる程、僕は大人になれていなくてね。一種の意地と言うべきか』


『理屈になってない、ですよ!』


『だとすれば、経験と感覚だ!』


 小さくため息を吐いた。

 普段よりぎこちないとはいえ、3人が訓練している時の動きができれば、少なくとも今の国が持つ軍隊くらいなら十分蹴散らせるだろう。

 なのに、キョウイチやタヱはそれで満足しない。自分たちが戦わねばならない相手が、往々にして人間なんかよりずっと厄介な化物であることが多いのは理解しているが、それにしても、これが一人前と示すには無理がある。


「むー……ボクと遊んでた時より生き生きしてる気がします」


「ファティを殺したいのでなければ、それが当たり前だと思う」


 不服そうなファティをポンポンと撫でる。

 どれだけケットが種族的に強い力と柔軟性を持っていても、それは人間と比較しての話だ。マキナ同士、それも対等に近い技量を持つタヱとの組手が、より生き生きして見えるのは当然のことだろう。


「にしてもよ、あんな動きができるようになると思う? 人の動きじゃないわよ」


「無理ッス。というか、自分のコウテツじゃ素早い動きはできそうにない気がするんスけど」


「うん、ぜったいムリ。けど、ほかの子たちはできるよ」


「できないって言ってくれた方が嬉しかったのだけれど……」


 まきなに存在する世代の差という奴だろうか。私はむしろポラリスの知っている知識の方に好奇心が疼く。

 一方、微妙に顔を青ざめさせるマオリィネに対し、少し安心した様子のアポロニアはへらりと笑った。


「まぁまぁ、先の長い目標ッスよ。ごしゅじーん、もう十分ッスよー!」


 よっこらせ、なんて何処か老けたような声を出しながら立ち上がった彼女は、一人前の定義は分かったからと大きく手を振ってみせる。

 それを見た2人は間もなく最後の拳を交えて動きを止めた。


「おにーさん?」


 だが、何故だろう。すぐにまきなを脱ごうとはせず、揃って海岸の方へ視線を向けたのは。


「キョウイチ、何か見える?」


『……いや、気のせい、か?』


 景色は何も変わらない。凪いだ海とゆっくり傾く陽が見えるだけ。

 気のせいとはなんだろう。そう思って首を傾げた時、ふと抜けるような空の向こうで、何かが煌めいた気がした。


『ッ! 伏せろ!』


 彼の声が聞こえるのが早いか、私の視界は立ち上がった砂の中に埋もれていたように思う。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る