第59話 遊ばせろっつってんの

 むっつりと膨れた頬とジトリと睨む琥珀色の半眼。


「退屈してる、とは言ったけど」


「おう」


 それを俺は部品を磨きながら聞き流す。

 まるで自分の魅力を分かっていないなこいつは。綺麗なお顔が台無しだぜ。そんなことを口走りかけたものの、リスクマネジメントだと言葉を呑み込んだ。

 しかし、そんな態度が気に食わなかったのか、あるいは呑み込んだ言葉を察されたのか。つい先日、我が家へ連れてこられた夜逃げ貴族のお嬢様は、更にその視線を細く尖らせる。


「あんなの夜襲じゃない。そういうことするなら、先に教えときなさいよ」


「でも面白かっただろ? 屋敷から人目を避けてこっそり逃げ出すなんて、そうそう経験できねぇぜ」


「面白いものですか! ベッドに入ったら、いきなり足をくすぐられたのよ!?」


 バァンとローテーブルを叩くマオリィネ。それでいいのか貴族の娘よ。

 ともあれ、下手人の曰く、足を掴まえてさわさわしたら、あひゃあん、という凄い鳴き声が聞こえたとかなんとか。

 録音機材を持たせなかったのが悔やまれる。是非とも聞いてみたかったし、なんならスケコマシにプレゼントしてやりたかった。


「わたしはおもしろかったよ?」


 と、実行犯である白い魔女がここぞとばかりの満点の笑顔で語れば、対照的に真っ黒な御貴族様はガァと火を吐くように吠える。


「貴女はそうでしょうね! でもこっちは気が気じゃなかったの! 危うく兵を呼ぶところだったんだから!」


 事の起こりは数日前。

 トリセディとの紛争が終結した後、中型マキナ輸送機ストークスという新たな足を得た俺たちは、何処にも寄り道することなく我が家へと帰還した。

 そこで待っていたのが、マオリィネからの退という一報である。

 先の戦闘で負傷したウングペール伯ウィリアム・トリシュナー卿は、渡しておいた薬の効果もあってか順調な回復を見せたらしい。まだ運動は控えているそうだが、それでも政務には復帰しており、となれば代役を務めていたマオリィネの手が空くのは当然の事。

 身内からこんな報告を聞いて、相棒が放っておけるはずもない。青春の日々を無下にすることなかれと、俺は奴からの頼みを引き受ける形で、ポラリスを引き連れ空からアチカの町へ舞い戻り、退屈という魔物に囚われたお嬢様を救い出したという次第。往路で少々寄り道もしたが、そこは置いておくとして。

 至る現在。


「でも、リュシアン様には伝えたんだよね?」


 と、視界の端から覗き込んでくる青い目は、件の一報を持ってきたもう1人の貴族。

 久しく拝んでいなかったジークルーンの顔に、俺はわざとらしくカタカタと顎を鳴らした。


「ああ。ホウヅクなら先にを飛ばしたぜ。上手いこと逃がしてやってくれってな」


 如何に身内とはいえ、マオリィネは伯爵令嬢である。

 流石に何の連絡もなしに、娘さんを攫いに来ました、なんて言えば屋敷が大混乱に陥るのは必至だろう。そこは空気の読める骨。

 しかし、裏話を聞いた当の本人は、頭痛でも襲ってきたのか眉間を押さえていた。


「お母様はダメよ。お淑やかに見えているかもしれないけれど、かなりの悪戯好きなんだから。退屈凌ぎで連れ去るなんて聞いたら、お父様も巻き込んで面白がるに決まっているわ」


「あ、あぁ……そうだね、うん。リュシアン様は真顔でそういうことするよね」


 どうやら、古いよしみであるジークルーンは、リュシアンというクシュ・レーヴァンの婦人について良く知っているらしい。

 クラシカルなエプロンドレスをキッチリ着こなした、如何にも真面目そうなメイド長。そうしか見えていなかった俺としては、おかげでカラカラと笑う事くらいしかできないのだが。


