第60話 現状整理

「ふぇぁあぁぁあぁ……」


 膝の上に乗った尻尾に対し、毛皮を温風で膨らませるように撫でながら軽くブラシをかけていけば、サフェージュは中性的な顔を一層蕩けさせながら、隣から僕の肩へと体重を預けてくる。

 キメラリアにとって毛並みは重要。それは決して女性だけに限った話ではないのだという。

 我が家に集う身内のキメラリアは、クリンを除いて全員が毛無と呼ばれる、耳と尻尾くらいしか獣的部位の無い者達だが、それでもなお毛並みについては常に重要な話題となる。

 毛量が多くふっくらした尻尾を持つサフェージュも、当然その例に漏れることはなく、僕がファティマやアポロニアの毛をドライヤーで乾かしていると知ると、珍しくぼくもいいですか、なんて言ってくる始末だったのだから。


 ――手触りがいいから、僕にとっても役得ではあるんだが。


 美容などには疎い身であるが故、本当に自分でいいのだろうかと思う節はあるものの、今更明日から自分でやってくれ、というのも憚られるため、家に居る時はドライヤー大会を毎日続けている訳だ。


「こんなものかな。乾いたよ」


 長い銀髪もついでに乾かして、20分近くかかっただろうか。肩に寄り掛かったままの頭をポンポンと軽く撫でれば、サフェージュはふにゃりと表情を緩めた。


「あ……ありがとうございます、兄さん」


「色々と苦労をかけているお礼だと思ってくれ。こういうのも家に居る時しかしてあげられないが」


「そんな、苦労だなんて。ぼくはお仕事を貰えてるだけで――」


「サーフー、そろそろ代わってくださぁい」


 廊下の方から聞こえてきた間延びした声に、突如サフェージュは背筋をピンと伸ばす。


「は、はい姐さん!」


 憧れの人にはあまり気の抜けた姿を見られたくないらしい。

 今まで蕩け切っていたのが嘘のように、素早く身なりを整えると、自分用のタオルを抱えて火の消えた暖炉の方へと退散していった。

 代わって僕の前に現れたのは、橙色の包まれた妖怪毛羽毛現亜種。いつの間に風呂に入ったのかは知らないが、どうにも烏の行水だったらしい。

 それはゆーらゆーらと尻尾を揺すりながらこちらへ近寄ってくると、どちらが前でどちらが後ろか分からない恰好のまま、僕の膝の上へと腰を下ろした。


「相変わらず凄い毛量だ」


「だいぶ伸びてきたので、そろそろまたシューニャに切ってもらわないとですね」


 手で梳くようにして髪を寄せ集めれば、ようやく顔を出せたのか。前からぷぁっと息の抜ける音が聞こえた。

 洗髪の為に三つ編みを解けば、ファティマはいつもこうなってしまう。以前聞いた話では、キメラリア・ケットは季節によって毛が伸びるのが早いのだとか。

 身内の女性陣には長髪が多いとはいえ、毛量に関しては彼女が別格だろう。今日1番の大仕事だと気合を入れて乾かしていけば、ファティマはフンフンと気持ちよさそうに鼻歌を歌っていた。

 そんな中、ふと。


「そういえば今日、王都でマリベルに会いましたよ」


「えーと……あぁヘンメさんの奥方様か! 何でまた王都に?」


 思い出すのに時間がかかったのは、直接話をしたことが少ないからだろう。元はバックサイドサークルの娼館で働いていた女性だが、その実、グランマ率いるリロイストン首長国の要人でもあり、先の帝国戦争が終結した後は、ヘンメがネッサ自由国の指導者となることを条件に、両国の関係強化を兼ねて彼の下へと嫁いだとかなんとか。

