2-18.三文戯曲に千両役者
「やあ諸君、ようこそ我らが王城シャラムへ」
にこりと笑いかけるだけで、花びらが散るように光が舞い飛び、男も女もほうと息をつく。
「今宵、我が一声にお集まり頂き、誠に喜ばしい限りでございます」
支配している。
一段ずつ、焦らすように踏みしめながら、計算・洗練されたテンポと仕草。
それらで心を己が元に集め、思った通りに捏ね回す。
「まずは
貴族式の敬礼。
だが服従の色は一切なく、「全てが支配下」という標榜に等しい。
万魔殿たる社交界を、ただ歩み寄るだけで掌中に収めた。
「早速本題に入るのも品が無い。まずは、交流を深める場としようじゃあないか」
彼が指を打ち鳴らすのを合図に、楽団の奏でる曲調が変化する。
これまでは主張し過ぎない、飽く迄背景としての演奏。
今始まったのは、明らかに音楽が主役の片翼を担う、舞踊の為の楽曲。
ダンスパーティーのスタートということだろう。
「一応、お心構えだけ」
「分かってる。目立たない、目を合わせない、万一指名されても無言で無難に」
「お願いしますぞ」
事前の取り決め通り、彼は脇役に徹する構えだ。
ここはまだ、あの王子様のテリトリーである。
翔の出る幕ではない。
あちこちでパートナーのお誘いと、ブッキングした結果の争奪戦が展開されているが、それが最も静か且つ激しいのは、矢張りヨハンの相手決めだろう。
殺気とすら紛う程に濃い気配で、牽制のし合いは剣戟のように。
動けず、退けず。
その全てを、意に介さず、
ジ ジ
カツンと、ヒールを打ち鳴らし、
如何なる刃も、
あらゆる火勢も、
無きに等しく、
無人の野を行く。
その理由が悪感情でも、
王子と同じく視線を釘付け、
一瞬で場を
彼女は、ヨハンのすぐ傍に辿り着くも、決して自分から手を伸ばさない。
ただ、オウリエラが東から昇るのと同じく、当然起こるべき事象を待つのみ。
リリリ、
ジリリリ、
雷光を身に着け、
王子様の前で美麗に在り。
どのような道理があろうとも、無視も拒絶も許されぬ、そんな認識を組み立ててしまう。
「マリア、君さえよければ、私と一曲どうかな?」
「喜んで、お受けいたしますわ」
それは、必然の流れに思われた。
寝物語の結末のように。
王子様とお姫様は、最後に必ず結ばれる。
彼と彼女が共に行くのに、疑問を挟む余地は無し。
けれど、ある一つが争点。
主役は、どちらであるのか。
それを決める立ち合いが、今始まる。
手を取り合って、同じ方向に動くは数拍。
どちらも半歩引き、求め合うように肘が伸びきり
そして引き合いお姫様が回転。
止まったかと思えば深く反り、その身を沈めた王子が支える。
時に見つめ合い、時に共に前を向き、
横目・流し目・熱き両目、けれど色目は誰にも見せず。
それぞれが完璧を以て繰り出すステップ、
流れるように動き動かす為の正確な一歩。
否、歩いていない、滑っている。
そこに摩擦も質量も無いかの如く。
彼が踏み込んでいるのか彼女が引っ張り込んでいるのか。
王子が踊らせているのか姫が振り回しているのか。
主導権の奪い合い、相手を立てるという配慮は見えず。
全力を出せば考えずとも、互いに輝くと知っている。
それはもう、達人同士の果し合いのように。
「見ろよ、まただ」
翔の耳は、そこで雑音を拾う。
「自分だけ目立とうとして、殿下に合わせようとはしない」
「どんな時でも先頭を行きたがる、そんなあの女にぴったりな踊りだな」
「あらあら、そんなに張り切っても無駄だって分からないのかしら?」
「恥知らずな足癖の悪さですこと」
「そもそも、頑として殿下以外とは踊らないなんて、どういうこと?」