「ノッてくれるかどうかは運だったんだが、まぁ結果はご覧の通り。上手く行っただろ?」


「こ、この魔物……はぁ、もういいわ。それで?」


「あぁん? 何が?」


「私を連れだした理由よ。人目につかないよう抜け出させたということは、お父様とお母様に配慮しての事よね? 計画のことなら、その……実行はまだ先になると思うけど」


 マオリィネは少し言葉を濁す。その辺りは歳相応というか、生娘と言うか。

 子どもの立場からしてみれば、親の云々など考えたくもない部分だとは思うが、彼女の場合は自身に降りかかる問題でもある為に、色々考えてしまうのだろう。

 とはいえ、俺としてみれば。


「んなもん面白そうだからに決まって――嘘嘘嘘だから、頚椎に手を添えないでください」


 目にも留まらぬ速さで、喉の辺りにヒヤリとした体温が伝わってくる。

 腐っても騎士。あるいは相棒の手で鍛えられたからか、俺は骨身の無事を懇願しなければならなかった。


「ダマルさん、真面目に」


 物理的な恐怖よりも、ぷぅと頬を膨らませたジークルーンの表情の方が効いた気がする。なんだこの可愛い生き物は。

 髑髏に表情筋があるはずもないのに、顔が緩みそうになった気がして、俺はわざとらしく肩を竦める。


「わかったって。冗談1つに目くじら立てなくてもいいだろが」


「あら、私ならずっと笑顔でしょう? ほら?」


「目が笑ってねぇんだよ。おいおチビ、教えてやれ」


 説明するのが面倒臭くなった俺は、共犯者である白い頭を差し向ける。

 するとポラリスは、待ってましたとばかりになだらかな胸を張ってみせた。


「海にいくの!」


 ふふん、と自慢げに鼻を鳴らすおチビ。

 対する周囲の空気は、まるで彼女が放つ魔法か超能力のようだった。


「……はい?」


 暫しの沈黙を経て、マオリィネはカクンと首を傾ける。

 せっかく最年少が張り切っているのに、周りがこれではよろしくない。むしろ俺はポラリス寄りの立場でもある為、おいおいおーい、とわざとらしく声を張り上げた。


「なんだよノリ悪ぃな。せっかくの夏だぜ? 組織全員の慰労と新入りの歓迎、ついでに我らがリーダーの休養を兼ねて、バカンスに行こうって話じゃねぇか」


「慰労って……夜光協会としてはまともに仕事なんてできていないでしょう?」


「細けぇこたぁいいんだよ! どうせ財布は野郎持ちだ! ドンパチやった後くらい、美味い飯食って美味い酒飲んで、綺麗な水着のネーチャン――は、まぁジークが居てくれりゃ十分だな」


