第11話 ベストでなくとも

 蝋燭に照らされた応接間で、僕はマオリィネと2人、昨日と同じようにウィリアムと相対していた。

 使用人たちの姿が部屋の中に見えないのは、夜だからという理由ではないだろうが。


「すまんねアマミ君。待たせてしまって」


「とんでもない。お忙しい中、時間を作っていただき、ありがとうございます」


 こちらが座ったまま頭を下げれば、彼は気にしないでくれ、と微笑んでくれる。

 相変らず、貴族らしからぬ人だとは思う。その細められた瞳に宿る、強い意志の光さえなければだが。


「それで、娘も居るということは、先日の話でいいのかな?」


「ええ。と言っても、ウィリアムさんの仰られた形とは違うかもしれませんが」


「ほお? それは楽しみだ。是非聞かせてもらおう」


 ウィリアムは少々歪なブランデーグラスを持ち上げると、そのガラス越しに僕を覗き込んでくる。

 期待、あるいは興味。家という貴族にとっての死活問題だからこそ、柔和な笑みの裏から感じられる圧は凄まじい。

 膝に手をつき、背筋を伸ばし、深く息を吐いた。


「その前に、もう1人当事者となる方をお呼び願いたいのです」


「当事者? 誰かな?」


 とぼけたような口調ではあるが、ウィリアムが察せないはずもない。ならば、遠慮も必要ないだろう。


「マオリィネさんのお母様。この場合は、産みのと付け加えるべきですか」


「……ハッキリと言うねぇ。まぁ、君に隠すつもりはなかったのだが」


 ほんの僅かに、マオリィネへと向けられた視線は、何かを確認するような雰囲気を持っていた。

 だが、彼女が慌てる様子もなく沈黙を貫けば、ウィリアムは机に置かれていた小さなハンドベルを摘まみ上げる。

 部屋に響く、か細くも澄んだ音。すると時を置かず、確認もないまま、ゆっくりと扉が開かれた。

 代わらず伸ばされた背筋。黒い長髪にヘッドドレスを結い、同じく黒い尾羽を揺らしながら歩んできた彼女は、昨日と同じようにこちらへ向き直ると、丈の長いエプロンドレスを摘まんで腰を折った。


「改めてご挨拶を。マオリィネの母、クシュ・レーヴァンのリュシアンでございます、英雄様」


「やはり、貴女でしたか」


 クシュの使用人は他にも居たが、黒い髪と羽を持つレーヴァンは、彼女以外に見かけなかった。

 じっと見つめてみれば、美しい吊り目も、艶やかな髪も、マオリィネとよく似ている。

 だからこそ、リュシアンは敢えて僕に釘を刺したのだろう。


「マオリィネから聞いているとは思いますが、表向きはただの乳母ですので、どうかこの場の外では今まで通り、使用人としてお呼び下さいまし」


「もちろんです。自分も、他人事とは考えておりませんので」


 この家の中でしか、彼女らは親子であることを許されない。否、家の中でさえ、乳母と嫡子の関係を貫かねばならない場面も多かったことだろう。その行いがあってこそ、現代の疎ましい慣習の中でも、マオリィネは人間として認められ、貴族であり続けることが許されたのだ。

 これで役者は揃った。部屋の中には他の誰もなく、あと必要なのは言質のみ。

 改めてウィリアムに向き直れば、彼は既にこちらの意図を理解していたのだろう。小さく肩を落としながら、残念そうに眼を伏せた。


「先に言っておくが、リュシアンとの間に子を設けることは考えていないよ。マオリィネを授かれたことでさえ、亡きメイヤーの献身があってこそなのだからね」


「貴族としての事情は承知しているつもりです。その上で敢えてお伺いしたいのですが――」


 僕に社会構造を根底からひっくり返すような力はない。たとえあったとしても、急激な変化は人々や種族の間に、埋め切れない程の巨大なひずみを残すことになるだろう。

 歴史の歩みを見れば、その先に待っているのは、動乱と破壊だ。何者が勝者となるにせよ、リュシアンが母親として外を歩ける社会や、メイヤー夫人が称えられる世の中となるようには思えない。