「注目を浴びれれば満足なんでしょ?」
「あれで媚びてるつもりかもよ?淫売みたいに」
「常識も可憐さも無いことに開き直った
「街の平民と、従者のほとんどからも嫌われているらしいぞ」
「あれと添わされる殿下が、気の毒で仕方無かったよ」
彼は、指で耳の穴を塞いだ。
音楽との調和を楽しめないのは残念だが、不粋なノイズは追い出せる。
負け犬の遠吠えには、何ら学ぶべき物がない。
そして、集中する。
恋する相手との
弱点を、見究めるのだ。
だが彼の思惑は当たらず、バチバチと稲光が踊るのみ。
やがて曲が終わったのか、どちらも止まり礼をする。
拍手。
「流石は殿下」
「殿下!お見事です!」
「バシレイアは次代も安泰ですな」
「いやまったく」
翔は舌を打ちたくなる。
弱みを見つけるつもりが、逆に彼女の能力を見せつけられた。
あの曲者王子を相手にして、互角に渡り合うことまで出来る。
マリアを超えるのは、まだ先になりそうだった。
あれ程紛糾していた王子のダンスパートナー争いは、しかしぱったりと止んでしまった。
直前にあれだけの存在感をかまされ、どう続いて踊ったとしても、見劣りする事を恐れたのだろう。
その空気を察したヨハンが、
「それでは、少し早いが本日の主旨をお聞かせしよう」
切り上げて本筋に入っていく。
「昨今
わざわざ国の中心となる権力者を集め、する話とくればやはりそれであろう。
「まず当月の始めに、
ウガリトゥ村襲撃事件。
「幸いにもこれは、一度の衝突で退けることができた。それから今日に至るまで、再度の襲来は確認されていない」
少し、胸を撫で下ろす翔。知らぬ間に全滅していたのでは、寝覚めが悪い。
「だがここに疑問が残る。奴原はどのような手段で、内地へ侵入し攻勢を仕掛けたのか?」
知らぬ間に、守りが突破されていたのだ。
「更にこの度
王都連続殺人事件及び、王都事変。
「間者は極刑に処し、下水道から貴重な生体実験材料も確保できたが、主犯がどこで奴原と接触したのか、それが定かではないままだ」
最大の問題は、まだ解決していない。
奴らは何処から現れたのか。
逃げたもの達は何処へ帰るのか。
「諸君らの中には、こう思っている者も居るのではないか?『橋頭堡は既に完成しているのではないか』、『こうしている間にも防壁の外では、奴原が集い機を見ているのでは』。そう思って眠れぬ夜を過ごす者も居ると、私はそれを憂いている」
芝居がかって、けれど本当に悲しげに、彼は痛みを抑えるように、その右手を心臓に当てる。
「だから、彼女に来て貰った」
呼ばれて歩み出るは、当然その人。
公爵令嬢にして王太子の婚約者。
マリア・シュニエラ・アステリオス。
翔は、ヨハンの意図が分かって来た。
良くない空気を、新たな風で吹き飛ばそうと言うのだ。
「私はここに宣言する」
マリアとの結婚式でも挙げるのか、なんなら即位の日程でも決まったのかもしれない。
「
自分の治世で事態を動かし、有能アピールというわけだ。
「そしてこの場の全貴族の、連名による要望に応える為」
それも、既に全員に話を通している。全く大した敏腕で——
「彼女、マリア・シュニエラ・アステリオスを、“
万雷の拍手!
会場を割らんばかりの拍手喝采!
轟轟と打ち合わされる手のひら!
——………?
「え?」
彼は思わず、声に出してしまった。
意味が、分からなかった。
——えっと、つまり、どういうことだ?
空気を読もうと見渡し、気付く。
その場に居並ぶ、高位貴族達の目。
目、
目、
目、目、
目目目目目目目目目目目目目………
それが、王子の方へ、
——違う、見てるのは…!