 ちらと隣に視線を流せば、ジークルーンは何を想像したのか。一気に顔を茹で上がらせると、両手をひっくり返った甲虫のように震わせた。


「わ、わわ、私!? 私、そんなに綺麗なんかじゃない、よぉ……?」


「なら娼館のネーチャンでも呼べばいいか?」


「ダメダメダメダメ!! 私! 私でいいから! 頑張るからぁ!」


 ぐぐいと詰め寄ってくるジークルーンの顔。

 当たり前だろう。天然で胸のサイズもデカく、かつこんな愛らしい生き物が骸骨なんぞを慕ってくれてるんだ。金なんぞで釣り合う存在じゃない。

 分かっているから、俺は栗色の頭を骨の手でポスポスと撫でつつ、カッカッカと笑い飛ばしてやった。


「慌てすぎだろ、信用ねぇなぁ。ともかくだ、たまには好き勝手遊ばせろっつってんの」


「そーだそーだ! あそばせろー!」


 びしりと白い指を突き立てる俺と、同調してフンスと鼻を鳴らし腕を組むポラリス。しかめっ面を作ってもなお、眉間に皺すら寄らない幼顔は御愛嬌と見てもらいたい。

 ともあれ、圧力としては十分だったのだろう。マオリィネはこちらのただならぬ熱意にたじろぎつつも、ちょっと待ってと眉を曲げた。


「い、言いたいことは分かったけど、どうして海なの? 魚でも釣る気?」


 沈黙。

 俺はポラリスと顔を見合わせ、やれやれと首を振ってから、揃って再びマオリィネへと向き直った。


「……いちからぜぇんぶ説明しなきゃ分からんのかね?」


「マオリーネはあたまがかたい」


「あ、アンタたちは……!」


「あはは……」


 これだから原始人は困るのだ。古代文明の娯楽について、もう少し勉強してもらわねば。



 ■



 いくつか壁を隔ててもなお、家族の騒ぐ声は湯気の中に響いてくる。

 久々の全員集合というのもあるのだろうが、全く元気なものだ。


「兄さん、お背中流しますね」


「ありがとう」


 熱い湯が背中を流れていく。

 現代にあってもなお、どこかへ出かけることを苦とは思わない。ただやはり、湯に浸かるというのが容易ならざるという点だけは、どうしても考えてしまう。

 我が家に帰れば風呂がある。それだけで十分贅沢なことは分かっているが。

 泡を洗い流し、僕は静かに広い湯舟へ体を沈める。あー、とオッサン臭い声が出る中、左右にも同じように水面が立った。


「やっぱり風呂はいいなぁ。サフ君はどうだい、慣れたかい?」


「まだちょっと恥ずかしいですけど、兄さんとなら」


 えへへ、とサフェージュは照れたように笑い、無意識にか揺れる尻尾が湯を小さく波立たせる。


「俺も居るんだが、それはいいのか」


 と、反対側からはアラン・シャップロンが低い声を出す。

 現代の機甲歩兵であり立場上は部下でもある彼は、人と慣れ合うことを好むタイプでもなく、かつ元が敵同士だったことを気にしてか、身内の中では全員に対して少し距離を置いた接し方をしている節がある。何なら、ポラリスを除く女性陣は苦手としているようにさえ感じられる程だ。

 一方で、サフェージュとはそれなりに仲がいいらしい。狐のような少年もまた、珍しく悪戯っぽい笑みを見せていた。


「アラン君がそれを言うの? 最初は女の居るところで服が脱げるかー、なんて言って逃げ回っていたのに」


「む、蒸し返すな……誰かと沐浴すること自体、あまり経験がなかったんだ」


「嫌なら無理に付き合う必要はないよ?」


「何故だ。隊長もサフェージュも男だろう?」


「まぁうん、気にならんのならいいんだがね」


 人の事は言えないが、現代において22歳という年齢は、十分すぎる程成熟した大人のはず。

 母親であるモーガル・シャップロンの教育からか、それとも生来の気質からか。異性との関りを苦手としているのは、今後困らないか心配になる。


 ――真面目で立派な青年なんだがなぁ。現代では貴重な機甲歩兵でもあるし。


 誰かに見合いなど勧められる立場でないことは重々承知。それでも世話を焼くべきかと考えてしまう辺り、僕も随分現代に毒されているらしい。

 あるいは、先だってそんな話題を向けられていたからかもしれないが。


「あの、兄さんはまた、お出かけされるんですか?」


 ふいに投げかけられたどこか寂し気な言葉に、僕は湯気の中ちらと隣に視線を流す。

 すると、控えめな彼にしては珍しく、紫色の瞳がこちらをじっと見つめていた。


「ああ。その話はダマルから?」


「盗み聞きするつもりはなかったんですが、聞こえてしまいまして。その、お体の事もありますし、あまり無理をされない方が」


「戦闘なら俺を行かせてくれ。アンタじゃないとできないなんて仕事はそうないだろう」


 サフェージュの背中を押すように、反対側からも無理を諫めるような言葉が飛んでくる。

 いい加減、アランも訓練ばかりでは飽きてきている、という事なのかもしれない。

 ただ、優しい身内に囲まれつつも、僕は苦笑を浮かべて違う違うと手を振るしかなかった。


「今回は仕事じゃなくて休暇だよ」


「「休暇?」」


 どこか間の抜けた声と、揃ってカクンと傾く頭。育った環境も年齢もそこそこ違うはずなのに、冗談でなく気が合うらしい。


「君たちにも声をかけるつもりだったんだが、先を越されたな」


「えっ、ぼくもですか? それは、あの、どういう?」


「ポラリスの発案でね。夏なんだから海に行きたいと」


「はぁ」


 何を言われているのかわからない、と現代人たちが思うのもむべなるかな。こと、サフェージュに至っては雪国の出身だと言うのだから、海で遊ぶと言われてピンと来るはずもない。

