1-2.迷惑な小娘 part2

 汚してしまった下衣かいは、執事が持っていた予備のパンツを借りて事無きを得た。

 下半身だけフォーマルなのは、なんだか落ち着かないけれど。


 しかし翔の消沈した気分は、全く晴れることはなかった。

 テンションなど上がる理由が無い。

 凹むばかりである。


 であるのに。

 

 マリアは到着後即刻開口一番、


見窄みすぼらしい場所ですわね!貧乏臭さもまるで隠せていませんわ!巫山戯ふざけていらっしゃるんですの!?」


 などと大声で怒鳴りつけたのだ。

 道中での肉体的・精神的疲労、頭痛に響く高音、ゴネ放題の世間知らずに対する向かっぱら、それらが併さって、翔はその場で大の字に寝転がりたくなった。

 リアスマ隊も「いい加減にしろ」とでも言いたげな視線を向けている。鎧のあちこちに銀が配され、左手だけ籠手こてで隠れた大柄の男に至っては、これ見よがしに額を抑えた。がっしりとした体つきではあるものの、どうにも苦労人の感が拭えない彼は、恐らく隊長なのだろう。「あーあ」といった様である。

「あなた方は!今回の事態を正しく捉えていらっしゃいますの!?ほら返事も動きも遅い!疑問の余地なく平伏する!そのくらいの気概を見せて下さらないですこと!?」

——一々声がデケェよ…。そして何様だよ…。




 そもそもは、“イェリコ”と呼ばれる骸獣コープスとの最前線、その近くにあるこの村で起こった、未知の生物との遭遇が発端だった。

 

 「巨大な土竜が、人を襲った」、その報せは彼らを混乱させた。

 骸獣コープスが防衛線を密かに超え、生存圏タピオラ内部に侵入した可能性を考慮し、王都から調査隊を派遣することと相成った。

 目的は、骸獣コープスの実在の是非の確認と、情報が真だった場合の、速やかな敵性生物駆除である。

 

 そこで白羽の矢が立ったのが、王都で直ぐに動かせる部隊の中で、索敵と火力、対多数に特化したリアスマ隊。

 更に高度に政治的な判断が可能で、そこそこの戦力を有するマリア及びその私兵だった。

 そう、あの使用人連中は、形式上マリア麾下きかの兵隊なのである。


 そういった経緯故、「こんな田舎に何故わたくしのような高貴なものが」と愚痴っていたが、翔の見立てではマリアが嫌われているからだ。

 居るかもわからない敵。居たら居たで、最悪命にかかわる。無事殺せても、大した手柄にならない。被害が大きければ、それもまた責任として負わされる。その間に中央では、自分を追い落とす準備が為されているかもしれない。

 リスクしかない。

 やる理由が無い。

 

 こういう時、一番声が大きい勢力の推薦がものを言う。

 つまり、最も多くの人間に「邪魔だ」と思われているヤツが、こういった使い走りをやらされるのだ。

 こうやって行く先々で空気を険悪にして回るのは、貴族階級だからと言うより、マリア・シュニエラ・アステリオスその人の特性、ということらしいと彼は理解した。

 どうやら彼女の態度は、この世界でも非常識のようだ。

 

 執事やメイド二人になだめられ、その場の熱は収まったものの、調査隊五十余名全員が入れる最高級の宿を要求し、「無い」と言われて出されたものが、集会用の建物と簡単なテント。

 それでまたまた、

「なんですの!これは!?」

 と雷が落ちたのだ。


 そりゃこんな見るからに貧しい村で、急に大人数を収容することになったとあれば、こうもなろうと翔は思う。

 身に纏うのは皆襤褸ぼろ布や動物の皮。

 自警団のつもりだろう集団は、手に農具を持って武装のつもり。

 日焼けした肌からも分かるように、彼らは単なる農民だったのだ。血腥ちなまぐさい連中がテリトリーに入ってくるだけでも拒否感があるのに、横柄な奴等なら余計に非協力的になる。

「わたくし達が参ることは、事前に先触れが伺っている筈では?いいえ確実に伺っております。そうでなければ、何方どなたがあの案内人を手配したのでしょうね?あと先程から拝見しておりましたが、村民の動きがまるでなっていませんわ。身を守る訓練は?連携の打ち合わせは?権能ボカティオの研鑽は?武器の生産は?まさか何も準備していない?頭が足りていらっしゃらない?それとも怠惰なだけですの?」

 村長と名乗った老人——名前はレジイ——が、頭ごなしに暴言を浴びせられ、気の毒な程に萎縮していた。

——これは、マズいな。

 別に翔は、お嬢様がどれだけ嫌われようと、本来知ったこっちゃない。

 だが、今彼の身柄を保護しているのは一応マリアだ。つまり彼女の勢力に属しているわけで、傍から見ると同類扱いされかねない。

 どういう理由かは分からないが、あからさまに怪しい彼を、マリア達は拘束していない。比較的自由に動ける以上、やれることがあればやりたくなる。

 座して何かを失うというのが、彼には一番許せない。

 見知らぬ土地での外聞でもだ。

 彼は駆け足でマリアとレジイに割って入り——


「まあまあお嬢様そのへんで勘弁してやってください」


 と精一杯馴れ馴れしく言ってやった。

  

 