その隣で胸を張り、変わらず優美に立ちながら、正面から全てを受け止める、
マリアの方へ。
それらは、
歪んで、
曲がって、
細められ、
垂れ下がり、
喜色、
喜悦、
愉快、
痛快。
誰もが、その決定を歓迎していた。
「素晴らしい」そう聞こえた。
「御英断」そう言う者も居た。
翔は、
本当は分かっていた。
ただ、
「そんな筈は無いだろう」と——
ヨハンが手を挙げ静粛にさせ、話を再開してしまう。
「民草からの彼女の評判は、既に聞いている」
そんな、筈は。
「私の婚約者という立場を笠に着て、目に余る問題発言・行動を繰り返した事も」
——なんだ。
「更には、此度の事変の解決を命じられながら、完全に後手に回り、結果として多くの被害を出すという、失態をも犯してしまった」
——どうなってる。
「私は、忠臣アステリオス家を信用している。だが彼女によって、諸君から当家への信頼は失われてしまった」
——なんだ、これは。
「だから、名誉挽回の必要があると、そう考えた」
——なんなんだ。
「そこで此の度、諸君らの安全と安心を引き受ける、その重責を任せる事とした。彼女は小規模の部隊で、原因の調査・解明を担うことになる」
——一体、何を言って。
「勿論その任に就いている間、私との婚約関係は停止する。王妃が最前線に居ると、万一の場合に政治的混乱を引き起こすからであり、同時に、その特権が無くとも国に尽くせると、それを証明する為でもある」
——何故。
「またこの危機が沈静化するまで、王都への立ち入りを制限する。
——何で、お前は。
「この門出によって、彼女が大切な何かを得て帰って来ると、私はそう信じている」
——どうして、お前はお前のままなんだ。
「これは、畏れ多くも権王陛下からの、御勅命でもある」
——なんでお前は立っていられるんだ!
彼女は、
もう次期王妃でもなんでもなく、王都にも居られなくなってしまったマリアは、
それでも眼前の全てより、意気も自信も満ちていた。
その時翔の中では、至る所が繋がっていた。
何故ウガリトゥ村に派遣されたのが、彼女だったのか。
この舞台を整える為、恙なくこの都から放逐する為、彼女に気付かれず打ち合わせたかった。
だから、不在の期間を作った。
鬼の居ぬ間に結託した。
何故、失踪事件まで任されたのか。
明らかに手遅れだったから、責任含めておっ被せた。
失脚が確定している敗者に、持たせられる
どうせ王都から去るのなら、過ちも共に持って行け。
よく知らない者からしたら、マリアは今回ミスをしたから、その罰を受けるのだと見えるだろう。
後手後手の対応と、貴族優先の動き、結果として生じた損害と、死者。
それらで昂じたヘイトを、全て彼女に押し付けられる。関わったのは終盤なのだと、そんな弁護は誰もしない。
嘘は言わずに匂わせるだけで、それが真実になってしまう。
何故、マリアが王都を発つのと、最初の事件がほぼ同時期だったのか。
ジィが言った通り、成程それは「蓋然」である。完全に意図的ではないものの、そうなる可能性は高かったのだ。
マリア・シュニエラ・アステリオスが倒れることで、空席が生まれる。
ヨハン・アポストロ・バシレイアの婚約者、つまり時期王妃という、空席が。
「恋」、そしてその先の「結婚」。
「おまじない」だろうがなんだろうが、血眼になって試すだろう。その椅子を射止めさえすれば、この世の全てが手に入るのだ。
「呪い」をかける側にとっても、こんな「入れ食い」を逃す手はない。
アトラが動き出す時期として、この上ない好条件。
彼女の追放計画と、アトラの追及計画。
それらは同時に始動したのだ。
だから、一部が重なった。
それだけの事だったのだ。
「さあマリア・シュニエラ・アステリオス。これを受ける意思が、君に有るか?」
解決出来るかも分からない問題。更に死の危険と隣り合わせ。
彼が聞く
その理不尽にぶつかって、
「喜んで」
ダンスの誘いでも受けるように、
軽く、
優雅に、
王子に微笑み、
その後に場の全てを睥睨して、
「謹んで、拝命致しますわ」
ズグズグ
バチリ。
誇りを胸に、
そう言った。
驚いているのは、エリザベスくらいなもので、
誰もがそれを当然と考える。
「ご理解、頂けましたかな?」
喉からは言葉が出ず、ゆっくりとそちらを向くしかない。
「これが、お嬢様の生きている、諦念と悪意の世界でございます」
彼でさえ、知っていたのだ。
既定路線だ。
皆最初から、この為の会だと分かっていたのだ。
台本に目を通した役者達でしかない。
貴族達も。
両親も。
王子様も。
そして——
——お前も。なのに、どうして…
どうして今日この場に来たのか。
そんなにも
翔には、
どうしても分からなかった。
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