第72話 スタートライン

 水平線に沈む夕陽を背に、僕は砂浜につけた足跡を引きずる浮き輪で消しながら、同時に程よい重さを胸元に感じながら薄く煙の立ち上る方角を目指して歩く。

 静かに息を吐いて空を仰ぐ。何故だろう、僅か数時間で数歳分は老けた気がするのは。


「あ、アマミ様、もうすぐお夕餉の支度が――あら?」


 穏やかな声に視線を下げれば、水着姿のクリンが背筋を伸ばして立っていた。

 初めて会った時は、街頭娼婦に身をやつさねば生きていけない程の極貧にあった彼女だが、いつの間にやらジークルーンお抱えのメイドとして随分と立派に、そして健康的になってきたものだと感慨深い。

 鮮やかな緑色の飾り羽を頭に揺らした鳥の少女は、僕の腕の中を興味深げに覗き込むと、その姿に優しい笑みをこぼした。


「ポラリスちゃん、寝てしまわれたのですね」


「ああ、慣れない環境での作業に疲れたみたいだ。全くこの子には振り回されるよ」


 ハハハ、と乾いた笑いで茶を濁す。

 口では苦労した風に語っても、内心は少し嬉しくもあるのだ。

 思い出されるのはよく似た雰囲気で自分を振り回してくれた少女の事。だが、今日のように恋人として接してやることはほとんどできなかった。

 罪滅ぼしというつもりはないが、それでも思う所があるのは否定できない。


「あ、あの、1つ伺ってもよろしいでしょうか?」


 そんな郷愁にも似た感情を腹の中に抱いていた思考を、クリンの声に引き戻される。


「なんだい?」


「その、首元が赤くなっておられるのは、その、もしかして……」


 妙にもじもじした聞き方に、はてなと首を捻る。

 虫刺されか、それともクラゲにでもやられたか。そう思ったのも束の間、彼女の視線からさっきの記憶がフラッシュバックした。


「ちがっ!? 誤解しないでくれ! いや誤解でもないかもしれないが、ただちょっと齧られ続けてただけだから! 決してやましいことは!」


「そそそそうですよね!? 失礼いたしましたぁ!」


 まるで不味い物を見たかのように、クリンは膨らんだ飾り羽と腕足を覆う羽毛を膨らませながらパタパタと逃げていく。

 キスマークなんて半ば空想の産物だと思っていた。それどころか現代でも同じ認識であることにも驚かされる。

 ただ、何より驚かされるのは自分がそれを気にしなければならない日が来たことだろうか。


 ――やはり、策士、だったのでは。


 どれくらいで消えるのか、そもそもどんな見た目になっているのか分からないが、余計な噂話を立てられないよう、速やかに隠すようにしよう。

 そう決めた矢先、ピギーバックの方から歩み寄ってくる影が見えた。


「あ、居た居た。兄さん」


「サフ君? どうかしたかい」


「バグさんに探してきてくれと言われまして。ぴぎーばっくの中でお待ちです」


 パーカーに身を包みてるてる坊主のようになった美少年は、本気で男っぽく見えない生足だけを晒しながら、ふっくらした尾をゆらりと振って歩いてきた方を振り返る。

 この休暇中に名指しで呼び出しとは珍しい。それも軍曹がサフェージュを飛ばしてくるとなると、何か急ぎの要件だろうか。


「わかった。すまないが、ポラリスを寝かせて置いてやってくれるかい?」


「はい――あれ?」


 ポラリスは相変らず妙に眠りの深いらしく、サフェージュに抱えられてももにょもにょと口を動かしただけで目覚める気配はない。

 ただ、彼の視線が明らかにこちらの肩周りへ注がれたのが分かった。


「赤くなっているのは気にしないでくれ。なんでもないから」


「は、はぁ……? わかりました」


 先手を打って質問を封殺し、僕は急ぎ足にピギーバックではなく小屋を目指す。その理由など1つしかない。


 ――ラッシュガードは何処だ。



 ■



「長距離信号?」


 指さされたモニターを見て、僕ははてなと首を傾げる。


「発信方角はここから大体真東くらいだから、多分テクニカだね」


 欠伸混じりに腕を頭の後ろで組んだバグナル軍曹に緊張感はなかった。

 ピギーバックがキャッチしたそれは、内容を持たない所謂テストコードのようなもの。その上、暗号化もされないまま1分間ほど断続的に発信されているなど、まるで灯台のようだったというのだから無理もない。