 ならばこそせっかくの機会でもあると捉え、僕は敢えて内容への言及を避けつつ、伝えておかねばならないことだけを口にした。


「せっかくだから、うちの従業員は全員誘おうとなってね。君らはどうだい?」


 僕を挟んで、2人は顔を見合わせる。

 謎のアイコンタクトで何が決まったのかは分からない。ただ、その表情は微妙なものだった。


「誘ってもらえるのはありがたいが、かといって家を空けておく訳にもいかないだろう」


「そうですよ。最近は物騒な話だって多いのに」


「前にもそんなことを言っていたな」


 確か、テクニカ方面へ出かける直前のことだったか。サフェージュに留守を任せる際、ユライアランドを含めた王国領内での治安悪化について聞いた気がする。


「隊商の方々から聞いた話だと、状況は悪化しているみたいです。王国も軍隊を動かして警備はしているみたいですが、人手が全然足りていないみたいで」


「戦後混乱期の治安維持に苦労するのは、どの時代も変わらないな」


 世の常、と言い換えてもいいだろう。文明が変わり姿形の異なる存在まで生まれてもなお、人種は何も進化していない。

 戦争の勝敗が余程一方的なものでもない限り、社会には様々な混乱が訪れる。

 焼け出された民衆で資産のない者たちは難民となって流浪するし、食うに困れば犯罪にも手を染める。暗がりに行けば行くほど、国は助けてくれない、全ては為政者のせいだと恨みを募らせ、やがてそれはテロリストという形で、また民衆をも巻き込んで爆発する。

 では軍隊はどうかと言えば、過去の文明下にあったればこそ、敗残兵や捕虜となってもそれなりの待遇が約束されていたが、現代は違う。兵士たちは集うべき旗を失ったその瞬間、軍人という立場を完全に失い、多くは野盗へと成り下がる。武器を持ち戦う方法を知っていながら、故郷へ容易に帰れないような連中が集まれば、行きつく先は良くて傭兵。悪ければ盗賊となって集団を形成し、膨れ上がった組織は数の暴力を振りかざしあらゆる社会的機構を脅かす。

 今の王国に訪れている治安の悪化が、どこに起因するものかを正確に判断することはできないが、ともあれ、僕はそれならばと肩を落とした。


「まぁ、相手が人間なら心配いらないよ」


「そ、そう、なんですか?」


「曲がりなりにも防犯対策はしてあるんだ。努力家の部下や可愛い弟分を置いていく理由にはなりえないさ」


 湯舟の縁に背中を預けて天井を見上げ、ゆっくり大きく息を吐く。

 すると、視界の外でアランはむぅと唸り、反対側ではばしゃりと水面が大きく揺れた。


「か、かわ……!? もぉ、からかわないでください!」


「別にからかったつもりはないんだがね」


「ふゃ」


 ハハハと上を見たまま笑えば、今度はブクブクと泡を作る音が聞こえてくる。

 フーリーという種族は、全体的に美男美女が多いと聞くが、サフェージュの外見もまたそれに違わないのだろう。

 ただ、見た目がどうのこうのというより、この純朴な少年が弟分として慕ってくれるなら、それを可愛いと呼ばずしてなんと呼べばいいのか。


「……サフェージュ、お前本当に男なんだよな?」


 キレのあるアランの一言に、いよいよ湯船からは水しぶきが上がった。


「男だよ! ちゃ、ちゃんとついてるし!」


「隠しながら言ってどうする。まぁ、人の趣味に文句をつけるつもりはないが、変わってるな」


「しゅしゅしゅ趣味って何さ!? ぼくは別に、兄さんのことそんな風に見てなんか――!」


 騒げるのも若さが故か。まるで修学旅行の一幕かのようなやり取りに、僕はまた笑いながら体を起こす。


「好いてくれているなら光栄だが、冗談を真に受けてどうするんだい。あまり長湯するとのぼせるぞ」


「あ、ま、待ってください! お背中お拭きしますから!」


 湯を払いながら立ち上がれば、慌てた様子でサフェージュが後をついてくる。

 別に恥ずかしがる必要もないのに、わざわざ体の前をタオルでしっかりと隠しながら。


「……冗談?」


 残されたアランの疑問は、一応聞かなかったことにしておこう。

 身体から水気を払い、半袖のインナーとスウェットを身に着けて浴室を後にした。

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