 ではどうするのか。今まで黙っていたマオリィネは、僕の言葉を遮るように口を開いた。


「お父様とお母様は、もし、もしもよ? 貴族社会のしがらみがなかったとしたら、今からでも私の兄弟姉妹を授かりたいと思う?」


「それは――ん゛ん゛ッ、娘の前で言うことではないような気もするが」


 咳払いしながら視線を泳がせるウィリアム。

 まさか愛娘の口から、そんな質問が飛んでくるとは思わなかったのだろう。同じ立場を想像すると、僕も同じような反応になった気がしてならない。

 だが、凛と立つ母は揺らぐことなく。


「私は思っていますよ」


「りゅ、リュシアンっ!?」


「困難を承知の上で問うのです。マオリィネ、あるいは英雄様には、何かお考えがあるのでしょう。であれば、今は羞恥など捨ておくべきかと」


 驚愕する領主を差し置いて、ハッキリとそう言い切った。

 彼女は強き母親であるが、また愛を求める女性でもあるのだろう。可能性への期待をはらんだ流し目に、ウィリアムはうーむと声を詰まらせた。


「まぁ、そう言われるとなぁ……そりゃあ私だって考えはするが、どうしようと言うんだね?」


 ちらと横目をマオリィネに向ける。その視線は示し合わせたかのようにぶつかり、無言でも同じ考えであることが受け取れた。

 ウィリアムとリュシアンはまだ、主人と使用人の関係ではなく、夫婦であり続けている。今の形を維持し続けているからか、娘を前にしても、そうありたいと言い切れる程に。

 条件としては十二分だろう。僕はウィリアムの目を捉え、その内容を口にした。


「僕とマオリィネさんとで、メイヤー夫人のなされたことの真似をしようかと」


「メイヤーの真似……とは?」


 訝し気な表情を浮かべるのも当然だろう。それくらい、自分と夫人の立場や境遇はかけ離れているのだ。

 だが、ここで重要なのは似た境遇ではない。


「端的に申し上げれば、ウィリアムさんとリュシアンさんの間に産まれた子を、僕らの子として世間に発表する、ということです。これだけで、大方の問題は解決できるかと」


 しがらみは野茨の蔓のように、どこに触れるにも痛みを伴い、それでいて決して解けないほど複雑に見える。

 だがそこに、僕という刃が交わると話は違う。2人もそれに気づいたのか、リュシアンはハッとしたように目を見開き、ウィリアムもじわじわと口角を上げていった。


「……はは、はははッ! そうか、そういうことか。それなら私に妻がないことも問題にならず、マオリィネのように黒髪の子が産まれたとて、デミを疑われることもないと」


「ウィリアム。これは――」


「アマミ・キョウイチという存在が我が家に交わるだけで、今までにできなかった全てを変えてしまう訳だ。まるで絵画博打のようだなぁ」


 僕と血の繋がりがあれば、黒髪を持つ子が産まれることに不思議はない。マオリィネが黒染め好きの変人である、という噂もそのままにできる。

 そして僕とマオリィネの子ならば、黒髪を持とうとデミにはならない。血縁を疑ったところで、遺伝子による証明など現代医学にできるはずもなく、マオリィネがしたのと同じように、人間であることを押し通せば、トリシュナー家の跡取りになるに問題はないだろう。

 出自を偽らなければならないことに変わりはないが、それでも、ウィリアムとリュシアンは子を成すことができる。そうなれば、僕とマオリィネの間に本当の子が産まれた時、離れ離れになる心配もなくなるはず。

 これが現状実現可能な最良の策。2人の関係も考えれば、反対される要素はない。

 と、思っていたのだが、ウィリアムは何事かふぅむと小さく唸って顎を撫でた。


「私たちとしては奇跡とも思える申し出だが――しかし、本当にいいのかい? 君たちはまだ、婚礼の儀すら取り決めていないだろう。加えて、アマミ君には、他の娘さん方との兼ね合いも、あるんじゃないか?」