 如何に知り合いとはいえ、外国の后様と気軽に会話する辺り、自分たちも随分異質な存在な気がしてならない。


「親善の為だとか言ってました。色々お話も聞かせてもらえたので、よかったです」


「お話って、ヘンメさんの事かい?」


「ネッサ自由国の皆のことですよ。後はグランマとか」


「また不穏な名前が……」


「リロイストン首長国は領内の切り分けが落ち着いてきたから、砂漠方面の国境沿いを平定に動いているらしい」


「同盟国とはいえ、グランマが率いているとなると、ちょっと背筋が冷たくなるわね」


 キィと蝶番が鳴った方を見れば、細い肩と首とをくるくる回すシューニャと、その後に続くようにマオリィネがリビングへと入ってきた。

 途中から話に割り込める辺り、同行していたシューニャも、このあまり知りたくない情報を聞いたらしい。


「その感じだと、目指しているのは旧オン・ダ・ノーラ領の統治かい?」


「わからない。ただ、マリベルが言うには、あくまで現有領域の安定化が目的らしいけれど」


「流石に手を広げるには早すぎるわよ。あくまで、普通の考えならだけれどね」


 マオリィネは理解を諦めているらしく、常識論を語りながら長い黒髪をふわりと払う。

 中央から遠く離れた辺境の地で、しかし王令により与えられた領地を守り育てる貴族の生まれである彼女としては、拡大という甘美な響さえ容易ならざることをよく理解しているのだろう。


「しかし、それが何故わざわざそんな話を?」


 夜光協会は国家間の戦争や内政に対する干渉など、現代文明が解決すべき問題には一切関わらないことを明言している。そうしなければ、あまりにも影響が大きすぎるからだ。

 それは皆に伝わっているだろうが、シューニャは小さく唇に指を添えて、うーんと唸った。


「いくら国政と関係ないと謳っても、夜光協会の持つ影響力はとても大きい。だから、情報を共有して巻き込めるようにしておきたい、という感じかも?」


「あり得る話ね。私達の力は既に誰もが知るところだし、何かを率いる立場であるなら、誰しも協力を仰ぎたいはずよ」


「グランマみたいなのが他にも出てくるかも、ってことかい。マリベル妃は他に何か?」


 脳内に響き渡る妖怪老婆の笑い声。

 最早悪夢としか思えないそれをドライヤーの音で掻き消しながら、引き攣った表情で話題の転換を試みれば、シューニャはまたプルプルと首を振った。


「私とはそれだけ。でも、ファティとは2人で話したいことがあるからと言って、しばらく別行動をしていたけれど」


「そうなのか」


 珍しいこともあるものだ、と肩越しにファティマの顔を覗き込む。残念ながら全く見えないが。

 彼女はバックサイドサークルに居た頃、敢えて誰かと仲良くなる、ということを避けていたきらいがある。それは親身になってくれていたコレクタユニオンの受付嬢、マティ・マーシュさえも同じようで、私は友人だと思っていたんですけど!? と嘆く始末。

 マリベルもまた同様だと思っていたのだが、もしかするとシューニャを除いて唯一、仲が良いと感じていたのかもしれない。

 しかし、どうしてか。


「えと……それはその、色々、です」


 いつも飄々としているファティマにしては歯切れが悪く、くるくると大きな耳を忙しなく動かして落ち着かない。

 何かあったのだろうか。そう感じてしまうくらいだったものの、踏み込んで聞くべきか聞き流すべきかを考えている隙に、セットしていないはずのタイマーが鳴り響いた。


「キョーイチー、ドライヤーまだー?」


「あ、あぁすまん、もう少しかかる」


「ボク、今度から最後の方がいいかもしれませんね」


 ぴょんぴょんと跳ねるポラリスを前に、ファティマはあははと困ったように笑う。

 結局その話題は、何も分からないままドライヤーのモーター音に流れて消えた。



 ■



 深夜のガレージ。冷たく静まり返った装甲車の車内へ潜り込めば、運転席の方から低く抑えた声が響いてくる。


「首尾はどうだ?」


 小さく灯るランタンの火に照らされ、浮かび上がるのはあまりにも似合いすぎる恐ろしい髑髏。

 これが相棒でなかったとすれば、僕とて叫び声をあげていたかもしれないが。


「少尉」


 軽く手で促せば、井筒少尉は1つ括りのお下げ髪を揺らしながら、誰も居ない寝台に軽くもたれかかる。


「ウィラミットさんなら喜んで承諾してくれたわ。全員のサイズについても緻密な記録を残しているようだったし、問題ないでしょう」


「流石は蜘蛛姉ちゃんだな」


 カカカ、と小さく骨が笑う。

 自分が何をどんな風に頼んだのか。それは井筒少尉にとっては特別不思議でもなかっただろうが、同行していたアポロニアはきっと理解していない。

 それでいいのだ。苦しみを伴わない驚きなら、多少はあったほうが面白いというもの。


「バグナル軍曹についてはどうか」


「ガーデンで正式な航空機操縦技術の教練中。とはいえ、基礎がインストールできるネオキノーらしく、呑み込みは早いようだがな」


 もう1人の新たな同行者が何処へ行ったのかと思えば、知らない間にガーデンで缶詰にされているらしい。

 彼も本職ではないのだろうが、如何せん少数精鋭の組織かつ、人材が勝手に生まれることのない時勢である。できる者にできることをしてもらわなければならない。可能であるならば、航空機操縦に関する教官となれるくらいには。