 とまたも何かが弾けた音。

 マリアを見ると、片目を広げ逆の目をすがめ、翔のことを睨みつけている。

「あ?なんだ、お前?」そう言いたいのだろう。

 周囲のほとんどは、この場の最高権力者に親しげに話しかけた、その男の行動に唖然として、雰囲気に一瞬風穴ふうけつが開く。


 翔はそこで畳みかける。


「村長殿、申し訳ない。彼女の態度をお許しください。長旅での疲労が彼女に心にも無いことを言わせているのです。ああ私ですか?私はこの隊とあなた方との仲介役で翔と申す者です。いやはやこの度は村を挙げてのお出迎え、誠にありがとうございました。昨今は食糧事情も芳しくなく、更には突然の骸獣コープス出現疑惑。窮状に追い打ち。弱り目に祟り目。そのような状態でありながら、我々の為に場所を空けてくださって、そのお心遣い、大変痛み入ります。国とは民無くしてあらず、皆様のその頑張りこそが我々じんる…じゃなくてアルセズを支えております。日頃の献身と今回の歓待は本当に得難きものであり、重ね重ね感謝申し上げます。心から、ありがとうございます」

 ここまでを一息で言い切り右手を差し出した。


 レジイは勢いに呑まれ、

「あ、ああ、これはあ、どおもお…」

 と取り敢えず握手に応じる。

「ちょっと、まだ話は——」

「つきましては村長殿、誠に心苦しいのですが、我々の為にご用意頂いた宿とは別に、こちらの方にはより住みやすい部屋を与えて頂けないでしょうか?あればとても助かります。見ての通り疲れで気が立っておりまして…」

 マリアが何か言いたげだが、容赦なく遮る。


 重要なのは、レジイの目にしっかりと、「お嬢様とは仲が悪い奴」として映ることだ。

 人は、反感を持つ誰かと対立しているなら、自分の味方だと感じてしまう。

 所謂、「良い警官、悪い警官」メソッドである。


 そして人に好意的に見られる為には、詫びる事も大事だが、それ以上に感謝することである。

 

 公衆トイレだって、「恐れ入りますが汚さないように気を付けてください」よりも、「いつも綺麗に使って頂きありがとうございます」と言った方が清潔に保たれる。

 あらゆるコネクションを逃さぬよう努めて来た翔にとって、一番の武器は“感謝の言葉”だった。

 外部とはあまり交流もないように見える小さな村の住人、懐柔するなど容易いことである。


 その後、村長の家——この村の民家の中では最大規模——にマリアとその連れが泊り、リアスマ隊は集会所で、翔はちゃっかり村唯一の宿の一室を無賃で貸し受けた。


——ま、こんなもんだろ。

 彼は自分の手で状況を改善出来て、大分いい気になっていた。


 じっと観察されているとも知らず。


「ああ、村長殿。ついでに、この村について良く知りたいので、どなたかご紹介頂けないでしょうか」

 「私はあなたに関心がある」そういう姿勢も好感に繋がる。

 一度打ち解けたその後も、良好な関係を維持するのが肝要だ。

 少なくとも此処を去るまでは。

「えー、そいでしたら、適任がおります、はい。村の外にぃ興味津々なお転婆でしてえ。暴走しがちなやんちゃ娘ですので、静かにさせる意味でも、是非ともお話をばお聞かせ願えればあ、と…」

「え、あ、ま、まあ善処します」

 どのようにして、自分がここパンガイアについて知らないことを誤魔化そうか。

 それを思案しながら、村長が誰かを探し出すのを待つ。

「おーい、ユーリ、どこだぁ?」



「なぁにぃ?雑用とかやらんよぉ?それよりも外の人に会わせてよお」



 群衆を搔き分け、一人の少女が進み出る。

 「かったるい」という感情を全身から醸し出しつつ現れた彼女は、翔を見て不思議そうに首を傾げ、続いて興味津々といった風に目を輝かせた。

 

 年齢は十代後半だろう。

 小柄だが、動きは大きい。

 亜麻色の髪は短く切られ、翔の知識で一番近いのはボブカット。前髪は「ぱっつん」と呼ばれる形に整えられている。

 くりくりとした目、小さな鼻と大きな口。

 小麦色に焼けた肌。

 活発な少女である一方、かなり身綺麗にしていることも分かる。

 耳・爪・手足や服に、布や花、骨で装飾が施され、クローバーに似た四つ葉があしらわれた、麻紐らしき首飾りを身に付けている。


 着ている物も、生育環境も同じ筈。

 なのに翔は、村の中でその少女だけが、光を発しているように見えた。


「ええ~何々?ウチ、外の人と話せるん?」

「こちらの方に、村を案内せい。くれぐれも、粗相のねえように」

「いえーい!村長、話わっかる~!」

「うるさいわ!そうでもせんと、お前は手が付けられんだろが!大人しくしとるんだぞ!?」

 少女は勢いで村長に抱き着き、あしらわれてから翔の方を再度見て、「ニマァ~」という擬音が聞こえてきそうな、横に伸びた笑みを浮かべる。

「ウチはユーリ!よろしく!」

 

 そういって手を挙げた彼女が、


 その満面の笑顔が。


 何故だろう。


 目の毒になる程眩しいと、

 

 翔はそう感じてしまった。

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