「ご存じでしたか」


「これでも目耳はそれなりでね。順番がつくような話はややこしくなるものだろう」


 貴族であるなら、妾の1人や2人居て当然。ウィリアムもまたそういう世界で生きてきた人であることを思えば、順番という言葉は非常に重い。自分が1人しか居ない以上、どうしたって順番を決めねばならない場面というのは出てくるのだろう。

 円満であるための秘訣があるのなら、全財産を投げうってでもこの場で聞いておきたいくらいだが、しかしこれは自分の問題。この身で解決しなくては意味がない話なのだと、僕は苦笑を浮かべていた。


「仰る通りかと。ですので、少しばかり時間を頂きたいのです。婚姻の儀というのも今日明日という話ではないでしょうし」


「否と言える立場ではないよ。厄介事に巻き込んでしまって申し訳ない。そして、私とリュシアンの為に、ありがとう」


「いいえ、僕の我儘でもありますから。どんな手を使ってでも娘さん――」


 言葉を止め、ちらと隣で小さく座ったマオリィネを見る。また琥珀色の瞳と視線がぶつかったが、先ほどとは違って彼女が何を思っているのかは伝わってこない。多分、僕が何を考えているかも。

 当たり前だろう。ほとんどのことは、言葉にしなければ伝わらないのだ。だから僕は、少しだけ息を吸い込んで。


「マオのことは、手放したくないので」


「ちょ、ちょっとキョウイチ! いきなりそういうこと……!」


 隣でビクンと肩が跳ねた。完全な不意打ちだったのだろう。白い頬は燃えるように赤く染まり、目線は動揺して彷徨っている。

 正直言えば、自分だって顔が熱い。だが、ご両親の前だからこそ、僕はハッキリ言っておきたかったのだ。

 すると、そんなマオリィネの反応が新鮮だったからか。あるいは僕も含めてか。ウィリアムさんはアッハッハ! と大きく笑った。


「なんだなんだぁ! 若いとはいいなぁ、リュシアン」


「ええ……ふふっ、そうですわね」


「や、ややあやあや、やめてよ! お母様まで!」


 凛々しく澄ました仮面が剥がれ落ち、娘としての歳相応な顔が現れる。

 親の前なのだから当然と言えば当然なのだが、それが何故か新鮮で愛らしく思え、僕の頬にも自然と笑みが浮かんでいた。

 ふと、ガラス窓の外に視線が向くまでは。


 ――あれは……レーザー光?