 そんな希望と申し訳なさを合わせたような表情を浮かべていれば、同じ存在である井筒少尉が小さく肩を竦める。


「このボディはあくまで、バイオドールを高級化させたものに過ぎないわ。人間より物覚えがいいのは当然。ドライバが正常に動作していれば、の話だけれどね」


「大したもんだぜ。生物工学における1つの到達点かもな」


「私からすれば、自己修復性超硬セラミック材骨格が喋っている方が、余程神秘だと思うけれど?」


 彼女がジトリと睨む先は、言わずもがなのだらけた白骨。

 しかし、当の本人は謙遜でも何でもなく、そうでもないとアッサリ切り捨てた。


「1品モノとしちゃそうだろうが、ブラックボックスだらけな上に、既存技術への連動性が皆無ってんじゃ生産ラインに乗せられねぇよ」


「ネオキノーも似たようなものでしょう。技術の中核であるアストラル体の移動と定着に関連する技術が、確立されていないのだから」


「違ぇねぇ」


 近しい技術体系だからなのか、結局の所は似た者同士であるらしい。

 投げやりなダマルが電子タバコを吹かせば、少尉の方も多少気が緩んだのだろう。小さな水筒を開けて、口を湿らせる程度に含んでいた。


「しかし、君も普通に食事ができるとは思わなかったよ。動力源は有機物ジェネレータかい?」


「ええ。ネオキノーで重視された点に、人間らしさがあるからでしょうね。人間が持ち合わせていた生理現象については、高度なエミュレーションが自動で行われるようになっているわ」


「てこたぁ、髪やら爪やら伸びる上に、眠気もくれば糞もするってか? 機械なのに?」


「専門家ではないから詳しい話は分からないけれど、私が受けた説明が本当なら、アストラル体を混乱させない為、だそうよ」


 そうしないと、人間だった存在には大きなストレスになるんだとか。と彼女は小さく付け加える。

 成程。確かにいきなり食事が摂れなくなったり、眠ることができなくなったりすれば、過去の習慣から精神的な負担にはなりそうにも思える。


「手間のかかることしてんなァ。作った奴ぁ変態もいい所だぜ」


「とはいえ、基本的な構造は機械なんだろう? 保守整備なんかは大丈夫なのかい?」


「逆に聞かせてもらいたいのだけれど、半年に満たない稼働期間でその辺りの話が分かると思う?」


「そ、そうだな。すまない」


 骸骨を見ていて感じた素朴な疑問だったのだが、呆れた半眼に想像力不足を突き付けられればそれまでのこと。

 自分たちが行った天雷の起動が、井筒少尉とバグナル軍曹の起動トリガーになったとすれば、確かに体の劣化や損耗など分かりようもないだろう。

 肩をすぼめながら1歩後ずされば、ほどなく小さなため息が聞こえてきた。


「……バグナルが居れば、とりあえずは大丈夫でしょう。あれでも一応、元はバイオドール技官らしいし」


 白い歯を覗かせる軽い雰囲気の青年。果たしてネオキノーの見た目が、元々の人体を絶対に再現しているかは分からないが。

 似合わないな、と心の中で思った。むしろなんというか、サーファーとかをやっていそうな風貌の彼である。

 尤も、職業云々に関わらず、見た目から動いているのが不思議な肉のない相棒は、ほほうと興味深げな声を上げた。


「そりゃいい。暇があったら教えてもらうとするか」


 技術屋らしい興味の持ち方と言うべきか。ネオキノーという有機機械ボディについて、詳しく知りたいのだろう。


「今後の事を思えば、僕も多少聞いておいた方がいいかな――っとと」


 少し顔を上げた時、ふと足元がぐらついた。

 立ち眩み、という奴だろうか。酒に酔った時のような感覚だったが。


「中隊長?」


「なんだ、のぼせでもしたか?」


「……そうかも知れない。悪いが先に休ませてもらうよ」


 ひらりと軽く手を振って、僕は玉匣を後にした。

 どれだけ風呂好きだろうと、湯に当たる日くらいあっておかしくはないのだから。

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