「十中八九あのポンコツ人形で間違いねぇな。ビーコンがどうのこうのと言ってたしな」


 僕と同じく呼び出されたダマルも、特に疑わしい点は見当たらないと腕を組む。

 古代のテクニカが置かれる焼けた大地に、未発見かつ今なお稼働している遺跡が他にあるならば話は別だが、そんなものがあれば既にB-20-PM率いるキメラリア達の管理下にあるだろう。如何にテクニカが閉鎖的に管理されていたとはいえ、保守用資材の確保は重要な課題である以上、同一地域内の調査を全く行っていないとは流石に考えづらい。

 強いて、気になる点を挙げるとすれば。


「90日の採決猶予期間はまだ過ぎていないはずだが」


 B-20-PMはあくまで施設の管理者権限者代理であり、テクニカ施設に関する重要事項の採決権は中央委員会が保有している。

 当然、中央委員会なる組織が現存しているはずもなく、今更そんな手続きを踏むことに意味はない。だが、彼はバイオドールという機械であり、彼を含めた機械たちは文明が失われてもなお、往年に与えられた規則を律儀に守り続けている。

 だからこそ、採決猶予期間以前に信号を飛ばすとは考えづらいのだが、ダマルは特に気にした様子もなくコキリと首を鳴らした。


「テストコードだったってこたぁ、設備の試運転でもしてたんだろ。採決取れてから通信設備が動きませーん、じゃあ目も当てられねぇしな」


「まぁそれは確かにそうだが、一応念は入れておこう。軍曹、悪いが確認だけ取っておいてくれ」


「お任せあれ」



 ■



 休暇が合宿に変わってからおよそ1週間が経った頃。

 翡翠よりも低い機関音を立てながら、恐る恐ると言った様子で立ち上がるガンメタルの鎧。

 それは軽くマニピュレータを回し、左右にヘッドユニットを振ってから小さく息を吐いた。


『ふー……よし、大丈夫ね』


「気持ち悪さはないかい?」


『ええ。ポラリスには感謝しないとね』


 ようやく着装酔いから解放された手ごたえを得られたからだろう。マオリィネは腰溜めに拳を握ると、1歩1歩踏みしめるようにしながら砂浜へと向かっていく。

 操縦系およびセンサー系の同期不良。それがポラリスの導き出した答えだった。

 彼女が言うには、汎用的なリンクプログラムが誤った値を正常と判断してしまっていたとかで、汎用プログラムを停止した上でマオリィネ用に最適化した値に固定することで解決したとかなんとか。

 正直な所、システム面の話はちんぷんかんぷんなので、僕は凄いなぁと褒めるしかできなかったのだが、多少プログラムの読めるというバグナル軍曹曰く、とんでもない力業によるパーソナル化、であるらしい。

 尤も、全てのマキナが専用機と呼んで差し支えない現代においては、パーソナル化による弊害など無いに等しく、平然と歩く黒鋼の背中を眺める僕の隣では、骸骨がぷかぁと大きく紫煙を吐いた。


「どうにか予定人員は全員参加できたか。ようやく一息つけるぜ」


「世話をかけたね。しかし、機体の改造なんていつから」


「初めてガーデンに行った時からさ。せっかくマキナの天才が居るんだ。キメラリアに合わせた設計ができねぇかって頼んでな」


「そうだったのか」


 自分が鈍感であることは今更としても、相変らず底の知れない男だと感嘆する。ただでさえ、数か月間はガーデンで寝たきりだった上、以来定期的な通院をしているような恰好なのに、全く気付かなかったのだから。

 だが、大したものだと褒める僕に、ダマルはそうでもないと首を横に振った。


「当初は見通しが立ってたって訳じゃあねぇ。設計だけはすんなり出来上がったが、実際作るとなりゃ足りないものだらけ。何より、キメラリアの身体構造に合わせたオペレーティングシステムの再設計ってのが最大の難関でな。データがほとんど皆無の状態じゃあ、流石の爺さんも半ばお手上げ状態さ」