 背筋に冷たい物が走る。警報の幻聴が耳の奥を突いた。


「いかん! 伏せろッ!」


 机の向こうまで、僕の手は届かない。だから、咄嗟に押し倒すことができたのは、隣で慌てふためいていたマオリィネだけ。

 マオリィネの柔らかさをきつく抱きしめ、その腕が床の硬さに触れた瞬間。

 なごやかだった部屋の中に、鉄の嵐がやってきた。

 窓ガラスが音を立てて砕け、ローテーブルに穴が開き、割れたブランデーグラスの中身が飛び散り、ソファの中身だった藁が顔を覗かせた所で、辺りが急に暗くなる。

 燭台が吹き飛ばされて火が消えたのだろう。燃え広がらなかったとすれば、それは不幸中の幸いだが。

 ようやく訪れた凪に、マオリィネを抱き締めていた腕を解き、すぐさまホルスターから拳銃を引き抜いて、トリガを引いた。

 狙いなどまともにつけられていない。しかし、レーザーの光源は被弾を恐れてか、素早く上昇して姿をくらませた。

残ったのは、良く知る戦場の光景である。


「リュシアン、無事かい……?」


 最初に聞こえてきたのは、ウィリアムの呻くような声。どうやら僕と同じように、リュシアンを抱えて床へ倒れていたらしく、ゴホゴホと咳き込みながら体を起こしていた。


「私は平気です! それよりもウィリアム、貴方!?」


「何、いくらかガラスを浴びただけだ。問題な――ぐっ……!」


「お父様!」


 月光に照らされた彼に、慌てた様子でマオリィネが駆け寄っていく。

 一方、僕は窓へと駆け寄り、壁に背を預けながらそっと庭を覗き込む。どうやら先ほどのドローンは、撃つだけ撃って退避したらしく、その姿はどこにも見当たらない。

 息を吸い、そっとレシーバーのスイッチに指をかける。


「緊急、恭一よりダマル。ドローンと思われる奇襲攻撃が発生。ウィリアムさんが負傷。応援求む」


 視野の片隅で呻くウィリアムの体は、横腹から血を滲ませていた。その様子から、割れたガラスによるものではなく、乱射された弾丸が浅く抜けた可能性が高い。

 致命傷ではなさそうだが、出血の多さから速やかな手当てが必要であることは明らかだ。

 そんな連絡に対し、レシーバーの向こうから聞こえてきたのは、ガツンと拳をぶつけるような音である。


『クソッタレ! 警報の方が1歩遅かったか!』


「警報? まだ玉匣に居るのか?」


『ご名答だぜ! だがどうすんだ!? こいつじゃ町に入れねぇぞ!?』


 運がいいのか悪いのか。エーテル機関の動作音がする辺り、すぐにでも玉匣は動き出せる状態らしい。


「すぐに合流する。それまでは、跳ね橋付近から対空射撃を」


『了解了解! 何処のバカタレか知らねぇが、礼儀のなってねぇポンコツ共にゃ、焼夷榴弾特製ポップコーンをプレゼントしてやらぁ! 通信終わり!』


ブツンと切れた通信に、小さく息を吐く。

すると今度は、荒く息を吐くウィリアムが、横腹を押さえながら、細めた目をこちらへ向けてきた。

 

「アマミ君……敵は、なんだ?」


「自分にもわかりません。ですが、ここはお任せを。リュシアンさん、ウィリアムさんを地下か窓のない部屋へ。他の使用人たちにも、同様の避難を呼びかけてください」


「ええ、ええ、承知いたしましたとも。さぁウィリアム!」


 澄まし顔を崩さない印象だったリュシアンだが、どうやら中身は気丈な女性らしい。キメラリアの中でも体が脆く、筋力も人間より劣るとさえ言われるクシュながら、彼女は傷ついたウィリアムを力強く支えて見せた。


「すまないね……いやはや、相変わらず私は戦に向かないらしい」


「喋らないでお父様。大丈夫、大丈夫だから……!」


「マオリィネ、ウィリアムのことは任せなさい。貴女はアマミ様を助けるのです」


「っ……はい、お母様」


 リュシアンからの指示に、マオリィネは唇を震わせながらも了承し、零れそうになる涙と不安を振り払って2人を廊下で見送った。

 アチカを導くこと。それが貴族に連なる者の責務なのだから。


「見つけた、ご主人!」


「おにーさん!」


「何が起こってる?」


 入れ替わりに駆けてくる3つの影。どうやら攻撃されたのは、光が漏れ出ていた応接室だけだったらしく、彼女らは怪我をしている様子もなければ埃を被ってすらおらず、小さく安堵の息が漏れた。


「古代兵器による襲撃だ。敵の総数や目的は不明瞭だが、ともかく、急ぎ玉匣と合流する。ファティとアポロは羽音に警戒しておいてくれ」


「了解ッスよ。ほいこれ」


 アポロニアから自動小銃を受け取り、ストラップを肩に回す。予備のマガジンは1本だけ。それでもないよりマシである。どうせ、器用に飛び回るドローンが相手では、小銃1丁あったところで牽制がいい所なのだから。


「マオ、君はここの兵隊の指揮を頼む。住民たちに屋外へ出ないよう呼び掛けてくれ。連中は僕が叩く」


「で、でも、キョウイチの身体は……!」


 不安は重なれば重なる程、倍々に膨らんでいく物。

 だからこそ、僕はマオリィネの髪を1回、いつもよりゆっくりと撫でた。


「心配ない。アチカの人たちを頼む」

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