「それでポラリスを?」


「やってみたいっつったから触らせただけだ。正直遊び半分だったし、できるなんて微塵も思っちゃいなかったが、現実はこれだ。教え始めてから半年もかからなかった」


 ありゃ本物だぜ、と骸骨は髑髏をゆらゆらと横に振る。

 ホムンクルスという存在の中に眠る何かがそうさせるのか、単純にポラリスという個人が秘めていた才能なのか。憶測は吐き出せても正しく測ることなど誰にもできないだろう。

 短くなった煙草を携帯灰皿の中に放り込んだダマルは、どういう仕組みか開いた顎からポッと輪になった煙を吐く。


「ま、出来上がっちまえば大した問題はねぇ。機械ってぇのはなんだかんだ素直だからな」


「まるで他に問題があるような言い方じゃないか」


 開いた顎のまま骸骨が固まった。

 最初はわざとわかりやすく振舞っていたのかと思ったが、どうやらそうでもないらしい。

 いつもの軽薄な雰囲気はどこへやら。図星を突かれたのが意外だったのか何なのか、何処かばつが悪そうにゴリゴリと後ろ頭を掻いた。


「……なくはねぇ、っつーか、正直俺にとっちゃ一大事なんだがよ」


「ジークルーンさんと結ばれる事について、かな?」


「こういう所だけ鋭いのやめろ。いや、お前に相談したところでどうなるもんでもねぇとは思ってんだ」


「否めないな。君は自他ともに認める骸骨で、彼女は貴族令嬢なんだから」


 ぐぅと唸る骨。

 付き合いが長いとはとても言えないが、それでも理解の及ばない現代を手探りで潜り抜けてきた仲である。この時代で相棒が悩むべきは他にないことくらいは理解しているつもりだ。


「自分から踏み込んじまった道だ。後悔はしてねぇ――が、アイツの立場ってのを考えるとなァ」


 相思相愛なればこそ、とダマルは肩を落とす。

 異種婚姻譚というのは物語にこそ珍しくなく、より生物的な存在であったればここまでの苦労はなかったかもしれない。

 だが、彼は骸骨なのだ。キメラリアのように獣の形をしながら人と同じメンタリティを持つ生物ではなく、無機物のフレームに魂がくっついているような存在。

 故に今の人間社会で肩書を持つ女性に求められるものとは、あまりにも相容れない。


「軍曹には聞いたのかい? 君とネオキノーは近しい存在なんだろう?」


「ああ。だが、結論から言えばネオキノーは機械だ。設計上は純然たる生物の営みも目指してたらしいが、実験段階で新しい命を宿すこたぁ実現できてねぇってよ」


 もしかしたらと思っていたのだが、そう上手い話はないらしい。

 あるいは、文明崩壊がもう少し遅ければ、ネオキノーの開発が更に進んでいれば何か変わったのかもしれないが、所詮はたらればである。


「ジークルーンさんは家を継ぐ予定なのかい?」


「いんや。アイツは長女らしいが、下に歳の離れた弟が居るらしくてな。家督はそいつが継承する予定らしい」


「なら、無理に子どもをとはなりそうにないが――そういう話じゃないか」


 プラトニックな世界を否定するつもりはない。だが、そういう価値観が現代の貴族にあるかと言われれば話は別である。

 昔は忌み嫌われていた紙巻の煙草が、現代では庶民には中々手の届かない嗜好品と扱われているように。

 ダマルはそれを慣れた手つきでくるくると巻きながら、歯の隙間から小さくため息を零す。


「世間体なんざ俺ぁどうだって構わねぇ。だが、ジークの話となりゃ別だ。この身体のせいでガキを抱かせてやれねぇってのは、な」


「……君の遺伝子って、どうなってんだろうね」


「そりゃお前、遥か昔に朽ち果ててサヨナラしてんだろ。超硬セラミックの骨格に入ってるとも思えねぇしよ」


 今目の前にいる骨格標本は魂の器。名前だけならありそうにも思えるが、その内実は工業製品に過ぎず、人間としてのダマルとはほぼ関わりがない物だろう。

 元の彼を辿ろうとしても、800年という月日はあまりに長すぎて、同時にあまりにもヒントが無さすぎて。


「――いや、本当にそうか?」


「ぁあ? 何が?」

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